第13話 魔幻

「桃鳥さま?」

 小典は、隣にいる桃鳥に小声で話かけた。

「このまま捕縛してしまいましょう」

 声が少しうわずっている。桃鳥と小典は、六間ほど離れた場所からおはなをみていた。視線の先には、突如現れた着流しで笠を深くかぶった男が、悠然とおはなと向かい合って立っている。あの人物が首領の片地帯刀だと教えられた。

 少し腰を浮かしかけた小典の手を桃鳥ががっしりと掴んだ。

「危険だわ」

「危険?」

 意味が分からなかった。相手は、ただ立っているだけだ。今なら、取り囲めば捕縛できる。祭りの境内には変装した多くの役人と目明しが潜んでいる。人数も取り囲んでいる連中の技量も、ひとりの片地に後れを取るとは思えなかった。

「今、おはなと片地は、幻術合戦をしている最中なのよ」

「幻術合戦?」

「そうよ。お互い術を掛け合って戦っているのよ」

「それならば、なおさら無防備の状態だから捕縛がしやすいのでは?」

 桃鳥は首を振ってこたえた。

「逆よ」

 桃鳥は片地帯刀から目を離さずに行った。

「幻術を使う者は、その術を行う際、必ず何か守りのモノを置いているわ。無防備になるのは重々に承知のうえだからね。それは、人の場合もあるし、他の何らかのものの場合もある」

「では、桃鳥さまは、片地帯刀も何らかの守りのモノを置いているはずだと?」

 むろん、とうなずいてから、

「ただし、人ではないと思うわ」

 といった。

「人ではない?人以外に他にどんなのがあるのですか?」

「さあね。わからないけれど」

 と、桃鳥はじっと立っている男――片地帯刀を眺めた。

「では、投網か何かで捕縛してしまえばどうでしょう」

 小典は提案した。

「距離を取って捕縛できます。四方から投げられる網なら相手は逃げられないですし、我々にとっては罠があったとしても防ぐことができやすい」

 桃鳥は首を振った。

「あの片地帯刀が、飛び道具があることを考えてないはずはないわ」

 それに、と言葉をつないだ。

「周りにいるはずの源蔵やお文たちが合図を送ってこなくなったのよ」

 小典は、いまさらながら気が付いた。

 確かに、おはなの周りに店を出して、いざというときは加勢するはずの源蔵やお文たちの動きが全くと言っていいほどなくなっていた。あの着流しの男――片地帯刀が現れてしばらくは、動きでこちらに合図だけは送っていたはずなのだが…

「おそらく、あの片地帯刀の術中に周りまで陥ったとみるべきね」

「…源蔵やお文までもが術中にはまった?信じられない。いったいどうやって…」

「わからないけれど、うかつに動けば、こちらも術中にはまるか、おはなはもとより、源蔵たち周りにいる連中の命も危うくなるわ」

 術にかかってしまった人間を、無理やり目覚めさせたりするのは危険だ、というのは昔聞いたことがある。できれば、同じような術者に術を解いてもらうか、一番は、相手の術を内側から破ることらしい。

「では、今は、じっとしている以外の方法はない、ということなのですね」

 小典は、唇を噛みしめた。

「今しばらくは、おはなと源蔵、お文の力を信じましょう」

 そう言って、二人とも押し黙った。


 源蔵の目の前には寒村が広がっていた。

 源蔵は、小高い丘にいた。その昔、この地域を支配していた一族の館が建っていたとお婆に聞いていた場所、源蔵はそこに立っていた。ガキの頃、よくそこに立って景色を見るのが好きだった場所だ。

 眼下にあばら屋のような家屋が点々と見える。畑と田んぼ、どちらも面積は狭く、年貢を納めるのはいつも命がけであった。大人も子どもも痩せ衰え、生きているのが不思議なくらいであった。死臭が村中をいつも覆い尽くしている、そんな記憶が甦った。

「こ、ここは、故郷か…なぜ?…確か、伊沙佐良神社に居たはず…」

 源蔵は、引き寄せられるように小高い丘を降りて、村の中へと向かった。



 お文は、土間に立っていた。

 埃っぽい匂いと薪が燃え尽きた炭の匂い。どこかヒンヤリとした空気は、懐かしさよりも恐怖が沸き立った。

「ここは、実家…」

 呆然とお文は言った。

「嘘よ!すでに家そのものが無くなっているはず!」

 己に言い聞かせるように強く言った。

 視線は、土間から真っ直ぐに続く囲炉裏のある部屋、そしてその奥、生前の父が休んでいた部屋へと見通せる。人の気配はない。

 コン、と音がした。

 一番奥の部屋の床に何かが転がる。

 お文は目を懲らす。

「煙管?」

 声に出していた。

 煙管が転がっていた。

 全身が粟立つのが感じられた。

「と、父さんは死んだはずよ!」

 金切り声だった。

「おねえちゃん」

 幼児の声がすぐそばから聞こえた。



 道の上であった。

 土砂降りの雨が降っている。

 その中におはなは立っていた。

「ここは…?」

 前後を見る。真っすぐな道は雨にけぶって先までは見えない。

「街道筋…?」

 己に問うようにつぶやく。おはなは自分の体を見た。見覚えのある柄の着物だ。手甲もしている。右手には杖を握っていた。

「私は、伊佐沙良神社にいたはず…ということは、片地帯刀の幻術にかかった…」

 驚いた。傀儡幻法で防いでいたはずだ。それなのに片地帯刀は、それを上回ってきた。恐るべき手腕であった。

「それにしてもここは?」

 問いかけながら、はたと気が付いた。

「逃げてきた最中のあの道…?」

 そうなのだ。あの若い侍から言われて最小限の荷物だけ持って、老爺たちがいるあの山中の家に向かう途中の街道だ。

「それにしてもなぜ、街道に…」

 後ろを振り返る。雨にけぶって何も見えないが、何か気配がした。道の奥からだ。ヒタヒタとこちらへ向かってきている。

 慌てて、荷物から傀儡を取り出そうとした。

 なかった。

 この時点では、おはなはまだ傀儡を持っていないばかりか、習ってもいない。

「違うわ!これは幻なの。私は、伊佐沙良神社にいて傀儡も手元にあるわ!」

 必死に己に言い聞かせた。幻術を解く最初の方法は、まず、見ている景色が幻術だと認識することからだ。

 瞳をつぶって、舌の先を噛む。

 痛みが走る。

 閉じた瞳をゆっくりと開く。

 人影がいた。

 目の前だ。

「ひっ!」

 思わず悲鳴を上げて飛び退る。

 人影は動かない。

 土砂降りの雨。街道。幻術は解けてない。

 人影がゆっくりと右手を差し出す。

 雨の中を抜けて、手が見えた。

 紫の斑点が手の全体を覆って、ところどころ、どす黒く変色している。白く見えるのは、骨だ。

「あ…あ…」

 戦慄く口から言葉が漏れる。

 心臓が早鐘の如くなっている。いや。止まっても驚かないぐらいの恐怖であった。

「手…あの人の手だわ…」

 手の形、指の太さ、甲の太さ忘れるはずなどなかった。

「はな…はなだ…」

 微かに声が聞こえる。ろれつが回っていない。口に何かが挟まっているような話し方だ。

 雨の中をゆっくりと人影が前に出てきた。

 淡い輪郭が雨を抜けてはっきりとしだした。

 乱れた髷、広いおでこ、幼いころの剣術中に受けたと言っていた短いが窪んだ傷跡。

 どれもが懐かしかった。

 たとえそれが、紫と黒の痣で覆いつくされていようとも。

「…貴方」

 涙が流れた。雨に濡れているのにもかかわらず、熱い雫が頬を流れるのが分かった。

 人影がさらに前にでる。

 おはなも前に行く。

「貴方…会いたかった」

 涙はとめどなく流れた。

「はなだ…はなだ…こちらへおいで」

 手が伸びる。おはなも伸ばす。

 顔の造作が見え始めた。

 よどんだ瞳。もげた鼻。

「…!」

 右頬と顎の骨がむき出しであった。肉がそこの部分だけごっそりと無くなっている。喋るたびにそこから空気が漏れている。どこか聞こえづらいのはそのためだ。

「はなだ…」

 下顎の骨がボトリと下に落ちた。

 手首をつかまれそうになった。思わず手を引いた。

「やはり違うわ」

 おはなは、言った。

「あの人ではないわ」

後ろに下がりながら呟く。

「はなだ…こちらへおいで…さぁ」

 さらに手を差し出す。

「いや」

 くるりと背を向けた。そのまま、雨の中を逃げ出した。


「くっ…」

 ぐらりと片地帯刀は揺れた。

 頭を押さえて、よろよろとふらついた。

「あんな小娘の術中にはまるとはな」

 片地帯刀の口から一筋の血が流れた。舌を噛んだのだ。おはなによって施された幻術を無理やり破った。

 片地は周りを見渡した。

 三間ほど先の屋台に座っている女は、目を見開いて虚空をにらんでいる。片地の施した幻術に陥っている証拠だ。

 周りの屋台の主人らしき男と女も同じような状態だ。他にも通行人で同じ状態の者たちが多数いる。

「我がを聞いたり嗅いだものは、幻術にかかる」

 そういって、両掌に隠れるように握っている小さな笛を懐にしまった。

 片地は、歩いておはなの方へ向かった。

「遊びたいのはやまやまだが、そろそろ始末をつけさせてもらおう」

 片地は、背中から、ゾロリと刀を抜いた。着物の中に仕込んでいたのであろう。陽光に怪しく刀が光る。

「あの世で、爺とともに歯噛みするといい」

 片地はそういうと、刀をスッと持ち上げた。ちょうどおはなの首のあたりだ。

 片地の刀が激しく動いた。キンッという甲高い音が数度続いて鳴った。

「居るのはわかっていたぞ」

 片地は嗤いながら言った。

「やはりいつぞやのあの男か」

 片地は、桃鳥に向き合いながら言った。

「さすがのお手並みね。小笠藩榻組副組長おかさはんしじくみふくくみちょう、片地帯刀殿」

 片地帯刀の口がギュッと吊り上がった。

「そこまで調べがついたか」

「ふふん。幻術を得意とする忍び集団がいるとは知っていたけれどね。どこのお国の忍びまではわからなかったわ」

「ほう。しからば、どこで調べがついたのだ?」

「そこにいる、おはなさんからよ」

 片地はチラリと女――おはなを見た。

「この女が?」

 桃鳥はうなずいた。

「大荒目」

 片地の表情が一変した。

「大荒目清之進」

 桃鳥は続けた。

「どうやら覚えているようね。あなたが殺した榻組組長の猪田剛右衛門と組んであなたたちの悪逆を暴こうとしていたひとりよね」

「大荒目がどうしたのだ」

 声は平板で何の感情もこもっていない。

大荒目縹おおあらめはなだ。それがその女性の名前よ。つまり、あなたが殺した大荒目清之進の奥方なのよ」

 しばしの沈黙の後、片地は大きく口を開いた。

「ククク…」

 終いには、呵々大笑しはじめた。

「そんなに可笑しい?」

「これは…失礼した。ククク…いや。これは傑作だ」

「確かに傑作ね」

「あの融通の利かない男の妻か…確かに、家はもぬけの殻だった。なんでも、大荒目清之進の下役の小僧が逃がしたらしいとは聞いていたが…このような場所で敵を討つために相まみえるとは」

 片地は、刀を構えなおした。

「では、あの大荒目清之進があの世でもわからぬくらい切り刻んでくれよう」

 片地の刀が怪しい光を放つ。

 何かが激しく空を切る音と着物が風になびく音が同時に聞こえた。

「ほう。抜刀術か?」

 大きく後ろに飛び退った片地が感心したように言った。

「しかも、脇差…中条流かよ」

「ふふん」

 さりげなく脇差を下段に構えた桃鳥は、ただ無造作にそこにいるように立っている。桃鳥は、抜きつけの一撃を片地に見舞ったのだ。そして、見事にそれを片地はよけた。

「まあよい。大荒目の女を始末する前に貴様と少し遊んでやろう。だが、前回は見逃したが、今回はそうはいかないぞ」

「お手柔らかにお願いするわ」

 片地と桃鳥は滑るように互いに間合いを詰めた。








 

 



 










 




 

 









 






 

 

 

 

 



 

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