男少女多の世界で。

ヒポポタマス

第1話  逃げる男。追いかける女。

 大室鉄之助は今日も異人のあとを着いていく。

髪はわざとポニーテールにし、上は黒い着物。下は袴にブーツ姿。年齢は30位に見える。あまり大きくはなく中肉だが顔は眠たそうな眼と少し細い顎が印象的。

顔は現代人としては普通か、少し整った感じはする。

 彼は、前を行く異人の会話を、翻訳しながら歩く。

 1858年――――日米修好通商条約をはじめとして英国、フランス、ロシア、オランダと修好条約を締結した。これを「安政の五カ国条約」と総称する。この条約では、東京と大阪の開市、箱館、神奈川、長崎、兵庫 新潟の5港を開港して、外国人の居住と貿易を認めた。実際に開港されたのは、神奈川宿の場合は街道筋から離れた横浜村(現・横浜市中区)であり、開港場には外国人が一定区域の範囲で土地を借り、建物を購入し、あるいは住宅倉庫商館を建てることが認められた。


(しかしまぁ――――いまだにこっちに残ってるとはね)

この世界に居ついて早5年。最初はやることなすこと不手際ばかりで、横浜村のあたりの外国人を手助けしたのがきっかけでたまにこうして、護衛を引き受けてもいた。外国人商人の外出には日本人の護衛が付けられるが、日本人は、異人を気味悪がって護衛を引き受けたりはしなかった。


ましてや相手はイギリス人。喋っているのは当然英語である。

言葉が通じないのも有って幸運にも護衛の職には空きがあり、 鉄之助はそこに滑り込むことに成功した。


大室鉄之助は、元は、日本の外資系のサラリーマンだった。

本名は大室雄二と言ったが、安政の大獄のあたりからは、鉄之助と名乗っている。

「Tetsu. Come here(こっちに来てくれ)」

前を行くパーカー氏から声がかかる。

イギリスから来て貿易で生計を立てている。位が高いのかいつもスーツ姿にハットをかぶっている、初老を過ぎた男だった。

「Yes,Mr、Parker(はい。パーカーさん)」

返事をして気を引き締める。

彼がこういうことを言うときは決まって何かある。ここ数年は特に打ち壊しや一揆が激増しているし、最近は近隣の商人が雇った破落戸(ゴロツキ)がたむろしていることも多い。

少し先には浪人風の女が2人。腰には日本刀が差してあった。

(侍か。少し厄介だな。パーカーさんをおとりにするわけにもいかない。かといって奴らに手籠めにされても困る)

苦い記憶がよみがえる。

この世界に飛ばされてから――――最初に有った女に鉄之助は襲われた。

それも、1日で4人に立て続けに襲われ、体力を消耗した挙句、口封じに殺されそうになって――――逃げ込んだのがパーカー氏の敷地内だった。

(もうあんな目にあうのはごめんだ)

鉄之助は心底そう思ってパーカーの横に並んだ。



「What should I do? Tetsu.(どうしたらいいかね?テツ)」

パーカー氏は鉄之助に尋ねた。

「Let's change the way. It will be tough if you are attacked.(道を変えましょう。襲われたりしたら大変ですよ)」

鉄之助はげんなりした表情でいった。

「That's right. It is also foolish to change the way by having a scary figure between them.(まぁ――――そうだな。たかが二人に怖気図いて道を変えるのも癪だな)」

「Well, will you let it go? Threatening with my S & W and earn time only.(では、突っ切りますか?僕のS&Wで脅して時間を稼ぐしかありませんが)」

「Both of these tyrants should open wind holes in one shot. Is not it different?(あんな暴女共は、一発頭に風穴を開けてやるべきだ。違うかね?)」

「Then I will lend you a gun? Please show me a sample(なら、銃を貸しますよ?見本を見せてください)」

「Do you mean to murder an eagle? ―――― I do not want to be caught!(君はワシに人殺しをせよというのかね?――――ワシは捕まりたくはない!)」

往来で少し大きめの口論になる。そしてその口論はもちろん、女たちの耳にも届いていた。

「――――ぉ?なぁ男がいるぜ?」

「本当だ。一人は爺様か。なかなかいい感じの声で鳴いてやがる――――股に来るな」

「ああ、こちとら溜まってんだ。あんないい声で真昼間っから騒ぎやがってヤッテくれってことだろうさ」

女たちは下種な表情のまま―――刀に手を掛けたまま、二人に向かって走り出した。

「――――run away!(逃げるぞ!)」

「roger !(了解!)」

男二人はそのまま、狭い横道へと走り出した。

「路地に逃げ込みやがったな。逃がさねぇよ!」

女が袴をめくりあげて速度を上げた。

「――――Tetsu! The revolver comes in!(――――鉄!リボルバーの出番だ!)」

「I hate it!(嫌ですよ!)」

「What do you hesitate and take! One shot and a shoot! ――――We will be caught up!(何を躊躇しとるんだ!一発ドカンと撃たんか!――――追いつかれてしまうぞ!)」

男二人は路地の板を蹴立てて、逃げる。しかし、女たちの走力は彼の者たちより早かった。みるみる間に差が無くなり。隣にいたパーカー氏が捕まりそうになって

(クソッタレ!)

鉄之助はやっと懐から、銃を抜いて――――トリガーをひいた。



タン!

結論から言って、弾は――――当たらなかった。

走って、振り向いて、リボルバーを抜き、撃鉄を開いている手で起こしながら、西部劇のように打ったのだ。よっぽど巧者でなければ当たらないのは当たり前だった。

だが――――女たちは一発の銃声で足を止めた。

「奴ら短筒持ってやがるぞ!」

ぎりぃ

女の一人が悔しそうに歯ぎしりする。

そんな時だった。

「やいやいやいやい!昼間っから男を追い回すたぁ――――いったいどういうこった!」

スタァンと障子戸が勢いよく開かれ―――― 一人の女の町人が侍との間に進み出た。

「男はお天道様が下すったもんだ!乱暴に扱うなんざぁ、いってぇどういう了見ディ!」

女は襦袢一枚、素足に下駄を突っかけたままで、手には物干しざおを持っていた。

「なんだお前は!」

侍が気色ばんで、腰の長物を抜こうとしたが――――ビシィと物干しざおが侍の籠手を打った。

「ぎゃ!」

女侍はそのまま、二撃目も脳天を物干しざおでバシンと叩かれ地面に倒れた。

「おめぇもまだやるかい!」

ビュウンと着物の干されたままの竹竿を相手へと向けると、襦袢姿の女の一喝を受けて、もう一人の女侍はバツが悪そうに周りを見わした。

見ると、長屋の障子戸が皆開いていて――――中から町人たちが侍と襦袢姿の女を取り囲むように見つめていた。

「珠ねぇ。やっちまえ!」

町人の誰かが叫んだ。すると、あとからあとから――――町人が騒ぎ出す

「そうだ!その侍。そこの旦那たちを追っかけまわしてたんだ!あたしは見たよ」

女の町人が叫んだ。

「ふてぇ奴だ!男は皆のもんって事も知らねぇのか!このド三品!」

また別の女が叫んだ。



「HEY. Tetsu. We should ――――should not escape?(HEY。鉄。私たちは――――逃げるべきなんじゃないのかね?)」

パーカー氏は怯えながら聞いてくるのを、鉄之助は首肯した。

「I guess. I can not move now.(だと思いますが。いまは動けませんよ)」

そう返すのが精いっぱい。がちりとリボルバーの撃鉄を起こした。

「おい。兄さん。心配いらないよ。そっちの爺さんにもそう伝えてやんな」

襦袢姿の女が鉄之助に指示をした。

「ああ、助かったよ」

そして

「Mr. Parker. Can you stand up?(パーカーさん。立てますか?)」

そう言って、パーカーを立たせてやり、土を払ってやった。それだけの事だったのだが。

「いい男っぷりだね。惚れ惚れする」

「隣のおじいさんも素敵」

周りの女衆からは歓声が上がりだしてしまった。


「さぁ――――どうするね?このまま引き下がれば見逃してやるよ?やるってんなら覚悟しな!」

珠は侍を再度恫喝して一歩前へ進むと――――

「しかたねぇ、今日は引き下がってやる!」

と憎々しげに女侍はじりじりと後退し――――そのまま、逃げていった。

「ざまぁみやがれ!」

真昼間のドブ板長屋の町人からひときわ大きな歓声が上がった。

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