『最後の晩餐を味わう』


 『争いこそが進化の本質である』

無論、これまでの人類史において平穏は退化をもたらし、戦争は反して進化をもたらす現実は、頭の良い人間でなくとも本能的に理解しているものだ。

ならばこそ、人間という種自体が何時までも、何時の時代になっても剣と鎧、銃ばかりを武器としているのは、生物としての進化を失ったと言う他ないのだろう。

怪異な腕力があれば剣とて鎧を貫き、人を越えた膂力を持てば鎧を羽織る事を可能とする。

それこそ人間の純化であり、争いに勝利し敵を打ち倒す事を主軸とする情けない進化の一例だ。

そしてーーその様な怪物達が産まれ、対抗として現れた機械仕掛けの尖兵達は獣の様な営みの末に産まれる訳では無い。

人造人間を創り出すのは神ではなく、神すらも創り出す事の出来る人間なのだ。

国軍所属国営軍事病棟の医師の一人、帝国軍のゲーラー学派からは既に袖を分かち、現時点で帝国軍人が探し続けるソレを地下の一室というには開けた霊安室で見守る彼は、そして到達した敵陣営の一派に声を掛ける。


「ヴィアリーズ家の君も、やはり功績が欲しいのだな。

もう孕む事すら無い機械仕掛けの子宮など、ただのゴミに過ぎぬというのに」


 白衣はより一層、中年という年齢をより老いて見せる。

軍事病院の霊安室という死体の掃き溜めに似つかわしくない安楽椅子に腰掛け、医師として在籍する彼はようやく母胎を発見した彼等に言う。

深い赤と黒を基調とし、煌びやかな装飾の宮廷の服装は誰が見てもその立場の人間であり、ましてや帝国と呼ばれる大国の大学院に居た彼には尚更という事だ。

交戦状態が続く大国同士であるが、方や医師、方やーー殺し合う立場の人間同士ではない。

それを理由に、ヴィアリーズの貴族として、高い背丈と金色の髪と整った顔の彼の教え子は、引き連れてきた近衛の騎士に制止するように手を掲げて促す。


「ガエリオ先生、貴方はまだ頑なだ。 博士帽を脱ぎ、あまつさえ学派から追放され、まだ研究者をしている」


 ただ、ガエリオはその単語に対しては嘲笑し、自身はその様な立派な人間ではないと自覚している。

故も知らぬモノをただ単に興味で弄くり回す事は、彼の研究者としての括りからは外れているのだ。

何度もその言葉を否定し、『リアルド・ヴィル・ヴィアリーズ』はその元は教授として勉学の師と仰いだ彼が、やはり頑なだと感じていた。


「……それで、君達はその剣で私からそこの子宮を奪いに来たのか?

利口だがリアルド君、『宇宙ナメクジ』などとコレよりもイカれたモノを弄くり回している、リベレノワールの研究者に分かるものか」


 帝国に籍を置くリベレノワールの学院にガエリオは居たからこそ、機械仕掛けの子宮の奪取は無駄だと諭す。

一大学舎と名高い学院、その研究者と準ずる者達こそ正気を無くしていると彼は言う。

元より、ガエリオが国軍へと渡り戦場以外で相見えた機械仕掛けの兵士の『核』は、彼の中では宇宙ソラから落ちていたとされる神秘の『血』よりは遥かにまともなのだとーー。

落ちてきたの怪物よりも、埋まっていた人形の方が、幾分か正気を保って研究も何もかもを出来るというものだ。

しかし、リアルドの言葉は敵陣営の駒に囲まれながらも頑なに逃げる事をしない彼の意識を惹く。


「何も、私達はこれを兵器へと転用するのが目的ではありません。

機械兵が斬り落とされた脚を、仮にまた作り出す様に、その力を解析する事は救済になります。

国軍と帝国の境界を超え、だから、ガエリオ先生。

我々と共に来て頂きたい」


 ただ、人間は少なからず予想と予見を繰り返し生きている生物だ。

不意に予想を外れる事は、職業柄と何より人生観から熟知しており、その発言がきな臭いと断言する。


「一度牙を生やしてしまった獣は、二度と草食に戻る事は無い。

君も見て、聞いて、分かるだろう? 破壊性を持つ異能力者が戦場から消えない様に、機械仕掛けと化した人間はただの人形だ」


「痛みに呻く声は……聞こえませんか」


 何より、リアルドの善意を容易く拒絶する理由はあまりにも単純であり、理不尽である。

人格者と呼ぶには、ガエリオの来歴は穢れており、同時に誇れるものではないが、ならば彼は偏見に満ちている。

人に教えを与える過去を持っていたとは思えない様な、思考を持って善意的な発言は否定する。


「あまり、君の立場でそんな事は言わぬ方がいい。

過去に開発した新薬……あぁ、あれば鎮痛剤であったなーーそろそろ病人に使ってもいいだろうに」


 これまでの、中年という若輩者である彼の人生の浅い歴史の中でも、未だに存在している貴族という人種は特に意地汚い。


「目的を話したまえよ。 私は生憎と歳でな。

分かりやすく言わなければ、希望を察する事は出来ぬよ」


下劣、外道などと小難しい言葉では不足するただの汚い行為を繰り返す……そしてそれは全てだと彼は偏見により当て嵌める。

性善説という言葉は性悪説と同等に扱っており、どちらも同様だ。


「『血』に選ばれた人種以外は、無くした腕も脚も復元する事は叶いません。

医療機関は今、貴方方の智慧を欲しています」


 不真面目を繰り返す世捨て人は、捨てた世間の数だけ敏感になり、学ぶつもりのない知識を得てしまうのだ。

ただの不誠実な人間には、外道な悪人は一般を大きく下回り下劣に見える。

何時の時代も、金は権力の象徴でありーーそして、権力は力の象徴である。

社会のヒエラルキーから逃れるには、もう祖国を捨てる他ない。


「ーー君のお父様に言いたまえ。 生体実験はネズミで行うものだとな」


 リアルド・ヴァル・エレドール・ヴィアリーズ。

所詮は平凡な帝国民の生まれのガエリオには、その名は長く大層聞こえが色々な意味で悪い。

別に全ての貴族が悪人だとは言わないが、ただ三本の指に入る名家の中では一番臭いからこそ、彼の偏見はより鋭く尖る。


「父は病に伏せました。 迎えが来るのは、もう時期でしょう……」


 ならば蛙の子は蛙という事だろう。

異能力者と機械兵にならずとも、人間は常に恐ろしい生態と性質の生物でいられるのだ。

悪人の後釜に座るのは、また悪人であるというのが世の常だと、ガエリオは自身の半生を思い出していた。

黒い悪意は他の色で塗り潰す事は叶わず、黒は褪せる事でしか善意になる事はない。

これまでの実績ある悪行は、ガエリオに貴族は悪だと認識させるのに充分であった。

だが、この機械仕掛けの母胎。 これを奪われても彼には問題無いと思える確証がある。

もはや、これは壊れているのだ。 何人もの兵士と怪我人に核を与え、それが役目であるなら、あまりにも負荷がかかりいつかは修復が出来ない程に破損する。


「ーー好きに持っていくが良い。 だが、私はもう帝国には戻らんよ。

ガラクタの子宮はもう直らない事は、君たちも知っているだろう」


 そしてガエリオは確かに気付いた。

それはリアルドが装飾で彩られた細身の剣を突き付ける脅しと、後ろから銃口が此方を向いているという殺意だ。


「私は言いました。 貴方にも来て頂く」


 片手で柄を掴むのを見て、抵抗をしないと思っているのだろうと彼は思わざるを得ず、脅しの殺意を向ける取り巻きも同様だ。

所詮、腕を脚を切り落としてまでの覚悟は無い。

だからこそ、ガエリオは忠告するのだ。


「あまり騒ぐなよ君達」


 騒音が何になるのか……。 その正体がこの場に居るのならば、その中にしか居ないだろう。

リアルドの勘が、だがその存在を脅威としては感じないのは、所詮は羽化を終えたばかりの虫。

未だに胎内に居るなら余計にひ弱なのを知っているからであり、何よりもこちら側の十人程の近衛兵は剣だけでなく銃も携えているのだ。

医師であるガエリオと御曹司であるリアルドの前へと、如何にも金の掛かっている宮廷服と、これまた無駄な意匠ばかりが目を引くマスケット銃を持つ近衛兵が、その機械仕掛け子宮へと近付く。

数にして5人の勇敢な全員が、刺突剣を抜いた。 ガエリオに本格的な武器の知識は無いが、それは『レイピア』というには少し刃が広いというのは分かった。

機械仕掛けの兵とて、心臓があり血が通っており、何ヶ所も貫かれれば無事では済まず死に至るのは不自然ではない。

 ガエリオをリアルドと挟む様に現れた女性は若く、更に巨大な鞘を背負い、リアルドとの関係性が一目で分かる発言をする。


「兄様、もしも遺児の様な者が居たならば殺しますが、構いませんね?」


 まるで駆除だ。 特に、物理的な闘争するための力を持った社会的地位の高い人間は恐ろしいとガエリオは思う。

ある意味で身の程を知らず、傷付く事でしか学べない人種は、ペットを飼う事でしか命の重大さを分からぬ子供と同じである。

もしも、単なる負傷兵が生き長らえる為の人為的な改造を行うならば、数で制すれば問題は無いが、何時の時代どんな組織でも人間のままで怪物になる事を選んだ者が居る。

“百”を超える力は、最大限を許容する器を準備すれば容易く人間を超える。


「何か、君達は勘違いをしている。 つついた場所から現れるのが、弱った獣だとーー。

10では足りんぞ、リアルド君。 手負いの獣よりも強い獣が万全の体制で牙を向いている……」


 ーーそう。 兵士を超えた兵士。 獣を超えた獣。 悪魔を超えた悪魔。

例えば超人的な知恵を授かったのが凡人ならば、彼等の囲んで叩いて突き刺すのは正しい戦術であるし、囲い込み機銃での掃射は空想上の龍にすらも有効打を与えるだろう。

数人のヴィアリーズの私兵が、乱暴に機械仕掛けの子宮をこじ開け、その誰も彼もの膂力は人とは思えない。

ガエリオはそれが一種の麻薬であると、開発の当事者として予測するが、リアルドは彼にそんなものではないと忠告する。


「鎮痛剤。 興奮剤。 外道じみた薬だが、君達の言う『勇気の薬』とは、やはり人を超人とする劇薬なのだな?」


「身体能力を飛躍させたならば、それこそ銃よりも剣を使うべきだとーー我々の様な貴族が地位と財力だけでなく、格好も変わらずにいられるのは、そちらが合理的に戦える場合もあるからです。

血管の浮き出た腕は並の人間の首ならば容易く捻り折りますが、その膂力と怪力は単なる刺突剣を無双の剣へ変える……軍事が未だに我々を潰せないのは」


「貴族の『騎士』は、軍の兵士よりもーー劇薬と言う名の誇りに染まっている。

はははっ。 滑稽極まる! 未だに異能力者共に遅れをとり蹂躙される騎士は、羽化を待つ機械仕掛けの兵を殺す事でようやく尊厳を保つとはな」


 ガエリオは嘲笑し、その言葉が気に入らないのはヴィアリーズの当主ではなく、その妹である。

背負う人の丈ほどもある剣は、劇薬がもたらす腕力により引き抜かれ、自重ではなく明確に地面に叩き付けられる。

確かに、こんなモノを片腕で振り回す力を得るならば、銃弾は躱され、剣術家も逃げ出す理屈の無い剣技を予感させる。

しかし彼は、懐から取り出す銃を誰にも向けずに、ただ艶の消えてしまった黒鉄の銃身を眺めて呟く。

中年とはいえ、衰えに蝕まれているとはいえ、両手で上半身を使い持ち上げる。

それ程にその銃は重く大きい。


「この者はどうするのです」


 血走った彼女の眼は確実に劇薬の副作用である。

幾何学模様を思わせる不自然極まりない眼の充血は、服用しているのが単なる身体能力を向上させるだけにとどまらない薬である暗示だ。

剥き出した感情はガエリオに嫌という程に刺さり続け、彼は振り向き、煽てる。

何もこの様な老いぼれに片足を突っ込んだ男を、その特大な剣の錆にしなくとも、これから戦うのであろう?

恐ろしい、醜い、だが惚れる様な強さを感じる事は、ヴィアリーズの私兵達が侵入した時点で確定しているのだ。

放っておけば刃を向ける事も無かった。 刃を向けてそれが通用する相手ではないと絶望する事も無かった。

溜息は同情であり、中身の“機械仕掛けの胎児”にではないのは、思わずこの奇っ怪な銃の持ち主がばら撒く悲劇の当事者になる者達に対してである。


「……長く、私は狂気の学に励んだ。 そして、つい最近知ったのだよ。

人智を超えた戦闘力は、その過剰に人を超えたぶん加算されるのだ……と。

なぁ、リアルド君。 この世で一番怖いのは、人間であるのは世の常だが、その人間の中で脈動する最たる感情は何なのだろうか?」


 その時、リアルドは剣ではなく内ポケットの無線機を咄嗟に取った。

ガエリオの持つ拳銃が余りにも異質な代物だと、そして見た事も無いそれを扱う人間は、この“大型三弾装填拳銃”を扱う人間は、恐ろしい凶器の持ち主である。

艶の消えた色彩は黒鉄の色ではない血塗れのガンメタル。

グリップエンドは皮の巻が途切れているが、不自然に破れた様なこれは恐らく殴り殺す目的のその末だ。

そして三弾のマガジンは大きく、吐き出す弾丸の大きさも世に出回る一般的な銃の比ではない。


「気を引き締めろお前達!! 中に居るのは敗者ではない!!」


 ーーそうだ。 それは向上心にも似ているが、努力では到底行き着かない領域へは、そんな陳腐な心構えでは辿り着けない。

故に進化。 結果は退化。 ただ、埋め込まれた『核』が戦闘に置ける破壊性能は純化の一途を辿らせるのだ。

生き長らえる為に機械仕掛けの退化を受け入れるのは、所詮は人間らしさから脱却出来ぬ臆病者の賢き選択肢。

だが、そうではなく自ら戦いの為に、その他の過負荷を孕む進化を受け入れるのは愚か者の勇気である。

『生』は麻薬である。 『死』は所詮は『生』に付随する概念だ。

だからこそ、彼は、機械仕掛けの子宮でようやく目を覚ます彼は、自分を彼等が殺す事など、目覚めた瞬間の視界に入った時に理解していたのだ。


 ーーーならば、油断をせずにというのは、どういう事なのだという疑問が、貴族の私兵はこの状態の彼を見て思い浮かぶ。

裸の上半身は既に大小の深い傷も浅い傷も刻まれており、弾痕は薄暗いこの場でも確かに確認出来る程に、彼は身体を酷使し続けていたのだと確信が持てる。

しかし、その傷はどれもこれもが痛々しくも完治しているのだと、何を見てか貴族の私兵の一人にはそう感じざるを得ない。


「ーー待ちくたびれたよ」


 言うなれば、この若者は青年と呼べる年齢であると判別出来る顔をしている。

何よりも、その傷を蓄えた身体は屈強であり、目付きはこの状況を意に介していなかった。

それ程に彼の目は悲観を感じておらず、むしろ敵だとも認識していないのだという、余裕すらも感じさせるのだ。

未だに子宮内のケーブルに繋がれ、背中から幾つも伸びるそれが、彼がこの叡智からの手を逃れていない事の証明だ。

無造作に降ろされた腕。 だがきちんと地面を踏み締める脚。

相手が一人であると……いや、殲滅対象がこの様な若造が一人であると判断して押し入った計五名は、丸腰としか思えない彼に過剰にも皆が銃口を向けた。


「二階級特進するのだ……階級を言いたまえ」


 言葉を発した男性の発言内容は、彼を軍人であると規定していたがそれは間違いではない。

この様に機械兵となる子宮は、国軍人でしかその資格が得られないのだ。

曰く、治療すべき患者という名の被験者。

ガラクタを補強するかの様な、反人道的、反道徳的な行為は、機械仕掛け人外を生み出し、それらは国軍の軍事力になる。

若き軍人など、それは当然でないか。 若さは強さである当然の理は歳を少しだけでも重ねれば、誰しもが男女問わず理解する。


「そうだな」


 そして屈強と言う言葉が確かに的を得ている彼が、自分も銃の扱いは慣れているからこその経験則が、一人だけ銃口が自身の頭を逸れている事を見逃さない。

彼はその一人の顔色を伺うも、“今”、一切の肌の見えない防弾服と特殊アクリル板のバイザーで隠れている事に気付いた。


「生憎なんだが、そうだ……昔居たところはーー」


 薄暗い室内で、暗視スコープ越しに怯えているたった一人は任務を忘れ恐怖心と共に思い出した。

あの目。 そう、あの目だ。 彼の目は奴等に似ている。

銃を向け、剣を向ければ、とりつくろうつもりがあろうとも、その視線は怯えを忘れ、敵対心を超えて別の何か、もっと加虐的な人間のする目を向けるのだ。

敵対対象を推し量る眼力が、破壊の行動に移行する時に悪魔的な戦闘能力が他者に目力として先ず最初に突き刺さる。

獣だ。 噛み砕く事の出来る牙と、引き裂く事の出来る爪を持った生物は、所詮は獣になるのだ。

勿論、牙や爪というのは比喩なのだが、だから人間であるというのは何かを失った時ではなく、力を手にした時にそうではなくなるのだろう。

そして、外敵を潰す手段を得た彼の心は、向けられた銃口よりも、逃げ出した一人に意識が行く。

逃げるという選択肢は大体の場合で良である。

生き長らえる事は次の成功に繋がるのだと、彼は達観し、また賞賛を心の内で送るのだ。


「……無理だ! 異能力者の連中を待つんだ!」


 遂に隊列の一人はそう同胞に言い放ち銃を下ろした。

攻撃司令の中止を呼び掛けたのは確実な怖気付きであったと、彼以外は皆がそう思う。

金で寄せ集められた貴族の私兵。 だがその内の一人は、子宮内からの多数のコードの様な物で繋ぎ止められている彼を思い出す。

俗に言うフラッシュバックである。 脳裏には彼に加虐された記憶ではなく、むしろ立ち位置はその逆であり、確かに彼は異能力者とは比べられない数ではあるが屍を築いていた。

畏怖。 ただ単純に、これが自らと同じ種族、同じ名称の生物なのかという疑問が、その時の恐怖心を焚き付けるのだ。

帝国貴族ヴィアリーズの私兵団に集められた男は、過去の危険人物である彼に対し、もう逃げる事を選ぶしか出来ないのだろう。


「臆病者は放っておけ。 どの道、怯える兵士など役に立たん」


 その口振りで、繋がれた彼はこの男が隊の長であると思うのだ。

脱兎の如く逃げ出す臆病者も、それを見逃す手練も、どちらも言ってしまえば利口で、優秀である。

そして、この機械仕掛け子宮内はそれこそ設備と呼ぶには大きすぎ、施設と呼べるのだろうと、向けられている銃口と加えて持ち出した見覚えのある武器がそう判断させる。

密室だが、閉所というわけではない……防護服は大層に着膨れさせる程には耐久性はあるだろうから、だからこそ上半身は裸を晒す彼に、これを防ぐ術は無いのだ。


「下手に躱すと苦しいぞ」


 ピンの外れた手榴弾を見て、彼等が例え自身が無力無抵抗であるとしても捕虜として捕らえる気は更々無いのだと改めて確信する。

全身に深い傷も浅い弾痕も蓄えた経験は、これが対人において如何に破壊力のある恐ろしい武器かを熟知させており、苦笑はそれを容易く投げ込んできた彼等の道徳を疑った感情の現れである。

 防御盾を持つ四人が起爆前に陣形の前へと隊列を変形させると、いよいよもって彼等が自分を完全に殺しにきたと、彼の死線を何度も潜り生存した本能が告げた。

ーーそう。 殺意だ。 生のその感情は今ではほとんどお目にかかる事が無くなった戦車や戦闘機、速射砲や大砲では感じる事は出来ない。

凶器を持つ人間の目が初めて放つ殺意は、彼の中ではそれがより正気を無くしてこそ、戦いの中で人を純化させる感情だと感じるのだ。

正気を失った気狂い、即ち獣。 強くなりたくば獣と成れ。 銃に怯える弱き心は捨てなければ、剣に愚かしく怯える記憶を捨てなけば……何かを得るならば何かをそれ以上に捨てなければならない取捨選択は、あれもこれもという欲を捨てた、いかにも人間らしい心構えではないか。

故に進化。 故に退化。 勝ち負けという崇高な概念は此処にて完全に捨て去られ、二十歳に少し満たない一介の兵士である神成神奈斗カミナリカナトは、来歴にして辿り着くには遅すぎた領域へと、完全に兵士として、戦士として、異形として踏み込んだ。

 使い物にならなくなった機械仕掛け子宮は、もう酷く脆弱な耐久性に成り果てた。

銃弾は壁に弾かれずに食い込み、ナマクラも力任せに突き刺さってしまうガラクタの子宮。

ならば壊そうではないか。 此処は母の母胎ではない。 もっと神秘的で、もっと得体の知れない地獄にも似た反人道的なーー。

片手で一つづつのケーブルを掴み、神奈斗は渾身の力を瞬発的に発揮した。

繋がるのは天井であり、全体重を乗せ、持ち合わせた全筋力を超える力で、内壁を引き摺り落とす。

確かにその光景、その手段を兵団は見たのだが、ならば彼等は銃を構え、引き金に指を添える。

だが、それこそ人体が軽く吹き飛ぶ兵器の破壊力はお互いの視界を奪い合う。

内壁を身代わりの盾へと転用した神奈斗は、その瓦礫と粉塵の中に居るのだ。


「出口を固め、機械兵を逃すなッ!」


 数人が出口へと向かい、やはりこの男が隊長であるのか、指揮は彼が常に取る。

国軍の主戦力『機械兵』。 だが、所詮はその正体は大半が負傷者などの延命措置の延長線に存在している事実は、敵対勢力だからこそ周知しているのだ。

この小さな戦況にて相手取る一人。 たった一人の死に損ないだと、これまでの経験と情報が裏打ちする。

例え死に損ないではなくとも、人体が元より持ち合わせていない異能力を、武器として使いこなせるのかは無論否であるのと、現実に神奈斗はまだ接続されていたケーブルを繋がっていた内壁を崩す事でしか使用していない。

銃火器を持つ数にして十程の小隊で彼を殺しにかかるのだ……当然、脅威であり不可解な叡智による異能力を暴走させて自壊しても、自殺でなければ何の不利益はない様な状態だ。


「撃て死体が見えるまで撃ち続けろ」


 手榴弾による牽制の次に、一斉に掃射を的を穴だらけにする様な行う。

耳鳴りが発症しそうな程の銃声に比例して、数人で発砲した後の薬莢が散らばる。

跳弾の心配はない程に、内壁は脆く腐っている。

こうも逃げ場のない場所では、帝国軍の特殊兵部隊の異能力者でも余程の実力者でなければ身体に穴を開け、そして骸を晒す。

彼等は化け物、人外であるが、決して不死身ではない。

ましてや、それに対抗出来る程の個の実力がある機械兵はーー確かに少数存在するが、彼が万が一そうだとしても、その様な極小の確率に怯えるなど愚かしい行為だろう。

 だが、貴族の私兵団長の想定は、神成神奈斗の機械兵となった以前の実力をあまりにも過小して見積もっていた。


「死にたい奴は……そのまま撃ち続けろ」


 ほんの少しだけ晴れた粉塵の中、神奈斗の影は揺らいだ。

彼の多少張っただけの声は、辺りに響く銃声のせいで届かない。

だが、神奈斗の彼等には届かない言葉は、決して脅しではないのは、こうも銃弾という当たれば致死に至るモノを撃ち続けられる事実を考えれば当然だ。

四肢を撃ち抜けばもがき苦しみ、腹部を撃ち抜けば死を悟り、頭を撃ち抜けば人間は物言わぬ肉の塊になる。

その武器がどれだけ恐ろしいのかは、それを扱わない界隈の人間であろうとも、野菜や肉を切る包丁で人が殺せるという事と同レベルに周知しているだろう。

発砲されたのを認識し、着弾までに軌道を読み、そしてそれを躱すーー可能とするのは機械兵や異能力者ではなく、より強者として深部に存在する悪魔的な超人の所業。

その領域へは、未だ到達しておらず。 故に神成神奈斗、彼は恐れを孕み、死への予感を黙認して恐れを忘れた。

昨日までは単なる武器の扱いに長けるだけの兵士であったが、今はもう戻れないのだから、それが彼の選んだ兵士としての純化なのだから……怯える事は彼を彼が許さない。


(ーー速すぎる!)



 倒れ込む程に地を這う様な低姿勢の神奈斗の踏み込んだ足が、爆発的な加速を生み出し突撃する。

一瞬で詰め寄る距離ではない事に誰も彼も狼狽えるが、それよりも早く彼自身が、己の肉体が負荷に耐えかねるかを考えた。

だが杞憂。 単純に距離を詰めるタックル姿勢が、目前で狙う銃弾の軌道を完全に置き去りにした時に、そして小隊長の口を彼が掴まえた時に、この『機械仕掛けの核』、及びに『機械信号メカニカルコード』が、あの異能力者と呼ばれる化け物に対抗出来る力だと窺わせた。

自殺に至らぬならば、自壊は容認すべきだ。

恐ろしい小さな鉛の弾が彼の頭上を掠める。 低く、より低く。 速く、より速く距離を詰め、しかし目は相手を見据えている加速は獣を思わせる。


「好都合! 向かい撃て! 」


 決して視線は切らない事が、かえって相手取るには好機として働く。

脚に何かしらの機械仕掛けを施しているであろう神奈斗が、武装する集団へと真っ向から突貫を掛ける姿は、まだ完全に人形と呼べるまでに堕ちておらず、ならば好機は逃せないのだ。

殺意、殺意、殺意殺意殺意!!

殺られる前に殺る。 兵法は己の敗北を、死を導くモノは無いのだ。

この確認済みの未確証なる叡智は、既に帝国の兵を何人も何人も殺した血塗れの過去の遺物。

初めから投降も降参も認めず、故に彼等私兵団は全ての要素を鑑みて、もはや神奈斗の存在はここで消すべきなのだという結論からは逃れらない。

機械兵に埋め込まれた『核』がもたらす異能力は、異能力者の『血』が行使するモノと、持たざる者達には同様に危険なる存在を認める事が叶わない気味の悪いモノとしか目には映らない。


『だから君達。 殺したまえ』


 殺したまえーー叡智に蝕まれる人形を。 殺したまえーー人間の尊厳を棄てた化け物を。 殺したまえよ、殺したまえーー尊厳を棄てて尚も世の摂理にしがみつく卑しいガラクタを!


 ほぼゼロ距離。 数十センチ、いや、十数センチなど銃の前では距離など関係無い。

もはや、神奈斗との距離が目前に迫るその具体的な間隔は、当てがい突き付けていると言えるだろう。

ーーそう。 だからこそ、彼の恐ろしさは本懐を見せるのだ。

銃口を目で見て、軌道を測り、撃ち出される前に弾道を外すという達人じみた芸当は、確かに相手がその様な人間と対峙していなかったならば、動揺を瞬間的にだとしても与える。

目前まで迫り、そして横に銃弾を飛び退いて躱した神奈斗が産むのは、陣形への不和であった。

近く。 それこそ私兵団の持つ剣が彼を充分に貫ける距離が、彼等がそれを抜いた時にはあり、切っ先を向けた瞬間には踏み出せば届いた。


「追うな!! 隊列を崩す事は……」


 そう、彼等の内の二人が神奈斗に剣戟での討伐を行うならば、もう撃てない。

如何に私兵団、それも剣術訓練を繰り返そうと、銃弾に引かず偶然ではなく地力で躱す人間が、本気で剣先を退いて回避しだせば、当然の如く当たらず。

加え二人が同時に同じ様に追ったところで、常に味方の背中が邪魔をし、横に周り込めば味方の刃に巻き込まれるーー結果的に一人しか戦闘と呼べる状況には至らない。

そして神奈斗は言うのだ。 若輩者ではあるがこの状況は彼の思惑通りであり、まんまと釣れた事は、彼に武器を得るチャンスを与える。


「折るぞ」


 超至近距離。 紙一重よりも薄い見切りを行い自傷を伴うが、握った腕を捻り、伸ばし、神奈斗の足が剣を持つ男の関節の極まった肘に体重を掛けて落ちた。

膝の裏側で挟み込み、強力な握力で固定される手首ーー何も難しくはない関節技は、スピードとタイミングとパワーの要素が噛み合い迅速に繰り出され、ならば必然的に、その気なった神奈斗は、容易く相手の腕をへし折る。

刃物を向けられるのは慣れており、それに臆する恐怖はとうの昔に忘れた。

真の護身とは逃げという事は勿論、神奈斗はそうだと感じているが、それが出来ないならば、殺す人間にならなければ活を見いだせない。

だが、折られて尚も……いや、私兵団など軍人の引き抜きであるから、片腕を折られて泣き叫ぶ弱者は居ない。

死んだ右腕と反対の生きた左腕が掴むのは、もう一刀の両刃の剣であるが、神奈斗は何も殺そうとはしていないが無力化させる為に、相手が剣を抜くよりも遥かに速くそちらの腕を掴む。

逆技と投げ技の統合武術は、単なる徒手格闘の一種だ。

速い。 ひたすらに速く無駄がない。 打撃の様な速度で関節を極めて投げる。

銃弾を止めるプロテクターが入り特殊繊維で作られた防護服だろうが、神奈斗にとってのそれは何人も相手にしてきた敵が着ていた。

対処法が困難を極めようとも、穴を突く事が最良の戦術なのだ。


(こちらを見ている)


 速さが威力に直結する背負い投げを打ち込むと、投げられた男はその衝撃を脳天に正直に与えられ、動かないあたり失神したのだろう。

確かに神奈斗は背を向けた。 銃口に対して背を向けた。 だが、その間には、無手での戦闘力により平常心を乱された一人が間に立ち、神奈斗を何とかして殺して止めたがる事で脳内がいっぱいの当の本人は気付かない。

文字通りの肉壁は、背負い投げという一対多数の一の立場の人間が使えば隙だらけのこの状況を、見逃せるはずがなかったのだ……例えそれが味方の銃撃の射線を塞ぎ、好機を潰す事になっていようと。

刃渡りは大人の腕程はある剣。 状況は対象の神奈斗が一人を背負い投げ背中を向けている。

彼は上半身を裸で晒しており、覆う物は布一つ無いのならば突き刺す。

刺突が最良だと、男の経験がそう継げるが、神奈斗の首にそれが触れた時、彼は超人じみた反応速度を発揮する。

恐れるべきは『死』であり、『敗北』ではない。

首にその刃が触れ、皮膚を裂き、肉を刺すよりも速く、文字通り皮一枚でその刃を滑らせた。

そして一切の無駄無く間合いを詰めると、拳を握らず相手の腕の外側から片腕を極め、同じ形式をもう片腕を、一度の関節技で両腕を極めた。


「折るぞ」


 変形腕絡み。 その原理は確かにテコであるが、屈強な兵士に掛けるならば腕力は対象よりも強力でなければならない。

柔よく剛を制す……だが、強き剛が柔に負ける時、その柔は剛よりも単純に強いのだ。

両肘が折れる音が同時に鳴ると、共鳴したかの様に一本分の骨折音よりも大きく鈍く、しかし乾いた音は軽快とも思えた。

悶えようとも神奈斗は足を踏みつけーーいや、こんなところで彼は手を抜かない。

例え片脚づつだろうが、彼は既に相手の足首の関節を踏み抜いていた。

ここには当然、歩く事すら妨げてしまう鉄板や防護の類は無く、無慈悲に思えるが神奈斗はまだこの場では不殺を貫いていた。

それが信念ではないが、顎を拳で撃ち揺らし失神させる拳闘の技術を頭突きで使用し、また一人を完全に無力化させる。

そして神奈斗がその腕を解かない理由は単純であり、どうせ、という彼の予想は当たっている。

この二人だけが装備が違うなどと、それは隊や、団では例外であるから。 神奈斗の多数の銃口を向けられた状態で見た感覚では、失神して腕に掛かる重量が、おそらく誰も彼もの装備がほぼ同等だとと。


「手榴弾に当たる。 撃つな」


 寄せ集めとはいえ同胞。 味方を撃ち、手榴弾を起爆させたところで、神奈斗を道ずれに出来るとは誰もが思わなかった。

獣じみた瞬発力が、異能力の賜物なのだと思う他無い程の地力。

銃と剣を恐れず、いや、恐れているからこそなのか。

そんな彼を見て、私兵団長は従える他の団員に銃を下ろさせる。

閉所で神奈斗には武装を調達する条件が揃っている。 獣は刺激してはいけない理由は、逆上した場合に、特に底が見えないからだ。

未だ、相手を殺害するに至らない温厚な獣を前に、その発言は無論取り引きと呼べる。


「此処から我々は引く……ならば、彼を離してくれないか?」


 少しだけ口角を釣り上げた笑みを漏らし、両手に長剣を持つ初老にもなる男の意志を、神奈斗は確かに感じ取る。

銃口が一斉に自分を狙わなくなった事。 今、この瞬間の堂々とした決闘の申し入れが、嘘ではないと銃を構えない姿から直感する。

だが、それが奢りだと煽るつもりはない。

この男の来歴は神奈斗は知らないが、勝利と敗北。 それが生と死の二択には違いないが、そもそも戦場にて歳を重ねるというのは、腕が立つという証明であり、臆病者の証である。

年老いたが腕は訛っていない老兵に、脂の乗りきった彼が怯える理由は皆無。

若さは強さ。 腕っ節がここではモノをいう。 怯えて決闘を受け入れる阿呆など、何処の世界に居るというのかーー。


「何もかもを使えばいい。 私もーー全力で殺させてもらうぞ! 機械兵ッ!!」 


 切っ先は地を這った。 大の男の腕程の長さの長剣を片腕で振るう腕は、得物をその様に扱う事の出来る事実で既に強靭。

両腕を折り失神させた男を捨て置き、神奈斗は確かに部隊長の眼を、視線を捉えたがーー速い。

邪魔な防護マクスを既に、踏み込んだ時に装着していたモノを脱ぎ捨て、露わになる自分よりも倍は生きている男の顔。

嬉々としてではなく、無慈悲に相手を無力化する軍人の眼は、快楽殺人者の悦んだ眼よりも、格下には恐ろしく映るものだ。

駆け抜けとも思える間合いの。 跳ね上げる右手の斬撃を見切る神奈斗は、気迫にではなく正真正銘の地力に引いた。

見切って尚も、刃に怯えていないが尚も、だからこそ躱して尚も彼は反撃を撃たない。

時に、手練の剣術は拳銃の無慈悲さと強力さを容易く超える鮮烈さを表すのだ。

 上体を伏せに伏せる神奈斗の間合いの詰めを潰す様に、その剣の軌道は縦横無尽に繰り出され続ける。

派手に、だが、決してブレない体幹から何発も放たれる斬撃は、回転の合間を縫う事が出来ない程に隙がなく速さがある。

太刀筋は手にする得物が業物でなくとも、肉を割き骨を割る勢いがあり、ならばやはり両刃の選択肢は当然なのだ。

紙一重の回避は神奈斗の欲張りな反撃の兆し。 右からの斬撃が抜けるよりも速く逆側から機械的な速度で襲いくる。


(踏み込むか!)


 間合いは既に無く、神奈斗は遂に刃に触れる事を選ぶ。

組み付くには遠く、打撃を繰り出すには手練の兵が相手では、こちらに軸を合わせているーー柄を鍛えた握力と腕力で止めるも、裂かれはしていないがそれでも腹に食い込む。

刃物で切り裂かれる痛み、そして耐えたところで確実に訪れる痛み以外の影響……凶器を知らぬ武闘家ではないから、これはまだ問題は無いと、神奈斗の脳が、経験が、細胞が怖気付くのを許さない。

瞠目に値する、達人を技術ではなく度量で超えた兵士。 行うは決闘。 故に名を聞くのだ。


「ヴィアリーズ私兵団長。 名はエレク・フォーガ」


 私兵団長エレクが神奈斗の拳を躱したのは、もはや本能がそうさせたと言える。

片方を止められたとはいえ、二刀流での苛烈な剣捌きは一刀であろうとも止まる事は無い。

だが、意識を回避に重きを置かなくてはならないのは、彼の顔面に向けた刺突を中断させなくてはならかったのは、やはりその目だ。

得物を持つ自分が、素手での戦闘術への恐怖などを湧かせたのは何年ぶりかーー。 ギリギリで見切り拳を放つには、あまりにも顔面という急所の密集する部位を晒すのは、言うは易し行うは難しという言葉を思い出す他ない。

剣を持っていたはずが、拳から逃げた事に、沸き立つ意欲は確実に悦びの類の感情であった。

再び仕切り直しの間合いにて、神奈斗は大事に至らない腹部の出血を撫でながら、そして構えた。


「神成神奈斗。 なに、取るに足らないーー」


 名を告げ、そして次は互いに距離を詰めると、双方が動くのだから先程とは比較にならない速度で互いの間合いに互いが踏み込む。

上半身は裸。 機械兵独特の武装精製の異能力ーー名称『機械信号メカニカルコード』を発動させていなかったが、不意に片目に入った飛び道具を受け一瞬だが反応してしまい、一瞬だが虚を突かれた現実は神奈斗に更に有利なタイミングを与えてしまう。

特殊繊維仕立て防弾仕様の部隊服の袖を掴むと、力を込めた拍子に腹の傷が一層血を吹いた。


「取るに足らぬ特殊兵部隊『アザー』の無能者。 それが俺だ!」


 剣を捨て、その防護服を脱ぐ事により投げから抜け出した時に見たのは先程と比べ異様に血が流れる傷口ーー自身の左目に入った異物は、触れれば生温かく滑り、思えば匂いは鍵覚えのあるあの液体であった。

自らの手負いの傷を、自らの手で傷付け、その血を目潰しへと使用するーーそして、エレクが悟るのは目の前の青年は少年兵と呼ぶには実力と執念が、青臭さを超える程に肥大化をしていた。

自身の傷口を、流血をこの状況下で利用する野心。 瞠目に値する執念。

鎮痛剤と止血剤どころか、包帯も準備出来ない場合にて抉り相手の視界を奪う選択……常人ならば狂人の類であるが、軍人ならば確かに正しい。

戦う人間が血を恐れるなどあってはならぬのだ。 戦う人間が痛みを恐れるなどあってはならぬのだ。

真に恐れるべきは『死』以外はあってはならないなど、当然ではないか。

 神奈斗が組み付いたならば、もはや彼の間合いだ。

回転を繰り返したエレクの剣捌きへの当てつけ、脚力に体幹の捻りを加えた至近距離での回し蹴りが、老兵の剣の速度を凌駕する。

塞がれた左側の死角からの一撃は、曲芸じみた蹴り技とは思えぬ重さであり、頭部へのダメージは揺らいだ残る視界を鑑みれば、重大だ。


「使い給えよ!!」


 だからこそ剣は捨てられる。

組み付く事を蹴りを浴びせられても放棄しないエレクは神奈斗の手首を取って離さない。

手首から肘を渡り、ケチのつかない一本背負い投げが、体格の不利な神奈斗の重い体を浮かせ投げる。


(逃さんッ!!)


 宙を舞う神奈斗は、顎に手が添えられた時にほくそ笑んだ。

不敵で不気味な劣勢での笑みは、受身を取らせない殺人的な技の中で現れる。

『殺人技』。 この概念は読んで文字の如く、その目的を遂行する為の技術である。

急所をへし折る関節技や急所を潰す打撃技、どれもこれも単純に、相手を無力化する事が結果として付随する。

同じ人間、同じ人体、脊椎動物としての生を自覚するならば……首を狙うのが生物の、殺しの性だ。


「……神成君。 君はーー」


 ーー来ない。 あの頭が落下した手応えが、それに続く首の折れる手応えが。

神奈斗の顎に添えられた掌底が、これ以上押し込む事が叶わない。

そうか。 そうだなとエレクは実感を湧くのだ。

自らの経験とキレのある技で、若き獅子を殺せるというのが甘えだったという実感。

屈強な男を確かにこの投げで他者を殺した経験はあった。 得手不得手の中の不得手も、人殺しの技術として昇華させた自信は、老いがもたらした恥ずべきモノであった。

神奈斗の太過ぎはしないが強靭な右の腕が、恐ろしく脈打つ血管を浮かせて、その受身を取らさない殺人的な投げを地面を押す事で打ち破っていた。


「獣か貴様ッ!!」


 道理に適う行動は、本能的な判断である。

欲深きはやはりそれは“獣”。 生に対する貪欲な執着心が突き動かし、思い付く限りの対処は、いくら取り繕っても行動が獣じみているのだ。

何の為に鍛え、そして覚悟を決めるのか……強さを求める為に必然的に、神奈斗自身が戦う男として生きる事を決めていたからであろう。

故にーー超えろ。 並から外れ、強さを求めろ。 血の小便を流してまで鍛えたのは、外敵からの防衛手段である。

戦え。 闘え。 生きる為に争うならば、人は強くなる以外に人としての矜恃を持っていないのだ。


「来いよーー臆病者ッ!!」


 

死を恐れたから生き長らえたのだろう。 自らの様な異能力を使わない相手を、まだ生かしているならば、所詮は歴戦。 歴戦止まりの強者など、恐るるに足らず。

もっと恐ろしい人間を……いや、人の皮を被った生物を……いや違う。

『異能力者』と呼ばれる生物兵器はこんなものでは無い。

破綻した思考で世界を目に写し、破損した人格は気色の悪い己の常識を疑わないーー。

見据えている敵が違うと言えば聞こえはまだ良いが、自覚していると思うから、人体被験を行った神奈斗は狂人の真似をする狂人である。

ならば、棄てた剣を拾う事よりもこんな化け物には更なる仕打ちを。

逆さ、片腕で体制を保つ神奈斗の頭部へと、エレクの基本に忠実な下段蹴りが炸裂する。

響く乾いた打撃音が、確かに神奈斗の頭部を捉えたと、傍観するヴィリアーズの私兵団員達に知らしめる。


「良い蹴りだ……がッ!」


 頭部を派手に蹴られようが、まだ、まだ終わらないのだ。

意識と視界が揺らぐが、考えてみろ。 現状この世界で、銃弾すら意に介さない連中の存在を、彼等と同等の破壊性を求めた神奈斗がこんな力比べで負ける事は、彼自身が許さない。

もはや、視界が定まらなくとも関係無いのだと言わんばかりに、蹴り足の戻らぬ僅かな合間に軸足を掴み、彼は捉えて膝の関節を極めに掛かる。

寝技をこの場で使う度量は、万一の失敗を完全に無視しており、だからこそ速い。

筋力でしか勝らない神奈斗が、体格で勝るエレクを倒すには搦手こそ最善であるが、何も脚を極めて折る等と生半可な手加減は行わない。

 神奈斗の殺意は剥き出しであった。

恐ろしい感情に対し、戦場に身を置けばそれを察知する感が研ぎ澄まされるというのは正しいと、また、現に正しかったと彼は思うのだ。

うつ伏せに倒れた彼の後頭部を狙う神奈斗は、現状から一番殺傷力の高い身体の部位を選択し、迷う事無く、迷いの無い頭突きを繰り出す。

人間の頭は硬い。 人間の頭は重い。 振り子の重りに見立て繰り出すヘッドバットーー鍛え鍛錬を詰んだ拳にも勝る人体の内にある強固な部位だ。


「ーーッ!」


 この背中を何か冷たいモノが這いずり回る感覚が、兵士歴三十年の彼に、十何年ぶりかの危機感を与えた。

背面を晒した時に吹き出た冷たい汗は、そして予感する神奈斗の攻撃法は予感の中でもぞっとするモノである。

そう、頭突きが来る。 エルボーの方が正確だが、重心を乗せた勢い任せのスピードは上だ。 正拳突きの方がリーチはあるが破壊力は此方が上だ。

予感で感じる危機感と焦燥感が、火事場的に超人的な反応速度と反射速度をもたらす。


「強いなぁ。 流石は隊長だ」


 体幹を捻りに捻り、エレクに今出せる最大限の速度と威力の肘打ちが神奈斗と顔面を切り裂く。

体幹の捻りも合わさり、神奈斗と頬に突き刺さる様に強烈な一撃となった。

頭部に続く正確に捉えられた打撃を受け、彼はやはりただでは離れないが、これ以上の追撃を行わない。

口の中に指を入れ、多量の血反吐を掻き出す合間があるのは、うつ伏せに倒されて尚も急所への一撃を受けなかった彼への当て付けか。


「……立つのかい?」


「格闘の訓練なら、立たんさ……ッ!! だが、これは決闘じみていても実戦だ」


 よろめく左脚に対して、力強く右脚が地を踏み締め、口から血を流しその血と共に折れた奥歯を吐き出す神奈斗へ、彼はそう言い放つと両手を引き何かで棄てた剣を引き寄せた。

事前に長剣の持ち手に仕込んでいたのは、暗がりでは全く見えない極細で高強度の糸はワイヤーの類いであるのだと経験則が察知し、神奈斗は構えないにしても意識は二刀と掴む逞しい手にゆく。

だが、いや、だからか。 片脚でも折られた今、先程の激流を思わせる剣戟はもはや不可能。

頭部へのダメージが幾分か和らいでも未だに揺らぐ神奈斗の視界は、此方へと真っ直ぐに向かう切っ先を視認した。

斬撃が飛翔する事は決してない。 ならば、そのものを投擲するのだ。

 長剣自体の重量と、特殊極細ワイヤーの強度とその長さは容易く遠心力を要いた速度を加速させる。

初撃は身を派手に翻し回避を成功させるも、手に掴み振るわれる太刀筋よりも神奈斗はその軌道を読む事が困難になる。

ワイヤーと長剣で模した擬似的な分銅鎖。 使い手との距離は、身を翻し躱された時に、更に片脚に渾身の力を込め間合いを離したのだろう。 初撃を放った時よりも目に見えて遠い。

そして、この武器はこういうのもだ……重い物体を括り、括ったワイヤーで回すと、もはや先端は目で追うなどというのは、人間では無理な話だ。


「躱すのだな。 術者の指を見れば、銃弾も躱せるというのはあながち嘘ではない噂の様だ」


 神奈斗は既に、眼に限界までの集中力を注いでいる。 

擬似的な分銅鎖を使うエレクの左脚は確かに、膝が折れているのは折った彼が理解している。

どれだけ刃を回避し体制を崩しても、もうこの男が常人ならば目で追うのがやっとの縮地からの斬撃は来ない。

ーー次でもう終わる。 神奈斗が危険度の高い波状攻撃から逃げ続け回復するのが早いか、致命傷を受けるのが先か。


(そう。 もう、君は駆け込むしか選択肢は無い)


 串刺しとなった右手は痛々しいのだが、確実な防御策であり、抜いては意味が無くなる。

掴むのが一番良いのだが、それは難しい。

骨と骨の間を抜け、肉と血管を貫く刃……遠心力任せの勢いは死ぬ事無く、しかし僥倖。 柄を捉え、もう決して神奈斗は離さない。

そしてもう一方も的から逸れずに切っ先が向かう。

狙われている部位が顔面だと見切り、上体を逸らすが、手練の経験則と技量は若さの上をゆく。


「それで良いッ! そうでなくてはッ!」


 エレクの読みは神奈斗の見切りを、それすらも見切った。

自身の手が、指がワイヤーに傷口を作られ様とも、引き寄せそれが顔面を串刺す一投で無い事を示す。

フェイントを感ずいた時には既に術中。 だが、もう右手を死なせた選択をした神奈斗は引く事は選ばない。

正面への投擲以外に、全てが刃で構成されていない剣という武装は、突き刺す事と切り裂く事以外を可能にするという事だ。

上だ。 上から来る。 柄にワイヤーを括り、上へと打ち上げられた軌道……下に引き込むエレクの腕の動きは、この様な武装では必然的に予知出来る攻撃法になる。

だが、これは、刀身が触れなくとも、確実に強烈な一撃となる。


(あぁ……痛い。 頭が破れそうだ)


 人外じみた速度で接近する神奈斗の脳天へ、長剣の柄は激突する。

刺さりこそしないが一帯に響く鈍い音に、待機を命じられた兵達は一同に、勝利の確信よりも痛々しさへの嫌悪を感じていた。

吹き出す鮮血。 呻きすら噛み殺す神奈斗の執念は、脚を止める事を許さないのだ。


「ぉぉぉおおおっ!?」


 そのエレク・フォーガの笑みは狂気に染まっている。

よくよく考えれば、こんな命のやり取りの最中に笑う事は確かに可笑しいのだろう。

しかし神奈斗が、この精々二十歳程にしか見えない若輩者が、ここまで死を賭し果敢な勇気を魅せる姿に、端的に興奮しているのだ。

無謀とは、無謀とはここまで人を駆り立てるのか。 恐怖とは、死への恐怖とはここまで自壊を促すのか。

頭部の傷が視界を赤く染めるまでの間に、遂にエレクの右手に剣は戻る。

それと同時に神奈斗は右手に根元まで突き刺さる一振を抜き棄てた。


(来るか? 来るか来るか?!)


 多量出血の右手の繰り出す一手……流血でのあの目潰し攻撃を予感するが、それは血みどろの手が拳を作った瞬間に杞憂に終わる。

折れた左脚が地を渾身の力で踏み、やはり剣とはこう振るうべきだと、この日初めて左右の手で握る。

銃はどこだ……いや、いやいや、これは間に合わない。

歓喜と、それに匹敵するは圧倒的危機感。 乱れるな乱れるなーーだかしかし、焦るのだ。

焦燥感を殺意に乗せるのだ。 殺意に冷静さに埋め込むのだ。 相見えるは狂人。


(ーーそうか。 なるほど……そうなのだな?!)


 神成神奈斗、『機械兵』に在らず。


「矜恃かッ?! 人間としてのッ!! 最後の矜恃か、神成神奈斗ォォォッ!!」


 振り下ろされた文句の無い一刀を、彼は向かい入れる。

交錯した拳と掌底は馬鹿な選択の結果なのか。

寒気立つ二人は、互いに同じ場所を見つめていた。 そして、直前に確かに響いた固く乾いた音は、確実に皮が裂け肉が斬られ、骨を立った音ではなかった。

カラン。 そんな金属的な音が静寂の間を割いた時に、エレクは表情を驚愕を感じているそれに豹変させた。


「折った……? 折ったのか?」


「はははっ、折れるもんだな。 震えが止まらない」


 乾いた笑いを漏らす神奈斗は、その体制のままに、拳と広げた掌底を崩さないままであった。

振り下ろされる絶命の一太刀に対し、白刃取りでなく掌底と拳で挟み折るという、達人的な対処は生き残りばかりの本能がそうさせる。

だが、その眼。 まるで知性を忘れてはいない獣。

忘れていたのは、やはり獣じみていてその感情は品性なのかーー。

殺伐を超えた死の間合い、折られて尚も、やはり刃は刃。

力を込めるよりも先に、エレクはこう断じる。


「死ぬには良い日だッ!!」


 加減は一切しなかった事が、死を受け入れる理由になる。

悔いが、未練が、諦めという美意識を腐らせ、いわばその美意識が彼をここまで生かせていたのだ。

もう良いッ! もう良いッ! さぁ、諦めの時間だ。

妻の顔も息子の顔も娘の顔も、勝ち得た階級も賞賛も金も、磨いた技術も、捨て去ったと思えた本能も!

全て、その全てを棄てる時が来たのだと、顎を突き上げる拳を感じてそう思うのだ。

『死ぬべき日だ』 『今日死ななければ私は後悔をする』

 決闘のフレーズに恥じぬ様に、殴られ仰け反った相手に神奈斗は追撃を緩めない。

齢十九。 成人には未だ及んではいないが、だが、やはり男性は大人よりも優先して成るべき存在がある。

自立した人間ではない。 優秀な優等生ではない。 金持ちでも、英雄でもない。

単純に『男』として、エレク・フォーガの首に拳浴びせ、落下と同時にその首を撃ち抜くように殴り、隙を突いた追撃と怪力によって折った。


「これで……あいつらの……元に……逝ける……はは……」


 死に顔を見た神奈斗があまりにもこの男が狡いと思うのは、きっと、この初老にもなる男がここまで自分を追い詰め、そしてこれまでの人生を満足気に終えた事に対する『男』としての嫉妬に違いない。

そして神奈斗もとうとう、その時を受け入れる。

銃口を再び此方へと向けた兵士団の者達が、竦む程に、朱に染まる彼が発現させた叡智、『機械信号メカニカルコード』は、彼の皮膚を突き破り、“刃”を、そして“羽根”を与える。

もう、不殺は達成出来なかった。 単なる人殺しが行うには尊い自己満足だったのだから、それを信念とするには彼にはまだ実力が足りない。


「ーーもう、いいだろう。 命を落としてまで、化け物の幼虫と戦ったこの男に泥を塗るな……ッ!!」


 『国軍機械兵団所属神成神奈斗三等兵。 国軍営軍事病院第一病棟地下ニテ、覚醒ヲ完了トスル。』

人間からの“羽化”を終え、しかし、斯くも人間社会とは野生の世界よりも鮮烈なのだろうか。

蛹の孵った柔らかいままの蝶が蟻の餌になる不運は、彼等の不幸には到底及ばない。

戦わなければ生き残れないというのは好機かなのか、破壊性の力を得る事は優しい世界なのか。

ーーそんな理屈、その通りだろうと思わない人間もいるだろう。

戦わなければ生き残れないという事は、生きる為には戦い続けなればならない事を義務付けられたという証明なのだ。

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