『二匹目の害虫は己の身を破り血を浴びた』


 時に人体の抵抗力は物理的な変革を抑制し、それは機械仕掛けの核の叡智の侵食すらも天然の防波堤として塞き止める。

所詮、人の身が元より持ち合わせていない外的要因により、半ば強引に人間の枠を超えるのだから、それは風邪の様な実害のあるウイルスと何ら変わらないという事だ。

『宇宙ナメクジ』と『機械兵』。

決定的な違いは人間の括りから同じく双方外れており、それは根幹から徹頭徹尾。

だから言うのだ。 武装という牙は人の知恵であり、異能力というのは空の落し物だとーー。

 ーーだが、卑しく二つを欲張るのは富める者の特権という訳では無く、己の生命を代償として捧げた貧者はあれもこれもを運良く都合良く手に入れた人物達からは、想像も出来ない程の悪手を当然の様に決行する。

正気を無くし、だが切なる願望は常に胸の中で燻り続け、失った人間性はまた新たな感情を焚べる要因となる。

帝国軍所属特殊兵部隊『アザー』からの離反者は、大凡の目的をはぐらかすかの様な希望と願望を口にし、唯一それが嘯いていない人徳に溢れたマッドサイエンティストと結託した。

数え切れない数の被検体は負傷者ばかり。 誰も彼もが死にたがらずに叡智に縋る大多数は恥知らず。

しかし、やはり抜きん出た隊長格の強者達はそこが並の者達とは違っていた。

老いさらばえたガエリオは、離反者の人間性の欠けた言葉に記憶の中でのある人物を連想したのだ。

ゲルドハルドの再来ーー否。 その素質は彼以上であり、純粋無垢な闘争本能はそもそも素質すらも超越した器として現れた。

所詮は努力。 されど悪魔を超え、そして神を超えた存在と彼は契りを交わしていたのだ。

人間が暇を持て余して創り上げた有象無象の塵芥の存在など……優か劣かも分からぬ括りの星達が丁重に嘲り笑う。

あぁ、素晴らしき星界の落とし子。


(合点がゆく。 この進化速度は、高い適性が由来ではないーー!)


 初にお目にかかる意地汚く強さを求めた戦闘狂の血が、敵対組織の連中に似て脈動を行っている。

高速度で猛毒の針を無数に蓄えた機構の中を、縦横無尽に駆ける心理は傲慢と確信を理由としてーー害虫の顎を、害虫の尾を、節だらけの脚を生成したブレードで破損させて迫るのだ。

確かに少年は恐れている。 まるで体内が融解したかの様に、ゲルドハルドの毒牙に掛かった者達は苦しみモガくか、運良く逃げ延びてものたうち回り呻いて死を迎えた。

神成神奈斗が第二機械兵団隊長ガリー・ゲルドハルドを恐れている事実。

崇高なる矜恃で取り繕って尚も、逃げぬだけで恐怖の感情を抱いている。


 “ だが所詮はその程度 ”


 右上腕から皮膚を突き破って現れた得物が、二本と一本の爪となりゲルドハルドの武装を掴み千切る。

無論、数本という絶対的な数の不利は覆らないが、ただ許容するダメージを考慮し取捨選択を行い対抗するのだ。

脆弱なる多重多関節の機構ーーだから毟る事が可能であり、切り刻む武装は未だに神奈斗には創り出すには練度が足りない。

ーーそして彼は止めてみせた。 ミミズを思わせる無数の節と、ムカデを感じさせる強靭な顎の二本を、同じく一対の機械仕掛けの強固な爪牙で。

断てぬ。 砕けぬ。 しかし、止まる。

ならば充分に対抗が出来る。 それで充分な対処が出来る。


(ーーやはり。 神成三等兵……君は、君の身体は『人間』を超えたのだなッ!!)


 後天的に得た異能力を意のままに操る自力は紛れもなく『適性』というものだろう。

無論、それは『宇宙ナメクジ』と同等に世に選ばれた幸運な者達であり、機械兵も特に上位の実力者は皆そうだ。

ゲルドハルドとて例外ではなく、普遍的な強者であるという特例だ。

しかしーームカデの様なゲルドハルドの触手を掴み持ち上げ投げ飛ばし距離を離した、この神成神奈斗は確実に例外と呼べる。

この “適性ではない適応力” は、特に戦闘狂のゲルドハルドに未知の領域を見せつけた。

魅入るのだ。 機械兵団隊長格及びに副隊長格、優秀なエースや手練のベテランには未だに劣るだろうが、瞬く間に出し抜くだろうと直感する。

それは類稀なる生まれ持った性質か。 それは神に愛された運命か。 はたまた、あまりにもご都合主義の幸運かーー。


「まだ……否、もっと強く “成れる” のだろう?」


 ゲルドハルドが向けたのは期待の羨望である。

欺瞞を纏わず、得た異能力を存分に振り翳す。

『核』は神奈斗の思惑に従い、従来の機械兵が行う模範演習は既に彼にとっては戯れに他ならず、ならばこそ実践こそ最良最善の演習だ。

だから酔うのだ。 異質、そして異形の叡智に飲まれなければ、その本質はとてもとても感じる事は出来ない。

何事もそうだ。 悟らなくとも当然と断ずる決め付けの倫理観こそ彼の知る道徳だ。


「狡いなぁ……お前達は」


 そして得て知る『機械信号』の本質は、間違い無く神奈斗の望んだ破壊性を持っていた。

“出来うる限りの準備” を行ったから、コレに焦がれた時間はこんなにも膨れ上がり、必要なその期間を終えても、早くコレを己に埋めてしまえば良かったとーー。

四肢が凶器となる。 精神が兵器となる。 あぁ、過去の闘争本能に溺れ情けない進化を選んだ賢き人は、人面獣心の化け物だったのだろう。


「とんでもない知恵だなーー」


「とんでもないのは、君だろう。 “その血” は、一体どういうつもりで手に入れた?」


 ーー特異な要因は選ばれた体質ではない。

姫司乃は既に気付き、執刀したガエリオ医師は神奈斗の執念に戦慄すら覚えた。

元より機械兵と同じく異能力を得る為に、それ以上の強度のそれを手に入れるならば平凡では不可能で、特別ではまだ足りない。

より強さを引き出す為に。 より真価を発動する為に。

しかし15年の歳月は純心による純心が動機の行為を意味のあるものとした。

そして、血管に血が流動していく様な感覚が彼の全身に広がり、痛みを伴った時にそれらが無駄でなかったのだと実感を持てるのだ。

神成神奈斗は打算的な感覚を優先する人間だ。

それこそ、まだ一桁の年齢の時と何ら変わらずーー。

『君は何になるつもりだったんだ』

ガエリオの言葉に彼は返した。

『強くなる為だ』

行き過ぎた実力主義は生死に直結する世界。 それで正しい。 それが正しい。

生き血を浴び、死肉を踏み躙る価値観が支配する領域にて蠢く戦士はそうでなくてはならない。

 覚醒はもはや人為的に、故意的に引き起こされた。

溶岩の様に明るく脈動している血液が神奈斗の傷という傷から流れ溢れ出る。

滴り落ちた零れた血こそ、何の変哲もない色と明度だが、身体と触れている限り『宇宙ナメクジ』と呼ばれる連中と同質の代物だ。

ゲルドハルドは察する。 想像に容易く、理解に苦しむが、それは素直に賞賛と瞠目に値する。

早すぎる覚醒。 早すぎる適応。 刹那、更に深層へと彼は省みずに踏み込んだ。

背部を突き破り3対6本のフレームは複雑に枝分かれをしており、瞬く間に鋭利な縁を作り出し形状は紛れもない刃の翅。

全てが、単純に数と強度が増した羽ばたきは自壊を免れた。

ゲルドハルドの猛毒の迎撃が空を切る程の加速、そして鍛え上げた体捌きは反撃として、何も掴まぬ拳であった。

超至近距離にて腕を伸ばし切る正攻法の正拳突きは怪異とも思える脚力に支えられており、膝を直角に折り曲げた体勢だが脹脛を突き破った機械仕掛けの脚が地を強く鷲掴む。

顎を突き上げ浮かせる対空の拳は、神成神奈斗の現状ではおそらく一番信頼の置ける攻撃法だ。

だがゲルドハルド自体の耐久性は脆弱を束ね強固と成す武装とは異なり、下方という死角からの拳で顎は割れず脳は揺れず。

そして周囲に触手の様な機構が、その毒針の切っ先の全てが神奈斗向いた今、右腕と両脚の『機械信号』は身を潜めゲルドハルドの視線から、自身の体躯で隠した切り札は創り出されていた。

 自壊を耐える機械仕掛けの翅は屈折し折れ曲がり、障壁となり毒針の貫通を僅かな刹那といえども遮る。

悪魔も怯え、天使も見放す強力無比な一撃を放つ武装の機構は鍛え上げた神奈斗自身の腕の何倍にも大型化されていた。


「君の腕はもげるぞ!」


 『パイルドライバー』とは呼ばれるそれはこういう物だ。

ドリルや杭打ち機という重機の枠の代物を武装転用するのは、酔狂や浪漫には程遠い事実。

確実に剣よりも破壊力が約束され、確実に銃よりも耐久性に優れるーー何も巨大な人型兵器を相手にする訳では無い。

人が人に対し殺人目的で創り出す兵器に、風情も何もそこにはあるはずもない。

彼は見た。 確かに肉塊よりも酷い死体の同胞の姿に恐れを抱いたが、同時に呼応したかの様に内の闘争本能は覚醒し羨望した。

厚い装甲を撃ち抜く杭が、砲弾に引けを取らぬ衝撃がーー。


「カタワになる覚悟など! とうに出来ているッ!!」


 左腕の皮を突破って顕現した機構は火花を多量に放ち、人が扱うとなればあまりにも怪異な大きさは破壊力を容易く想像させる。

自壊。 発動して招かれる結果は自壊に他ならないとしても、生存よりも殺害を優先して本能が遂行する戦士は徹頭徹尾粉微塵、恐怖を忘却していた。

もはや矜恃を嘲笑う戦闘意思は天啓とも呼べる。

物を知らぬ阿呆共は二十歳にもならぬ彼を憐れみ、世を知った痴れ者共はまだ彼は充分に人生のやり直しが効くのだとーー。

しかし、機械仕掛けと言えどもその姿は怪物の様であり、思想と思考は怪物の括りを容易く越えている。

『悪魔』を救う者などこの世に存在するはずもなくーーそして反する意見を宣う人間は『悪魔を超えた悪魔』を知らぬのだ。

 そして杭打ち機を模した爆薬仕込みのバイルドライバーは爆裂し、その衝撃はもはや人の身で扱う破壊性を逸脱していた。

並大抵の拳銃の銃弾では傷にしかならぬゲルドハルドの機械仕掛けの表皮も破砕し、骨にあたる深部を破砕される。

装甲車を穿つその威力は反動を逃す機構も持たず、巻き上がった粉塵と吐き出された硝煙の中で、未だ目は死なぬ神奈斗の左腕は切断した方が幾分か見た目にもマシな程に曲がっている。

だが前へ。 だからこそ前へ。 血と傷で彩られたこれまでの半生の痛みを塗り替える、ショック死寸前の激痛を超えた感覚を置き去りにすべく、彼は突貫を行った。

もはや銃は無く。 『機械信号』は余力を無くして反応をせずーー。

最後に頼る彼の肉体は、ゲルドハルドの攻勢よりも圧倒的早く彼の唯一の泣き所を捉えた。


「ーー私の毒を、無力化する為の、その血か?」


 女子供の首を片手でへし折る握力も、今は振り絞ろうともその芯の入った脊椎は軋ませる事は叶わない。

だとしても神奈斗は握っている。 目を潰したとして、この男の戦意は消える事は無い。 

片腕の格闘術を行うには己のダメージはあまりに大きく、そして拳ではゲルドハルドは当然大したダメージは、むしろ微塵にも負わないだろう。

四肢を毒の棘で貫かれ、機械仕掛けの顎で挟み込まれた姿はやがて土煙が収まった時に現れた。

生き延びる事が戦う理由に直結しない神奈斗は、血を派手に流しながら、座った目で口角を上げて嗤う。

ゲルドハルドの半身を粉砕した機械仕掛けの異能力。 彼の猛毒に耐える『ナメクジ』の贈り物。

赤く、そして微かに明るく、確かに血は脈動している。


「業突く張りめーー」


 何時でも、最早その気が起こればゲルドハルドは神奈斗を殺害するのは容易い。

如何に血が異形共と同質だとしても、何よりも彼は骨までは真似は出来ず、だからこそ天然の発生物としての『異能力者』には成れない。

抗えきれずに内で蠢く『宇宙ナメクジ』の血液は、致死量の出血も痛覚も無に返すことは出来ないのだ。

骨が、引いてはそもそもの本質が届かぬ奴等の領域ーー。

だがしかしながら圧巻。

強さ。 逞しさ。 それら全てを嘲笑うのは螺子の外れた脳髄で渦巻く強欲と呼べる狂気。

ゲルドハルドに見える神成神奈斗は既に殺すべき兵士ではなく、片腕を捨てて尚も、身体に風穴を開けて尚も対象を制圧しようとする恐るべき闘志を宿した戦士に他ならない。

ーーだからこそ、自身の首に穴を開ける程の怪力を発揮する彼の腕を折る。

『機械信号』を使用は叶わないとしても、微動だにしない一切減衰しない力は、神奈斗の執着心が叡智すら越えている事実の証明だ。


「だが、君の虚弱性に機械仕掛けの叡智は応えるのだろう。

良いものだな。 戦えば戦う程に強さを得るのは」


「 足 り な い 」


 もはや、美食を喰らっても足りぬ。 美女を抱いても足りぬ。

故に全てを捨てた。 故に仮として一つ一つを拾い上げた。

学は無いが知識は得た。 勇気を捨てて蛮勇を知った。 

良識を忘れ矜恃を覚えた。

そしてーー己の怯えを蹂躙し、恐怖を物にした。

だが、もう終いだ。 『核』は愛想を尽かし眠りにふける。

あれもこれも差し出す男は、天に向かいあれもこれもと欲しがるのだろう。

飢え。 然れど飽きず。 これしか知らぬ。 これしか分からぬ。

そしてゲルドハルドはその匂いに過敏に反応を示す。

擦れた焦げであり、亀裂から溢れた漏れであるーー無論、人間的には劣化の一途を辿る強化と覚醒は、戦士としては紛い物ではない進化であった。


「私は姫司乃の様な、相手に怯え無力化した相手を倒すなどという興の冷めた事はしない」


 多重関節の毒針がゲルドハルドの背部から一斉に展開をし、だがそれには目もくれずに、折れた腕を使い頸動脈を締め上げる神奈斗は毒が効かぬ血を得てか、微塵も怯えを抱かない。


「ーーだが、君の限界は、今はそこだ。

賢さが予知出来ない傲慢と強欲に、君の孕んだ『核』は愛想を尽かす」


 へし折れた右腕は力が弛まず、しかしながらもうこれ以上は締め付ける剛力は無かった。

慣れて知り尽くしたはずの激痛よりも新鮮な、身体がこれ以上の行使を拒む信号を、彼はまだ超えてはいない。

ゲルドハルドは言う。 それは越えられないのだと。


「動け」


「動かんさ。 動かぬし……しかしながら、しぶとく意識が有るのは恐ろしい」


 そして神奈斗の殺意の高さ、及び戦闘意思の強靭さは、両方の腕が再起不能寸前の現状であろうとも、まだ対象に害を成す為に、痛みでの失神を許さない。

だがーー死なずとも終わりが近い事をゲルドハルドは予見し、締め上げる握力が硬直した枷と成り果てた事実は、神奈斗の身体が精神力に負けた事の証明である。

貪欲で苛烈な戦闘本能も、どのようにして得たのか知れぬ神秘の血も、そして機械仕掛けの核も、どれもこれも彼を苗床とするより先に、強欲に結果を求めた末がこの現状であろう。

嬉嬉として殺意に身を飲ませた笑みは、今は指一つも動かせずに苦悶する顔に代わり。

表情と裏腹に対象を冷徹に見据えていた眼は冷静さを欠いている。


「殺すには惜しいのは、私の慈悲ではない。 だが、逸脱した素体を研究者共に渡すなどという、物を知らぬ阿呆とも私は違う」


 開かれたゲルドハルドの掌の底は神奈斗の顎を撃ち抜き、機械兵である以前に強き軍人としての格闘術は動きの鈍った彼の意識を容易く飛ばす。

喉元を締める手は決して力が途切れないが膝は崩れ、地面が迫り上がる情景は何度目かの敗北の風景だ。


(ーー充分だ)


 視界はブラックアウトし、意識はシャットダウン寸前の中で戦闘狂は負けを悔やみ恥じる感情は無かった。

地獄にて生命を繋いで戦い続けた彼には、当然敗北は屈辱でも何でもない。

ゲルドハルドの腹部に自らが開けた切断が近い大きさの風穴を改めて認識し、己の選択は正しかったという結果による安堵に、心置き無く負けを認められるのだ。


 これで奴等を。 恐ろしく、そして焦がれた異能力者をーー。

『宇宙ナメクジ』と呼ばれる怪物と戦い、そして勝てるとーー。


「けどーーこの好機、逃すわけにはいかない」


 視線を切り、突っ伏した神奈斗に背を向けたゲルドハルドは、痛くはないが修復を始めていた己の右腕が切断された違和感に再び振り向き対面する。

殺し合いとは違う極めて実践に近しい訓練の名目。

だから、故に死せる兵士はその場で全てを終了し、目の前に堂々と立つ生ける戦士は、失神など生易しい暗がりから現に舞い戻った。

二十歳にも僅かに届かない齢だがどうだ。 大凡、四分の三を戦場で生き延び、化け物と同じ鎌の飯を喰らい人を超えた機械仕掛けの兵士と渡り合ってきて、そして生きている。

幸運と僥倖を彼は既に凌駕しているーー『不屈』という実力を持ってして。


「……寝ていた方が良い」


「つれない事を、言うんだな。 だが、貴方もようやくエンジンが、熱を、帯びてきたんだろう?」


 発言の発音は所々が途切れている。 呂律が意思に反して回らなくなっているが、そもそも己で己の肉を割いての激痛での目覚めは、如何にも男らしい行動である。

右大腿部に刺さる二本の刃物と言うよりは、単なるヤイバが左右に開いて刺さっており、恐らくはこれで傷口をこじ開けたのだ。

容易く行われた自傷は、もはや癒えても痕跡を残す一生傷。

だがこれは、それ以前に彼は男であるのだからそんな事はどうでも良い。

乾いて飢えた傷跡が、それこそ戦績と呼べる勲章達はこうやって彼の身体に刻まれ続ける。

傷痕という勲章と名誉の数が、これらが拷問や蹂躙の痕跡ではないというのが、恐怖に値するのだ。

戦い、逃げ、勝ち、負け、不屈によって生き長らえてきた男は傲慢にもまだ立ち上がる。


「死にたいのだな。 神成三等兵」


「嘘吐くばかりだーー貴方は敵として、見ていないから当然、だろうが、俺は待ち続けていた」


 力量で劣るはずの戦闘狂と言えば聞こえの良い殺人鬼のラブコールと、その彼の内で軋む金属の音がゲルドハルドの耳に届く。

パイルドライバーの自壊による肉体の損傷は左腕全てが多重な関節に見え、もう片腕は尺骨と橈骨が肉を突破って “いた” 。

折れた腕を、開いた傷を、肉体の欠損を修復するかの様に体内から生える金属物質が簡素な添え木の代わりとなる。

粉砕した左腕と割れた右腕の骨が異能力に潰されてゆく。


「私が殺すのではない」


 痛みと出血は常人ならば致死の領域だが、ショック死寸前で無事に済むのは無論、人の成り立ちに反旗を翻した神成神奈斗の為せる現実だ。

今ならば、今からならば充分に堪えられるのは『宇宙ナメクジ』の血液を十二分に取り込んで、そして支配されているからである。

兵士であるが故に立つ。 戦士であるが故に、死が生命と肉体を分かつまで、立ち止まり往生するなど度し難い!

 ーーだからこそ、神成神奈斗の幼き頃からの選択は正しかった。

毒を持って、ならば毒を制すならば先ずは受け入れ順応するのが先決であるから、彼は致死に至らぬ量の神秘を入れ続けてきた。

それは秘匿され、しかし単純であった。

『宇宙ナメクジ』の血は適さない肉と骨を強度的という物理的に脆弱にするわけではないが、確実に衰えさせるのだ。

星界の血液よりもずっとずっと薄く、美味とも思える何かを吸収し続けた彼の血肉は、常人よりも脆弱と化した故に機械仕掛けの核の侵食を赦す。

何人。 何十人。 四桁に届く人員が『機械兵』と成り果てたのをゲルドハルドは見続けている。

中でも特に異質。 素質が、適性がーーその様な人材よりも遥かに神奈斗の進化は、命すら膨大に削っている様に見える。

本当に今日が異能力を発現させた初日なのかと、疑う度合いにまで、一度意識を飛ばされた青年は達しているのだ。

異常事態と言う以外、一体何と言うべきか。

遂に発芽した機動ウイングはもう自壊をしない。

懐への侵入をゲルドハルドは予知したが想像よりも、その突撃は速く、新たに精製された折れた四肢の修復を伴うブレードは手練の機械兵にも劣らぬ破壊力。

耐久性は確かに大それていない彼の機構だが、防御に用いる為に束ねれば砲弾すら防ぐ代物であったはずだが、対峙して初めて自発的に行われたゲルドハルドの守備を、神奈斗の新たに造り上げた牙が噛みちぎる。

 リリーはその破壊音と駆動音を鼓膜に捉え、姫司乃は僅かに超高速でブレるシルエットに確信する。


「あまり本気を出すなよ。 神成三等兵」


 超高速振動の初歩的な科学機構の刃の太刀筋を、どれもこれも防ぎながらゲルドハルドは神奈斗に言う。

胴体を引き裂こうと、四肢を突き刺そうと、急所を抉り取ろうとする人殺しの剣捌きの中、片腕のソレは瞬時に変形を可能とし、またアレが現れる。

後方へ距離を取ったゲルドハルドの動作に対し、最大限の機構の加速でようやく追い付いた時には、左腕にはまた同じ爆薬仕込みの杭打ち機の突出部が切っ先を覗かせた。

破壊力を増せば回転率は落ち、手痛い反撃をゲルドハルドが行うとは限らないが、神奈斗の想定は常に最悪と最低が巡る。


「まだ君は戦わねばならんのに」


 一撃が放たれーーしかし自壊はしない。

特性はやはり強力であり、二度目で出力を低下させて尚もこれは神奈斗が今まで使った武装の中では、強烈と言える。

肉を裂くだけでは、骨を砕くだけでは足りぬ。

武器とは破壊力と殺傷力ばかりが優れていれば良いのだから、刃物の斬れ味は斬鉄であるべきだーー。

その思想を体現し、二度目の形を成したパイルドライバーは多少小型化していようが、並の人間を的とするならば充分に人体を破砕する。

 標的に相応しい得物で武装をするなど、当然のことではないか。

いくら知恵を絞り出し、いくら修羅の如き強さを得ても『人体』という枷は何をするにも重くのしかかるのだ。

ましてや『機械兵』など、ましてや『宇宙ナメクジ』などとーー実用圏内に押し入った怪物達を相手に、自らはその領域で足踏み停滞するなど、もはや正気の沙汰ではない。

故に神成神奈斗に悔恨は無し。 精魂が尽き死に至るまで、その間に怯え悔やむ過程は血と硝煙と腐臭が覆い隠すだろう。

ーーだからこそ遺物を受け入れ、途方も無い良からぬ衝動は『核』の侵食を望む。

精神含め思想すらも肉体であると仮定するならば、真に涙を流すのは異物である『機械仕掛けの核』なのだろう。

神成神奈斗は止まらぬ。 何も最強になりたい訳でも、最強を倒したい訳でもないのだがーー。

悪魔になりたい訳でも、神になりたい訳でも、救世主になりたい訳でもーー。


 ーーただ、過去に彼が知る最も弱い人物が彼を肯定したのだ。

弱き者が強さを求め自壊の一途を辿る事すら、もはやそれは美学である事を、道徳心を持って戦闘狂に肯定として示す。

逃げる訳にはいかない。 立ち止まる訳にはいかない。 彼の傷まみれの生存本能が、その痛々しい傷口を勲章だと彼に誇らせる。

だから彼女は言った。


『立って』


 か弱い異能力者は、虚弱を思わせる白い肌の細い指で彼の傷口をなぞって懇願した。

同胞であり、そして意中の男性に言う言葉は、何もその全てが恋愛や慕情ではない。

その少女に神奈斗はしがみつかず、だから手を引いて連れてこなかった。

脆弱なーー刃物も銃も似合わないとしても、意志のままに進む足がある限り、彼女の内心とは裏腹に歩み出す事を望んだのだ。

何よりも、隠れ続けなければやがては死に晒す事を本能的に知ってる少女は、それを理由としてこう言ったのだろう。

 ーー神成神奈斗は超人になるつもりはない。

だからだろう。 過去在籍した異能力者部隊にて、確かに恋人よりもずっと深い関係築いた少女の存在は、否定するものでも、忘れ去りたいものでもない。

彼は欲望を満たす利用し、彼女も乾きから潤いたい故に利用させた。

生きる為に戦うのか、戦う為に生きるのかーー。

あまりにもつまらぬ論争の結論が、双方同じ意味合いだと分かったならば、する事は決まっている。

過程は決定づけられている。 至る道は一本。

だからーー『立って』。 そしてーー『戦いなさい』。

もはや彼が置き去りにした少女は、彼が守る存在ではなくなり、彼もまた守護者ではなくなった。

だが、それでも、現実にゲルドハルドという機械兵団屈指の強者の前に体内から叫ぶのだ。

『逃げろ』や『勝てない』だのと宣う怯えの感情は、もしも神奈斗が過去から鍛え上げてきた精神だけでは太刀打ち出来ずに彼を呑むだろう。

『宇宙ナメクジ』なる “少女の血” が、まるで鎖を繋ぐ楔として神奈斗を逃さず、彼もまた逃げない。


「ーー過去。 君の様に彼等の血を欲しがった連中は、その血を支配しようとした連中は皆、僅かな輸血量で苦しみ悶え、そして死んだ」


 やはりガリー・ゲルドハルドの経験則は不確定ながらも、あまりにも低い適正と高い適応を正体を見抜いた。

彼も分からぬが気付いたのだ。 全ては、その全てが、神成神奈斗の行為は全てが闘争へと向いているのだと。


「だが、奇跡とは呼べぬのだろうな」


 彼の存在は稀有だろう。 しかし、幸運の種とは到底呼ぶ事は出来ぬ、誰しもが思い付かなかっただけの事象。

故に成り立ちなど答えなくとも構わないのだが、確証など知る必要も無いのだがーー。

この男の怪物と化したという結果の、至る過程はゲルドハルドの想像ならば一つの方法しか無いのだ。


「ーー恋人を置いてきて良かったのか?」


 ーーもはや、その少女の心は満たされたのだ。

過程で芽吹いた脈動する存在は、必ずしも生命の声ではなかっただろう。

そもそも過程とは違い、それは目的であり、成った結果である。

故に覚醒とは呼ばないのだろう。 故に呪いの泥の中から這い出たとして、祝われるべきなのだろう。

『人間』と呼ばれる生命が、外的要因により種族の括りを超えたならば、眠っていた牙も、折れていた爪も元より彼には無かったものだ。

魔法というマジナイは、実在するならばノロイであり、それはたった一夜の濃密な行為では到底到達出来ない。

 超振動のブレードの刺突を回避され、薙ぎ払う斬撃を彼の武装機構で阻まれ、三撃目の追撃は変形し鎌の様にゲルドハルドの左腕を機構諸共絡めとる。

侵食されているとしか思えない適応力が、強さに繋がるならばと受け入れ、自壊には届かぬパイルドライバーはまたしても火を吹いた。

だが、一発は相変わらず人体の骨肉を粉砕する。

ゲルドハルドの右の脇腹に叩き込まれ風穴を空け、遂に神奈斗の『機械信号』は無尽蔵の修復力を凌駕し、破壊性で上回る。

そして変わらぬ神成神奈斗の目だ。 虚勢を張る、我を通す、自己暗示ーー実力の伴わない連中が格上の怪物と退治し己を奮起させる言葉は数あれど、彼の目は言うのだ。

『勝てる』。 力が通じぬならば己が狂えば良く、狂う精神は殺害という勝利への執念で矯正すれば良い。


 だが、それでも、ガリー・ゲルドハルドは上を征く。

虚を突くという弱者の特権も、強者が行うならば、それは単なる節操も無い虱潰し。

杭打ち機構の止め方は、同じく同様の種別の人外ならば容易く想像出来、そして実行する。

上半身と下半身が断裂する寸前。 この時点でそもそもゲルドハルドの身体は機械人形である。

戻らぬパイルドライバーの突出部を絡めとるのは、体躯を成形する異能力の金属的物質だ。

その体躯。 両断されたとて命潰えるとは思えないだろうがーー。

神奈斗の苦虫を口内で磨り潰し味わった様な顔は、ゲルドハルドの地位を疑う事無い強さと……ここまで堕ちてようやく気付く己の欠点を実感したからであった。

機構に対し一瞬で駆動の隙間を抉ったゲルドハルドの針は、退避への転用の可能性を潰す為。

自然の道理だ。 出した牙を納めるのは、つくづく男の矜恃に背き、また度し難い。


「呆気ないのは、気にする事はない。 私の新必殺技なのだからな」


 獅子は全霊で兎を狩り、人も醜いだけの害虫を血眼で潰す。

侮りと傲りは同程度の者達の特権であり、何よりもこれこそゲルドハルドが僅かだとしても本気を出した証明なのだ。

左のパイルドライバーを己の体躯で突き刺させる事で拘束し、右の超振動のブレードは鋏状機構の刃で捕らえた。

ましてや脱出に四肢を自ら自切する技術は持ってはいない、絶体絶命を予感する神奈斗は悪寒に晒されるがーー。

闘争本能とは不屈でなくてはならないのだ。

恐れる灼熱の闘志。 怯えぬ冷酷な闘魂。 本日最大級の悪夢的一撃は全弾でこそ “一撃”。


「スラッグ弾だろう?」


「理解が速い」


 観戦を決め込んだ3人の内、リディアードとイフスはゲルドハルドの攻勢が既に訓練や特訓の域を超越した事を危惧し割って入ろうとするが、何よりも神成神奈斗と既に一戦を交え……機械兵にも堕ちておらず『宇宙ナメクジ』の血も脈動させなかった彼の底力を見た姫司乃は

、超至近距離の散弾発砲で仕留められる人間だと思っていない。

戦闘狂ではある。 だが、死にたがりではない。

神奈斗は知っているのだ。 地獄で死なずに生きてきた本能はその場を平穏な住処に感じてしまい、しかしその苛烈さは死後の正真正銘の地獄が見劣りするのだと。

ゲルドハルドの体内にて精製されたスラッグ弾の銃口は、ズタズタとなった軍用コートから覗いている。


(……俺達の戦う想定は異能力者と兵器。 奴とやり合うまで忘れかけていたが、お前もそうだろうゲルドハル)


 拘束してでの体内機構による超至近距離射撃は、人間の身では決して不可能な合理的である一手。

だからだろうか、一時は機械兵が優勢とも思えるその様な戦術による結果により、異能力者『宇宙ナメクジ』は恐るべき速度で強化という進化を遂げた。

地球外の神秘。 星界からの贈物。 一概に、戦わずに彼等を蚊帳の外から観た者達はその様な言葉で形容している。

だがその本質は『悪』を超越した紛れもない『強者』のそれである。

絶対数が少ないとして、それでも『宇宙ナメクジ』は帝国軍に、その圧倒的な個の力として君臨し続ける。

しかし、その血がもたらすのは『力』ではない。 彼等も過去には負け、死に、殺されるばかりであった。

いつの日か、いつの間にか、生態は本性を表し、本懐を内に隠す事なく、強く成り果てる。

つまりは『進化』だ。 その血を得た神奈斗は、基礎となる異能力の代用として『機械仕掛けの核』を得た。


「ーー心が泡立っているでしょう。 何せ、私は、私達は……彼に比べれば圧倒的に機械兵との戦闘に慣れてはいない」


「確かにあの隊長は良い訓練相手だ。 何よりも、その強さを知ってなおも怖気付かずに戦い続けるのは、最も戦士に必須な要素だ」


 だからこそーー終わらない。

爆薬を点火させ、それによる推進力と破壊力による杭打ち機構が、現状の神奈斗の武装ならば発火の構造を増やせば。

そして潰された箇所以外が火を噴いた。

ゲルドハルドの超至近距離の散弾が飛び出す前、割り込む彼の判断力と決行する決定力はドンピシャだった。

一度目の発破が二発目に引火し、三発目の破壊力はゲルドハルドの拘束を破砕するには十分であった。

そして、神奈斗の死んだ両腕に反して、未だ健在な身体の一部であるのは、やはり脚。

散弾の射程外へと刹那的に逃げ延びるのに、彼は異能力など使用せずとも可能ーー何より、銃口向けられようとも、銃身と指の動きで平然と銃弾を躱す様な人種からすれば、膝を神がかり的な速度で落とすだけで機械兵の虚を突くそれは回避出来る。

 “これ” は見た。 ゲルドハルドは破壊された腹部から、ほんの少しズレた位置から散弾を吐き出し、その攻撃は苛烈であるはずなのに、神奈斗の闘志は弱まりもしないあたり、確かに彼の中に恐るべき闘争本能を垣間見た。

神成神奈斗はやはり想像通りに想定の上を征き、何よりも、彼の強さは狂気じみた執念に他ならない。

ーー“狂気じみた” と表すのは彼が狂っているからではない。

攻めるにしても、守るにしても、追うにしても、逃げるにしても的確に戦況を鑑み判断している。


(腕は死に、羽根はもはや動かぬ程に死の淵で疲弊する)


 好機。 ひしゃげた左腕は杭打ち機の機構が反動で自壊し、再び剥き出しとなりーー。

折れた右腕だけが現状の唯一の武器であるならば、ゲルドハルドは吹き飛ばされた体勢だとしても強引にその機械仕掛けの翼の羽ばたき一つで距離を詰める。

死の淵に立って尚、汚泥に使っても尚ーーしかし窮地は変わらず、だが神奈斗の生存本能は逃走よりも闘争を、それは至極簡単に地を掴む両の足が脱兎に成り下がる事を許さないからだ。

時に、逃げ出す臆病からも更に逃げ延びる自壊的な勇気は、未だ幼い幼体に対して、その感情は爆発的というべき変態の機会を与える。

倒れ込む神奈斗の体は戦意の果てに非ず。

戦士は前に力尽きるならば、目に標的を捉えたままで背面に倒れ、達人の太刀筋よりも一層以上に速度を帯びた蹴りは……腕が死に異能力も頼りにならないとしても性懲りも無い戦闘狂の性分の表れ。


「徒手格闘で倒せる相手じゃないぞ」


 しかし現実に互いの視線を互いに浴びる二人には、特にゲルドハルドは驚愕を覚える。

そして自分を倒す為だと宣った神奈斗の言葉は、嘘ではないのだと確信するのだ。

破壊と再生を何百と繰り返し脆弱と化したゲルドハルドの機械仕掛けの怪異な全身だが、寧ろ敵対組織であった彼だからこそ、ゲルドハルドには及ばないとしても機械兵を倒してきた彼だから、一点が未だ血肉で構成された人間本来の弱点を知っている。

生命体という存在から逸脱した、いや、してしまったゲルドハルドは回避を行わないのではなく選択しない。

ーーそんな怪物が、避けた。

だが、もう遅い。 神奈斗の突き抜ける蹴り足は跳ね戻り、怪物の延髄へと打ち込まれる。

更に、それは同時だった。 逆の足は瞬発力で跳ね上がり、延髄への蹴りと同時にゲルドハルドの動脈を、 “純粋な血が通う動脈” を蹴り上げた。


(打ち、組み、極める)


「ーー面白い技だ」


 神成神奈斗。 例え両腕が死のうとも、手負いの軍人が扱うべき軍用闘技の格上の敵相手に使いこなす程に昇華させている。

一連の攻勢が、それこそ、一瞬で対象に浴びせられる程に。

寡黙ではあるが好奇心旺盛とも呼べる性質のゲルドハルドは、動脈を足という腕に力で優る部位で締めあげられ、そして首関節を極められながらも、だから聞くのだろう。

何処で習ったのか。 誰に習ったのか。 何処で使ったのか。 誰に使ったのか。

ーーこれは殺しの技なのか、と。

 しかし、ゲルドハルドの行動が断じて遅いのではなく、彼が速すぎるのだろう。

もはや、咄嗟であった。 怪物相手に組技などと酔狂にも限度があるだろう。

だが、それは彼自身が熟知しており、身が砕ける事も厭わない性根は侮りを捨てているのだ。

そしてゲルドハルドが自ら投げ打たれる直前に、反射的に外部の力に逆らわずに、脳天から落下した対処は正しい。

身体能力は人外には堕ちず、踏み外れていない身であるからこそ、神成神奈斗は試さずにはいられない。

それは正しき解である。 人体における急所など、神奈斗の知る限り迅速に狙い打てる場所は知れており、だが機械兵は目を失っても光を奪われず、生存本能によって生殖本能という生物の使命を捨て去っているだろう。

人体破壊に置ける四つの玉。 二つの眼球、一つの睾丸ーーそして。


「人間味がまるで無いですね」


 戦場における徒手格闘をより鋭利に昇華させた殺人格闘術が、鋼鉄に匹敵する骨格を持つ兵士に通用した瞬間だ。

相手の重心が傾く方向へ首を極めて投げを放つ。

常人に対して、これまでは強靭な体幹にものを言わせて神奈斗は何人何本の首を折った。

そして機械兵に対して、当然精製した武装の重量は重しとなり脊椎へと素直にダメージを増加させるのだ。

こんな陳腐な格闘術で彼は何人か殺した。 ゲルドハルドが武装と機構を解除しその身一つで力に逆らわずに跳ねたのは、ある種の防衛本能であり、ならば確定する。

だから確信する。 そこは弱点あるから、ゲルドハルドは神奈斗に咽喉を人差し指と親指で掴まれた時に、躊躇無く腕を折ったのだ。

事、ありとあらゆる要素において神成神奈斗が格下であろうとも、値踏みを続けていてもーーこの強者は回避ではなく迎撃した。

紛れもなくゲルドハルドには人と同じように動脈が走り、何食わぬ破損と恐るべき修復こそ本懐の彼が、神奈斗の足の腱を抑えるという完全に防制の構えに、入らざるを得なくなった。

毒虫のトゲの如く、神奈斗の脚の腱は変質化を既に遂げていたのだ。

血の糸を引き現れた暗器の様に隠されていた小さなブレードは、喰い込んだ多量で不揃いな刃よる出血で死に至らしめるのではない。

ーー逃さぬ為。 獲物を逃さぬ為の、もはや進化といって差し支えない。

機械仕掛けのゲルドハルドの両手と擦れ合う不快な金属音は、一際目立つ棘に掛かり鳴り止む。

己の身を賭けての詰将棋は、それがもはや引けぬならば、そこにあるのは絶望と焦燥ではなく、いや、それすらも容易く上回る高揚感なのだ。

確かに違いなく彼の喉元は弱点と未だに呼べ、だから執拗に、首だけでゲルドハルドに持ち上げられ鉄の拳を頬に浴びても、それは誘いとして遂に延髄に金属質の棘が入り込む。


「困ったーー。 きかん坊の様だ」


 動脈は確実に締め上げられる。 冷徹な男の顔の血色は熟れたように染まり始め、表皮が破れた神奈斗の絡む脚に、傷口に掛かる息は徐々に弱まりつつあるのだ。

ーーだが、その間合い。 弱者にとっては即死の圏内。

しかしそれも、それすらも気狂いと強者を選別する領域であるのだろう。

逃げぬ故を。 諦めない故を。 信念は死へと誘い、執念は殺意を囁く。

特筆すべき悲しき過去と刻まれた幸福の過去は、神奈斗にとってはどちらも自ら血で塗り潰して構わないと、故に彼は戦う。

生きる事が戦いならば、生き続ける事が戦い続ける呪いならばーーそして、生と死が互いに互いを押し付けるだけのつまらぬ付随価値ならば、彼は止まらない。


『Hello. bloody mechanical』


 血が滴る機械仕掛けなど、当たり前ではないか。

人間が凶悪な獣に進化するなど、当然ではないか。

より強くなるならば、本能を真似るなら獣ではなく毒虫を真似るのが最適ではないか。

そしてゲルドハルドの右の眼球は無数の青い目を光らせる。

一瞬、ほんの一瞬。 神成神奈斗の怯えが刺激され、逃げるまでの一瞬で神奈斗は相手の首を折った。

だが、害虫は蛹の状態以外で動きを止めない。


「それだ……俺が見たかったのは、な」


 確定的なダメージを受けた事実は、次点でガリー・ゲルドハルドが起動する証拠であった。

もはや突き破れる表皮を無くした男は、金属的な物質の構成に塗れ、どれもこれもが強靭な不快な形状の機構を形に成している。

腰辺りから突き出たのは不快昆虫の代名詞、蜘蛛の八つ脚の機構は多重の関節を持ち縦横無尽に対象を付け狙う。

視覚的でなく実害のある百足の顎は、虫であり小さいから痛いだけで済み、それが肥大化して強固な材質に変われば、害虫は悪魔と成り果てる。

翼は翅であり。 脈の走るソレは鳥のように羽ばたく事が最大の目的ではない。

目的はより長い距離を、遠方を目指すのは人間の糧を食い潰す為……蝗は正しく死神であるのだ。

今、神奈斗の前に立つのは値踏みを繰り返した男ではない。

持つ牙の全てを展開した意味は、それらで新たに神奈斗を見通す意義が存在するからなのだろう。


「降参しろ、とはもう言わない」


 そして、さぁ、羽化の時間だ。

進化とは常に絶望の縁にて、棺桶に脚を降ろしてから促されるものだ。

刹那にゲルドハルドの機構展開時に飛び出した、それは星界から降り注いだ血も蝕む猛毒を含む毒針は、神奈斗の体内へと届き、無臭無色からより『毒』として純化しており、甘い匂いは死の予兆。


「解毒は今は考えぬ方が、純粋に強くなれる。

五分の間。 死にながら戦いたまえよ神成三等兵」


 生き急ぐ事は、死に急ぐ事と同意義である。

体内で起こる化学反応は、余程の猛毒となり、嗅がずとも鼻腔の粘膜から甘い菓子の様な香りを彼に感じさせる。

だがーー。 その甘い匂いと鈍る感覚器官は、焦燥感を上回る充実感で満ちていた。

正しく神速。 電光石火は弱者の特権。 映像フィルムを何カットも飛ばした様な、そんな神憑り的な速度で、神奈斗はゲルドハルドの腹部を折れたブレードで突き刺す。


「……なんだ、五分もくれるのかいッ!?」


「ーー嬉しいだろうっ?! 『BLOODY MECANICAL』!!」


 ーーだから忘れられた少女は目を輝かせるのだ。

『機械兵』は戦う為にそれに落ちぶれ、そしてより戦闘本能により恐ろしい存在へと堕ちた彼を、まるでゲルドハルドは歓迎しているかのようであったから。

新しく産まれた赤子が劈いて泣くのは、この世に生を受けた歓喜の声であり、同様に少女が目覚めて見た彼も同じに彼女には思える。

 立って。 そして、戦いなさい。

それが貴方の“産まれた意味” 。 それが貴方の“死んだ意義” 。 そして、決して誰かが救う事が叶わぬ祝福の言葉。

身を蝕む狂気の機械仕掛けを、故も何もかも分からぬ血で稼働させる、正真正銘の怪物と進化した彼を、短い間で少女は信じているのだ。

死なない。 この男は死なない。 何故ならば、記憶と心以外、もう死んでしまったと言えるのだから。


「が、ん……ば、れ……っ!」


 誰の耳にも入らない少女の声は、ゲルドハルドと神奈斗が掻き消してしまっていた。

母音を一音づつ紡ぐだけだった少女は、誰にも気付かれずに、誰も彼に掛けなかった言葉を発した。

彼を理解して受け入れ、神秘を分け与えた女性でさえも有り触れたそんな言葉を言わなかったのだ。

だから、聞こえぬ方が幸せだったのだろう。

そんな純粋で欲を見せぬ愛はきっと、彼の何もかもを鈍らせてしまうだろうから。





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