ⅩⅤ 智慧比べ

ⅩⅤ 智慧比べ(1)

「――安心せい。もうここへは調べに来んじゃろうて。それにもうしばらく我慢しとれば、全員諦めて町から出てってくれるわい」


「あなたは、いったい……」


 何か魔術でも使ったのか? 捜索の兵をあっさりと引き上げさせてしまったジェフティメスに、メルウトは狐に抓まれたかのような顔をして尋ねる。


 危機を脱して胸を撫で下ろしはしたが、そんな安堵感よりもこの謎めいた老賢者に対しての興味の方が、俄然、今の彼女の中では上回っている。


「なあに、前にも言った通り、ただの気侭な老いぼれジジイじゃよ」


 そんなメルウトに向かって、以前同じ質問をした時同様、ジェフティメスは愉しげな笑みを満面に浮かべてそう答えた。


「そうそう。ただの老いぼれジジイだよ」


「おまえが言うな!」


 となりで大きく頷くウベンに対して、老賢者は眉をしかめてツッコミを入れる。だが直後、メルウトの方へ向き直ると、優しげな笑顔の中にも目つきだけを鋭くして、いつになく真面目な声色で彼女に問い返す。


「……おまえさん、今のヤツらが捜しているレトポリス・セクメト神殿の神官メルウトさんじゃな?」


「…………コクン」


 その直接過ぎる質問に、メルウトはしばし黙してから、首をゆっくりと縦に振った。もう今さら、この人達に嘘を言っても仕方あるまい。


「メルウト……〝愛〟や〝希望〟っていう意味だね。俺のつけたネフェルトより、確かにその方が君にはぴったりの名前だよ」


 それを見て、ウベンが冗談とも本気ともつかぬ軽口を真面目な顔で言う。


「お尋ね者であることを黙っていてすみません……」


 メルウトは視線を床に落とし、この一度ならず二度までも自分を救ってくれた老人とその弟子に心よりの謝罪をする。


 黙っていたばかりか、図らずもこのような形で命の恩人を厄介事に巻き込んでしまい、本当に申し訳なく思う。


「でも、騙すつもりはなかったんです! あの人達の言っていることは大嘘です! わたしはそんな謀反人なんかじゃ…」


「ああ、わかっておる。黙っていたことも別に構わんよ……初めから薄々は気づいていたしの」


「えっ?」


 だが、自分が罪人でないことを必死で説明しようとするメルウトに、この謎めいた老人は思わぬことを言い出すのだった。


「それに……おまえさんがラーの眼イレト・ラーの一つ、セクメトを隠し持っておることもの」


「ええっ⁉ ど、どうしてそのことを……」


 メルウトは大きく目を見開き、ここに来てから一番の驚愕の声を上げる。


 今の言葉には、ほんと心臓イブが止まるくらいに驚かされた……なぜ、この老人はラーの眼イレト・ラーのことを知っているのだろう? ……まさか、この人もアメン神官団の……いや、だったら先程のように助けてはくれまい……では、いったい、どうして?


 メルウトはさらにこのジェフティメスなる人物のことがわからなくなり、混乱の色を浮かべた黒い瞳で、ただただ深い皺の刻まれた老人の顔を見つめ返した。


「おまえさんが神官であることや、その胸にかけとるアンクと『セクメトの書』を持っておることを合わせて考えれば、まあ、そういう結論に自然と到るわい。いや、中身は見とらんが、表に書かれた題名が偶然目に入ったもんじゃからの……ああ、あやつらに差し出そうなどとは思っとらんから心配せんでもいい。いやむしろ、そうとわかれば断じてあやつらの手におまえさんを渡す訳にはいかんの」


「……どういう……ことですか?」


 これまでの人生で一番の怪訝な顔をして、メルウトは再び尋ねる。


「おまえさん…いや、メルウトさんじゃったな。あんた、ラーの眼イレト・ラーについてはどの程度知っとる?」


 対してジェフティメスは、それに答える代わりとして逆に彼女へ訊き返す。


「どの程度? ……古いお墓に眠っていた恐ろしい兵器だということくらいは……」


「そうか……あまり詳しくは聞かされてないようじゃの……」


「だからいったい、どういうことなんですか? あなたはあのラーの眼イレト・ラーについて、わたしの知らないようなことを何か知ってるんですか?」


 意味深な発言を繰り返す老人に、メルウトはもう一度、改めて尋ねる。


「うむ……まあ、話せばいろいろと長いんじゃがの……ここで話すより、〝あそこ〟へ行って、実際に〝アレ〟を見ながら話をした方が理解しやすいじゃろ」


「あそこ? ……アレ? ……ってなんのことですか?」


 代名詞ばかりでよくわからぬ説明に、メルウトはさらに眉根を寄せて訊き返す。


「ま、それは行ってのお楽しみじゃ。とはいえ、まだ日が高いからの。続きはまた、ラーが夜の航海に出てからのことにしよう」


 もう、すっかり訳がわからなくなっているメルウトに、ジェフティメスは再び愉しげな笑みを見せながら、もったいつけてそう答えた――。

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