第20話-B 痴話喧嘩の裏側


『わたしたちが考えなければならない問題は、結局のところ一つです』


 災害回線で繋がった通話器越しにアンニカが言った。


『すなわち、神代のAI《ペイルライダー》は、レイヤ様を宿主とする前は誰を依り代としていたのか? 人体操作魔術の魔術言語は、その誰かから抽出する以外に入手する方法がありません』

「誰かを宿主にしていたのは間違いないんだね?」

『間違いないと思います。神代の出自とはいえ、AIを動かすには魔力が必要でしょう。霊子結晶をエネルギー源にすることも可能とは思いますが――』

「行動がかなり制限されそうだね。霊子結晶の傍から動けなくなっちゃうわけだから。結局は誰かに取り憑いて体内魔力を使わせてもらうほうが便利ってわけだ……」


 つくづくAIと呼ぶにはオカルトじみた存在だ。まるで亡霊である。


「病院で読んだレポートによれば、《ペイルライダー》は記録媒体に保存されていたんだよね。ってことは、宿主はそれを肌身離さず持ってるってこと?」

『いえ、それはどうでしょう。AIなのですから、結局は一個の魔術言語――データでしかありません。別の媒体に乗り換えることだってできるはずです。それこそネット回線に乗って移動することだって』

「ああ、確かにそうだ……。ってことは、足取りを追うのは相当難しいぞ……」

『思考の焦点を絞りなさい』


 アンニカの口調は、まるで教師のようだった。


『レイヤ様を宿主とする以前の《ペイルライダー》の最後の足取りは、例の病院――モーテンソン・クリニックです。要はその間を繋ぐ空白、ミッシング・リンクを見つければいいのです』

「簡単に言うなあ……。とりあえずあのとき見たレポートを開いてみるよ」

『……ちゃっかり保存していたんですね』


 バックアップを取るのが癖なのだ。

 マーディーは情報端末ブラウニーを手に取り、『自律式医療魔術臨床実験』のレポートを開く。


「……一番始めのレポートの日付は大体7年前。最後のレポートの日付は2週間前――病院が火事で閉鎖される5日前だね」

『つまり、2週間前までは、《ペイルライダー》はモーテンソン・クリニックにいたんですね?』

「そうみたいだ。《ペイルライダー》がいないとネクロキメラの製造は立ちゆかないからね。……最後のレポートの4日後にレイヤさんが入院するわけだから、もしかしてそのときに取り憑かれたのかな? 病院のシステムは精霊管理室を介して全部繋がってるわけだから――」

『いえ、ちょっと待ってください。……そのレポート、何日ごとにアップされていますか?』

「え?」


 マーディーは保存できた限りのレポートを開いてみて、その日付を確認していった。


「……全部のレポートを持ち出せたわけじゃないけど、3日間隔だと思う。たぶん7年間休みなし。マメだなあ……」

『おかしいです』

「……へ? 何が?」

『最新のレポートが、火事が起こる5日前。3日間隔で更新されているレポートが、です』

「あっ!?」


 レポートがひとつ足りない。

 モーテンソン・クリニックの精神科病棟で行われていた研究が、火事による病院の一時閉鎖で終了したのだと考えると、火事の2日前のレポートが最新でなければおかしい。だがそれが存在しない。


「これって、いったい……?」

『素直に考えれば可能性は二つあります。ひとつ、最新のレポートだけ削除された。ふたつ、火事の5日前から2日前までの間に、研究の続行が不可能になった』

「あっ――《ペイルライダー》がいなくなった!?」

『その可能性が高いと見ます。最新レポートだけ削除するくらいなら、全部消してしまいそうなものですし』


 火事の2日前までに、《ペイルライダー》がいなくなった――


「ちょ、ちょっと時系列を確認してもいい?」

『ええ。必要な工程だと思います』


 マーディーはメモ帳アプリを開き、判明した時系列を書き込んだ。


 14日前:ネクロキメラ実験最新レポート

 14日~11日前:ペイルライダー失踪

 10日前:レイヤ入院

 9日前:火事

 2日前:デリック、リリヤ、病院へ

 1日前:マーディー、アンニカ、病院へ

 今日:四連続テロ


「あっ!」


 自分でまとめた時系列表を眺め、すぐに気付いた。


「レイヤさんが入院したときには、すでに《ペイルライダー》は病院にいない……!」

『そうです。ですからレイヤ様が《ペイルライダー》の宿主になったのは入院した際とは考えにくい。あるとしたら

「その前――」

『もうひとつ目立った出来事があったでしょう。ちょうど《ペイルライダー》が失踪している間に』


 レイヤが倒れて入院した日は、確かデリックとリリヤが仲直りデートをした日だったはずだ。

 そして、なぜ仲直りデートが必要になったのかと言うと――


「……まさか、あの浮気メール誤送信事件?」

『トークアプリに通信障害が起こっていた事件です。タイミング的には、レイヤ様が憑依されたのはそのときとしか考えられません』

「そうか……。通信が繋がらなかったり、変なIDからメッセージが来たりってことが、あのときは頻発してた……。そのどさくさに紛れて、《ペイルライダー》はレイヤさんのブラウニーに入り込んだ!」


 今時のブラウニーのスペックなら、《ペイルライダー》を稼働させる演算装置としても充分だ。


『となれば、怪しいのは犯人です』

「犯人?」

『あの通信障害は、ハッキングによる人為的なものだったそうです。猛るリリヤ様をお鎮めするため、わたしが集めた資料が寮の部屋にあります。暗証番号を教えるので、鍵は寮監室から調達してください』

「えっ? 天女の家ヴァルキリー・ハウスに――女子寮に入れってこと?」

『その男らしさの欠片もない顔なら大丈夫でしょう?』

「棘があるなあ……。そんなことしなくてもネットで調べれば――あっ」

『今は使えませんよ』

「ああもう、わかったよっ!」


 マーディーは通話器を持ったまま機械魔術研究室を飛び出した。

 開き直って堂々と天女の家ヴァルキリー・ハウスに入ってみると、本当に意外と見咎められない。男としては少し悲しくなった。

 さすがに寮監室に忍び込むときは緊張したものの、通話越しのアンニカの指示に従い、首尾よく鍵を入手。満を持してアンニカの部屋に入る。


(ああああ! 甘い匂いがするぅー……! 毒舌チビメイドのくせにぃぃぃ……!!)


 鼻で息をしないようにしながら、飾り気のない部屋を見渡した。


「資料ってどこにあるの?」

『棚の引き出しです。……おかしなところを開けないように』

「わかってるよ――」


 と言いながら適当に引き出しを開けると、ブラジャーの海だった。


「うぅっ……!?」

『どうしました?』

「な、にやんでも?」

『どうして鼻声なんですか?』


 危うく鼻血を垂らしそうになってしまった。

 ……どうしてこんな、ちょっと派手でエッチな下着ばかりなのか。いつも澄ました顔をして、服の下にはこんな風だったのか。制服とメイド服ばかりだから、見えないところでしかオシャレできないということなのか。そういうことなのか。というかサイズがすごい!

 勝手に脳裏に過ぎるアンニカの下着姿を必死に打ち消しつつ、別の引き出しを開けた。


「紙がいっぱい入ってる。これ?」

『それです。手前のほうにあるはずです』


 それらしき資料をざっと手に取り、床の上に広げる。


「……あった。通信障害についての調査報告」

『犯人についての記述は4ページ目だったかと』

「結構すごい量だなあ……。ええと、犯人は医師の男――」

『ああ、やっぱり。記憶が曖昧だったんですが……』

「――勤め先はモーテンソン・クリニック……!?」


 ビンゴだ。

 ネクロキメラ研究の関係者に違いない。研究中に《ペイルライダー》の宿主にされたのだ!


「こいつを見つけ出せば、人体操作魔術のマギグラムが手に入る……!」

『今は逮捕されて留置場にいるはずです。どこの留置場ですか?』

「エドセトア14番天見隊舎――14区の東のほうだ」

『黒死病魔術の感染圏内ですね……。わかりました。わたしが行きます。あなたは研究室に戻って――』

「いや、僕も行くよ。そっちのほうが効率的だ」


 通話器の向こうのアンニカは、しばらく沈黙した。


『……聞いていなかったんですか? 黒死病の感染圏内だと言ったでしょう』

「わかってるよ。それでも行くって言ったんだ! このまま間に合わなくても、結局みんな感染するんだろ!?」


 はあ、と溜め息が聞こえる。

 わかりきっていたことがやっぱり現実になったときのような、それは諦めの溜め息だった。


『……わかりました。迎えに行きます。わたしが体内魔力を融通してあげなければ、あなた、すぐに倒れてしまいますからね』

「あ。……ご、ごめん」


 他人に魔力を融通する、というのは、裸を見せるような恥ずかしさを伴うものだ。それをアンニカに強制してしまった。


『いいですよ。四の五の言ってはいられません――見せますよ、裸くらい』

「えっ? ほんとに?」

『………………………………いやらしい……』

「――あっ!? い、今のはちがっ……! 違うってばぁーっ!!」

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