第18話 かつて宿敵の婚約魔神


「……あっは」


 ペイルライダーの喉の奥から、笑みがこぼれた。


「あは。はは。ははは! ははははっ!! …………………………い~~~~~~~っみわかんない」


 昏い洞のような瞳が、デリックとリリヤを見据える。


「殺すの? 守るの? どっちなの? 好きなの? 嫌いなの? どっちなの? 意味不明なんだけど? わけわからないんだけど? にはわからなくていいってこと? 自分たちだけわかってればいいってこと? はっァああああ~~~~~~~~~~~~~っっ????」


 演技めいた挙動が剥がれ、裏から溢れ出したのは、空気が揺らめいて見えるほどの果てしのない怒気だった。


「気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い! なにカッコつけちゃってんの? なに自己陶酔しちゃってんの? 恥ずかしくない? 穴に入りたくならない? あとで思い出して悶絶したりしないわけ?

 まったく理解できない。これっぽっちも共感できない。頭おかしいんじゃないの? 絶対友達いないでしょ。引くよ正直。付き合い方考え直すよ。ほんっとキモい―――」

「そろそろいいか?」


 デリックは呆れて嘆息する。


「まるで人工無能ボットだな。ネットで探してきたような罵倒語ばっか並べ立てやがって。人を貶した経験が少ないのが伝わってきて、逆に好感を抱いちまうぜ」

「…………っっっ!!!!」


 ペイルライダーは借り物の顔を真っ赤にした。

 瑞々しく熟れたトマトのようにも見えたし、噴火寸前の火山のようにも見える。

 そして、そのどちらにせよ、早晩爆発することに変わりはなかった。


「『本音』なんてないって? 『素顔』なんてないって? 大嘘こきやがって――『口下手だからうまく話せません』の間違いだろうが、馬鹿野郎」

「…………うるさい」


《ホース・シュー》が動いた。

 両手に巨剣を持つ怪物じみた人型兵器が、その両方の手を振り上げた。


「うるさい、うるさい、うるさい……っ!!」


 あの剣はおそらくアンチドラゴンブレード。エルフィアの伝説級精霊を力尽くでぶった切るために作られた兵装だ。

 人の身で受ければどうなるか、想像するまでもなかった。


「――――うるさいッ!!!」


 デリックは動かない。

 正確には、動けない。

 ここまでの道中、救急車の中で手当ては受けた。血は止まったし、かろうじて傷口も塞がった。

 しかし、そこから侵入した《駆け広がる病害の馬ペイルライダー・パンデミック》のウイルスだけはどうしようもなかった。


 熱に浮かされた頭は、まともに喋れていたのが奇跡に思えるほどぼんやりしている。

 手にも足にも力が入らず、今にも膝が折れそうだ。

 気力だけでかろうじて意識を保っているような状態で、それでもデリックはリリヤを助けに入ったのだ。


(やべえ。かっこつかねえ)


 迫る巨剣を前にしてデリックが思ったのは、それこそ格好のつかないことだった。

 あそこまで大見得を切った直後に、実は熱があって動けませんとは言えない。言えないのだ。そこは男として譲れない部分である。


「バカっ!」

「んぐおっ!?」


 幸い、プライドと心中することにはならずに済んだ。

 後ろにいたリリヤが、デリックの首根っこを掴み、振り下ろされる巨剣から救い出したのだ。

 彼女は風の魔術で人型兵器から大幅に距離を取ると、デリックの顔を上から覗き込んだ。

 それから、額に手を当ててくる。

 ひんやりとして気持ちよく、思わずうとうととしてしまった。


「……やっぱりね。あなたも感染してるんじゃない」

「……うるせえ」

「体温が41度もあるくせによく口が減らないわ」


 リリヤはドレスの中から小瓶を取りだした。何かの液体がちゃぷんと揺れる。

 デリックは淡く笑った。


「……毒薬か。絶好のチャンスだからな」

「違うわよバカ! ほら!」


 リリヤは小瓶の蓋を開けると、自らその中身を呷ってみせた。

 毒薬じゃない? だとしたら一体――

 と、怪訝に思った瞬間だ。

 リリヤの顔がぐっと近付いた。


「んっ? ……んぐーっ!?」


 唇に柔らかい感触が触れた、と思った直後、液体が口の中に流れ込んでくる。

 唇を離そうとしたが、顔をがしっと掴まれた。吐き出すこともできなくなり、流し込まれた液体を嚥下する。


「ぷはっ……」


 ようやくリリヤの唇が離れるや、デリックは慌ててずりずりと距離を離した。


「ばッ……! おまっ……! は、初めてだったのに……!」

「ちがっ……い、医療行為でしょ!?」


 リリヤに顔を真っ赤にしながら言われて、ようやっと気付く。

 身体がだるくない。熱くもない。脇腹の傷口を中心に広がっていた腫れも小さくなっている。

 そのうえ、じくじくとした傷口の疼きも緩和されていた。


(即効性の治療用ナノエレメンタル霊子液……)


 エルフィア人が使う秘薬みたいなものだ。それを飲ませて傷を治すと共に、魔力を流して霊子経の中を洗浄してくれたのだろう。その割には顔がまだ熱い気がするが。


「……なんで、助けたんだ?」


 ぽつりと、視線を合わせないまま訊くと、リリヤもまた、ふいっと明後日の方向に顔を背けた。


「別に。……あなたを殺すことなんて、やろうと思えばいつだってできるもの。それよりも、アイツを――私の大切な妹に手を出したアイツを叱りつけてやるほうが、先決だってだけ」

「はん。いつだってできる、ね。そうかよ」

「まあ、それに一応――」


 くすっと悪戯っぽく笑い、リリヤは意味ありげな流し目をデリックに送る。


「今は、まだ、とりあえず、誰かさんのオンナですし?」


 うげえ、とデリックは頭を抱えた。


「……熱に浮かされながら言ったことを……」

「ふふふ。一生使えそうなネタを手に入れたわ」


 キュイイイン、という駆動音が聞こえた。

 人型兵器の巨剣が、勢いよく地面を割り砕く。

 しかし、そのときにはすでに、デリックもリリヤも離れた位置に移動していた。


「どうやら、お楽しみは先になるようね」

「無限に先延ばしにしてやる。義理の妹に泣きついてな!」

「情けないとは思わないのかしら、この婚約者」


 かつて魔神だった少年と。

 かつて魔神だった少女は。

 ビルにも等しい巨大兵器に、肩を並べて対峙する。


 無数に犇めくカメラのレンズが爛々と輝いた。

 2本もの対竜ブレードが轟然と大気を割った。

 魔神でもなければ失神して然るべき光景に、二人は一歩たりとも下がることはない。


 言葉はなかった。

 ただ、雷と風が荒れ狂った。


 雷の弾ける音、空気が唸り吼える音。

 その両方が消え去った後には、絶対的存在として君臨していた鉄の偉容もまた、地上から消え失せていた。

 一瞬の間は、現実を認識する猶予だ。

 あの巨大兵器はどこに行ったのか。地面にでも潜ったのか。あるいは姿を隠す機能でも持っていたのか?

 否。


 ――銀髪の少女の背後に、黒焦げになった鉄屑が、ばらばらと雨のように降り注ぐ。


 それが、成れの果てだった。

 パーツのすべてを電熱に焼かれ、外装のことごとくを風の刃に細切れにされた、その鉄屑が、巨大兵器の成れの果てだった。


 もはや魔神ではない少年と。

 もはや魔神ではない少女は。

 帯電する魔術機剣と、風を纏う五体の精霊を差し向けて、一人残った少女に通告した。


「そろそろ返してもらおうか、ペイルライダー」

の、大切な妹をね」





「…………っ!!」


《ホース・シュー》の残骸を背後にして、ペイルライダーが紅潮した顔でこちらを睨みつける。

 なんだか、玩具を取られた子供のような表情で――涙すら滲ませているように見えるのは、デリックの気のせいか?


「……あー。そういうことか」


 唐突にリリヤが納得の声をあげた。


「は? 何がだ?」

「誰が一番悪いのかはっきりしたのよ」

「なに!? 誰か黒幕が!?」

「あんたよ、鈍感バカ」


 はあ? と怪訝に眉を寄せるデリックを無視して、リリヤは自分の唇に指を触れさせる。

 その唇を意地悪く三日月にして、ペイルライダーに言った。


「いいでしょ。いつだってできるのよ?」

「――――ッ!!」


 ペイルライダーの髪がざわりと浮き上がり、リリヤはけらけらと楽しそうに笑う。なんだかわからないが悪役の笑い方だった。


「……後悔しないでね」


 と、少女が少女の声で言った。


「絶対に後悔しないでね――これはあなたたちが選んだことなんだから」


 ブルンオオン、というエンジン音がした。

 どこからか猛然と、シャープなデザインの赤いスポーツカーが走り込んでくる。それはけたたましいブレーキ音を鳴らし、ペイルライダーの傍に停まった。

 運転席に人影がない。


「チッ……! 自動運転システムか!?」

「は? ドワーフィアってああいう普通のやつも『こんぴゅーたー』任せなの?」

「最近はな! 普通はハッキングなんかできねえんだよ!」


 デリックたちが追いかけようとしたときには、ペイルライダーはスポーツカーに飛び乗っていた。

 法定速度を軽やかにぶっちぎり、スポーツカーは記念公園を飛び出していく。黒いブレーキ痕とタイヤの焼けた匂いだけが後に残された。


「追いかけるぞ!」

「どうやって!?」

「心配すんな。ちゃんと持ってきてる……!」


 ヴォルトガ弐式が電波を発する。――『ここに来い』。送るのは単純な指令だ。

 ウウウン――と静かな唸り声を漏らしながらやってきたのは、デリック愛用のバイクうま


「えっ? あの機巧馬って……」

「オレの自作だよ。ヴォルトガ弐式のオプションのひとつだ!」

「え? ……ええ!? あれがその剣の一部ってこと!?」


 目を剥くリリヤを尻目に、デリックはバイク――ヴォルトガ弐式オプションアタッチメント《雷動式キャヴァリー・ホイール Ver.3.3》に飛び乗った。


「乗れ!」

「いや、それ、普通の道走らせちゃいけないやつなんじゃないの……?」

「言わなきゃバレねえ」

「……ああもう!」


 リリヤも後ろに横座りになって腕を回してくる。

 ヘルメットを着けている時間はない。


「飛ばすぞ! 落ちるなよ……!」

「誰に言ってるわけ!?」


 ヴォルトガ弐式本体を車体横のホルダーに取り付け、ハンドルを全力で捻った。

 結晶油エーテル・オイルから抽出された魔力がマギグラムに従って電力に変換され、機体全体に巡る。

 雷雲に似た唸り声と共に、キャヴァリー・ホイールは機体内部から紫の光を放った。

 こいつの咆哮は、エンジンが放つそれではない。

 ホイールが地面を蹴る瞬間に弾ける、怪鳥ガルーダのさえずりにも似た擦過音だ。


 電光が奔る。

 空気の壁に激突し、一瞬で突き抜ける。

 あらゆる背景が置き去りにされた。


 記念公園を瞬く間に飛び出して、ハンドルを操る。

 他に走っている車はない。誰もが未曾有の病害に右往左往している最中なのだ。

 そのおかげで、道路の先に消えようとする赤いスポーツカーをすぐに見つけることができた。

 リリヤがぎゅっと背中にくっつきながら喚く。


「は、速い速い速い! 前より速いんだけど!」

「お偉方に監視されてるデートで法定速度ぶっちぎるわけねえだろ。幸い今のエドセトアは無法地帯だ。思う存分ぶっ飛ばすぜ!」

「きゃあああああっ!!」


 文句を言う割に声色は楽しそうだった。

 放置された車や馬車をビュンビュンかわし、赤いスポーツカーを追いかける。

 速度も小回りも明らかにこっちが上だ。すぐに追いつけるはず……!


「ん……!?」

「どうしたの!?」

「あいつ……ハイウェイに入ったぞ? どこまで行く気だ?」


 高架の上に駆け上り、料金所を強引にぶち破るのが見えた。

 デリックたちもまたアスファルトの道路を駆け、破られた料金所を通過する。


「まさかエドセトアの外まで行く気……?」

「いや違う。このハイウェイはエドセトアの外から内に向かっていくやつだ。ただ外に出るだけなら正反対――」


 ハイウェイの向かう先に視線を投げ、デリックは息を呑んだ。


「――エドセトア・タワー……!」


 五族融和都市エドセトアの中心に聳える、現代的なデザインの塔。

 高さ666メートルを誇る世界最高の建築物でありつつ、その先端に立つ長いアンテナには実際的な役割が与えられている。


「マズい……マズいぞ、あそこに辿り着かれたら……っ!」

「えっ? どういうこと!? 説明しなさいよ!」

「エドセトア・タワーはただの塔じゃない! だ! 霊子回線で世界中と大量の情報を送受信している場所!」


 息を呑む気配が、背後から伝わってきた。


「霊子回線でやり取りされる情報――すなわち魔力」


 悠々と聳え立つランドマークを見上げながら、デリックは奥歯を噛み締める。


「もし、あの塔を使って世界中から魔力を集めたら――今度は神代魔術の発動程度じゃ済まない。完全に蘇るぞ! 《駆け広がる病天のペイルライダー》、《七天の魔神》の一角が!!」

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