第30話 尋問

「あのねえ。そろそろ頑張るのはやめたらどうですか?」


 ぎしっとパイプ椅子を鳴らして、カルロスは呆れ顔でマイルズに言った。

 マイルズは返事をしない。かすれた呼吸を繰り返している。

 切れかけた照明が断続的に明滅を繰り返す、コンクリート打ちっぱなしの小部屋だ。マイルズは全裸で椅子に鎖で縛られていた。蒸し暑さに汗が垂れる。


「熱中症で死にますよ? べつにいいでしょうがよ、しゃべってなにが不利になるわけじゃないんだから」


 カルロスは作り物めいた張りのある乳房を強調する扇情的なベビードール姿で、冷たく汗をかくペットボトルを弄ぶ。マイルズを見る呆れた視線は演技とも本気ともつかない。


「もう頑張るだけ無駄ですよ。失敗したんですから。騙した俺が言うのもなんですけど、俺、大佐が好きなのは本当なんですよ? あんまりひどいことさせないでください。もう一度聞きますから、答えてくださいね」


 ギッと再びパイプ椅子が鳴る。

 前のめりになったカルロスが水を差し出し、痛ましそうな顔で口をすぼめた。


「"和ノ国料理で一番好きなものは何ですか"」

「………………」


 マイルズは呼吸を繰り返し、一言も発しない。

 カルロスはため息を吐く。背もたれに体を預けた。ぎぃ、とパイプ椅子が鳴る。

 無駄だと分かっているのだろう。


 裸などの屈辱的な姿で、自由を奪い、上下関係を刻み付ける。あえて気の抜けた態度をとることで事態の重要さを誤認させる。音が鳴る椅子を使うことで、尋問官の一挙手一投足に注目させる。くだらない質問で「口を割る」習慣をつけることで、徐々に答えることに対する抵抗を下げる。

 マイルズは拷問されていた。


 飢えと渇きと暑さと怒りで朦朧とする。ただ呼吸を繰り返すことに集中する。

 ちりちりと喉元をくすぐる犬死への恐怖と焦燥を、丁寧に押しつぶして蓋をする。

 生き延びるため、という免罪符こそ、今のカルロスが待ちわびているものだ。

 鉄扉から鍵が開けられる音がする。

 ため息をついてカルロスが立ち上がった。


「水が欲しくなったら、死ぬ前に言ってくださいね。俺も、いつでも助けられるほど偉くないんで」


 口を開けたペットボトルを逆さにした。

 水が床に落ち、跳ねた飛沫がマイルズの足にかかる。冷たい。本当に冷えていた。ぶちまけられた水が埃とカビに汚れていく。

 はらわたの煮えくり返るような怒りと惨めさを、呼吸に集中して受け流す。

 空のペットボトルを持って部屋を出ようとするカルロスは、


「ぶがっ!?」


 勢いよく開いた鉄扉に顔面を張り飛ばされた。

 判断は即時。マイルズは渾身の力で体を跳ねさせる。重石がマイルズを縛る椅子から転がり落ちた。両手両足を縛られたまま前のめりになり、つま先の力で跳ぶ。肩口から体当たり。


「あ、どわ……っ!」


 カルロスの腰を押して引きずり倒す。受け身も取れない転倒でマイルズは強かに顎を打ち、苦痛にうめいた。

 乾いた物音。カルロスはペットボトルを落としている。

 鉄扉を開けて飛び込んできた巨体が、カルロスと揉みあう。巨大な手のひらに張り飛ばされながら、カルロスは大男の腕を引いて巧みに投げた。

 姿勢を崩されて壁に手を突く大男の股座またぐらをウナギのようにすり抜けて、カルロスは逃げ出していく。


「あ、ああ! しまった!」


 情けない悲鳴が、遠ざかる足音に向けられた。

 がっくりとうなだれて肩を落とす大きな背中に、マイルズは苦笑する。


「馬鹿野郎。さっさと撃ち殺さないからだ」

「いや、殺すつもりだったんですよ。でも位置関係を把握しないと。マイルズさんに流れ弾が当たったら、助けに来た意味がないじゃないですか」


 場慣れしていない顔で言い訳しながらマイルズを振り返る。

 白衣をぱつぱつに着込んだ情報部の大男。


「ありがとう、ミスターニンジャ」


 その偽名で呼ばれて、ニンジャはいかつい顔を緩ませた。




「CTI社の幹部は、軒並みぶっ殺されました」


 マイルズを縛る鎖を切り、着替えに研究員ふうの変装を着せながらニンジャは言う。


「脱税、密輸、品質偽装……不祥事が一気に噴出して、その騒ぎに乗じた暗殺でした。こっちの作戦は見直し。重要な情報源にもなるマイルズさんの支援と救出が正式に決まって、私が出向く許可が下りました」

「思い切ったな、ゴトウ所長」


 鎖の跡が残る手首を撫でて、マイルズはつぶやいた。

 対拷問訓練を受けていても、怪我は怪我だ。動きは鈍る。本格的な拷問が始まる前の迅速な救出は幸いだった。

 マイルズのつぶやいた名前に、ニンジャは目を丸くする。


「ゴトウって、ハルベーザ・ゴトウですか? なんでそこで彼が?」

「詳しくは知らんが、CTI社を通じて特殊部隊を使い走りにしていたのは所長だ」


 ニンジャからペットボトルの水を受け取って口にする。生理食塩水だ。乾ききった体にぬるい水が染みていく。


「所長とつながっていた連中が消されたんだ。お前がCTI社の証拠を抑えて、ヤクザの襲撃も失敗した。こうなるともう用済みってことだろう。CTI社は切り捨てられた」


 ニンジャは頭を抱えてため息をついた。


「……どうりで、利権周りが錯綜していたわけだ。命令者と受益者が違うのか」


 陰謀の黒幕がいると思いきや、黒幕のほうこそがマリオネットに踊らされていた構図だ。分からないのも無理はない。


「これ以上嗅ぎまわっても無駄でしたね。助けに来てよかった」

「まだ助かっていない。カルロスを逃がしたのはお前だろ」


 マイルズは軽く屈伸して靴を確かめると部屋を出た。

 白く清潔な廊下が伸びている。マイルズは窓から外を見下ろす。

 森だ。絨毯のような豊かな森を見下ろす研究施設にマイルズは立っていた。あまりの皮肉に笑いが漏れる。


「まさか、研究所にご招待いただけたとはな」


 捕虜の拷問のような好き勝手ができる場所を、おいそれと確保できないのだろう。本拠地に敵を招き入れたことになる。

 ニンジャが隣に立ってマイルズを見下ろす。


「さて、どうします?」

「乗り込むさ。追われると分かっている逃走劇より、準備が整う前の鼻っ柱を折る方が楽だ。気分的にもな。どうせいつかは戦う相手なんだ。なら、今だって構わない」


 マイルズは傷ついた手首を見て、拳を握る。

 行こう、と促して歩き出す。


 変装の基本は堂々とすることだ。胸を張っていれば、相手が勝手に常識で理解を示してくれる。

 しかし、研究所にはひと気がほぼなくなっていた。ヘキサドライブの完成に伴い退去が始まっているのだろう。廊下にダンボールが積み上げられている。

 通路で研究員とすれ違おうとして、


「にゃっ?」


 声にマイルズは立ち止まった。

 桃色の髪。狐の耳。驚きに丸くなった琥珀色の瞳。頬や唇には化粧が乗せてある。彼女はかつてと同じように、研究員の白衣を着て立っていた。


「……ハッサ教授?」

「にゃあ。なんだ、自力で脱出できたんですね」


 ハッサが微笑んで首を傾げた。

 その言葉にマイルズは緊張を解く。


「無事だったんだな、よかった。てっきりルーシーと一緒に連れ去られたと思っていた」

「狙いはルーシーだけのようでしたからね、私はすぐに解放されました。それでこうして研究所で雌伏の日々を過ごしていたわけです。まあ、叛逆の望みはまずなかったのですが……」


 ハッサはマイルズを見上げて微笑んだ。


「どうやら運が良いようですにゃ」

「こっちもさ。ここはもう敵地だ。ハッサ教授と合流できて心強い」


 うなずくマイルズの肩を、ニンジャがちょいちょいとつついた。


「ちょっと、マイルズさん。信用できるんですか? 彼女」

「もちろん。お前も知っているだろう? 彼女がハッサ教授だ、信頼できる」


 ニンジャは煮え切らない顔でハッサを窺っている。職業柄、裏を取れない人間を信用することは難しいだろう。マイルズはハッサに顔を向ける。


「所長はどこだ?」

「またぞろ駆け回っていますにゃ。ですが、ちょうど次に会議の予定を入れています。待ち伏せしましょう」

「助かる。とんとん拍子で怖いくらいだ」

「私もです。震えてしまいそう」


 ハッサは口元を袖で隠して妖艶に笑う。

 先導するハッサが数度角を曲がり、すぐに会議室を示した。


「ここですにゃ」

「ありがとう。会議はいつからだ?」


 マイルズは尋ねながら、部屋に入っていく。

 会議室は十人ほどが入る広さで、白い長机と人数分のパイプ椅子が並んでいる。しばらく使われていないようで、薄く埃が浮いていた。

 扉の前で躊躇していたニンジャも、ハッサに促されて渋々部屋に入っていく。部屋を点検するマイルズに続いた。

 ハッサは扉を閉めながら答える。


「会議はこのあと二十分後を予定しています。資金繰りが苦しくなりまして」

「そりゃ、スポンサーを自分から切り捨てたんだから当然――」

 

 振り返ったマイルズの前で、扉が音を立てて閉まった。がちり、と重い音を立ててロックが落ちる。


「……な」

『すみません。会議は本当は所長室を予定していますにゃ。もうやめるよう申し入れるつもりですが、聞き入れてはもらえないでしょうね』

「ハッサ教授、どういうことだ! 開けてくれ。なんのつもりだ!?」


 ドアノブのツマミを回しても鍵は開かない。管理モードに切り替えられ、強制施錠されていた。ドアを叩く。頑丈なつくりはびくともしない。

 扉の向こうからハッサの声がする。


『お静かに。今見つかれば殺されてしまう。マイルズはここで待っていてください』

「馬鹿なことを言うな。開けてくれ、開けろっ! ハッサ!」


 だんッと大きな拳が扉を殴りつける。ニンジャが太い肩を震わせていた。


「やっぱり敵だったのか、ハッサ――ハッサ・ゴトウ!!」


 マイルズは目を見開いて振り返った。


「ゴ、トウ……?」

『隠していたつもりでしたが、本当に気づいていなかったんですね。マイルズ……』


 声は愛おしそうにマイルズの名を呼ぶ。


「どういうことだ! おい、ここを開け――」


 声が止まった。音も、空気も。

 研究所にいる誰もがそうだっただろう。それほど尋常ではない、おびただしい魔力が集っていた。

 会議室の窓から空が見える。

 そこに、一点。空がたわみ、影が歪み、光が潰れて穴が開く。

 突如空に現れた地獄のような空隙から、ゆっくりと魔導外殻が這い出していた。

 宝石のように透き通る、血よりも鮮やかな紅石色ピジョンブラッド

 ハッサが呪わしく喉をうならせた。


「来ましたね……イデア・グレース」


 紅い機体が舞い降りてくる。

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