第23話 渦の中へと

 インク壺が宙に浮いたまま止まっていた。

 部屋を辞そうとする土の祭司に、追いすがろうとする修道騎士。彼らもまた、言い争う表情のまま止まっている。

 時が止まっているのだ。

 そんな彼等の背後、執務室の机あたりに何かが動く気配がした。何かがいるわけではない。気配だけがそこにある。

特異点プンクトゥム目醒めざめつつある……か』

 男とも女とも言えない、記憶に残らない声がした。

『お前はまだ私を支配しようと言うのかマティアス……!』

 声に呼応して、宙に浮いたインク壺が炸裂する。なぜか、そこだけ時間停止が解けていた。

 荒い息だけが執務室に響く。

『今更、今更だ! 逃げ出した分際で良くも……。私は、あらがってみせるぞ……! 幸い、"神"は我が手中にあるのだ。この世界は、私の手でまだまだ面白くなる……! 特異点プンクトゥムよ。目醒めざめるなら、目醒めざめるが良い……』

 ゆらりと、気配が動き出す。

『私が、そのための最良のステージを作ってやろう――!』

 刹那、辺りの空間が揺れる。ぼ、と鈍い音がした。

 年老いたドワーフの胴体中央。そこに、大人の腕が入るほどの大きな穴が空いている。

 局所的にけた時間停止の中で、赤黒い液体が弧をえがいて吹き出した。

 続けざまに、するどい風音かざおとが鳴る。すると、今度は修道騎士の体と首が分離した。切り飛ばされた首は、そのまま地に落ちる事なく宙で止まっている。

『そして、こうだ……!』

 一息。

 勢いよく紙をちぎるような音がした。光が宙に舞う。

『5分後……。この部屋に来る者がいる。祭司の手駒だ。そいつは、この惨状さんじょうを見るだろう。そして、腰を抜かしながらも、一目散に外へと飛び出し、辺りにこの事をふれ回るはずだ。"土の祭司が、殺された"と。現世最大の権力組織、教会。その代表の一角が殺された……。大きな事件だ! この状況で誰が一番に疑われるだろうなあ?』

 ニヤニヤと笑う気配だけが漂う。舞い散った光は、扉をすり抜け、部屋の外へと飛んでいく。

『ああ……、安心してくれたまえ。親子間のいざこざなどという、つまらない線には私が絶対に持っていかせない』

 その瞬間、部屋の中の金目のものが、ことごとく消え失せた。

『――さあて』

 突然、切り離された修道騎士の首から下だけが、ふるえるように動きだす。人間に比べて低いドワーフの身体からだが、骨と肉をすり潰すような音を立てながら、その姿形すがたをドロドロと変えていく。

『もう、私は手を抜かないぞ?』

 修道騎士の首が宙に浮かぶ、そのかたわらには。亜麻色の柔らかな髪・・・・・・・・・肌の白さ・・・・桜色の頬・・・・長く細い首、肩・・・・・・・まるで人形のような容姿・・・・・・・・・・・。中性的な1人の人間の身体が、出来上がりつつあった。


       ◆


「【少し手を抜いた方が良かったんじゃないかしら?】」

 どことなく不機嫌な映の声が飛んでくる。

「【うかわれるかのちまたでそんなこと出来るわけないだろ?】」

「【あら、随分ずいぶん場慣ばなれして見えたけれど】」

 ウィルマーが苦笑する。

「【ただの坑夫がなんでおどし慣れてんだよ】」

「【……やり過ぎれば必ず反発がくるわ。気をつけなさい】」

 強引に話しを切り上げる映。

 二人は、怪しまれない程度に岩山の町を早歩きをしていた。

 時々、かたくなさを見せる映の心の内を、ウィルマーはどうにもはかれずにいる。後ろに続くウィルマーの顔も見ず、ただただ先を急ぐ黒髪。その表情は読めない。ウィルマーは、大立ち回りの残滓ざんしか、どこかしらぼうっとする頭で返事をした。

 どうも聖堂の事件からこっち、今この時に実感がない。記憶がとりとめもなく脳内をけ回り、思考がまとまらない。

 道覚えが良いのであろう映にそのまま先頭を任せ、ウィルマーはしばらくふわふわと早歩きを続けた。

 しかし、視界の端に見えてくる景色に違和感を覚え、ウィルマーは足を止める。

「【映……、これはどこへ行こうとしてる?】」

 それに気づいた映もまた足を止め、顔だけでこちらを振り返る。見るからに不機嫌そうだ。

「【どこって、あなたのお世話になった人の家でしょう?】」

「【道を間違えてないか? なんで町の方へ……】」

「【魔石の加工場は町の外れにあるもんだ。町を突っ切った方が早いってあなたが言ったんじゃない】」

 なぜここで加工場の話が出てくるんだろう。と、ウィルマーはまゆをひそめる。

「【いや、俺たちは森の小屋から来たじゃないか】」

 映が、頭痛を抑えるようにひたいに手を当てた。

「【……ウィルマー、やっぱりあなたおかしいわよ。昨日からずっとそう。私たちは・・・・一度も森の中の・・・・・・・小屋になんて・・・・・・訪れてないわ・・・・・・】」

 ふざけてるわけでもない、本当に苛立ちを感じているような声色。

「え……? 【いやいや、その服セバさんに貰っただろう!?】」

 首を傾げ、底の見えない黒い瞳で覗き込んで来る。

「【市場の古着屋に一緒に行ったの覚えてないの……?】」

 清々しいほど噛み合わない。おかしい。ただ、映がまったく違っていることを言っている感じはないし、むしろ話を聞けば聞くほど、ほんとはそうだったかのように思ってしまう。

 なんとなく、市場に一緒に行った記憶が蘇ってくる。そうそう、映がまた無茶な値切りをしたんだった……。

 ――待て。なんだ、今の記憶は? 俺たちは昇降機で地底から上がって来たところでセバさんに会って、そこで世話になったはず……映の服もそこで貰った……。あの服は、セバさんの大事な形見だ。だってもう、セバさんは……。

 そう思う一方で、頭の中で強く主張する声がある。

 『セバなどという人物には会ったこともない、見たこともない』

 ――次々と、セバさんとの記憶がこぼれ落ちていく気がする。あれ、セバさんて誰のことだっけ……?

 いや……、気がするだけだ。忘れるわけがないだろう。今、自分がここにいるのは、セバさんのおかげだ。しっかりと話しを聞いてくれ、外の世界を見せてくれたセバさんがいたからこそ、今の俺がいる。そんな人を、居なかったはずなどと思えるはずがない!

 ……ウィルマーは、ぎゅっと目をつぶる。

 なにかしら、記憶が操作されている気がする。継続的に。俺と、映。もしかしたらそれ以外の人も。そうなると並の力ではない。そんなことが出来る者はそういない。

 セバさんが失踪してから徐々におかしな事に巻き込まれはじめている気がする。

 なぜ、セバさんが消されなければいけなかったのか。それはわからないが、これは、今すぐ騒ぎ立ててもどうにもならない。しばらく様子を見るべきだろうと、ウィルマーは口を引き結んだ。

「【――ああ、そう言えばそうだったな。ごめんごめん】」

 ちらりと目の端でこちらを見ながら、映はまた歩き始める。

「【……一回医者にでも見て貰った方が良いわ】」

 何を言っても信じて貰えなさそうなこの感じ、懐かしいな、と苦笑しながらウィルマーも走り出す。

 向かうは、親方の奥さんが取り仕切る加工場だ。


       ◆


 色とりどりの宝飾品が鎮座する店内。岩詰みの壁に立ち並ぶ木棚。陳列される宝石の数々。天井からつり下がっている貴金属の星空がどことなくエキゾチックを感じさせる。かべへだてた遠くから、つちを叩く音が聞こえる。加工場が併設へいせつされているのだろう。

「来たかい」

 店の奥で、大きな机にどしんと構えているドワーフの女性。それが、ボロック商会の屋台骨、親方の妻であるドゥーマだ。

 人間とのハーフである親方が巨体なのに比べ、ドゥーマは並のドワーフと同じく、丸みをびた姿で背は小さい。

 小人といった姿だが、そのたたずまいからは、威厳と人を見抜くのにけた商売人の雰囲気が感じられる。

「はい」

 坑窟に入った最初の頃は、よく面倒を見て貰っていた。少し身体がしっかりしてきてからは、親方にあずけられっぱなしだったが。ウィルマーは、昔からこの人に会うと自然と背筋がしゃんとする。厳しいが、この人の期待に応えたいと思わせる何かがある、そんなあこがれの人の1人だ。

 ウィルマーの目を2、3秒見つめると、何かを察したのか、ふん、と鼻を鳴らすドゥーマ。

「……ふらりと来たやつは、ふらりと居なくなるんだねえ」

 背を向けると、背後の棚を整理し始める。

「すみません」

「拾ってやった恩も返さずに出て行くとは随分ずいぶんじゃないか、ええ?」

「それは……、いつかお返しするつもりです」

 ウィルマーは、すこしずつ部屋の奥へ歩いていく。

「どうかねえ。ダグラムほどお人好しじゃないよ。わたしゃ、職人である前に商人なんだ。良い物が出来ればそれで良いなんてこたぁ思わない。ぎ込んだ分回収出来なきゃ商売あがったり。大損だよ!」

 これみよがしなため息。

「そもそも人間の子供を拾うなんて、乗り気じゃあなかったんだ。うちのバカ旦那ダグラムもこんなガキのどこが気に入ったんだか……」

 悪口が止まらない。散々な言われようだ。後ろで、映がムッとしているのを感じる。何か悪く言われている、ぐらいはわかるのだろう。でも、仕方がないことだとウィルマーは思った。奥さんが言う通り、世話になりっぱなしで、恩も返さず出ていくのだ。

「憎まれついでに、もう一つ良いですか」

「それは"誰"としてのお願いだい」

「あなたの、取引先として」

「くっ、はっはっはっは!」

 だみ声が、空気をふるわせるように笑った。

「口だけ上手くなりやがって……。家族として、なんて言ってたら叩き潰していたところだよ。いいだろう、私は商人だ。お願いってのは、何だい?」

「――無事に戻ってきたら、また僕を雇ってください」

 かすかに肩を震わせるドゥーマ。

 その小さな背中は、ぱたりと喋るのをやめた。それと同時に、手を動かすのも止まる。もとより、それは何の意味もなく物を動かしては戻して、何かをしている風を装っているだけの動作だった。

「……馬車が欲しいんだろ。とっとと行きな」

 震える声を詰まらせながら、窓の外を指差す。

御代おだいは――、」

 短いドワーフの腕がちゅうを掻き、近くに寝ている火土竜サラマンドの幼体の背をなぜる。

「ここまで、他の種族になつく火土竜サラマンドも少ないからね、こいつを貰うことにするよ。良いだろう、さあ、行きな!」

 まくし立てながらも、奥さんはかたくなにこちらを向かない。一歩、ようやく距離を詰めたウィルマーは、ドゥーマを後ろからぎゅっと抱きしめた。

 腕を払われる。

 二つ、三つと水滴が落ち、石床の色を変えていく。確かめないでも、奥さんが今どんな顔をしているかがわかった。だって、何年いたのだろう。軽く、二桁はこの場所で暮らしてきた。

 親方も、奥さんも、自分は、本当に良い人達に囲まれていたんだな、とウィルマーは思う。

「ありがとう、ございました」

 後ずさり、映の手を取ると、ウィルマーは走り出す。こんな、身近な人を悲しませても叶えるような願いなのか。ふいに心が苦しくなるが、今更日常には戻れない。

 この先は、渦に飲まれるように目的へと向かっていくしかないのだ。

 ウィルマーは、ただただ、涙を振り切って走った。


 あとに残されたドゥーマは、大声で息を吐くと、棚からはちを取り出し、薬草をりはじめた。

「さて、また厄介なやつが転がり込んで来たもんだよ。困るねえ……」

 かすれた、途切れ途切れの仕事歌が店内に響く。ふいに、鐘の音が鳴った。

「――いらっしゃい、何でも見ていっておくれよ。なんだい、イワノヴァ。あんた、また新しい女へのプレゼントかい? え、火傷でもしたのかって? ああ、このり薬かい。私じゃないよ。わざわざ医者に行くのも金がかかるからね。節約さ――」

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