第11話 道程の先に

 日野をでて、府中、上石原、下石原、上布田、下布田、国領、とおはなは無事にやり過ごした。途中、暗殺者もその仲間のような輩にも会わなかった。どうやら、うまくまけたようだ。

 これからおはなが向かう先は、内藤新宿だ。そこの神社仏閣で仕事が決まっている。日本橋に近い。なにがしかの情報は得られるだろう。

「…片地帯刀」

 そっと言葉に出してみた。苦く黒い怨嗟がこびり付いているような気がした。


「一度だけだ。目に焼き付けろ」

 そう言われて、連れて行かれたのは、大きな社の祭りであった。老爺とともにおもむいたそこは、近隣で一番の大きさの祭りが催されるらしい。旅芸人の恰好をして、おはなと老爺はむかった。

 祭り囃子と笑顔の人々。数えきれぬ屋台と様々な匂い。

 山奥で暮らしているおはなにとってはひさかたぶりの人混みであったし、賑やかさが懐かしかった。

 何を目に焼きつけるのかまでは聞かされていなかったが、老爺の表情から大変なそれだとは思い至った。しばらく無言で歩き回った。老爺が神社の外れに歩き出した。

――芝居を打つ。合わせるんだ

 耳に届いたそれは、声なき声。いわば、特殊な発生で聞こえる者を限定させる穏声術おんせいじゅつだ。たとえすぐそばに人が居てもおはな以外は聞こえないのだ。

「あいたたた……」

 突如、老爺が腰を押さえてうめいた。

「どうしたの?腰が痛いの」

 おはなは言われたとおり芝居に乗った。

「急に腰が…」

「こちらで少し休憩しましょう」

 おはなは、老爺の肩を抱くように立木の根元に座らせた。

 懐から、手ぬぐいを取りだし額を拭う振りをした。

 人々は、そんなおはなと老爺には目もくれなずに祭りを楽しんでいる。

――気配を消すんだ

 老爺からまたも穏声術で話しかけられた。

 おはなは気配を消した。

 しばらくすると、

――左手奥、蕎麦屋の間に立っている男だ

 老爺の穏声術が伝えた。

 そちらを見る。

 確かに左手奥に蕎麦屋の屋台がある。その屋台と隣の屋台の間、ちょうど挟まられるようにひとりの男が立っているのが見えた。

 男は、蕎麦屋の先、別の屋台前で何かを見ているらしい。

 着流しだが、二本差し。一目見れば、どこぞの御家中の侍が祭りに来ていると思うだろう。しかし、おはなは、どこか侍らしくはない、と思った。侍なのだが、侍らしくはないと感じた。どこがと問われてもうまく言えなかった。何か、醸し出す雰囲気が薄暗い、汚れているといえばいいのだろうか。

――あの男こそ、片地帯刀よ

「か、片地帯刀……あの男が」

 無意識に声に出していた。

――よく覚えておくがよい。あの男こそお主の敵よ

「敵……」

 いつの間にか気配が漏れ出ていた。

「さぁ。いこうか。腰はもう大丈夫だ」

 老爺が声に出していった。おはなの視線を遮るように前に立った。

――気配がでてる。すぐに逃げるぞ

 老爺の穏声術はいつになく厳しかった。

 促されて、戸惑いながらもおはなも立ち上がる。

 老爺越しにくだんの男のいたほうへ目を向ける。すでに居なかった。

「……居ない」

 思わず呟いた。

 老爺のほうを見る。唇が小さく動いていた。独特な節回しでの言葉の羅列。懐から小型の人形を取り出した。傀儡幻法を行うみたいだ。しかも急いで。

――ここで巻くぞ。万が一のことがあればお主だけ逃げろ

 おはなは、あまりの急変に事態が飲み込めないでいた。

 人並みに逆らうように出口の鳥居に向かって歩きながら後ろを見た。

 片地帯刀がいた。

 三間ほど後ろだ。

 おはなと目があう。

――いかん!見るな!

 老爺の穏声術が厳しさを増す。

 しかし、その声はどこか遠くから聞こえた。おはなの視界がぐらりと揺れた。頭がもやがかかったようになる。

――どこぞの者か

 老爺と違う声が頭の中に響く。

――我を片地帯刀と知ってのことか?

 おはなのからだが動かなくなってきた。全てが粘着質の中にいるみたいにゆっくりとしか動けなかった。

――まあよい。ゆっくりと聞き出してやろう

 笑いを含んだ厭な言い方だ。

「破!」

 気合いが聞こえた。

 途端に、頭の中の靄も粘着質の空気も霧散した。

「振り返らずに逃げろ」

 穏声術でない生の声がおはなの耳に届いた。

 老爺はいつの間にかおはなと男――片地帯刀との間に立ち塞がっていた。手には傀儡をさげている。

「あ……」

「ぐずぐずするでない!」

 その声に弾かれるように駆けだした。転びそうになりながらも全速力で逃げた。逃げて逃げて、気がついたら山の家に着いていた。


 過去を思い出しながら歩いていた。最近とみにあの頃を思い出す。気がつくとすでに日が暮れかかっていた。

 おはなは、ここ、上高井戸宿で宿を取ることに決めた。

 ここは、大きな旅籠はない。数件の宿屋があるだけのいささか寂しい宿場町だ。周りは田畑だらけで、虫や鳥の声がかまびすしい。

「姐さん。旅の人かい?どうだい、ここに泊まらないかい?」

 呼び込みの女中だろうか、手招きしていた。赤い縞模様の着物が薄闇の中で目立つ。笑った口の中が、お歯黒が濃く、そこだけ暗闇が存在しているように見える。

「では、そうするわ」

 よく考えずにそう言っていた。

 暖簾をくぐって中に入る。

 草履を脱ぎ足をすすぎ、おろした荷物を手に取ろうとした。なかった。

 驚いて後ろを振り返る。

「こちらです」

 おはなの荷物を手にした例の女中がぽっかりと開けた口の中の暗闇を覗かせたまま二階へ向かう階段の途中で立っていた。

「あ、ええ……」

 いつの間にと戸惑いながら立ち上がり、階段に向かおうとした。

「どうしました?」

 女中が見下ろしながら聞いた。

「え、いえ」

 おはなは、階段を上がるのを躊躇していた。なぜだろう、と考えるがわからない。今だに最初の一段目を前に止まっているおはなに、女中が再度声をかけた。

「さあさあ。お部屋はこちらですよ。お上がり下さいな」

 微かだがいらだちのようなものが混じっている。

「……」

 おはなはそれでも足を上げる気にならなかった。

「さあ。あがっておいで」

 懐かしい声がした。見ると階段を上がりきったところに、老爺が立っていた。

 手招きをしている。

「ど、どうして……」

 すでにこの世にいないはずだと知っていながら、懐かしさがこみ上げてくる。それは、おはなのちっぽけな警戒感など容易に吹き飛ばしてしまった。

 今すぐあがって、積もる話をしたい。

 足が持ち上がって階段に乗せようとしたとき、

「よお。おはなさん。ちょいと待ちな」

 後ろから野太い声がした。こちらも知っている声だ。しかもつい最近聞いた声だ。

 振り向いた。

「源蔵さん?」

 がっしりとした顎に笑みを浮かべて、八王子の神社で真向かいに店を構えていたべっこう飴屋の源蔵がそこに立っていた。

「その階段を上がっちゃなんねえよ」

 源蔵は言った。

「こいつは罠だ。あんたがその階段を上がれば益々、幻術にかかってもう後戻りはできなくなる」

「幻術?」

 何かがおはなの中で小さく弾けた気がした。

「そう。幻術だ。さあ。外に出よう」

 源蔵に促された。おはなは、再度、階段の上を見た。老爺と話してみたい、その気持ちがまだ残っていた。

「おはな、行かないでおくれ!」

 欄干にもたれかかりながら懇願する。

「……ちがう。そんなことはしない人だった」

 おはなは呟くと源蔵と共に暖簾をくぐった。

 

 キンッ、と金属同士が激しくぶつかり合う音がすぐそばで聞こえた。

 ハッとして見る。

 女の後ろ姿がすぐ目の前にあった。おはなをかばうように立っている。

 ジャラリとした音が鳴る。女が何かを広げた。そのたびに金属音が複数回鳴った。

「ちっ!貴様ら何やつじゃ!」

 怨嗟の声が聞こえる。男の声だ。

「人に問いかけるならまず自分が名乗りな!」

 女の威勢のいい声は、どこかで聞いたことがある声であった。

「おはなさん、こちらへ」

 別の声が後ろから声が聞こえた。

「源蔵さん!」

 源蔵であった。四角い顎に笑みが浮かんでいる。先ほどのは夢でも幻でもなかったのだ。

「でも……」

 女のほうを気にしながらおはなは言った。

「お文さんなら心配いらないよ」

 女――お文はまた何かをジャラリとならした。半円状に茶色い物体が伸び縮みする。

「玉すだれ?」

 おはなは驚いた。お文は唐人阿蘭陀無双玉すだれを行っているらしい。大道芸の一種だ。しかもそれは普通のそれではないことは明白であった。竹製の玉すだれで金属音はしない。しかもあの玉すだれは見覚えがあった。そう、日野宿であった女の荷物にあったものだ。

「さあ。こっちへ」

おはなは従った。荷物も背中にあった。改めて周りを見る。そこには、さっきまであった旅籠はなかった。ただの空き地だ。幾つか柱の残骸らしきものがある。取り壊された痕なのだろう。おはなは、おそらくあのお歯黒の女中に答えた時点で相手の術中にまんまと嵌まってしまったのだろう。

 源蔵の後に続く。

「あの、源蔵さん……」

「おしゃべりは後ほどだ」

 確かに今は離れる事が先決だ。素早く移動することに意識を集中する。街道を離れて、林の中へ移動する。暗闇の中だが、おはなは夜目が利く。前を行く源蔵も同じらしい。源蔵やあのお文と呼ばれていた女は何者でなぜ自分を助けたのか。聞きたいことは山ほどあった。

 源蔵が木の陰に入った。

 おはなも続く。

「追ってが来やがったようだ」

 緊迫する場面で、しかし源蔵の言葉はどこか楽しそうであった。

 たしかに微かな殺気が近づいてくるのが感じられる。しかもひとりではなく複数だ。

「お文さんが…?」

「いや。お文はやられてない。新手の敵だろうさ。一度あんたに鼻っ柱へし折られたから念には念を入れたんだろ」

 日野宿にいた男の粘着質の視線がよみがえる。

「おはなさん。あんたは夜中だがこのまま行きな」

 闇の中で源蔵の声は温かかった。

「内藤新宿の伊沙佐良神社だ」

「え」

「伊沙佐良神社に協力してくれる人物がいる」

「協力してくれる人物?」

「今は詳しくは言えないが、悪い話しじゃないはずだ。もちろん信じるか信じないかはあんた次第だ」

 源蔵はそう早口に言うと「さあ、行きな」と促した。

「行きません」

 おはなの言葉に源蔵が驚いたのが分かった。

「私も戦います」

 そう言うと背中の柳行李から傀儡を素早く取り出した。

「おはなさん。気持ちはわかるが、あんたにゃやらなきゃいけないことがあるんだろ?いいのかい?」

 あきれ半分、面白半分の気持ちが言葉に交じっているのが分かった。

「…いやなんです。もう」

 源蔵が表情だけで問いかける。

「…これ以上ひとりだけ逃げるのは嫌なんです」

 夫からも世話になった老爺からも逃げろと言われて逃げた。先ほどは、お文さんを置いて逃げた。今度は、源蔵さんを置いて逃げろという。もうこりごりであった。

「あんたは優しい人だねぇ。俺の眼に狂いはなかったってわけだ」

 源蔵はひとりしみじみといった。

「しかし、これは逃げるんじゃないんだ。逆よ。あんたの人生を、闇夜の中にいる人生を断ち切るために前に進むんだ。今は、その過程なんだ」

「闇夜の中にいる人生を断ち切るため…」

 おはなの心にその言葉は重く響いた。

「おうよ。前に進むためだ」

 源蔵は大きくうなずいた。

「さぁ、行きな」

 源蔵は再度促した。

 数舜、躊躇したが、下を向き頷いた。

「ひとつだけお願いがあります」

 源蔵はまゆ毛を上げた。

「必ず生きて帰って下さい」

 おはなの言葉に源蔵の口がグイッとあがった。

「ああ。約束だ。それだけじゃなく一杯奢ってもらうよ」

「わかりました」

 おはなは力強く言った。そのまま後ろに下がると深く一礼するとくるりと踵を返して、闇の中を全速力で走り始めた。

 闇はどこまでも濃く、永遠に続くかに思えた。それでも、おはなは歩を緩めなかった。絶対に。








 




 



 


 


 




 



 





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