30代。日々の出来事。良識派。

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我が家路


検診などで同年代の赤ん坊が大勢集まる場所に行くと、たいていみんな一斉に泣き出すのだという。


一人の泣き声がすると、それに反応して連鎖していくのだ。


「みんな泣いていたよ」と妻が言った。




「みんな泣いていた」とは、穏やかではない。


大勢の人間が一同に泣く場面など、強い悲哀と嘆きに満ちている。




なぜ赤ん坊は泣くのだろう、と俺は考える。


それは混乱だろう、と俺は思う。


経験と秩序と論理が決定的に不足しているがゆえに、あらゆる場面で戸惑うのだ。




この世に生まれて30年が経ち、だいぶ勝手がわかってきた俺でさえ、未だにそういうことはある。


理解を超えた初めての体験に、何が何だかわからず、戸惑って、泣きたくなる。


そんな時、慣れ親しんだ何かが恋しくなる。


慣れ親しんだどこかへ帰りたくなる。




何もかもに戸惑ってばかりの我が子は、それと同時の俺の家でもある。


いつも泣いたり笑ったりしている、その忙しい場所が、我が家だ。


もっとも無知な我が子に向けて、俺は家路をたどる。




いつも必ず自分を受け入れてくれる人と、場所。


裏を返せば、俺がいつもその人と場所を受け入れているということだ。


それは決して簡単なことではない。


世間の通説でよく言われることであり、俺の直感もそう告げていて、俺の信じる科学の説もそう言っているから、ほぼ真実だと俺は受け止めている。


いつも必ず誰かを受け入れることは、簡単ではない。


しばしば「無条件の肯定」のように言われることもあるが、俺はそれが「無条件」ではないことを知っている。


いつだってそこには条件が付いているから、生きることは厳しく、難しい。




赤ん坊たちは、よく知っている。


自分たちが、決して甘くはない世界に生まれ落ちたことを、知っている。


甘くはないから、価値があるのだ。


決して簡単なことではないからこそ、その尊さに惹かれて、俺は共に生きたいと望むのだ。


あなたの行く末を、俺は見守る。


可能な限り、手を貸す。




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