第5話 ガス田

 結局のところ、ガス田は村にあった。

 それは村民たち全員が知るところであり、村に暮らしている子供たちさえも、それがどこにあるのかを知っているというひどい有様であった。


 村の外れ。

 山裾にできた渓谷、凍り付いた川面の横に、ぽっかりと開いた穴がある。


「ここから採れる土を畑に撒くと、実りがよくなるっていうんで。私たちは昔から使っていたんです」


 まるで、それが『晶ガス』の埋蔵されているガス田だったとは、露とも思わなかったのだという口ぶりだ。

 村長代理として僕たちに同行した農夫は、そう言ってニーカの顔色を窺った。


 ふむ、と、独り言ちに呟いて、ニーカは洞窟の中を覗き込む。


「内部構造は把握しているのか?」


「とんでもない。村長から、決して奥に入ってはならぬと言われていたから。私たちは、入り口の当たりをうろうろとしてたくらいでさぁ」


「そう」


 そんな農夫の表情など知ったことかとばかりである。

 ニーカは洞窟ばかりを眺めて、少しも案内した彼の方に視線を向けもしなかった。


 それから、突然。


「ウリヤーナ!!」


 つんざくような叫び声をニーカはあげた。

 彼女が呼んだのは、我が特務部隊の技術士官の名前である。


 ウリヤーナ・ペトレンコ。

 白い短髪をした壮年の女性である。彼女は、技術士官にも関わらず、いかにも武人然とした、武骨な雰囲気を持っている人物だ。

 受け答えも明瞭であり、ニーカの呼ぶ声によく通る声でドスを利かせて答えた。


 農夫が驚いて、その場に腰を抜かす。

 そうして離れた農夫に代わってウリヤーナがニーカの前に立つと、彼女はすぐに隊長に向かって敬礼をした。


 その姿を一顧だにもせず、ニーカは洞窟を見つめて話を続ける。


「ウリヤーナ。鳩を放って」


「何羽にいたしましょう」


「十羽放ちなさい」


 はい、と、ウリヤーナが恭しくその場でニーカに向かって頭を下げた。

 それからすぐに、彼女は僕たちの下を離れると、申し付けられた鳩を用意するべく村の方へと戻っていった。


 鳩放ち、という『晶ガス』のガス田の規模を測る方法である。

 炭鉱などでは、鉱毒の発生を察知するために籠に入れたカナリアなどをよく使うのだが、これはそこに加えてもう少し残酷なやり方になる。


 基本は鳩の帰巣本能を利用したものだ。

 一定距離を飛んで帰って来るようにしつけた鳩を、洞窟の中に向かって放つ、というやっていること自体はごくごく単純なものである。


 それぞれ、鳩が折り返してくる距離は違う。

 そして、躾けられた距離を飛びきれなかった鳩はどうなるか。

 当然、あるはずもない先――洞窟の奥にある壁に激突して、彼らは死に絶えることになる。


 そうやって洞窟の奥に激突し、死んだ鳩の数で、洞窟の深さを測るのだ。

 荒っぽいやり方だが、数匹の鳩の命で、人の安全が帰る。

 そう思えば実に安く、そして確実な、洞窟の深度の測定方法である。


 また、距離に合わない鳩の死が見られた場合も重要になってくる。

 そのようなことが起こった場合には、洞窟内にそれを引き起こしたであろう脅威があると考えることができる。


 先に言ったように固形状態の『晶ガス』は放射能を発生させる性質を持つ。

 そして、それにより生態系は確実に狂うのだ。

 高濃度の『晶ガス』が埋蔵されている洞窟ならさもありなん。

 その中の生態系は――推して量れるというものだろう。


 洞窟内にはその『晶ガス』に当てられ、歪に進化した生命体――モンスターが潜んでいるとも限らないのである。また、高濃度の『晶ガス』が発生している場合において、鳩がそれに当てられて死ぬということも考えられる。


 とにかく、『晶ガス』のガス・影響の探索において、鳩放ちは定石であった。


「伝統的なやり方よ、文句があるのキリエ?」


「……いや、別に」


「白い鳩が、無残に毒に当てられて死ぬ。それが我慢らない、という顔をしているように、私には見えたけれども」


 ニーカは意地悪な顔をして僕に言った。


 そんな顔を自分がしているとは思ってもみなかった。

 実際問題、そんな感傷を抱いたことがなかったというのが実感だ。

 だが、残酷な現実にすっかりと、心が死んでいた――ということかもしれない。


 彼女が言った通りだ。

 鳩放ちは伝統的なやり方、かつ、合理的なやり方だ。

 文句をつける余地はない。


 代わりに、無暗に人を洞窟の中に放って、死んで来いなどと言う方がどうかしているだろう。人道的なやり方ということもできる。


 だけれど。


「鳩は平和の象徴だろう」


「そうね」


「それが無残に死ぬということに対して、やはりこう、無意識に抵抗を感じてしまうのかもしれない」


「随分と詩的なことを言うのね」


「現実的に生きるには、朱国の軍隊は辛すぎてね」


「旭国の軍隊も厳しい所だったと聞くわ。その割に、練度の方は大したことがなかったとも聞いているけれど」


 それはそうだ。


 国力に劣る旭国は、兵についても徴兵制を採用していた。

 朱国のように、自ら志願して兵になるものなど少数派である。

 僕などは例外中の例外、自分から志願して、更に軍学校を卒業した仕官だが――軍人になろうなどと、旭国の人間はそうそう思う物ではない。


 そういう者たちで組織された軍が強いはずもないだろう。

 死を恐れる集団に、死を前提とした軍事行動など、行えるはずがない。


 いや。

 まだ、旭国の方などはましなほうだ。


 彩国などは更に酷い。


 大陸の楽土を銘打って開かれた国であったはずだが、やって来るのは、どこの国でも上手くやれなかった食いつめ者ばかりである。

 本国で指名手配された罪人。

 あるいは、軍隊を満期除隊したが、次の就職先を見つけられなかった者。

 また、国籍を持たない、出身不明の者たち。


 そんな者たちで兵を組織すれば――。


 やめよう。

 お互いの国の軍の話をしたところで、どうなるというのだろう。

 僕が沈黙を返すと、ニーカはふふっと、勝ち誇ったように息を吐き出した。


 凍った川の上に、銀郎の娘が吐き出した白い吐息が流れる。

 そうこうしているうちに、鳩の入った籠を抱えたウリヤーナと何人かの兵が、こちらに戻って来た。


 さて、何匹が戻って来るやら。


「何もないといいのだが」


「キリエ、それは期待できないわ」


「……どうして?」


「長らく放置された『晶ガス』のガス田というのは、おぞましい程の生態系をその中に作り上げるわ。入口までしか入るなと、村長が言ったのは正解ね」


 そういう意味で、彼は正しい思考能力と判断能力を持っていたわ。

 思想は持ち合わせていなかったけれど。


 そう言って、ニーカは自らの唇に桃色の舌を這わすのであった。


 まるで、今更、自分が殺した村長の死を味わうような、そんな素振りで。

 悪趣味だな、と、僕はまた言葉を濁した。

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