第5話

 それから、次の『夢』に至るまでのことを少し。


 昨夜セットしておいたアラームの音で、僕は二度目の『見えない』朝を迎えた。

 少しばかり早い時間に設定していたためにまだ眠気は幾らか残っていたのだけれど、それでもここで二度寝に突入してしまえば時間が判らなくなる、と、なんとか堪えた。


 改めて視覚のない状態を体験した僕だったけれど、事前に色々と準備をしたおかげか、今回は前回とは違ってうろたえることもなく、落ち着いてそれを受け入れることができた。


 昨日ふと思いついて、アラームの設定は朝以外に正午・大体の就寝時間と、あとは午後を中心に適当に数回鳴るように設定してあった。本当は音声で時間を教えてくれるようなものを新調した方が良かったのだろうけれど、流石にそれを探す時間はなかったのでひとまずの処置だ。


 結果的に今日一日はアラームの時間に沿って行動することとなったのだけれど――時計が見えている時よりも見えていないときの方が規則正しい生活をするというのは、何とも皮肉なことだな、と少しばかり笑ってしまったのだけれど、しかしとにかく、一食摂るのも一苦労だった昨日と比べると別段大きな問題はなく、僕は一日を終えた。


 そして今——『夢』の中で待っていた僕の前に、『彼女』が現れる。


「……こんばんは」


 彼女は、そう言って微笑んだ。




 やぁ、と挨拶を返して。それから、何となくお互いに間をさぐるような感じになってしまって、しばらく言葉のない時間が流れる。

 例によって、僕から口を開こうか、とそう考えて、しかしそこでふと思いとどまる。

 「何も問題なかった」と、そう口に出せば、それだけで大体の目的は達成できてしまうと思うのだけれど――しかし、それでは昨日と同じようになってしまって、面白みがないような気がした。

 だから僕はそこから更に少し考えて——結局、今日の間ずっと思っていたことを口に出す。


「……なかなか、やることがないものなんだな」


 その言葉に、彼女が首を傾げた。


「改めて考えてみると、どうやって時間をつぶしたものかわからなくて、さ」


 今まで自堕落に過ごしてきた僕だけれど——あるいは、だからこそ。流石に24時間ずっと寝続ける、というのも無理がある話で。外出もろくにしない僕ではあったけれど、それでも有り余っている時間はとても睡眠だけで潰せるようなものじゃなくて。

 だから普段は、ゲームなりネット巡りなりをして、振り返った時に何もしていなかった、と感じる日々を送っていたわけなのだけれど、しかし今日、同じように過ごそうとして、そのどれもが視力がなければまともにできないことに気付いたのだった。


「……あぁ、そういうことですか」


 遅れて、彼女は得心がいったというように頷く。


「まぁ、確かに、その……あなたはあまり趣味を楽しむタイプではないですしね」

「……はっきりと無気力とか自堕落とか言ってくれても構わないんだけどね」

「じゃぁ、次回からそうします」

「……遠慮するところじゃないんだな。まぁいいけど」


 てっきり、僕が気に入らないから辛辣な物言いをしているのだとばかり思っていたのだけれど、もしかすると案外、彼女は元から毒舌なのかもしれないな、なんて思いつつも。


「……と、いうわけで、良かったら、普段どうやって時間を潰してるのか、とか、差し支えない範囲内で教えてほしいんだけど」

「構いませんけれど……その、それは、次があるから、ということで、良いんですよね」


 その問いには、特に考えることもなく首肯する。

 実際、一日目の惨状が嘘のように、今日はそれほど問題もなく二食を食べることができたし、さほど歩かなかったので転ぶようなこともほとんどなかった。あとは退屈を凌げれば、というところで、それだって今日ここで彼女に聞けば何とかなるような話だった。


「まぁ、特に大きな『問題』はなかったからね」

「そうですか。……改めて、その、ありがとうございます」


 だからごく自然にそう伝えれば、彼女はなんだか妙に整った姿勢で小さく頭を下げた。

 それから、顎の先に指で触れて、何やら考えるようにして。


「……でも、実際のところ、私もそこまで高尚な趣味を持っているわけではないのですよね。……楽器とか、弾ける人は凄く上手くやるのですけど、私の場合は……まぁ、習いはしましたがそれほど上手くないですし、それにいきなりやれ、と言ったところでできるものでもないですし」

「……まぁ、そうだな」

「……ちなみに、最近サボっているだけで、実はプロ並みの腕、とか、そういうことは……ないですよね」


 黙って肩をすくめる。実はその手の才能があって、でも認められなくて、それが悔しくて引き籠った……とかならかなり物語チックなのだけど、残念ながら僕は基本的には自堕落をこじらせただけである。


「……強いて言えば、リコーダーが吹ける」

「……たいていの場合、それはほとんど、できない、って言ってるのと同じだと思います」


 ついでに言うと、運指もほぼ忘れてしまったので多分、音を出すので精一杯だと思う。……リコーダーの話ばかり引きずっても仕方がないので、口には出さないが。

 しかし、そうして話が一段落してしまうと、彼女はまた困り顔を浮かべて。


「……でも、そうなるといよいよ、あなたに勧められるものがないのですよね」


 そう言われて、ふと気になってしまう。


「……それこそ、一体普段は何してるのか、って話にならないかな」


 まさか延々と部屋で瞑想をしている、とかいうわけでもないだろうから、何かしらの趣味はあるとは思うのだけれど。

 あるいは高度な技術が要る、とかいう話だろうか、と一瞬考えたが、そういえばさっき彼女は「高尚な趣味はない」と言っていたはずで、謙遜でないとすればそういうわけでもないだろう。


「えっと……私の場合、休日は読書とか、パソコンを触ったりとか、そんな感じで過ごしてることが多いんですよね」


 そんな風に『未知の何か』を想像していた僕は――だから、少し言い淀むようにしたのちに彼女が口にしたその言葉に、少なからず驚いてしまう。

 それは、一つには、それが想像していたよりも普通の、ありふれていることだったということで。そして、もう一つには。


「……その、えっと」

「どうやって、ですか」


 聞いていいのかどうか悩んでいると、彼女の方に質問を先取りされてしまう。

 思わず様子を覗ってしまうが、彼女の方はさして気に留めた様子もなく。


「よく聞かれるので。……あまりあれこれと話すと長くなるんですけど、まぁ、要は目に頼らないやり方でやればいいんです。本であれば、録音したものとか点訳したものとかが借りれますし、パソコンであれば読み上げソフトなんかが使えたりします。……あ、同じ要領でスマホも使えますよ」


 ただ、と彼女は続ける。


「そういうのって、認定がないと手に入らなかったり、入手ができても値が張ったり、なんてことが多くて。……そういう意味では、お勧めできるかと言えば、少し難しいと思います」

「……なるほど」

「……まぁ、私が普段していること、と言えばこう、というだけで、目に頼らないでもできること、って結構あると思いますよ」


 まぁ、それはその通りで。あくまでも普段やっていることをやるのが難しい、というだけで、探してみれば多分それなりにできることもあると思う。

 それにしても。


「……ところで」

「何でしょう」


 何となく思ったことがあった。


「……案外、やってることが僕と変わらないような気がするんだけど」


 思い返してみると、始めに会話したとき、僕がロクでもない時間の浪費の仕方をしていることについて、結構冷たい反応をされた気がした。

 だからついそんなことを言ってしまったのだが——やはりというか、蛇足だったようで、彼女は気まずそうな、というか、拗ねたように、というか、そんな何とも言えない表情を浮かべて。


「……いいじゃないですか、私だって基本はただの女子高生なんですし、それらしいことをしてても」

「……そのわりに、僕の時は結構手ひどく言われた気がするんだけど」

「まぁ、そう、なんですけど」


 僕の追求を、彼女は歯切れ悪く肯定する。

 それから、不意にため息をついて。


「……正直に言ってしまえば、少しばかり期待していた面はあったんです。私が『見たい』と思っても見れないものを見ることができるのなら、その分何か特別なことをしていてほしかったんです。……考えてみれば、『特別なこと』なんて、日常にそうそうあるものでもないんだすけどね」


 そう言って彼女は苦笑を浮かべた。

 確かにそれはそうで。『毎日が特別』なんてキャッチフレーズはよく聞くけれど、しかしそうは言っても『特別な出来事』なんてものはそうそう起こらないものだし、そもそも『普通』があるからの『特別』なのだ。

 そういう意味で、『特別な日常』なんてものはないだろう、とは思って。けれど一方で、誰かに『特別』を求めてしまう気持ちも、分からないでもなくて。


「……まぁ、僕の場合は他にも、留年とか、色々とダメなことが重なってるわけだけど」

「……そうでした。……今は片付きましたけれど、部屋も酷かったですし、何より親を騙すなんてサイテーですよ」


 事実なうえに、自分から振った話であったが、流石に少しばかり心が痛む。

 とはいえ、まぁ悪いことばかりでもないだろう。


「……まぁ、でも、それくらいな方が、気兼ねなく借りていけるんじゃないかな、なんて」

「……まぁ、そうですね」


 僕の冗談に、彼女は微笑を浮かべて応じる。

 そして。


「……それに、思ったより悪い人でもないみたいですし」


 と、そう付け足す。

 その真意を少しばかり聞いてみたくなったけれど――


「それでは、そろそろ本題に入りましょうか」


 彼女のその声で、何となく尋ねる機会を失ってしまう。


「……本題、って言うと」

「貸し借りの話です。……改めて確認ですけど、これからも引き続き、視覚を貸していただけるということでいいのですよね」

「そう、だな」

「……で、あなたは数日に渡って貸してもいい、と言ってくれますけれど、実際今日は暇を持て余していたようですし、あまり何日も続くのもどうかと思うんです。……それに、私は私で、知り合いと会うときに『見える』状態だと、うっかりバレて何か大事になってしまうかもしれませんし」


 なので、と彼女は続けて。


「とりあえず当分の間は、短い間隔で貸し借りを繰り返しながら、お互い都合を連絡しあうのがいいと思います」

「……まぁ、そう言うならそれでいいのだけれど……『見たいもの』は、どうにかなるのか」

「あ、それは大丈夫です。……時間はかかるんですけど、焦っても仕方ないので。……というわけで、そうですね、ひとまず一日おきで交代して、何かあれば毎晩の『これ』で報告、ということでどうでしょう」


 彼女の提案を、頭の中で繰り返してみる。

 彼女がいい、というのであれば、ひとまず僕に断る理由はなかったし、それに一日おき、ということであれば何かと都合もつけやすいと思う。


「……わかった、それでいこう」

「契約成立、ですね」


 僕がそう答えれば、彼女はどこか嬉しそうにそう言った。


「それでは、明日は一旦お返しして……今のところ、特に予定はないので、明後日またお借りすることになると思います」

「あぁ、僕の方もそれで構わないよ」


 そう答えて、それでひとまず、今日話すべきことは一通り済んで。

 だからこのままいつも通り別れを告げて、そこで今日の『夢』は終わり——と思ったのだが、そこでふと気になったことがあって。


「……そういえば」

「なんでしょう」

「……その、僕のしていたことがわかる、とか言っていたけれど、具体的にはどれくらい、なのかな」


 初めに彼女に会ったときから、何となく気になってはいたことだった。

 それを受けて、彼女は少し考えて。


「そう、ですね。……強いて言えば、箇条書き、が近いと言いますか」

「例えば、今日の場合だったら」

「えっと……考え事をしていた、くらいですね。……何か、都合の悪いことでも」

「いや、強いて言えば、何かこう、人に言えないようなことをしてたときとかに困るなぁ、と思って」

「……サイテーです」


 冗談っぽく引いてみせる彼女に、僕は苦笑する。


「まぁ、でも、そうですね、何かと知られたくないこともあると思いますし……今後は、必要な時や許可された時以外は、あまり読まない、でどうでしょう」

「そうしてもらえると助かる、かな」


 そう答えつつ、内心で僕は安堵する。

 実のところ、本当に今日はやることがなくて。だからつい、昨日彼女が言いかけた言葉について考えていたのだけれど――取り敢えず、それが『ずっと彼女のことばかり考えていた』とか、そんな風に曲解されて変に警戒される心配はないらしい。

 そんなことを考えつつも、しかしあまり知られたらまずいことをするのは、知られないとわかっていても控えた方が良いかもしれないな——なんて考えながら、その日の『夢』は終わっていった。


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