グラフィアス 1/5

「仕事よ」

 ライカさんが短く告げました。

「地引き網に引っ掛かったメトロが、水揚げと同時に再起動して暴れ出して、当局から撃破要請が出ているわ。場所はメナムの河口西岸」

「数と個体名は?」

 エナさんが真剣な顔をして確認します。

「数は1。個体名は確認中」

「首都に近いな。【チェンメイ】はどうした」

「整備中よ。戦えるようになるまで早くて30分かかるわ」

 後でわかりましたが、チェンメイさんとは国王軍のメトロポリスだそうです。

「わかった。行くぞシャッテン。久々の本業だ」

「ああ。やれやれ、せっかくの歓迎会も水入りだな」

 それは私の歓迎会の最中の出来事でした。

「歓迎会はやり直せば良いわ。それよりも今は、市民の取り返しのつかない命や怪我を少しでも減らすようにすることが先決よ」

「ははは、オレたちも取り返しのつかないことはあるけどな」

 エナさんは呑気に笑いました。

「シャッテン、今日は留守番していてちょうだい。サジィは別途市街へ。怪我人に備えて」

「なに? 私が留守番?」

「エナと私が出るわ。あとセラさんも」

「おいおいマジかよ。ライカが来るならオレの出番も無ぇじゃねーか」

「エナには働いてもらうわ。セラさんは見学。私はその護衛。いざとなったら参戦する」

「えっ、あ、あの、戦闘、ですか……?」

「そうだぞ新入り。初日からとは運が良いな」

「エナ、遊びではないのよ」

「いざとなったらお前がいるんだろ? なら遊びみたいなもんだ。信じてるぜ☆」

「ダイヤモンドスター、ヘリの用意を」

「無視かよ!」

 天井のスピーカーから声がしました。

『50秒で離陸できます、ライカ』

「さすがね。エナ、準備して。一分後に離陸するわ」

「おうっ」

 エナさんは自室へ走っていきました。

「あの、ライカさんは戦わないんですか?」

「基本的には、壊れてもいいメトロが戦うことになっているの」

「こ、壊れてもいいって……」

「所詮は旧式の戦力よ。人間からしたら、全てのメトロをメトロポリスに置き換えたいところでしょうね。安全性も段違いだし」

「人間の……」

「もちろん私は、エナが壊れてもいいなんて思っていない。けれど、私がどう考えているか、ということと、組織がどう考えているか、ということは、必ずしも一致しないわ。あと、私があまり戦わないようにしている理由は、火力が高すぎて使いどころが難しいからと、壊れた場合の修理費が高額過ぎて、うっかり破損するわけにもいかないからよ。場合によってはこのメトロポリタンが破産しかねないもの」

「高額……なんですか?」

「だいたい手首より先の部分だけで、ダイヤモンドスターを3人は作れるわ」

 高すぎでは?

「それで、あなたも準備は良い?」

 準備といわれても、正直何が必要で、何が不要なのかすらわかりません。ただうろたえるばかりです。

「え、えっと……どうすれば……」

「覚悟よ」

「え」

「覚悟は良いかしら」

「……」

 日本を発ってからどのくらいの時間が経ったでしょう。

 日本での私の引退が確定してから、どれくらいの時間が経ったでしょう。

 その兆しが見えてから、しかし向き合うことを避け、目の前の仕事に没頭してきました。引退が決まってからも、最後の日まで頑張ろう、少しでも多くの人を救おうと、必死に駆けずりまわってきました。

 多くの人に惜しまれる喜びと、それでもあの場所にはいられなかった悲しみが、今でも胸に去来します。水を操る私でも、あの日流した涙を止めることはできませんでした。たとえ私がいなくとも、あの場所はきっと、これまで通り何とかなるのだろうということが、寂しくもあり、しかし安心している自分がいます。

 この国へ発つまでの数十日はとても手持無沙汰で、自分の部屋で一人でいるのが、なんだか夢のような気がしていました。外で聞こえるサイレンに思わず立ち上がりそうになりましたが、すぐにまたベッドに体重を預けることが何度もありました。

 ベッドの上で目を閉じて、たくさんのことを考えました。

 考えて、考えて考えて――。

 幾度もの覚悟を重ねて、私はここに立っています。

「はい」

 ライカさんを真っ直ぐ見つめて、はっきりと答えます。

「覚悟は、できています」

 するとライカさんは、ほころぶように微笑みました。

「ふふ、少し不安そうだけど、良いわ。行きましょう」

 ちょうどそのころ、エナさんがベストを身に着け、それからブーツを履いて戻ってきました。

「おっ? どうした新入り。急に良い顔になってるじゃねぇか」

「し、新入りってやめてくださいっ。せせらぎって名前がありますからっ」

「あんまり気張るなよ新入り。戦場じゃあ英雄になろうとした奴から死んでくんだぞ新入り」

「ですからっ」

「くだらんコト気にしてないで行くぞ新入り ―― 今まさに助けを求めている人間ヤツラがいるんだからな」

「!」

 現場では一分一秒を争います。

 その一秒をつかみ取れるか否かが、誰かの命を救えるか否かを分かちます。

 冗談なんて言ってる場合じゃないって、私が言っても良いくらいでした。

 鈍っている証拠です。

「きゅ、急に真面目なコト言わないでくださいっ」

「うはは――それから、あんま心配すんなよ」

「へ……?」

「みんなのことは、オレが守る。守ってきた。守ると決めた。決めた」

「!」

「もちろん、お前も守る」


 トン。

 エナさんが、私の胸に拳を軽く当てました。

「お前もそう思ってきたんだろ? ならオレの気持ち、わかるだろ?」

 それはもう遠い昔、原初の記憶の出来事です。そしてそれは、誰かに植え付けられた心情なのかもしれません。

 ですがその気持ちはまだ、私の中に確かにたぎっています。

 だからこそ、私はここにいるのです。

 そしてもしかしたら、エナさんも……。

「ヘリは庭だ。走るぞ!」

「あ、は、はい!」

 突然真面目になられると調子が狂います。

 認めたくはありませんが、今のエナさんは、少し、何というか、その……かっ、かっこいい……と、不覚にも思ってしまいました。精霊炉の回転数が少し乱れたような気がします。

 普段はあんな感じなエナさんですが、任務に在っては例外なのかもしれません。

 第一印象は無茶苦茶でしたが、考えを改め――。

「よーし! じゃあヘリまで競争な!」

「……」

 少し見直しそうになった私がバカでした。


 

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