第3話

 敷居やジェイク、モロキュウが見つめる家の家長であるヒソヤマは『SHIGETO』という名前でバンドに参加し、そちらの活動をしつつ、一人の会社員として家庭を支える男だった。仕事でのやるせなさをバンドで歌詞と曲に込めて世界にぶちかます。

 その両立は上手く行っていた。


 バンド仲間の友達から今の妻であるらら子を紹介され、彼女の両親にも、きちんと就職しており、小さいながらも立派な会社に勤めている事や、生活姿勢やらら子を大切に思う気持ちを認められ、真剣な交際の末に結婚。

 一人目の子は男の子でバンドメンバーから『ヒガ』という名前を贈られた。その辺りから妻の両親に心配され始めた。

 二人目の子は女の子。ギターの弦から取って『弦美』(つるみ)という名前にした。これは問題なかった様で、親戚には何も言われなかった。

 三人目は男の子で、妻が『蘭』(らん)と名付けた。




 ヒガがそこそこのいい大学を出て五年ほど経ってからの事だった。

 バンド経験の長い父から、大学生のナンパサークルや薬物汚染についての恐ろしさを散々聞かされていた彼は、たまたまだがそちらには染まらなかった。何人かの友達は染まってしまい、学内で薬を売ったり、サークルの先輩から脅迫されて、付き合っていたクラスの女子や先輩を脅して夜の店に沈めていた事が発覚し、学校を去って行った。

 被害に遭った女の子共々、今は行方が分からない。

 そんな状況に置かれていたが、彼の興味はそちらにはなかった。彼が興味を惹かれたのは、とにかく有名になる事。

 有名になり、人脈が出来れば勝手に金が手元に転がり込んで来ると考えていたのだ。その中に薬をやっている奴がいようが、ナンパサークルの元締めがいようが知った事ではない。

『友達の友達までは選べないっしょ。そんなにえらくないしね』

 そう言って、軽く受け流していた。その言動に惹かれる女もいた。

 女のいそうな場所、金の集まりそうな場所。とにかく色々な場所に顔を出した。

 それは度胸試しもあったし、

『もしもの時の為のボディーガードになる様な連中も必要だろう』

と考えての事だった。

 やがて友達の友達から『紹介料』と称して、いくばくかの金が手元に入る様になった。どんな金かは知らない。

 警察に問われても知らないと言えば済むと考えていた。

 顔も知らない誰かが勝手に知り合いになり、それで金が手に入るなら楽なものだった。


 日々増えて行く口座の金額。家に入れる金額も増えて行った。

 金を稼いでいる奴だけが言いたい事を言える。一定額以下の稼ぎしかない奴らには発言権すらない。そんな世相だった。

 それならそれに乗ってやるまで。自分達を育ててくれた両親への恩返しのつもりもあった。

 両親は心配そうだったが、生活が楽になったのは事実だ。時折両親が電話口で誰かに謝っているのを見たが、気にも止めなかった。恐らく滅多に会わなくなった親戚だろう。貧乏人の僻みとも取れる話も両親の会話から耳にした。

 ヒガは

『他人の家を羨む様な事は馬鹿馬鹿しいし、敵を作るだけだ』

と躾けられていたので、金持ちの友人を羨ましいと思った事はなかった。故に、当然の様に親戚らへの怒りが心の中に沈殿して行った。

 高校生になった弦美や中学生の蘭は、その頃はまだ普通に自分に話しかけて来ていた。兄と両親の間に挟まれて居心地はそれほど良さそうではない。

「『危ない事してるんじゃないか』

って、お父さん達が心配してるんだよ」

 ヒガには心当たりはなかった。自分がその辺の不良の真似事で済ませている連中よりも、遥かに危険な場所に出入りしているとは夢にも思わなかった。

 いいスーツを着て、素晴らしい知り合い、そのまた次の素晴らしい知り合いに出会うべく、動いているだけだと思っていた。


 名刺も作った。友人同士で考えて作った、イベント企画会社。

 ヒガは単に時間をかけてナンパサークルや売人達のリーダーになっただけだった。

 当人だけが全く気付いていなかった。友人達と役職名などを考えたりする楽しさに溺れていた。


 知人の数がSNSで六桁を越えた頃には、弁護士と称する男や銀行員、会社をやっているという男から交流を求められた。顔を出して挨拶し、名刺交換。たまに飲みに行く。

 弁護士が間にいれば、様々な問題は全て小額の手数料で済むと思った、そんな矢先の事だった。


 何処かの部屋。知人の知人が留守にするとかで留守番を報酬付きでやっている真っ最中だった。

 寝ていると夜中に携帯が鳴る。絡み合っていた女は帰った様子だ。

 相手を見ると、自分にその部屋の留守番の代理を頼んだ後輩だった。

「はい、ヒガ」

「ヒガさん、ちょっとまずい事になったんですけど」

「どうしたよ?」

「今から出て来れます?」

「お前ね、また何かやってバカになってるだろ? お前の仕事の肩代わり中ですよ、こっちは。代理がいなきゃ出られねーでしょう」

「人回します。まずいんすよ」

 そこで相手が変わった。警察官だ。警察からの呼び出しだった。


 パトカーによる出迎えが彼を待っていた。

『俺が何かしたみてえじゃねえか』

と思いながら、平静を装いつつ、後輩がいるという最寄の署へ。

 事情を聞くと、後輩とその仲間が夜勤のバイト中にふざけて食材を駄目にし、その様子を動画でSNSでアップした所、見事に世界に広まり、炎上中だという。

 後輩がヒガの名前を出して凄んだので、平和的解決を諦めた店長の電話で、急行した警官ら数名によって身柄拘束という流れだった。

 知人の弁護士を呼んでもらった。来る事は来た。難しい顔をしている。

『真夜中に呼ばれた事で機嫌が悪いのかも』

と察する。彼を間に挟んで警察とやり取りをした。

 その後輩と付き合いがあるかどうか。

 名詞にある会社は実在するのか。

 何人かの名前を挙げられ、知っているかどうかの確認。直接の知り合いもいればそうでないのもいる。

 時には肯定し、時にはしらばっくれる。


 一時的に開放されるともう朝だった。後輩には会えなかった。別の部屋にいるらしい。

 ファーストフードの店に入る。寝ている少年などが多かった。

 携帯をテーブルに置く。先ほどからバイブ機能が続いている。何処かから受信しまくりだ。が、今はそれどころじゃない。

 弁護士の男が言った。

「ヒガ君、責任者にされてるよ」

「俺はどう動けばいいですか?」

 人の上に立つ男の顔で言ったつもりだったが、それは一蹴された。

「その店のオーナー、地主さんでさ、この辺ではかなり古くからの知り合いもいるらしいんだよね。会わない方がいい人達も沢山いる」

 その人物の名前を挙げた。何処かで聞いた様な気がしたが覚えていない。

「裁判になったりしますか?」

「示談にするにしてもかなり包まないと駄目だと思うね。何せ実名で動画アップしてるから。

 閲覧数がうなぎのぼりで、もうネットのまとめサイトとかでもかなりコメントが付いてるし、後輩君だけじゃなく知人とかも沢山の人が、身元特定されてる。君の名前も出されてて、その後に警察が君の所に連絡させたって訳。逃げない様に」

「逃げるも何も、俺ら悪い事してませんし」

 後輩の事を入れても、逃げる理由がヒガには分からなかった。弁護士の冷静な表情からは何も伺えなかった。

「慰謝料でしたっけ? いくらくらいなんですか?」

「恐らくだけど……」

 弁護士の告げた額が、ヒガには最初は信じられなかった。自分の口座の金ではとても足りない。

「君だけどっか海外に逃げる方がはっきり言って安いね。それくらいは持ってるだろうし」

「ありますけど……高過ぎないですか?」

「それくらいは請求出来るし、向こうにはする力がある。今言った金額には君の家族の安全を約束するって意味も含まれるんだ」

「は? 家族は関係ないじゃないっすか!」

 ヒガは思わず立ち上がった。周囲の客の視線を感じる。

 弁護士は荒い口調には慣れている様子だった。新たにトレーを持って、ノータイのスーツの男らが離れた席に座った。そちらをさりげなく見た弁護士の目が反応した事だけは、ヒガにも分かった。座り直す。

 弁護士は続ける。

「いいかい? 君はそう思っていても、君の立場に立ちたい人なんて幾らでもいるんだ。後釜を当然狙うさ。

 そうなると駄目になりかけの誰かさん以外で邪魔なのは誰か、それくらい分かるよね?」

 両親と弦美と蘭が狙われる。彼らに近い年代の知り合いは友人の人脈にも幾らでもいるだろう。

「マジうぜぇ……」

 椅子にふんぞり返る。

「君のご両親への圧力だって幾らでもかけられるよ。そういう人達もいるから」

「親父は負けませんよ」

「本人はもしかしたらそうかもしれない。ただ、ご家族はどうかな。

 家族を人質に取られた人の弱さを知らないんだよ、君は」

 それは考え付かなかった。予想すら出来なかった。

「相手との話は僕が付けるけど、費用がかかるよ」

「あんたも金取るのかよ!」

「仕事だもん。『仕事』の意味って分かる?」

「分かりますよ。俺だって会社やってるんですから」

「君のあれはサークル活動だよ。厳密には人材派遣会社ですらない」

「金稼いでりゃ仕事じゃないんすか」

「違うね」

 弁護士はきっぱりと言った。ヒガの嫌いな、やたらとルールにうるさい連中の目だった。

「別の見方をすれば売春斡旋や恐喝グループの元締めとも取れる状態だよ。そいつらの上に、一定額を巻き上げてるきちんとした勤め人がいて、そちらの枠にギリギリ収まってる。

 で、そこから零れ落ちかけてる。一部はそれを願ってる」

「そんなん俺知らねえし」

 弁護士はため息をついた。

「需要に供給してるから、周りも少しくらいなら多目に見てくれている。見てくれてた。

 今回はそうじゃない。本職をカツアゲしてそいつの仕切ってる店を潰した様なもんなんだよ」

「たかが地主でしょう? ショボい店の一軒や二軒、そいつらそんなに金があるなら、どうとでもなるじゃないすか」

「……今のは聞かなかった事にしておく」

「回りくどいなぁ。はっきり言って下さいよ」

「分かった。今、僕らがこうやって話をしていられるのは交番の近くだからだ」

「じゃなきゃさらわれてるってんですか? 逃げながら警察に通報すればいいじゃないですか」

「警察が来るのが一番遅いんだよ。動かせる人員だって本職の方が多い。

 かっさらった連中は彼らに見つからない様にするのがオチさ」

「沈めるんすか? 東京湾とかに」

「そちらの方が面倒だし、素人丸出しらしいよ」

 ヒガは鳥肌が立つのを隠しながら、眉間にしわを寄せて弁護士を睨みつける。

「それ、立派に犯罪ですから」

「死んだ後でどうやってそれを言う? 誰に言うの?」

 返事が浮かばなかった。ヒガは大きくため息をついて、頭の後ろで手を組んだ。




 長男以外は留守であるはずのヒソヤマ家の周囲で、作業服に身を包み、ヘルメットを被った敷居とジェイクは、モロキュウから指示された作業をしていた。

 モロキュウはジェイクの実家である酒屋の客から紹介された人物だった。その客の知人の知人に呪詛師であるモロキュウがいたのだ。

 敷居とジェイクが目をつけた相手は、奇遇にもモロキュウが探していた人物とその家族である事が判明しているという。どうも別口からほとんどの費用をもらっているらしいので、わずかな費用の捻出と現場作業の手伝いをしてくれれば、今回のターゲットの死に様を最前列で拝めて、断末魔までを聞けるらしい。

 母の自殺で葬儀の手配などに忙殺され、多少細くなった様子のジェイクは何処かテンションが上がっている様子で、虚ろな表情ながらも丁寧に指示通り動き、時折笑顔を見せた。

 敷居は、モロキュウから厳密な位置に置く様に渡された不思議な形の石や様々な色の太い紐を張ってヒソヤマ家だけが隣家から遮断される様子を見ながら、ジェイクに訊ねた。

「ジェイクさん、さくさく動いてますけど、くたびれてませんか?」

 ジェイクは汗を拭いながら作業を続け、穏やかに言う。

「何でかな、すごく楽しいんだよね。仕事の徹夜明けのテンションみたいな感じ?

 まあ、まさにお袋の件で徹夜明けなんだけれど、やたらと肩が軽いんだ」

「はぁ」

「僕ってぶっちゃけデブじゃん? なのに今日は、汗はかくけど疲れは感じないんだよね。

 これならいつもの店の仕事の方が大変だよ。さ、敷居さんも動いた動いた」

「そうですね」

 すっきりしないものを感じながら、敷居もヘルメットの顎のベルトを直し、自分が配置したものの位置を改めて確認する。

「そうそう。何しに来てるんだか分からなくなっちゃうからさ」

 それもそうだ。

 敷居は考え直す。あのコメントをした奴が今この中にいるのだ。

 モロキュウによれば現在自分らが張っているこれは結界の一種であり、圏内にいるものを確実に殺傷せしめる。

 中の人間や周辺の人々にこちらの作業の気配が気取られていないのが、結界を確実に張って、術式を作動させる準備が整っている証らしい。

 外からは入れるが、一度中に入れば確実に死ぬ。そういう場所を敷居らは用意していた。


 敷居は作業の手を動かしながら思った。自分とジェイクは完成したこれの中に入って死ぬのだ。

 ターゲットと、その家族が得体の知れない現象に悶絶し、絶命するのを見ながら。




 結果的に『比較的穏やかに』弁護士が話を付けてくれた事で、ヒソヤマ一家はこれまでの生活と職を捨て、別の県に引っ越す事になった。問題を起こした後輩とその仲間は連絡が取れなくなり、家に行ってみると空き家になっていた。

 不動産屋は怪訝な顔で

『突然引っ越して行った』

とだけ言った。関わり合いになりたくないという雰囲気が全身から溢れていた。

 ヒガの口座は空っぽになり、人脈の方から弾かれた。名刺を笑顔で渡して来た連中の方から別の訴訟も辞さぬ勢いだった。

 荷物は親戚の最後の情けだそうで、そちらのツテで紹介してもらった業者に頼み、自分達は家族用のワンボックスカーでの移動になった。

 母には泣かれ、父には殴られた。妹も弟もやつれた顔をしていた。

 ヒガ自身も、経済的制裁の上に肉体的な制裁を人脈の方から受けた後なので青ざめ、やつれた様子だった。

 それとなく蘭に話しかけると

「てめえのせいで騒ぎが起きてからの事だけどよ、俺が体育の先生から体育倉庫で何されたか、じっくり聞かせてやろうか?」

と、これまでに見た事もない怒声と表情で言われた。女の子に良く間違われるほどの美貌に恵まれた弟に度肝を抜かれる日が来るとは思わなかった。息を呑む。

「とりあえず黙ってろや。この中の誰もてめえの話とか聞きたくねんだからよ。

 あーあ、さぞかし楽しい新天地だろうよ。夢一杯だ馬鹿野郎。マジふざけんなクソが」

 蘭は視線を落としてそう吐き捨てる。誰も何も言わない。

 父はバックミラーから見た限りでは憮然とした顔ながらも虚ろな視線で前方を見つめながらハンドルを握っており、弦美は窓の外を見て肩を震わせている。

 母のすすり泣きの声が聞こえた。




 父は引っ越す直前に鬱病を発症した。

 五十代で不意に職をなくしての再就職は非常に難しい。アルバイトも仕事前になると頭痛と吐き気、全身の激しいだるさから動けなくなる事で、長続きはしなかった。

 グッズ販売が大きな収入になっていたバンド活動も以前と違って思う様に出来なくなった。ヒガの一件がそちらにも伝わっているそうで、ライブハウス側が嫌がるのだという。当然その上の誰かの圧力もあるのだろう。

 ヒガが出せなかった分の示談にかかる費用やその他諸々の金を出したのは父だった。半分以下になった自身の貯金を切り崩す形で、現在彼ら一家は生活している。

 母のらら子がパートに出ている事で少しは足しになっているが、稼ぎ頭のはずのヒガを雇用したがる先がないにも関わらず健康体と診断されているのと、夫のそのわずかな貯金がある為、生活保護の受給対象からははずれた。

 明らかに痩せ衰えたヒガに対する診断結果にも圧力がかかったらしい。




 酒こそ飲みはしない父だったが、ヒガを追い出したくてたまらないのは、時折激しい言葉を投げ付けられる事で良く分かった。

 しかし、ヒガも外に出れば誰に絡まれるか分からない状態だ。自分の人脈の誰かは確実に、警察やその周辺から探られたくもない腹を探られて恨んでいる事だろう。引っ越す前にヒガはそれを、身を以て知らしめさせられた。

 金でけりが付いた知人とはそれで手打ちとなり、それで済まない相手からは見えない部位への暴力の洗礼を受けた。

 手足は普通に動くし、顔にもこれといった変化はない様に見えるだろう。だが、麻酔のかかった状態でのリンチの後に半死半生で郊外に捨てられているのを発見され、病院へ搬送された彼は、まず意識が戻った途端にまた痛みで気絶し、別の痛みで意識を取り戻した。吐けるだけ吐いた。吐いた物は病院で調べられたはずだが、ヒガには絶対に伝わらない様に緘口令が敷かれた様子で、誰からも何も知る事は出来なかった。自分でもそれを見たはずなのだが、思い出そうとすると頭痛がし、寝込んでしまう。

 睾丸を片方摘出する羽目になったし、左の尻の肉も削がれたので、外出した際には普通に座っている様に装わなければならなかった。

 食欲も破壊されたので、身体がほとんどの食べ物を受け付けない。医師から指定されたものを摂取する生活。

 丁度服で隠れる範囲に適当に入れられたと思われる、意味の読み取れない模様の刺青は警察の調べでは

『海外の過激なある団体を怒らせるに十分な意味合いを含むもので、見せて歩こうものなら今度こそ身の安全は保証出来ない』

との事だった。それを隠す為に、夏場でも長袖でいなければならない。皮膚を移植する費用などない。

 今でも夢に見る、無意識の状態で視界に焼き付けられた何かとその身体の状態が、彼を引き篭もり状態にしていった。


 蘭とはそれから次第に、何故か関係が修復して行った。仕事探しをしている内に三十路に迫ったヒガに何かを感じ取ったらしい。

 ネットでは自分と家族の引越し先まで明らかになっている事で、蘭も学校でかなり手酷い扱いを受けていると聞く。

「授業に出られない程じゃねーし。どっちかって言うと女子には怖がられてるのが憂鬱っつーか」

 口調だけはもう、昔の優しい蘭のそれに戻る事はなかった。


 弦美は普段の立ち居振る舞いで、どうにか被害者ポジションで新たなクラスに受け入れられた様子だった。ヒガとはほとんど話をしないが、誰かに恋をしている女の目になっているのを、過去の経験から感じ取った。

 今の高校ではミキ、ミナ、トモという友人が出来たそうで、自分を除いた家族らと、よくその話をしている。その時だけは笑顔を浮かべている。

 他の時の事はヒガには分からなかった。




「ご協力に感謝します。これで完成です」

 モロキュウが言った。作業に当たっていた五人全員が汗を拭っている。

 玄関までの通路を除いたヒソヤマ家の外観は何かの儀式を執り行う為に飾り付けが済んだかの様相を呈していた。あちこちから伸びている紅色の紐や、朱色の墨で書かれた謎の文言の御札が、モロキュウの指示によって定位置に貼られている。

 誰もこれを見て立ち止まらないのが異様だ。作業をしている彼らなど存在しないかの様に、家の前の狭い道路を自転車や人が通り過ぎた。それらの記憶が敷居の背筋を冷やした。

「俺達は撮影に入ります」

 それだけ言い、敷居らを残して二人の男は歩み去った。

「あ、それと敷居さん、ジェイクさん? 中には私も入りますんで」

 ぎょっとした表情でモロキュウを振り返るジェイク。敷居にも想定外の発言だった。

 ジェイクがヘルメットを外して問う。

「で、でも、もう危険区域なのでしょう?」

「ええ。完全にアウトです。パソコンで言えば起動中の状態です」

「なら、モロキュウさんも危ないのでは?」

 敷居の声にモロキュウは穏やかな笑みを見せ、告げた。

「今回の事前調査で分かったんですがね、この家の主であるヒソヤマ氏、お二人にもお見せした以前の別件での実験ビデオの撮影担当だったんですよ」

「えっ、あれの?」

 顔をしかめるジェイク。敷居も無意識に表情が険しくなっているのを感じた。

 それは奇遇にもモガがモロキュウから電話で聞いたものと同じだったが、敷居とジェイクにしても、

『あれがフェイクビデオでないならあの現象は一体何なのだ』

と思う異常な内容だったからだ。

「かなりヤバい仕事だったはずなんですが、撮影担当のヒソヤマ氏にはそこそこの金額が支払われたはずです。その後にデータを持ったまま一時期失踪しちゃいましてね。表向きは息子の不祥事の責任を取って仕事を辞めての転居でしたが、今回奇遇にも発見出来た。

 私はデータを持って消えたその理由を彼に訊ね、処分しなければならないんです」

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