3-6.


 一本一本が水晶でできているように綺麗な白色の髪をした自転車少女と歩いた思い出の深い帰り道。いつものように綺麗な色に染まった夕空の下を俺は初めてこの道を共にする人物と歩いている。


 ちょっと不満そうで困ったような不安そうな顔をしつつも、でも込み上げる期待を隠しきれていない彼女は、

 

 「ねえ、どういう風の吹き回しなの? 江戸君の方からあたしをカフェに誘ってくるなんて、江戸君ってそんな人だったっけ?」

 

 「見てわかんねえのかよ」

 

 俺はズボンのポケットに両手を突っ込んで前を向いたままプライドが高いイケメン風に、

 

 「お前をデートに誘ったんだよ。お前っていろんな表情するけど、どの顔もやっぱお前らしくて可愛くてなあ……。さっき心細そうにしてたのを見てたら、居ても立ってもいられなくなっちまたんだ」

 

 「殴られたいの?」

 

 様になっていたと思ったけどバレバレだった。荒川は表情の九十九パーセントをイライラにして、

 

 「てか具合の悪い女の子を外に連れ出そうとするなんて自己中最低だから」

 

 俺が構築中だった誇り高き男のイメージは一瞬で灰と化して海の彼方へと飛び去っていってしまった。代わりに吹いてきた慰めの風を肌に感じつつ俺は観念して、

 

 「お前が辛そうだったからだよ。好きな物食べさせてやるから、あと少しの間だけ我慢してくれっていうことだ」

 

 「あたしを好物で釣って言う通りにさせようってわけね。ま、そんなことだと思ってたけど」

 

 そう不満げに言う割に荒川はスタスタついて来る。歩いていくなんて嫌とか言い出すのではないか不安だったけど今のところ本人にその気配もないので、やはりケーキが食べたいらしい。恐るべしケーキの魔力。

 

 誰もいない景色の中をふたりきりで進んでいる最中、俺はどこからかツーが現れるんじゃないかと気になっていた。と、言うよりもいつものようにふと現れてもおかしくないような雰囲気な気がした。


 俺は今、形だけでも荒川と一緒にいるわけだし、仲良くしているとはお世辞にも言えないけれどそれでもツーが望んでいた状況にはかなり近くなっているはずだ。どこからともなく白ワンピースの自転車少女がやって来て、実はこういうことでした~なんてネタばらしをするという展開になるのではないかと思ったのはしかし、やはり気のせいでしかなかったらしい。


 特にこれと言った会話もなく誰とすれ違うことも会うこともなく俺たちは長い橋を渡り終えた。


 

 地元の喫茶店、といっても先日荒川に連れて行かれたようないかにも通が好みそうな趣向の凝らされた場所ではなく、どこにでもあるチェーン店だ。俺は保健室でカフェに連れて行く等と言ったはいいものの特にアテがあったわけではなく、家の近くまで戻って来てからこの店の存在を思い出し、あたかも自分の行きつけであるかのように荒川をエスコートした。


 荒川は到着するなりあからさまな呆れ顔をしたけど、何だかんだ店内までついてきてメニューも見ずに俺には自転車用語並みに理解しがたい言葉を店員に発し、チョコケーキとペペロンチーノみたいな名前の飲み物を注文していた。

 

 俺はホットコーヒーだけ購入し、カウンター席で荒川と横並びに座る。場所は違うものの、俺は前回の喫茶店デートの再現を見ている気分だった。ケーキを食べ出すまで荒川はしかめっ面のままなのだけれど、その小ぶりだがしっとりと深い色をしたケーキをフォークで一かけら掴んで口に含んだ瞬間に固い顔は崩れ去り、油断していればこっちまで幸せな気分になってしまいそうな満面の笑みを浮かべるんだ。


 毎日ケーキだけ用意しておけばこの女子はちゃんと学校に来るんじゃないかと訝しみつつ、俺は部員集めの話をどう切り出すか考えていたのだけどこういう時だけは普通の可愛い女の子っぽくなる荒川をついつい横目で見てしまい気が付いたら皿の上のケーキがなくなるまでの時間が経っていた。


 ご満悦といった感じで何やらウキウキとし始めた荒川に気を取られて結局自分が何か話そうとしていたということを忘れてしまい、仕方なく俺もコーヒーに口を付けた。ブラック派である誇りは誰にも負けるつもりはないけれどコーヒーの味の違いは正直なところ分からない。普通に美味い。

 

 無言なのに何だか違う意味でお互い気にしないでいられるようなひと時が過ぎ、俺は今日のところは荒川に元気を取り戻してもらっただけで良しとし、部員集めの話はまた今度でいいかと思い始めるに至った。


 疲れたし、普通に帰りたい。俺はその気になればいつだって帰宅できる。俺の家はすぐそこなのさ。その点は計算済みだ。 荒川も機嫌を取り戻したらしいし、明日からは休日だ。一週間に一度の休息の時を味わえる――と、目前にあるだろう至福に期待を寄せたのは早とちりというものだったらしい。


 この時俺の隣にいた荒川輪子という女子は仮にも電車通学二日目にして人生ギブアップしかけた根性の持ち主だ。そのどこで鍛え抜かれたのかもわからないブッ飛んだ精神はいくら好物と言えど一度固まってしまった根幹を揺るがすには不十分だったようで、彼女は自分のコーヒーを飲み干してから穏やかな顔で、ぽつりとこんなことを言ったのだった。

 

 「いろいろ気を使ってくれたのは嬉しいけど、あたしやっぱり自転車で来れないのなら学校続けられないや。電車はもう無理。死んでも乗りたくないっていうかたぶん次乗ったらほんとに死にそう。今日、保健室でもうほんとに学校やめちゃおっかなって考えてたの。でも、そしたらあたしのために頑張ってくれた江戸君に悪いから、最後にちょっと、江戸君のこと信じてお願いしたいなって思ってたんだけど、言ってもいい?」

 

 俺は愕然たる気持ちでその告白を聞いていた。すぐにはコメントすることができず、俺が沈黙と言う返事で先を促すと、荒川は何やら照れくさそうに頬を染めながら、

 

 「あたし、来週からまた自転車で学校行くことにする。だから、それまでに自転車の置き場所を確保しておいてほしいの」

 

 さらっと言いやがった。理解するには簡単すぎるセリフだけど、実行するにはどれだけの苦労を要するかっていうか今まさにその苦労を強いられていたところなんだけどそれをいきなり今すぐ終わらせてというのに意味的には違わないようなことを平気で言いのけやがってエトセトラエトセトラ。

 

 俺は頭だけでなく口も動かし、

 

 「冗談言うなよ。できるわけねえじゃねえか。そんなことしたら今度こそ強制退学は免れねえぞ。それをわかって言ってんのか?」

 

 「わかってるよ。だからお願いしてるの。ごめんね、悪いけどあたしほんとに無理。電車なんて乗って学校行くくらいなら死んだ方がマシ。他に交通手段があるわけでもないし、じゃあ自転車で行くか学校やめるかのどっちかしかないじゃん? ほんとはあたしとしては別にやめてもいいとこなんだけど、今日ここに連れて来てくれたことにも免じてそれはしないって言ってあげてるの」

 

 「仮にだ。俺がそれを受け入れたとして、でもやっぱり来週までに置き場所を確保できなくてお前が自主的にしろ強制的にしろ学校をやめたとする。そしたら、まあ学級委員云々はこの際置いておくとしても、五十嵐アリスさんのことはどうするんだ? 昨日あんなに楽しそうに話してたくせに、部活にまで誘っといて結局作らず仕舞いで終わらせちまうのか?」

 

 「そのことはアリちゃんに直接謝るよ。でも別に、学校やめたからって言ってアリちゃんともう会えなくなるわけじゃないしね。一緒に走りに行くことなんていつでもできるし」

 

 「俺のこと……は別にいいとして、あれだ、スバルはどうなんだ? たぶん俺以上にお前のことを思ってくれてたんだぞ? お前が今言った通りのことをしたら、そんなスバルの行為も裏切ることになるんだ。それでもいいのか?」

 

 「良くはないよ。できることならスバルちゃんにだって恩返しがしたい。でも、それでもダメなの。とにかくダメ。無理。電車は無理。死にたいくらい無理。ダメ。もう乗りたくない」


 何を言ってもダメそうだった。荒川は既に、これから永き旅へと出発する旅人がその旅路に並々ならぬ期待を寄せつつも故郷に残す仲間を安心させるベく精いっぱい笑いかけている時のような、近寄りがたささえ感じさせる超俗的な表情をしていた。


 言葉じゃダメなら腕づくでも思い留まらせたいところだが、そうするには俺はいささか立場が弱い。荒川に学校をやめられたら困るのは俺であり、荒川ではないんだ。


 その荒川がこのように譲歩を申し入れてきた手前、俺には言葉で説得できないのなら黙って従うしか手段がない。下手なことをしてその譲歩の内容すら消されてしまったら元の子もないからな。今すぐ学校やめるなんて言われたら憂き目を見るのは俺のみとなる。


 せめてスバルがここにいてくれたらと思うも虚しく、結局この日俺は荒川の決意を変えることはできなかった。

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