厄介事は暗い水底と共に

第1話

 不咲区 の外れ、迷路みたいな貧民街スプロールの一角に20階建てのアパートメントがある。所々剥がれ落ちたコンクリートは年季を感じさせ、設備も旧式で、家賃も馬鹿みたいに安い。故に馬鹿みたいな住人ばかりが入居してくる。その馬鹿みたいな住人の一人。ベージュのチノパン、白いYシャツの上にエプロンを着込んだ出で立ちでキッチンを占領する馬鹿みたいな大男。赤い長髪、額には黒く輝く角が。その顔はガタイの割に優男で知性を感じさせる。異大陸の先住民インディアン。アルヴァタールは鼻歌を歌いながら馬鹿みたいな先住民御用達の馬鹿スパイシーな料理を馬鹿大量にこさえていた。その臭気に初めは近隣住民から苦情が多数来ていたが、住民は鼻も馬鹿になったのか今では苦情も収まり、馬鹿料理の臭気リサイタルが毎日行われる用になっていた。苦情を入れるものはもういない。一人を除いて。

 そしてアルヴァタールが異臭の発する馬鹿料理を大量に作る原因は、ダイニングテーブルに座る寝間着スウェット姿の少女、フェイル2だ。黄金の瞳に小麦色の褐色肌、つややかな黒い髪。10歳くらいの少女は両手にナイフとフォークを持ちながらながら無機質に喋った。これも馬鹿住民の一人。


「警告、フェイル2の体内熱量が警告域です。安全域まであと、5000キロカロリー」


「オチビサン、もう1分ダヨ」


 アルヴァタールがフライパンを振りながら答えた。この"1分"というのは"もうすぐ"と言う意味合いである。彼は自分が作った料理を残さず食べてくれる人間ができて嬉しかったのだ。どうでも良いが彼ら部族のもてなし作法は"倒れるまで食わせろ"である。

 そんな会話をしている内にリビングの取っ手が壊れたドアが勢い良く蹴り開けられた。MOUNTAIN OF BOOBIESおっぱい山脈というわけのわからない英語が胸にデカデカと書かれたTシャツにボロボロのジーンズの男はがなった。右目が潰れている彼は鍵屋銀次郎カギヤ ギンジロウ。無精髭を生やして適当に伸ばされた髪には寝癖がついており、起き抜けだということは明らかだ。彼も馬鹿住民の一人。しかもこの馬鹿アパートメントの馬鹿住民の中でかなりの高さの馬鹿ヒエラルキーを保っているのは疑わしくない。


「アルヴァタール ! 料理をやる時は人気の無い無人島にでも行ってやれって毎回言ってんだろーが!」


「オハヨウゴジマス、ギンジロ。朝から元気です」


「今すぐ火を止めやがれ!鼻が曲がる!」


「ギンジロ、しつこい男はメスに嫌われるヨ」


「うるせえ!」


 そういってガラガラと部屋中の窓を開け伸びをするギンジロウ。独特な臭気を押しのけて早朝の少し冷たい空気が部屋に流れ込む。季節は秋真っ只中だ。フェイル2が無表情のままブルブルと震えた。

 

「はぁー。清涼な朝の空気が気持ちいいねぇ」


『なお、本日の大気中の有害物質濃度指数は212を示しており、外出や洗濯物の外干しは控えるよう───』


 静かになった部屋の中でTVの音声だけが流れ続けた。説明するのは今日の大気情報だ。大抵は良くないアナウンスをしてくれる。

 それを聞いたギンジロウは静かに窓を締めた。冷たい空気の次は微妙な空気が部屋に流れる。


「警告、フェイル2の体内熱量が警告域です。安全域まであと、5000キロカロリー」


「ハイハイ、もう食べてヨ」


 空気を読まずにフェイル2が飯をねだり、いそいそとアルヴァタールが皿の山をダイニングテーブルに並べた。ブクブクと泡立つそれはまるで噴火前の活火山だ。それを躊躇なくモリモリと食べだすフェイル2。

 ギンジロウはスライスされたパンを二口、三口かじった所で食欲が消え失せTV前のソファにごろりと寝転がった。


 まったく、今日は雷電プラスの修理が終わって引取に行く日だってのに朝から辛気くせえ。ゴロゴロしながらギンジロウ。

だがこれでまた元の流れに乗れる。スーパーケンセイモールのレイダーハントで500万円元が手に入ったが300万円元がギンジロウの治療費に消え。50万円元がここ一ヶ月の生活費に消え(ほとんどフェイル2の食費だ)。150万円元を雷電プラスの修理費に充てることが出来たが、まだ1450万円元もの借金が残っている。そんなことを考えたら胃がキリキリしだしたギンジロウは、とりあえず思考を放棄してゴロゴロし続けた。


 フェイル2の食事が終わりギンジロウと同じく空いたソファでゴロゴロし始めると、アルヴァタールの食器を洗うカチャカチャという音、そしてTVのコマーシャルの音だけがリビングに響いた。


『眠気もポン!疲労もポン!やる気もポン!全ての疲労にポロポン!永遠に働ける喜びをあなたに! チャラララ~♪ 本製品は中毒性があります。 用法・用量をお守りの上───』


『大気中のバクテリアも逃さない清掃力、フレキシブルな思考、シックなデザイン。あなたの思考の先を行く。0と1だけではない。ビッグサンの給仕ロボットはここまで進化した───。 *正常な動作にはA薬の定期的な注入が必要です*」

 

 ゴロゴロ

 ゴロゴロ


「お前もゴロゴロしてねーで、あのコマーシャルの給仕ロボみたく掃除くらいしようとは思わねーのか」


 ゴロゴロしながらギンジロウはTVに写っていた円筒状の給仕ロボを指差し、ゴロゴロしているフェイル2に問いかけた。


 ゴロゴロ

 ゴロゴロ


「この新形態はフェイル2のエネルギー消費を最大限に低減させることが可能です。また、フェイル2にあのような機能はインプットされていません」


 ゴロゴロ

 ゴロゴロ


「役立たずのガキめ。その名前はまったくお前にお似合いだよ」


 ゴロゴロ

 ゴロゴロ


「はい。フェイル2は失敗作です。育成段階で自我の自発的発現を行うことが出来ませんでした。現在のフェイル2は脳内にインプットされた仮想ペルソナ。ケテル及びゲブラーにより制御されています」


 ゴロゴロ

 ゴロゴロ


「お、おう。そうか?」


 ゴロゴロ

 ゴロゴロ

 ゴロゴロ

 ゴロゴロ


















*ウィーン*


*ガリゴリガリゴリ*


*チュミミミィ*


*ウィーン*


*ガリゴリガリゴリ*


*キュイィッ*


*ウィッ*


*ガキガキガキガキ*






















「ギンジローーーーーーーーーーーッ!!!!水が出てく所に! dumati ng isng qikt!!」


 アルヴァタールの叫び声に飛び起きるギンジロウ。現状が飲み込めず彼の居るキッチンへと駆け込んだ。


「な!なんだぁ!」


 そこで繰り広げられていたのはキッチンの排水口から伸びる青紫色をしたタコの様な触手と格闘するアルヴァタールだった。右腕に絡みついた触手は排水口にアルヴァタールを引きずり込もうとしているようで、彼は右腕をくの字に曲げてふんばり空いた左手でネックレスを引きちぎると何事か喚いた。


「gok glluth ve simsekng caback aceleng edegibr azlan ben kuotng sunacaim zaten beyisik dusman verdum!!」


 触手を拳で殴りつけるアルヴァタール。途端に真っ白な電撃が触手を襲い、数秒後には黒焦げになってシンクに横たわった。これは原住民共が使う"まじない"だ。


「bu dang neg !!bu dang neg !! 」


 締め付けられた後の残る右腕で黒焦げになった触手を指差しながら、左手でギンジロウをガクガクと揺らして何やら喚くアルヴァタール。


「おちつけ!おい!おちつけって!何言ってるかわからねぇ!」


 一通りギンジロウをシェイクした後アルヴァタールは息を切らしながら。


「qikt が水が出てくところから! これは何だギンジロ!」


「なんだって。あーミキサーが壊れたのかもしれねぇ……。この建物は設備が古いからなぁ」


「ミキサーってなんだ!?」


「ああ?たまに仕事が無い時によく行くだろ。掃除で小銭を稼ぎに。汚い水がたくさん流れてて、クリッター化物共がたくさんいる……」


 そう言うとアルヴァタールは思い当たるフシが有ったようだ。


「あそこにこの排水口は繋がってんだよ。でも虫とか逆流しないようにごっついミキサーが元管に付いてるはずなんだがなぁ。ちょっと大家に確認してくるわ。その間水が出てく所は近づくの禁止な」


 そう言ってギンジロウは大家の部屋に行こうと適当に着替えた。秋は肌寒い、無造作に放り投げられた薄手のジャンパーをオッパイ山脈の上にはおり、玄関へ向かう。このアパートメント全体は中央部分がくり抜かれ長い螺旋階段になっており、中心をエレベーターが行き来する構造になっている。

 ここは8階だから、大家の居る屋上までエレベーターで行こう。なんて考えながら玄関の扉を開けた。───扉を締めた。理由は扉の外で住民を貪る巨大なゴキブリがいたからだ。

 

「おい!アルヴァタール!ガキも来い!武装してだ!とりあえずこのアパートから逃げんぞ!」


 玄関の外では争いと絶叫、血の匂いが満ちていた。何時もならスケートボードをやっているクソガキ共や小うるさいババア共、語り弾きや怪しい売人まで様々な人間が通路に居るのだが、今代わりに居るのはでかい甲虫みたいな化物、アメーバみたいな化物、うねうね動く線虫みたいな気味の悪い虫、人間を食えるくらい大きくなった蛆。ネズミ、ハエみたいな奴、目に入るだけで博物館が開けそうな数の化物が占拠していて、何時もよりバリエーション豊かだ。あとはそれと交戦する住民や貪られる死体がそこらで散見された。


 ギンジロウはまず玄関の扉を少し開くとリンゴみたいな手榴弾を幾つか転がした。即座に扉を閉めてしゃがむと数回の爆発。そして油断なくオートマチック銃を構えて扉の外へ。はじけ飛んだゴキブリが壁にひっついてピクピクと痙攣している。他に敵はなし。


「OK、クリア。行くぞ」


 そう言ってアルヴァタールとフェイル2に視線で合図した。

素早く駆け足でエレベーターへ近付き下りのボタンを何回かおした。が、反応はない。


「駄目だ、反応なし。アルヴァタール。"まじない"の数は?」


「防壁3、炎2、雷電1、追い風2」


「よし、"防壁"と、"追い風"をくれ」


 アルヴァタールがネックレスから石(河原から取ってきたやつだ)と、枯れ葉(水分がとんでパリパリなやつ) が入った小瓶を引きちぎる。両手握りなにやらつぶやくと、指の隙間から光が漏れその光がギンジロウ達を包んで弾けた。そして開いた彼の手には小瓶だけが残った。

 先住民が言う所の神に捧げたらしい。そのかわりに加護を得るという。火を出したり、雨を降らしたり。ギンジロウは最初トリックを暴こうと躍起になったが、今では無駄な努力だったと認めている。バカバカしく非科学的だが。

 オカルトで食ってきた専門家は認めないが、本物だ。ウィッチクラフトやブードゥー、ルーン。様々な伝承は有るが奇跡を起こしたのは。今、目の前で起こしているのはコイツだけだ。もちろんギンジロウが知っている中でだ。


「行くぞ。付いてこい」


 そうして動き出したギンジロウ達。階段を降りる体が軽い。


「現在、フェイル2の運動性能が20パーセント上昇しています」


 これが追い風の"まじない"だ。体を軽くする。"追い風"という名前の"まじない"は無いが、分かりやすいようにギンジロウが付けた。実際は風が体の動きを補助しているらしいが、めんどくさくて深掘りをしなかった。


「ギンジロ!」


叫んでアルヴァタールが木刀を(素振り用の幅広で重いやつだ)を横にないだ。野球ならヒットといったところか、天井から落ちてきたゲル状のアメーバを木刀で四散させた。しかし飛び散るゲルの一部がギンジロウに降りかかりジュウジュウと音を鳴らす。なんと四散させたそれぞれがまだ生きているのだ。だが驚いたことにギンジロウは自分が溶かされていると言うのに至って冷静だ。


「落ち着け、落ち着いて。燃やしてくれ。俺ごと。力加減は任せるぞ」


よく見れば溶けているのはギンジロウの服だけ、アメーバの取り付いた皮膚の場所だけが薄っすらと暖色に光っている。これが"防壁"の"まじない"。場合にもよるが、アサルトライフルの一撃なら辛うじて防いでくれる。2発目で貫通するため過信は出来ないが。


「bu yanang birg kurk kerktleng ben yanang birg torz ver ist alverer」

 

ネックレスからちぎり取った小瓶に入った粉が消え、代わりにアルヴァタールの右手のひらが赤く赤熱。アメーバを撫でるようにしてやるとキュイキュイと音?鳴き声?のようなものをたてて蒸発していった。そして限界とばかりにギンジロウを覆っていた膜が消える。脂汗を浮かべたギンジロウが息も荒く。


「"防壁"、もう一発くれ。その後すぐ進むぞ」


 それからアパートメントの長い螺旋階段を必死に下った。顔見知りの売人は得体の知れない昆虫に卵を産み付けられているのを見たし、いつもうるさく井戸端会議している主婦の一人は下半身が行方不明になっていた。カーテンを捲るみたいに気軽に"こう"なるのが今の時代だ。次はいつ自分の番かもわからない。


 8階から1階へ"追い風"と"防壁"がついた状態で下りるのは直ぐだった。最後にエントランスに居た頭の無いタコみたいな触手の塊が居たが、途中で合流した住民と蜂の巣にした。撃っても撃っても向かってくる触手に苦労したが。最後に油をかけて燃やしてやった。

 もうもうと燃えるアパートのエントランス。なんとか脱出できたアパートの住民やギンジロウ達は道端にへたり込んだり、知人同士で抱き合ったりそれぞれだ。フェイル2は何か思うところがあるのか、燃え続ける炎をじっと感情のない目で見続けている。しばらくしてお揃いのアーマーを着た治安部隊(きっと大家の契約していた損害保険に含まれていたのだろう)が大型車両でやって来てバタバタとバリケードを作り、事態の沈静化への準備をし始めた。

 これで一件落着だ。そうして肩の力を抜いたギンジロウは胸ポケットをポンポンと探った。が、タバコが無かったため、隣に居た若い奴からタバコを一本ぶんどって吹かし始めた。

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