32話 データ

「あの方、か」


 屋上で吐いたその呟きは、風に運ばれて彼方に消えていった。青みがかった紫色の髪を粉雪の混じった北風になびかせて、桐原はフェンス越しにグラウンドを見下ろした。


「そいつがこの学校にいるとは思いたくないですが、調べない理由ワケにもいかないでしょう」

「私のあずかり知らぬところでお前がそんな事件に巻き込まれていたことにも驚きだよ」


 同じくフェンスに肘を乗せて、顔を出してどこか遠くを眺めている少年、九条帝くじょうつかさはそんな桐原の返しに、笑いながら白い息を見送った。

 

「心当たりは?」

「残念ながら。連合に聞いてみましたが薬の出どころは分かっていないそうです。・・・・・・ですが」


 肩をすくめ首を振ったと思ったら、急に声音を厳しくして声を潜めた。


「その薬、どうやら妖精師が絡んでいるそうです。微量ながら妖精残滓が確認されました。どうやらそのせいで妖精師にも効いたんでしょう」

「へえ、お前もくらったのか」

「おかげでしばらく頭痛に悩まされましたよ。話が逸れました。その妖精残滓を検査したところ、その妖精残滓、どうやら連合にも未登録のものだったそうです」

「それは連合も殺気立つな。自分たちが招いてしまったようなものだから」


 いつの間にか出てきていた炎の妖精、サラドが隣でうんうんと頷いている。正確にはうんるうんるであるが、些細なことだ。


「またお前勝手に」

「最近ずっと召喚されてないる」

「あ、うん、ごめん」


 チリチリと前髪を焼かれて謝罪するも、そっぽを向いて飛び回っている。人目につかないようにするくらいの配慮はあるんだろう、きちんと目の届く範囲にはいる。


「しかし、この学校の全校生徒を調べようにも、どうするんだ? うちは一学年で五百人近くいるんだ。我々だけで調べるにしても手が足らんぞ」

「問題はそこなんですよ。一人一人聞いて回るなんてしても意味無いでしょうし、そもそもいるかどうかすら定かじゃない」

「そういうのを一度に調べられるようなものがあればいいんだがな」

「ははっ、流石にそんなものは・・・・・・・・・・・・いや、だけどあれは・・・・・・でも、もしかしたら」

「何かあるのか?」

「いえ、まだなんとも」


 まさか、この世界でもあそこに行くことになろうとは・・・・・・。


 ★  ☆  ★


「人は・・・・・・いないな」


 辺りの気配を探りながら、帝は柱の影から姿を現した。休日に学校の校舎内にいるようなやつも、いるにはいるだろうし警戒するに越したことはない。


 抜き足差し足忍び足、それでも極力足音を立てないように進んで行く先は、かつての地獄。

 休日出勤という学生らしからぬワードが思い出されるそこは、生徒会室。こちらの世界でも相変わらず地味なその部屋を訪れるのは、随分と久々なものに感じられた。


 胸ポケットを探り、取りだしたのは小さな鍵。最近洗濯しようとして気づいた、元の世界から持ってきてしまっていたそれ。使うこともないだろうと思っていたが、中々どうしてこんな場面で使うことになろうとは。


 鍵穴に差し込んで、霊力を込めて鍵を回す。やはりすんなりとロックは外れ、かけていた指にかかる抵抗が一気に弱まる。

 中に入って最初の感想は、それこそあの時と同じものだ。多少なりとも生徒会長の影響を受けているのか、ところどころに違いが見受けられる。


 沈黙を守っていたパソコンに触れて、起動させる。起動音も変わらない。何とも気の抜ける音だ。

 無断で潜入しているというのに、気勢が削がれるのも、変化ない。


「・・・・・・やっぱ、あったか」 


 『全生徒データ一覧、二○✕✕年度版』


 表沙汰にすれば多方面からバッシングの種にされそうなデータが、当たり前のようにファイルの中に収められている。

 と、そんな良識の話は置いといてそれを一番最初から、一年一組一番、某の個人情報の端から端まで目を通す。家族構成に始まり、成績に実績、そしてIQまで。通院歴なんてものも。

 そして・・・・・・。 

 

「霊波紋まであんのかよ・・・・・・だが、これなら」


 霊波紋、あまり妖精師一般にも知られていない概念である。それは霊力の持つ固有の波動。ひとつとして同じものは存在しない。

 霊力が違うとは知っていても、それがどう、とは答えられない。そしてそれを知ることが意味するのは、例え妖精師ではない普通の人間であっても、霊波紋は存在するという真実。ここから先は妖精にまつわるブラックボックス、覗いてはならない。


 目を閉じて脳裏に浮かべるのは昨夜送られてきた調査書。そこには薬の霊波紋についても書かれていた。しかし、こうしてデータと照合できるなどと思っていなかったから、正確なところまでは自信が無い。時間が経つ度にそれは強くなっていく。


 瞼を開いて合計千と幾ら。その全ての霊波紋が目まぐるしい速度で流れていく。

 眼球が渇く前に、全神経を尖らせる。

 そうでもしなければ、刻々とその輪郭を溶かしていく記憶との整合ができない。


 幾つ見たかはもう数えるのを止めた、そんな矢先に。


「あった・・・・・・」

 

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