2.サマータイム

Summertime and the livin is easy

今は夏 生きるのはたやすい



焼きつける陽射しに照らされて、息も出来ないほどに熱くなった空気。

ダグが先に立って、街の奥へと歩いていく。

「もう夏は終わったものだと思っていたけど」

サラが、前方を行くダグに叫んだ。

「本当にマスクはいらないのかい?」

ダグが立ち止まって叫び返す。

「この街に住みついてどれだけになると思うの? もう慣れっこよ」

追いつきながらサラが応える。

「ふーん、それならいいんだけどね。“丘”の近くまで、しかもこんな暑い日に行ったことはないだろ」

また、あのいたずらっぽい笑顔を見せながら、一人だけマスクをつける。




トタンや板張りの掘っ立て小屋がどこまでも並ぶ道。

小屋の中に寝転んで、外を見つめている目がいくつもある。

こんな日に外を出歩く二人を馬鹿にしているかのようだ。

進むに連れて、“丘”が次第に大きくなってくる。

不法投棄の丘。

この街は実際には街ではない。

いや、正式には街ではないが、実際には街になってしまっていると言ったほうが正確か。

元々は単なる砂漠の中の不法投棄の丘だ。

夏になれば匂うが、何が匂っているのか知れたものではない。




声を出すのもやっと、という感じでサラが話しかける。

「さすがに我慢できなくなってきたわ。マスクを貸して」

「え、いらないっていうから置いてきちゃったよ」

ダグは、何をいまさら、という顔。

「ダグ、暑いのとクサいので私はいま余裕がないの。ふざけるのはやめて、さっさと渡してちょうだい」

「もう慣れっこだって言ったのは君だよ」

楽しそうにサラを見つめている。

「わかった、私が間違っていたから、そのニヤニヤ笑いをやめて、さっさとマスクを渡して」

飽きあきした、という顔でサラが繰り返す。

「でも、なぜかさっきパンツの中にしまっちゃったんだ」

と言いながら、ダグは本当にパンツの中からマスクを取り出してみせる。

「嘘でしょ? なんでそんなことするの? 信じられない。私もう帰るわよ。」

「大丈夫だよ、あの“丘”に行くことを考えたら、俺のお尻は清潔さ。おいで、ほらマスクをしてごらん、ずっとラクになるから」

「イヤよ、絶対。ラクにならなくてもいいわよ。帰るから。」

「君が言い出したのに。俺の仕事場とガラクタを見てみたいって。ほら、とりあえずさわってみてごらんよ。汗で濡れているとか、匂うとかそういうことじゃないんだから。清潔だろ?」

サラはマスクを手にとって、恐るおそる匂いをかいでみる。

「確かに汚い感じはしないけど。あなたの今しているマスクを私がつけるのではダメなの?」

「これは俺の息と唾液ですっかり湿っているよ。君がこちらのほうがいい、って言うならそれでもいいけど。」

「どうやら、こっちのほうがまだマシのようね。つけちゃうわよ」




サラがマスクをつけたとたんに、おかしくてたまらないというふうにダグが笑いだす。

「君って本当に間が抜けたところがあるよね。そんなマスクはいくらでも手に入るのに、わざわざ俺のパンツに入れたやつをつけるなんて!」

「ちょっと、それはどういうこと?!」

サラはマスクをはずしながら叫ぶ。

「ほら、まだここにもマスクはあるよ」

と言って、ダグはバッグから取り出してみせる。

「ダグ、あんたって本当にサイテー男ね」

サラは信じられない、と目をグルッと回してみせる。

「私ったら、なんでこんなところに来たのかしら。さっさとそのマスクを渡して」

「まぁいいじゃないか」

ダグはマスクを渡す。

「お互い、パンツの中を知らない仲じゃないんだし」

「やめて、クソおとこ!」

と言いながらサラはダグのお尻を蹴り上げる。

そのまま一人で先に歩いていってしまう。

「へい、このあたりで迷わないほうがいいぜ」

ダグの声を後ろに聞きながら、どうしたんだろうとサラは思う。

こんな見え透いたやり取りに、付き合う私ではなかったはずなのに。

「ねえちゃん、いいケツしてるよ」

とサラのお尻を叩きながら、ダグが追い越していく。

こんなことで笑ってしまうなんて、ちっとも望ましいことじゃないのだけれど。







“丘”にほど近い、麓と言ってもいいぐらいの場所に、ダグのバラックはある。

家というよりは、板張りの大きな箱といったほうがよさそうな、何の飾り気もない小屋だ。

「他の建物には勝手に入るなよ」

ダグが招きいれながら警告する。

「何が隠されてるかわからないから。俺も、知り合いの家以外には絶対に入らない。」

サラはバラックの中を見回した。

「生活用品はけっこう揃ってるのね。キッチンまであるじゃない。」

「当たり前だ。上下水道もガスも、“丘”周辺のための業者がいる。」

ダグは冷蔵庫から、ボトルを2本取り出す。

「抜け目なく稼ぐ人はどこにでもいるものね」

サラが相槌をうつ。

「それがビジネスだ。この小屋はただ、飯を食って寝るところ。君に見せたいのはこっちだ。」




入ってきたドアと反対側の壁についた裏口を抜けると、そこは同じようなバラックに囲まれた中庭で、真ん中に一回り大きなバラックが建っている。

「ここが俺のアトリエだ。外よりは涼しいはずだけど、どうかな」

ダグはサラにボトルを一本渡して、その大きなバラックに入っていった。

ほこりっぽくて広い空間に、何に使うのかわからない、大きな機械がいくつも並んでいる。

サラは、かつて読んだ本に載っていた写真を思い出す。

「旋盤工みたいね」

サラがつぶやくと、ダグは嬉しそうな顔をする。

「ははっ、古めかしい響きだね。同じようなことが、ちょっとだけ精密になっただけさ。とりあえずこれを見てみなよ。これが、形としては最も整ってる」

機械に囲まれた中心に置いてある、大きなテーブルのところへとダグは案内する。

高い窓から差し込む真昼の光で照らされたテーブルには、6本脚で首の長い、クモとトカゲを組み合わせたような形で、大き目の犬ぐらいのサイズのものがのっている。




「動物なのこれは? 触っていい?」

褐色の脚の1本に手を伸ばしながら、サラが尋ねる。

「触っていいよ。それは、動物ではないつもりだ」

サラの手に感じる、それの肌触りは少しだけ冷たく、とても滑らかだ。

ダグは、奥のほうから古びた椅子を引っ張り出しながら話しかける。

「動物は確かにインスピレーションの宝庫だけど、俺がつくりたいの動物じゃない。生物は、というか、地球はまだまだ、他の可能性を秘めているよ。座るかい?」

「ありがとう、でももう少しいろいろ見たいわ。なんだか怖そうな話ね。これはいつか動くの?」

テーブルの周りを回りながら、サラが尋ねる。

ダグは椅子に座って腕を組んでいる。

「今のところは無理だな。何しろ、俺は少しの特殊素材が扱えて、あとはデザインが好きだっていうだけの男だ。“丘”の素材だって限界があるしな。図面を書いて、ある程度の骨格を作るところまでだよ。言ってみれば、そいつには皮膚も筋肉も内臓も脳も無い。皮膚は面白がって作ってくれるヤツがいたけど、それには何の機能性もないし。小さくて優秀なコンピューターを組み上げられる知り合いはいるけど、ソフトウェアを作れるヤツはいない。」

「もし、完成したらこの子は何ができるの?」

サラはそれの“頭”を観察しながら尋ねる。

顔はなく、穴が一つあいているだけ。

「やろうと思うことは、ひととおり、何でも」

ダグは両手を広げてみせる。

「地上でも宇宙空間でも動作するだろう。エネルギー供給については、俺には画期的なアイディアがあるんだ。ソフトがどうなるかわからないけど、とりあえずはユニーたちと同じようにネットを使えば、一通りのことはできるだろう。できないのは空を飛ぶことぐらいだな。まぁ、そういう“役に立つ”ことをできなければ、作っても需要もないしな。だけどそれだけのものじゃないぜ、こいつは」

誇らしげなダグを、サラは気づかないふりでやり過ごす。

サラが自分で会話をコントロールしたがるのは、昔から変わらない癖だ。




「この辺りには、こんなことをしている人がたくさんいるの?」

サラは椅子に座る。

「数え切れないほどの人間が、様々なことをしているよ。俺みたいに、あのゴミ山をあさって何かを作ってるやつはごく一部だ。君みたいな破算組とか、新しいIDが欲しいやつは、たいてい街のほうで金を作るけどね、いざIDを買うのは、こっちの“どんづまり”だよ。金を持ってるヤツは最初からこっちに来る。ここのハッカーたちの腕は、君も知っているだろう?」

「ええ、私はそのために来たの」

サラは座りなおして、ボトルの水に口をつける。

「あなたの知り合いには、IDを手に入れられる人がいる?」

「たくさんいるよ」

ダグは簡単に応える。

「サイバー不動産のホストコンピュータに侵入して荒稼ぎしたヤツもいるし…、おっと、これは禁句だったかな?」

ダグは楽しそうに、サラを見つめてみせる。

サラは首をすくめるだけで、取り合わない。

ダグはため息をつく。

「ふぅ、ネット探偵みたいなヤツもいるし、もちろんIDを専門でやってるヤツもいるよ」




「それで、いくらぐらいなの?」

サラはダグを見つめる。

「知ってるだろう?」

ダグは水を飲む。

「私が知ってるのは一般的な相場だけ。あなたの知り合いで一番安い人に頼んだら、いくらなの?」

「サラ、相場は相場だよ」

サラをまっすぐ見つめて、ダグは応える。

「IDを盗んでくるってのは、けっこうヤバい部類の仕事だ。君の知ってる値段より、大幅に安くなるということはまず無い」

「そう。バカバカしいわね」

サラは天井を見上げる。

「IDがなければ、エアカーのエンジン一つかけられない、買い物すらロクにできないんだから。それでも、こんな中で、もがいていかなきゃならない。」

「インフラの整備が、必ずしも人の生き方を規定するわけでもないさ。」

サラを力づけるかのように、ダグは身振りを交えて話す。

「この街の画期的なLANシステムは、ネットが空気みたいに当たり前になったからこそ、自己増殖的に広がったんだ。それがどんなにハッカーの天国みたいになっていても、今さらこの街だけのネット接続を止めることはできないよ」

「それも小さな抵抗、小さな反動。それだけの話でしょう?」

サラは、ひじ掛けに置いた手で頭を支え、こんどはうつむきながら話す。

「私は確かにこの街ではそれなりに生きられるけど、それは私の自由ではないわ。あなただって、同僚のアジア人、ユニーズソフトウェアの開発者に会わなければ、今も家族と一緒にいたかもしれないじゃない」

「それは俺の個人的な問題だ」

ダグは背もたれに背中をつけ、水をまた口にふくんで、目をそらす。

「私の失敗だって、個人的な問題よ」




ネットの発展と増殖は、社会を構成するあらゆる物質の“入り口”だけでなく、“出口”もまたその範囲内に収めた。

つまり、生産物につけられたIDは、廃棄物となってもそのままでは死なないのだ。

IDの削除にも、それなりの手続きを必要とする。

しかし正式な手順では捨てられないものを抱えた人間など、どこの世にもいくらでもいる。

そして何も無いさら地にゴミを置き去りにするよりも、誰かが置いたゴミの横に添えるように置き去りにするほうが、いくらが気がラクというものだ。

砂漠の真ん中の地上に、ネットなどというものは無い。

正確には、ネットの電波はあるが接続は無い。




不法投棄の丘がある一定の量に達し、その場所が名所として不名誉な名声を呼ぶようになった頃から、後ろ暗い人間達もその場所に住み着くようになった。

ウラ社会もまた一つの社会。

ヒトとモノが集結する場には、仕事もそれなりに生まれる。

つまり単純な荷おろし屋であったり、コーディネイターであったり、電源や食料の供給屋であったりする。

やがてこの地がネットに接続されたのが正確にいつの時点であるのか、実は容易に特定できる。

それは正規のアクセスだったから、正式の記録をたどればいいだけの事だ。

ネットから逃げてきたこの地も、一つの社会の体裁を整えるにつれ、やがてネットを需要し始めた。

そうして、この影人たちの最後の約束の地もついにネットに収容されるのかと思われたその時、ある天才的なアイディアを思いついた者がいた。

あるいは単に、最初の一台となった接続器に、なんでもかんでも雑多にノードを突き刺しまくった結果なのかもしれない。

いずれにせよこの街は、すべてのアクセスを一つの接続器に集約してネットにつなぐことで、外環境からのブラックボックスを守った。

外から見れば、すべてのアクセスは単に、この街から発信されている事がわかるのみだ。

しかし内側に構築されたある特殊なネットワークの中では(これがこの街でLANと呼ばれるものだ)、生産物や人間は固有のIDをふり直され、そのIDのもとで息を吹き返す。

そこで「何が」起こっているかは明白なのに、「誰が」が見えない。

この仕組みは、今も増強され、複雑さを増し、この街の全精力を注いででも守られている。




光に照らされて、飛び交うホコリが浮かび上がるのを見ながら、この空気中のどこにネットがあるのだろう、とサラは考える。

あの旋盤だって、私だって、ネットに浸りながら気にもとめない。

ネットともIDとも関係なく私はここにいる。

だけど、ネットとID抜きでは存在しない私もいる。

使えるIDを持たない人間は、社会的には存在しないに等しい。

ネットに接続しないユニーは、言葉を一つも得られないままに、自分が何者であるかも知らない。

そう考えたら、私も旋盤もユニーたちも、結局は同じようなものなのだろう。

「ユニーたちだって」

ダグが声をだす。

「あら、私もユニーたちのことを考えていたわ」

サラの声が穏やかなことにダグは驚いたようだが、先をつづける。

「ユニーたちだって、ある範囲で接する限り、素晴らしいやつらじゃないか」

「本当ね。私は彼女たちのことが好きよ」

「でも一方で、ユニーたちを酷いことに使うヤツらもいる。」

「そのようね。とにかく、私は私のできることをするしかないみたい」

それが、どんなにおなじみで変わりばえのない態度だとしても。

サラは椅子から立ち上がる。

「ダグ、あなたの他の作品をもっと見てみたいわ」

ダグはサラを少しだけ見つめた後、微笑みながら立ち上がる



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