Answer5・温かい気持ち

 清々しく青空の広がった土曜日の朝。

 私は学園の校門前でちえりが来るのを待っていた。


「やっぱり早く来過ぎちゃったかな……」


 学園の校舎に取り付けられた時計の針は、午前九時を指し示したばかり。

 ちえりとの約束は午前十時だから、後一時間がとても長く感じる。

 私が幽霊になってから結構な時間が経つけど、こうして時間の経過を気にするという事はあまりなかった。何か絶対にやらなきゃいけない事があるわけでもなかったから。

 強いて言うなら私の未練を、自分の生前の姿を探し求めていたくらいだったけど、それも特別熱心に探していたわけではなかった。そんな私がこうして時間というものを強く意識しているというのは、何となく不思議に思う。

 それにしても、こうして校門の壁に寄りかかって誰かを待っていると、何だか懐かしい気分になる。懐かしいと感じるという事は、私の生前には少なからずこのように誰かを待つような事があったのかもしれない。

 実はちえりと出会う前にもこういった感覚を味わう事はそれなりにあったけど、それでもその時はこの感覚についてあまり深く考えたりはしなかった。

 しかし不思議な事に、ちえりと出会ってからは強くそんな事を意識するようになったのは確かだ。彼女と一緒に居ると、なぜかそんな懐かしい感覚になる事が多い。

 もしかしたら、ちえりとは生前に何か関わりがあったのかもと思いもしたけど、さすがにそんな都合のいい事は無いだろう。だって、私と面識があればちえりはそれを言ってくるだろうし、それを隠す理由も無いのだから。


「桜花」

「きゃっ!」


 突然耳元で囁かれた声にビックリし、その場で飛び跳ねてしまった。


「な、何だちえりかあ。ビックリさせないでよ~」

「ごめんね、まさかそんなに驚くなんて思ってなかったから。でも、私が近付くのにも気付かずにぼーっとしてたけど、どうかしたの?」

「あっ、うん……少し生きていた時の事を考えてただけ」

「何か思い出したの?」


 不安げとも取れるような表情で私を見るちえり。何でそんな表情を浮かべるのか、それは私には想像すらつかない。


「ううん。これと言って思い出した事は無いんだけど、何となくちえりと居ると懐かしい気分になるんだよね」

「そっか……そうなんだね……。よし、それじゃあさっそく行こうよ!」


 先程の不安そうな表情から一変。今度は口元を緩めてにこっと微笑むと、ちえりはぴょんっと元気良く一歩前に出てから私に向けて手招きをする。


「うん!」


 私は微笑むちえりの手招きに反応し、そのまま図書館へと向かった。

 待ち合わせ場所の校門前から、二十分くらい歩いたところにある図書館。その中に入ると土曜日という事もあってか、それなりに沢山の人が静かに読書を楽しんでいる姿が見えた。


「奥の方が空いているみたいね」


 ちえりは私の方を向いてそう言うと、スタスタと歩いて図書館の奥側へと向かって行く。


「さーて、勉強しなきゃね」


 空いていた席に座ったちえりは、持って来ていた鞄からノートや教科書を取り出すと、嫌そうな表情を浮かべながらそれを長机の上に広げる。

 そして勉強を開始しててから三十分くらいが経った頃、ちえりはやっている問題が難しいのか、段々とペンを進める手の動きが止まってきていた。


「ちえり、大丈夫?」

「はあっ……私、数学が苦手で受験の時も結構苦労したんだよね」


 そう言いながら苦笑いを浮かべるちえりの隣から、苦戦している計算問題を覗き見る。


 ――あれがこうなって、これがああなるから……。


「ねえ、ちえり。その問題の答えってこれじゃないの?」

「えっ?」


 私はちえりに答えであろう数字を手で示した。するとちえりは、私の示した答えを見てから再び計算を始める。


「本当だ。合ってる」

「やっぱりそうなんだ。良かった」

「ねえ、桜花。この計算問題は解ったりする?」

「どれ?」


 そう言って再び教科書を覗き込むと、ちえりは一つの問題を指し示していた。

 その指定された問題を見ながら、私は頭の中で計算を始める。


「これは……」


 頭の中で組み上げた数式で答えを導き出した私は、口頭でちえりに数式と答えを言う。


「……凄い、合ってる。ねえ桜花、私に数学を教えてくれない?」

「えっ? ええ、私で役に立つならいいけど」

「やった!」


 そう言うとちえりは嬉しそうにしながら微笑んだ。

 他でもないちえりの役に立てるかと思うと、私も何だか嬉しくなる。


 ――それにしても、何で私は高校生の数学の問題が解けるのかな……。


 そこから約一時間、私はちえりに数学の問題の解き方を教えた。

 そしてじっくりとちえりに他の勉強を教えた後、私はちえりと一緒に近くの公園へと来ていた。ふと見上げた公園にある丸型の屋外時計は、十四時を指し示している。

 二人で太陽の光が降り注ぐ公園のベンチに座り、ちえりは途中のコンビニで買ったサンドウィッチの袋を開けてちょっと遅めの昼食を摂り始めていた。


「それにしても、桜花って凄いね。数学だけじゃなくて国語も化学も何でもできちゃうし。おかげで助かっちゃった。ありがとね」


「そ、そう? 役に立てたなら良かったよ」


 ちえりのそんな言葉に思わず照れ笑いが出てしまう。


 ――何だろう……この満たされていく気持ち。こんな事は初めてかも……。


「ねえ、桜花。これだけ勉強ができるって事は、幽霊になってからも勉強をしてたの?」

「えっ? ううん、してないよ」

「そっか。まあ、昔っから頭も良かったもんなあ……」

「ん? 昔から?」

「あっ、ううん。桜花って頭が良くていいな~って思っただけ」

「ちえりだって物覚えはいいんだし、頑張ればサクサクッと問題を解けるようになるよ。私もまた協力するから」

「そっか。ありがとね、桜花」


 にこやかに微笑むちえり。

 私が何でこんなにスラスラと問題を解けるのかは分からないけど、こうしてちえりの役に立てたんだから良かったと思う。


「さーてと、帰ったら桜花に教えてもらったところを復習しておかないとね」

「うん。期末テスト、頑張ってね」

「任せておいて、今の私には桜花先生っていう強い味方が居るんだし」

「ふふっ。それじゃあ、期待に応えられるように私もしっかりと教えなきゃね」


 それからしばらく公園で話をした後、私は学園の校門前までちえりと戻った。


「それじゃあまたね、桜花」

「またね、ちえり。勉強頑張って」

「うん」


 そう言ってから踵を返し、家へ帰って行こうとするちえり。

 そんなちえりの姿が少しずつ遠ざかろうとしていたその時、私は思わず大きく口を開いて声を上げた。


「ちえり!」

「えっ!? どうしたの?」

「わ、私ね、ちえりと出会えて良かった!」


 それを聞いたちえりはにこやかに微笑むと、私を見据えてからゆっくりと口を開いた。


「私もおね――ううん、桜花と出会えて良かった!」


 力強く、そして優しい微笑を浮かべながらちえりはそう言ってくれる。

 そしてその時、私の中の何かが弾けて身体が軽くなったような気がした。心が温かいもので満たされていくような、そんな心地良い感覚。


「じゃあね、桜花」

「またね、ちえり」


 いつものようにお互いに手を振りながら別れを告げる。

 こうやって彼女といつまで語り合えるだろう。こんな日がずっと続けばと思ってしまうけど、それが無理な事は分かっている。

 そして先程とは違い寂しい気持ちで心が包まれる中、私は去って行くちえりの背中をずっと見つめていた。

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