第5話 女王への謁見
静かに眠る母を見て、クリスティアンはようやく安堵した。母アンネットは肺を患っている。もう長くない、と医務官のカルロが悲しい目をして言っていた。酷く咳き込み、苦しそうにしていた母が今は薬によって眠っている。クリスティアンは母の痩せ細った手を祈るように握りしめていた。
コンコン、と控えめなノックが寝室に響き、入ってきたのは父の側近チャドだった。よく父に真面目すぎると言われているチャドは、こげ茶色の髪をきっちり整えて、銀縁眼鏡ごしに見える赤紫の瞳を真っ直ぐクリスティアンに向けて口を開く。
「国王陛下から、王女殿下に大切なお話があるそうです」
チャドの言葉に、クリスティアンはこくりと頷いた。もう一度だけ母を見て、クリスティアンは立ち上がり、母の寝室を出て父の執務室へ向かった。
「お父様、大事なお話って何かしら?」
くりっとした大きな碧の瞳で、クリスティアンは父を見上げる。
「クリスティアン、ヘンヴェール王国のセドリック王子を覚えているかぃ?」
セドリックの名が出た途端、あの舞踏会のことを思い出してクリスティアンの頬はピンク色に染まる。
「我が国とヘンヴェール王国との友好関係を確固たるものにするために、クリスティアンとセドリックの縁談話が持ち上がっている。呼び出したのは、お前の気持ちを知りたいと思ったからだ」
クリスティアンは驚きに目を見張った。
「私は、セドリック様のこと、本当に素敵な方だと思っています。だから、その、お父様や王国にとって良いことなのでしたら、私はそのお話をお受けしたい、です」
国を背負う女王の婚姻が、個人的な感情だけで結ばれることはないとクリスティアンは理解していた。好きな人と結ばれることはない、と諦めていた。しかし、幸運にも好きだと思えた相手と結ばれるかもしれない。
「ならば何も問題はないな」
その言葉に、クリスティアンは喜びに目を輝かせ、思わず父に抱きついた。
あの、優しくて、美しい人がクリスティアンの旦那様になるのだ。
そうして一年後、クリスティアン王女とセドリック王子の婚姻の儀が行われた。初めて会った時よりもさらに紳士的で、優しいセドリックに、クリスティアンは未来の幸せを感じていた。
この時のクリスティアンは、人間には裏の顔があるということを知らなかったのだ。
◇◇◇
「女王陛下、この度は誠におめでとうございます。お初にお目にかかります、バートロム公爵家のティアレシアでございます」
クリスティアンの頃から染み付いている美しい所作で、ティアレシアは一礼した。
「ありがとう。叔父様の娘も、大きくなったのねぇ」
女王はティアレシアを見た後、ジェームスを見て笑った。
「えぇ、娘はもうじき十六になります」
ティアレシアの誕生日は、クリスティアンが処刑された四月四日だ。しかし、世間の目を気にして、表向きは四月五日だとしている。もう、クリスティアンが死んで十六年が経ってしまった。シュリーロッドは十六という数字を聞いても、全く表情を変えずに笑って頷いた。
「それにしても、銀色なんて珍しい髪色ね。染めた訳ではないのでしょう?」
シュリーロッドはティアレシアの年齢よりも、髪色に興味を持ったようだった。
「はい。生まれた時からこの色でございます」
ティアレシアは顔を上げずに答える。真っ直ぐシュリーロッドの顔を見て、笑える自信がなかった。
「売れるかしら?」
ふっと笑った女王の一言に、父の顔が強張った。ティアレシアも、何を言われたのか分からなかった。
「ねぇ、セドリック。美しい銀色の髪よ、いい商売になると思わない?」
女王は猫なで声で、隣に座る夫セドリックに尋ねた。きれいな顔立ちをした、誠実そうな女王の夫は苦笑した。ティアレシアはちらりとセドリックを見て、その変わらない雰囲気を憎らしく思った。セドリックのことを素敵な王子様だと信じていた、かつての自分が馬鹿にされているようだ。
「シュリー、人間を売り物にしてはいけないよ」
女王の思い付きを諌めるセドリックに、ジェームスはほっと安堵の表情を見せる。
しかし。
「どうして? 今日はわたくしのための集まりでしょう? 叔父様からの贈り物は、この銀色の髪の娘でいいわ」
「女王陛下、それは……」
女王の言葉に逆らってはいけない。しかし、自分の娘を奪われるとあってはジェームスも黙っていられない。
「叔父様、ジェロンブルクの税率を引き上げてもいいの? 今まで叔父様の働きに免じて少ない税金で許してあげていたけれど、わたくしに逆らうというのなら、大切な領地がどうなっても知らないわよ」
人の良い領民たちのことを引き合いに出され、ジェームスは言葉に詰まった。
「おやおや、またシュリーの我が儘が始まってしまったようだね。バートロム公爵、シュリーは飽きっぽい。ほんの少し貴殿の娘を預けると思ってくれればいい。すまないね、私は妻に弱いんだ」
セドリックが女王を止めてくれるかと期待していたジェームスだが、彼はあっさりと引き下がってしまう。クリスティアンの初恋の人であり、婚約者だった人。彼はクリスティアンではなく、シュリーロッドを選んだ。
(……許せない)
ティアレシアの心は、完全にクリスティアンの憎悪に飲み込まれていた。しかし、かろうじて残っている理性で叫びたいのを我慢していた。
「どうする? やっぱ今すぐ殺すか? その胡散臭い男と一緒に」
ルディの声が耳元で聞こえた。女王への謁見に従僕がついて来られるはずもなく、ルディは大広間で待機しているはずなのに。殺してやりたい。でも、ティアレシアはシュリーロッドのような人間にはなりたくない。
そう思うと、クリスティアンの感情は少しだけ落ち着いた。
ティアレシアは、この状況をどうしたものかと思案する。うまくすれば、シュリーロッドに近づける。ルディがいる限り、命の危険はないだろう。この命、魂はルディのものなのだから。彼以外のものからは、守ってくれるはずだ。だとすれば、ティアレシアが復讐の一歩としてやることは一つしかない。
「女王陛下のお役に立てるのでしたら、私をどうぞよろしくお願いいたしますわ」
シュリーロッドの目を真っ直ぐ見て、ティアレシアは完璧な笑みを浮かべた。
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