38話 魔装

 絶望が闇の中から顔を覗かせた。

 それはもはや、人のカタチを留めていなかった。この世の全てを拒むような黒色の、妖精残滓の塊の中から紅色の目が帝を捉えた。

 口、のような何かがもぞもぞと動き、やがてガパリと粘着質に開く。

「ギギャァァァァァァァ!!」

 その奥底から大気を揺らした絶叫は、衝撃波となって帝へ強襲する。

 真っ向から迎え撃つ帝は焔を全身に纏うようにして、即座に障壁を形成する。振動は焔の内部を駆け抜けてビリビリと痛みを伴って貫くが、しかし帝の警戒していた《絶望》属性の呪詛からは体を守ることができた。  


 だが、最強最悪と呼ばれた妖精、もとい精霊の力はこんなものではないだろう。

 その帝の推論は間違ってはいない。事実、パンドラの覚醒は未だ初期段階、仮初の姿に過ぎない。

 絶叫が止み、開けた視界で帝は拳を振るう。しかし、完全に当たったと思った一撃はまるで靄を払うかのように、触れた感触もなく宙を切るだけだった。

 刹那の逡巡、すぐさま帝は空中で体を捻り反撃に備えるものの、衝撃は真上から襲ってきた。気づいた時には地面に叩きつけられていた。

 コンクリートを砕き、内蔵が内から弾けるような激痛が駆け抜けた。体はバウンドし、無様に転がる。


「ぐっ・・・・・・」


 口の端から血が垂れ、吐き出した痰は真っ赤な血の色を呈していた。たった一撃、されどその一撃は一瞬で彼我の実力差を理解させた。

 実力、と言うのも語弊があるか。圧倒的な力の差そこに技量を挟み込む余地もないほどの。


「帝! 下がって!」

「オレもいくぜ!」


 立ち上がろうとする帝の脇を抜けて、空中で漂うパンドラへ迫るのは伊草、その手には刀型の妖精バリエが握られている。

 飛ぶ斬撃、彼女の卓越した剣技と霊力が可能にしたその攻撃に合わせるようにして飛翔したのは、ラフリエと椿だ。

 妖精の加護を受けて強化された肉体による蹴りは帝にも劣らぬ火力を誇る。しかし、それら伊草と椿の攻撃もまた、実体を捕まえることもなく、あっさりと通り抜け、虚空に消えていった。

 触れられない・・・・・・違う。パンドラの本体は実は中心部だけだ、その周囲の瘴気に物性などない。

 

 二人の連撃は外れ、伊草はともかくとして、椿は無防備を足場のない空中で晒している。


「ちっ、サラド! 椿を守れ」

「よしきたる!」


 間一髪、先程帝が受けたであろう闇の中から現れる腕のようなものによる叩きつけ、その間に焔の壁が割って入ってそれから椿を護った。


「助かったぜ、帝さん!」

「無茶をするな! ・・・・・・だが、俺も助かった。そこは感謝してる」

「それはお互いさまだぜ!」

「いちゃつくな! 次が来る!」


 視線を交わすも束の間に、パンドラは次の動作に移っていた。

 伊草の叱咤による、というよりは脊髄反射的に危機を察して身構える。球状を作り出していた瘴気は爆発するように拡大し、無数の腕が迫り来る。


「邪魔ヲスルナァァァァァァァ!! ボクノ愛ハ誰二モ邪魔サセナイ!!」


 あまりの荒々しい暴力の前に、為す術もなく帝たちは薙ぎ払われた。


「ガネーシャ! 頼む!」

「今日も課金に感謝ナリー!」


 校舎の壁に激突する寸前に、見えない力によって優しく着地させられる。それを行ったのは、校舎の影からの援護に徹した桐原、そしてその妖精ガネーシャだ。


「ナイスです、桐原先輩!!」

「おしゃべりしている暇があるなら前を向け! 次が来るぞ!」

「桐原先輩こそ気をつけて!」


 雨あられの如く降り注ぐ腕の追撃をなんとか躱しながら、帝は反撃の機会を伺う。

 初撃で仕留め損ねて、それからズルズルと攻撃すら当たらなくなり、防戦を強いられている。


 ・・・・・・なんとしても、やつの動きを止めなければ。

 

 その思いは、この戦いにあたり、結界と同時に進められていた仕込み。対妖精戦闘滅殺術第七項、《天ノ槍》。連合及び師団双方の許可の元にのみ発動を許された対妖精用の最終兵器、五術。そのうちふたつを惜しげも無く投入した決断は英断だっただろう。

 諦める、そんなつもりはさらさらないが、それでも使わざるを得ない相手なのだ。

 本来、妖精師百名近くの力を合わせなければ撃てないこの大規模破壊兵器。そして今回はそれを合わせて二発、結界維持に当たる妖精師と直接戦う帝たちを除いた残り全員、かつてない人数で行われようとしている。


 外せば、この戦線は間違いなく崩壊する。結界維持に全力を注ぎ、他のことに対処する余裕のない人もいれば、《天ノ槍》を放つために全霊力を込める人もいる。短期決戦を図る以上、避けては通れないこの陣形。

 長引かせることに、意味は無い。それこそ絶望を肥大させるだけだ。

 結界も長くは持たない。


「・・・・・・サラド、あれをやるぞ」

「・・・・・・いいのか、つかさる?」

「やらずに勝てる相手じゃないだろ。・・・・・・久々だが耐えてくれよ、俺の体」


 肌に感じていた熱。サラドの力によって燃え盛る焔は普通なら自身の体を焼くようなことはない。しかし、妖精との契約を更に深化させ、より高次元の領域に至れば、その通常も壊れてしまう。

 限界突破、選ばれし妖精師のみの集う師団においても、ひと握りしか使えない諸刃の剣。


 焦げ付くような痛みに全身を蝕まれて、崩れそうになる膝を無理矢理立たせて、昂る闘志に身を任せる。

 焔に包まれた両手足、それは鎧のような硬質さすら感じさせる武装となって顕現した。


「炎獄魔装カリデュラ・・・・・・身に染みて痛いな」


 地面を爆散させながら、帝は跳躍する。あっという間にパンドラの頭上に出て、右の拳を振り下ろした。狙うはパンドラの核。胎動する瘴気のその中心へ灼熱の焔を纏った一撃を撃ち込んだ。 

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