第15話 隠し事


 凜々花は震えるだけで、俺の説教には何も答えなかった。


「あの、私が先に謝ります」と茉莉花が右手を軽く挙げて言う。

「いや、それは違うだろう」

「いいんです。

 昔は私も思春期の女の子でしたから、なんとなーく、想像ができないわけじゃありませんしね。

 それに私もいろいろあったから、怒りというか、ストレスというか……

 『ちょうどいいや、ぶつけてしまえ』って。

 そうなっちゃったんじゃないかな、と思うんです。

 だから凜々花ちゃんは、私の被害者かもしれません」

 茉莉花はガックリとうなだれている凜々花に、「嘘をついてごめんなさい」と頭を下げて言った。

 これは凜々花には、とてもこたえることだろう。


 早合点はやがてんの思い込みで挑発したら逆襲をくらい、カッとなって思わず手が出るも、大人の余裕ある対応で逆に謝られてしまった。


 それは言ってみれば、『完璧な負け』ということだ。

 だが、負けたからといって、この場から逃げてもいい。

 そういうことではないのだ。

 それではダメだ。


 俺は掴んで止めた凜々花の手を、テーブルの上に置くように離す。

「凜々花、彼女はこう言っているんだぞ。

 何か、返すことがあるんじゃないかと思うが?」

「私はそんなに気にしてませんから。

 こんなみっともない格好で、いきなり驚かせたのは事実ですし」

「いや、そういうことじゃない。

 もちろん茉莉花に対して、ちゃんとすることは大事だ。

 そしてそれは、凜々花自身がこれからどう生きていくかにも通じる大事なことだ。

 ダンマリを決め込むとか、逃げ出すってのは、俺の娘としては相応ふさわしくない」

「私としては、その……

 そんなにきつく叱らないであげて欲しいです」

「いや、茉莉花。

 正直言って、俺はその優しさの方が凜々花にはキツイことだと思うんだがなぁ」

 茉莉花は「私が、ですか?」と自分を指差し、首を傾げた。


 ――自覚なしか。

 試合に勝ったのに、自分の方が弱いを連発するのはなあ?

 そして仕掛けたはずの凜々花は、その結果に打ちのめされ何も言えない状態、と……

 さあて、困ったな。

 2人には上手くやってもらって、服の貸し借りか買い物でも、行って欲しいところなんだがな。


「凜々花、いまさらだが説明しよう。

 ちょっと今回は特殊な仕事でな。

 お嬢様を監禁するDV(ドメスティックバイオレンス)男から助け出すって、おかしな仕事だったんだ。

 世間様もDVに理解ができつつあるが、事態が深刻になる前ってのは、事件じゃないから警察も動きにくいわけだよ。

 そこで今日、いや、もう夕べか。

 別れ話をするから、『もしかしたら』に備えてくれってな。

 そんな話だから、いろいろとゴタゴタがあって、こんな格好なんだよ。

 でだ、相手に予想がつくところに隠れたんじゃ、ナイフでも持って逆上して家庭訪問されかねない。

 学校のセンセの訪問も楽しかないが、こっちは狂ったストーカーだ。

 そりゃあ、シャレにならんだろ?

 血の雨が降って、明日のニュースになるぜ。

 そこでまあ、縁もゆかりもない場所にお嬢様をお預かりって感じなのよ」

 俺は話しながら右目で茉莉花にウィンクをし、『話を合わせろ』と合図する。

「事務所で預かる可能性があった以上、オマエにも話しとくべきだった。

 俺も謝ろう。

 すまなかった、俺のミスだ」

「私も若い娘さんが事務所に来るなんて、思ってなくて……

 誤解させてしまったわね」


 ……


 …


 しばらくして俯いたままだった凜々花が顔を上げた。

 俺と茉莉花をチラチラと何度も見る。


「嘘っぽい。

 じゃ、どうして依頼人を呼び捨てなの?」

 凜々花は俺を見上げ、当たり前の疑問をただしてくる。

「ん、あぁ。

 そりゃ、うん、あれだ。

 別れ話に乗り込むのに、まったくの他人の……なんと言うか」

「つまり設定なんです」と茉莉花の助け船。

「そう、結婚式のサクラだって打ち合わせがあるらしいぞ。

 だから準備は大事なんだ。

 彼氏……じゃマズイんで、兄のな、兄貴設定」

「……そう。

 じゃ、私ももう1つ言っていい、じゅんさん」


 ――なんで急に凜々花の奴、俺を名前で呼ぶんだ?

 娘のくせに……

 わからんが、何か嫌な予感がする。

 けれども、いまさら引けん。

「ああ、もちろんいいよ。

 言ってみな、凜々花」

「私、この人……見たことある!」

 そうして凜々花はいったん区切り、俺と茉莉花を交互に見る。


 俺は思わず右手で顔を覆った。

 ――あーそれ、今言っちゃうんだ。

 死んだママにそっくりだと。

 あーそう……

 まあ、しゃあないな。

 事実は事実だ。

 クソ! もう成るように成れ。


「最近TVに映ってた。

 ネットニュースにも、出てた

 写真つきで」


 ――は?

 テレビ、だと……


 予想の斜め上の発言だ。

 俺はまばたきを繰り返して凜々花を見つめ、そこから横へと視線を滑らせ、茉莉花を見る。

 ギィっと軋む音がしそうな、ゆっくりとしたぎこちない横移動だ。

 すると俺の視線の移動にシンクロするように、茉莉花もまた逃げるように横へ首を振り、俺の視線から逃げた。

 

 茉莉花は凜々花の発言を喰らい、横を向いて固まっている。

 俺はそんな茉莉花をジッと見たまま、聞き返す。

「もう1度言ってくれるか?

 凜々花」

「ええ、いいわよ。

 私、見たの。

 ニュースで。

 とっても偉い人の娘だったらしいわよ」


 それを受け、茉莉花はようやく言葉を返す。

「それ、きっと他人の空似ですよ。

 ほら世の中には3人のそっくりさんが……

 あの、それに会うと死んでしまう……とか、あれ?」


 どうやら凜々花の逆転らしい。

 俺の娘は茉莉花の反応を見て、目をキラキラと輝かせている。

 さっきまで涙目で俯いていたはずなのに……

 ――ということは、あれか?

 詰んだのは俺じゃなく、もちろん凜々花でもなく、予想外に茉莉花なのか?


 ――すると話は変わってくる。

 女の価値が1億というのも、あながち……

 茉莉花がボロをだしたところで、俺はスッと立ち上がり机に投げてあった財布を取る。

 おもむろに紙幣を取り出して戻ると、凜々花に押し付けた。

「ちょっと大人の話の時間になった。

 これを駄賃にやるから、茉莉花が着られる物を、家に帰って持って来てくれ。

 どうせ話が終わったら、ちゃんとしたのを買いに行く。

 とりあえずの替えだから、スエットでも、ジャージでもいいぞ」

 茉莉花は矛先が明らかに代わったことを感じたのだろう。

 しまったという顔をしたまま、そっぽを向いていた。

「え、でも……

 私、話が終わってないけど」

「なんだ?

 ほかに知ってる情報があるのか?」

「いや、なんて言うか……

 謝るとか謝らないとか」

「そんなくだらんことは好きにしろ!」

「ちょっと!

 くだらないって。

 それはないでしょ、パパ!

 だって――」

「――だっても何もあるか!

 重要な話がある。

 それだけだ」

「もう、やっぱり自分勝手なんだから。

 パパのバカ!」

「おう凜々!

 名前入りのジャージは勘弁してやれよ。

 買い物に付き添う方が恥ずかしいからな」

 土壇場の逆転勝利のはずが、喜びに浸る間もなく急に追い出されようとする凜々花は、俺への不満を隠そうともしない。

 ドシドシと足音をワザと立てながら、ドアを勢いよくバーンと締めて出て行った。


 けれど、そんなことはもうどうでもいい。

 今は仕事の時間になったのだ。


 俺は茉莉花の向かいに腰を掛けて視線をやってから、しばらくらさずにいた。

 何も知らない小娘ではなく、本当に1億の価値がコイツにある。

 どうやらその裏付けが、凜々花によってもたらされた。

 ならばその内容を確認する必要がある。

 茉莉花が語らないなら、依頼人の西に聞けばよいこと。

 そう思っていたが、状況が変われば俺の気も変わる。

 知っているのと知らないのでは、西へのクレームの付け方も変わってくる。

 嵐のような騒ぎを運んだ凜々花が立ち去って、部屋には沈黙が続いていた。

 茉莉花は未だに目を逸らしたまま、俺の方をまるで見ようとしない。

 それが凜々花の『見たことがある』に、それが本人であり、真実である、というお墨付きを与えていた。

「そういえば……

 警察は何時頃にくるのかな?」

「えっ、連絡したの?」

「俺がか?

 まさか。

 『警察も動かせる』、そんなことを言ってなかったかな、お嬢様」


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