第7話 竜群と芳香

 広場のようになっている天井かむりの高い坑道の中。燃えぜる音と、水撃の音とが連続で交錯こうさくした。

 水の魔石オルトリンデからき出た水が、ベールのように刀身を包み込み、一回りも二回りも大きい魔力刀身が形成され、長剣と見まごうような全長になっている。

 刀でありながら軽く振るうとしなり、一度ひとたび魔力刀身に触れれば、水の激流が対象を削り斬る。硬質の岩塊がんかいでさえ、一瞬にして真っ二つにするこの切れ味。

 これが、精霊刀、〝潭水刀イス・ヒヨルス〟――。

「(本当にこれは、使わない方がもったいない代物しろものだ……!)」

 これを作った女性ひとはどんな思いでこれを作ったのだろう。これを作るためにどれだけの素材を吟味ぎんみして、どれだけの経験を積んだのだろう。生涯最後の傑作というと今頃彼女は……。

 細工師志望の悪い癖が、ふとそこで出た。熱気が頬をかすめる。いけない。銀河を閉じ込めたような刀身が、炎を切り裂いていく。

 そこは、まだ延々と続く戦場だった。

「ィィ――――――――!!」

 特大級の火土竜サラマンドが、吠え、荒れ狂っている。

 しなる極太の首。岩壁にぶち当たり、落石が雨あられと降り、振られた口からは無差別に火球が放たれる。直撃コースの火球を、水の刀身で割り裂いていく。一つ、二つ、天井かむりからの落石を砕いた後に三つ。水蒸気が爆発的に上がり、飛び火する火の粉をかき消していく。

「――ッ」

 ウィルマーは、咄嗟とっさに後ろにいた映の手を引くと、飛び退すさる。水蒸気の霧の向こうから熱気を感じたからだ。大の大人一人分はあるような火球が、一瞬前にいた場所を、猛然と通り過ぎていく。

「【……礼を言うわ】」

 珍しく殊勝しゅしょうな声を出す映。だいぶ弱っているのかもしれない。

 つね傍若無人ぼうじゃくぶじんな雰囲気はなりを潜めていて、今度何か言われたらそれをネタにしてやろうかとも思うが、言ったところで冷たい視線と短い言葉でばっさり切り捨てられるのがオチかもしれない。でも、そんな未来も、この場から生きて帰れればの話だ。

 じりじりと火土竜サラマンドから後退はしている。だが、しかし、遅々ちちとしてその場を脱出するには至っていなかった。

 早くこの場を脱したいのはやまやまだが、少しでも気を抜けば死がそこにある。それに、映を連れているのだ。下手な動きは出来ない。だが、もう少しだ・・・・・

 大音がし、支保しぼが軋み、坑道が揺れる。何度目かの落石が起こり、土埃つちぼこりが視界を塗り潰していく。

 土埃つちぼこりを隠れみのに二人は岩陰に隠れる。ウィルマーは、ひたいに汗を浮かべながらも、少し口の端を釣り上げた。

「(そのまま視覚・・を失ってくれ……!)」

 火土竜サラマンドは、視覚の退化した生物だ。その代わり、嗅覚が異様に発達しており、ついで聴覚に優れる。

 その為、生態上、嗅覚で獲物を追い求める。だから、暴れ回って色々な匂いが混じり、音が乱反射するような状況を作ってしまえば、火土竜サラマンド視界・・は極端に悪くなるのだ。

「(動きが、止まった)」

 映に動くなと目配せをする。わかっているとばかりに、映は息をひそめていた。火土竜サラマンドの首をりに行く必要は無い。そもそもが、一人で相対あいたいするべき相手では無いし、狩りが目的では無い。

 目的は、この場を脱出することだ。今のうちに退却するのが良いだろう。

 依然いぜんとして、遠雷のように重い足音や、風圧を肌に感じる。探しているのだ、こちらを。

 汗があごを伝っていく。行くならこの瞬間だ。最低限の動きで、隣に座る映の耳に顔を寄せ、声をかける。

「【走れるか、──】」

 即座、ウィルマーは潭水刀イス・ヒヨルス逆手さかてに持ち替え、顔のそばに立てる。激流を叩くような音がして、水飛沫みずしぶきが飛んだ。何かが切断される音がする。映がいるのとは逆、右側だ。そのまま潭水刀イス・ヒヨルスを斬り上げる。

 二つにち割られた火土竜サラマンドの幼体が、ずり落ちていくのが見えた。頭の上で一瞬刀から手を放し、手首を回して順手じゅんてに持ち返ると横にぐ。小規模の火球が霧散むさんした。

 横薙ぎの回転力をそのままに、身を回す。その最中、手首のスナップで潭水刀イス・ヒヨルスを直上の宙に放った。

 至近前方に、更なる火土竜サラマンドの幼体が飛び込んでくる。片足を延ばして、身をかがめながら、独楽こまのように回転し、飛び掛かってくる火土竜サラマンドの幼体の下をくぐる。

 髪がかするぐらいは、ご愛敬。半回転した後に見えているのは、小さなうろこの生えた背だ。

 ウィルマーは、身を伸ばし、立ち上がりながら頭上に手をかざす。

 鉄の音、わずかな重量、銀河のような深い青――。そのまま、振り下ろした。

 幼体の背中が、水飛沫みずしぶきを立ててち割られる。

 その手には、宙に放った潭水刀イス・ヒヨルスが、しっかりと握られていた。

 映が、目を見開いて、ウィルマーの曲芸戦闘を見つめていた。まさに、驚愕といった様子だ。

 それもそのはず、今のウィルマーの立ち回りは、日常的に戦闘に従事しているものの身のこなし方だった。それも、宴の魔術師スンベル・セイズが派遣した護衛の兵士達より、はるかに上の次元の――。

「(……ッ)」

 そんな、熱い視線にも気づかず、ウィルマーは舌打ちをした。特大級の火土竜サラマンドが、同胞の血の匂いを感じ取ったのだろう。二人のいる方に意識が向いたのを、ウィルマーは察した。

 地を踏み鳴らす激音。もう、それが日常であるかのように、坑道が縦に激しく揺れる。

「【走るぞッ!!】」

「【――っ】」

 震動を合図に映の手を掴み、ウィルマーが走り出す。暗闇から、火土竜サラマンドの成体がうぞうぞと数匹い出してくる。

 十数メートル先にある狭い坑道に、ウィルマーは目を付けていた。大人一人がどうにか入れそうな横幅だ。そこに駆け込むことが出来れば、少なくとも特大級の火土竜サラマンドは追ってこれないだろう。それに、あそこからは、一度も火土竜サラマンドが這い出してきていない。まるで、楽園の扉が開いているかのようだ。

 『そこまで走れ! あとはどうとでもなる!』そう自分に言い聞かせるように、ウィルマーは歯を食いしばった。

 息も荒く二人は走っていく。頭をかがめた先を、火球が飛んでいく。落ちてくる岩は、もはや当たらないギリギリを走り抜けていく。

 細かく息をのむ悲鳴にもならない声が、背後から何度も聞こえる。それでも、映は良く付いてきている方だ。

 毎日肉体労働をしている自分と、お嬢様然とした映とでは、体力には雲泥うんでいの差があるはずだ。それに、突然召喚されてから訳もわからず、気の休まらない日々をての、これ。

 絶対に助けなければいけないと、ウィルマーは思った。こんな場所で無残に死を迎えることがあっては、絶対にいけない。

 汗をかいて湿しめる手を、しかし二人は決して離れないように、きつく握り合っていた。

 もう少しで、狭い坑道の入り口に辿り着く。吊り下げられたランタンは、とうに割れ落ちていて、天井かむりの紋様だけが、ぼうっと鈍く光っており、中は暗い。

 だからそれは――、小石や、砕かれた岩に足を取られたのだと、そう思った。

 入り口付近で飛び掛かって来た火土竜サラマンドに、潭水刀イス・ヒヨルスを振りぬこうとしたその瞬間。

 水の刀身が流れ落ち、素の刀身が剥き出しになり、ウィルマーの視界がぐらりと揺れた。

 足がもつれ、つんのめるように、ゆっくりと体が倒れてゆき、力が入らない。

 叫ぶ映の声が遠く、くぐもって聞こえる。ぼやけた視界でもはっきりわかる。火土竜サラマンドの白い爪が、すぐそこにまで迫っていた。

 その時に、脳内に響くようにくっきり聞こえたのは、


『――血ガ足リナイ、血ヲ寄コセ』


 という手元・・から聞こえる、鉄が軋むような声。

 硬質なものが首筋に当たると同時、ウィルマーの視界は一瞬にして天を向き、途絶した。

 映の悲鳴が、坑道内に木霊する――。


       ◆


 土埃を隠れみのに、二人は岩陰に隠れる。ウィルマーは、ひたいに汗を浮かべながらも、少し口の端を釣り上げた。

「(そのまま視覚・・を失ってくれ……!)」

 火土竜サラマンドは、視覚の退化した生物だ。その代わり、嗅覚が異様に発達しており、ついで聴覚に優れる。その為、生態上、嗅覚で獲物を追い求める。だから、暴れ回って色々な匂いが混じり、音が乱反射するような状況を作ってしまえば……、

「(……ん? なんか、前にもこんなことが……あったような……)」

 と、些細ささいな記憶の引っかかりにとらわれそうになる思考をおさえて、ウィルマーは耳に意識を集中させる。

「(動きが、止まった)」

 映に動くなと目配せをする。わかっているとばかりに、映は息をひそめていた。火土竜サラマンドの首をりに行く必要は無い。そもそもが一人で相対あいたいするべき相手では無いし、狩りが目的では無い。目的はこの場を脱出することだ。今のうちに退却するのが良いだろう。

 依然いぜんとして、遠雷のように重い足音や、風圧を肌に感じる。探しているのだ、こちらを。

 汗があごを伝っていく。行くならこの瞬間だ。

 最低限の動きで、隣に座る映の耳に顔を寄せ、声をかける。

「【走れるか、】 ――えッ!?」

 映は、自然な動きでウィルマーの頭を自分の胸に抱き寄せると、ウィルマーの耳に息がかかる距離で、怜悧れいりにささやく。

「【動かないで】」

 映のすこし冷えた細い指が、ウィルマーの太く硬い髪の合間に差し込まれる。そのまま、さらにぎゅっと抱き寄せられた。今までとは別の意味で、猛然と汗をかくウィルマー。

「【な、なな、な】」

 なんのつもりだ!?と慌てふためき固まる。

 その頭の後ろで、シュっと――、霧吹きを吹いたような音がした。

「ギッ―――――!?」

 悲鳴のような獣声じゅうせいが響く。慌てて振り返ると、そこには、鼻を押さえてもだえ苦しむ火土竜サラマンドの幼体が転がっていた。

「【なるほど、試しにと思ってやってみたけれど、くのね】」

 場違いなほどに爽やかな石鹸の匂いが香る坑道の中、満足げな声を出す映。肩に掛けている学生鞄から取り出したのだろうか。その手の中で、青い水玉模様のパッケージがあしらわれた制汗剤の缶が、にぶく光を放っていた。

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