誰そ彼メモリー

鳴海 理桜

第1話 黄昏の邂逅

 あの日出会ったのは、己が名前以外何も覚えていない奴だった…。




 良くある捨てられた子猫が段ボールに入ってて、雨の中ずぶ濡れてて可哀想だから拾ったって状況あるじゃん?

 俺がそいつ、「碧」を「拾った」のもそんな状況に近かった。


 まるで行き倒れてるみたいにショルダーのボストンバッグ抱えて電柱にもたれて雨の中蹲ってた。




 そう。


 その日は、大学の課題でフィールドワークに出てた調査結果をまとめるのに苦手なパソコンとにらめっこしてた日だったんだ。作業をひと段落させて後は家でやろうって思って帰ってた最中。


 秋。夕方と夜の交わる時刻。

 夜にかけて連日の小雨の雨脚が強くなるって朝のニュースで言っていたから傘を持っていて正解だと傘に弾く雨音を聞きながら俯き加減で歩いていたんだ。


 ただでさえ雨雲でいつもより視界は暗いし、街灯の明かりは街から少し離れるとグッと少なくなる。


 大抵の怪異の報告はそんな明かりが乏しいところで起こるって相場が決まっている。


逢魔おうまとき

 とはよく言ったものだ。


 だからと言って俺はそんな不確定なモノを恐れるほど臆病おくびょうで無いとは自負しているし、仮にも民俗学を学んでるくらいだ…世の中の不思議な事は一つ残らず解明したいほど大好きだとも言える。


 そんなことをやや前方を眺めて歩きながらぼんやりと考えていたときに視界の端に何かを捉えた。


「…ん?」


 脚が止まる。

 跳ねる雨でやや濡れ気味の靴の底がアスファルトを噛んで俺の上半身をわずかに揺らした。


 何かの塊が電柱の天辺てっぺんから伸びた白い人工灯に照らされている。


 酔っ払いが倒れてるのか?


 距離があるからはっきりとは見えない。だがもし泥酔者なら絡まれるのはごめんだ。


 そう思って俺はかぶりを振ってまた歩き出した。目が合わないように傘を斜に構え足元だけしかみないようにする。だが、やはり好奇心には勝てず、近づくにつれ徐々に露わになるその「何か」の輪郭りんかくがハッキリすると俺は思わず目を丸くして声を上げてしまった。


「うおっ…?!」


 それはうつむいて顔はわからないが、見た限りかなり若い人間だった。

 染めたのだろうか緑茶の様なウェーブがかったショートボブ程の髪も、肩幅の狭い華奢きゃしゃな体に不釣り合いな服も、何十分も雨に晒されていたのかびっしょりと濡れてしまっていて余った袖から覗く細い指がわずかに震えていた。





 そこだけ時間が止まってしまったような、いや、切り離されてしまったかのような不思議な感覚に、俺はその場から動くことが出来なくなっていた。


 それは数分なのか、はたまた一瞬の事だったのか分からない。


 だが先に動いたのは蹲っていた人物だった。

 俺の存在に気付いたように、顔をうっすら上げ、その目を確かにこちらに向けた。


「た、そ…かれ…?」

「っ!?」

 俺の心臓が驚く程跳ねたのを感じた。


 それは相手が化け物だったとか、そんなものではなかったのは確かだったんだけど…ただ言えるのはその瞳。

 濡れた前髪の間から覗く光の届かない沼のような酷く澱んだ「瞳」に心臓を強く掴まれたように思えた。


 それは恐怖でも無ければトキメキとも違う。


 心臓を掴まれたと同時に全身が総毛立った。



 そして男とも女とも取れない声がもう一度かすれ気味に問うた。



「たそ、かれ…?」


 俺の意識の向こうで、声が勝手に出てきた。


「俺は京也。道菅みちすが 京也きょうや。アンタの名前は?って言うかそんな所にいると風邪引くからさ、ウチ来ねぇ?」


 こんなご時世だ、捨て猫捨て犬なら未だしも人間を拾う日が来るとは思わなかった。屈んで差し伸ばした手をバカバカしいと引こうとしたとき、俺の手に濡れて冷えきった指が添えられた。

 ハッとして晒した眼を落とすと相手のすみれ色をした瞳とかち合い、にこりと微笑みを浮かべた奴が応えた。





「僕は、碧。京也…僕を、連れてって…」


 耳から入って脳がじわっと痺れるような甘い声。

 碧の手をグイッと引いてフラつく身体を肩を掴んで支えて初めてわかる、男にしてはとても華奢で、女にしては柔らかくない身体。



 足元も覚束おぼつかないのは、雨に濡れて体力がなくなったからなのか、栄養が足りないからなのか…


 まぁ、それもこの後考えることにしよう。



 黄昏時たそがれどき

 俺はこうして偶然にも不可思議ふかしぎ不明瞭ふめいりょうな、捨て猫のような人間を拾った。


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