第21話 大陸横断鉄道<2>

「早速だが頼みがある」

「……なんです?」


 握手を解くや否や切り出したマイルズに、ニンジャは片方の眉をあげた。

 マイルズは内ポケットから半透明のケースに収められたチップを差し出した。ハッサの置き土産。彼女の実家で押しつけられたメモリーチップだ。


「この内容は市販のマシンじゃ解析できない。軍用機のスペックで情報をまとめてくれ」

「……なるほど、こいつは高価たかい。世界最高の情報容量を誇る特殊チップですね。並みのリードドライブじゃ骨が折れる。分かりました、可能な限り早くお届けします」

「よろしく頼む。……さて」


 マイルズは目を細める。

 日が暮れ始め、山脈の長い影が森を覆っている。

 マイルズは窓を開けて身を乗り出した、風に髪があおられ、上着がはためく。

 ニンジャが風に顔をかばいながらマイルズに尋ねる。


「どうしたんですか?」

「ついてこい」


 マイルズは短く告げ、窓枠に足を乗せて窓をくぐった。外に張り付く。

 ペンキを丁寧に塗装した車両はつるつると光沢を放ち、空気抵抗を減らすために突起は極力削られている。マイルズはかろうじて窓枠に手足をひっかけ、首を巡らせた。


 大陸横断鉄道は国境に位置する山脈に差し掛かっている。

 深い樹海に覆いかぶさるような峻険な山々は、長らく両国を隔ててきた。岩山に沿って走るレールは緩やかなカーブの遥か先でトンネルに飲み込まれている。

 暴風にあおられ、マイルズは体を車体に寄せた。風が行き過ぎると、マイルズは腕力でよじ登って屋根に上る。


「いったい何だって言うんですか?」


 律儀についてきたニンジャが列車の屋根に首を伸ばして叫ぶように尋ねる。マイルズは口の前に人差し指を立てて、屋根に上るように促した。

 上ってきたニンジャと並んで屋根に伏せ、マイルズは客室を見下ろす。マイルズの部屋だ。

 一つ目のトンネルに入り、周囲が暗転する。翻った風圧が体をなぶる。

 瞬間。

 窓が砕けた。ガラス片が風に巻かれる。無数の火線がトンネルの壁をえぐり、弾痕で線を刻んだ。

 あんぐりと口を開ける隣のニンジャに合図して、マイルズは屋根の縁をつかむ。

 トンネルを抜けて明転する瞬間に体を躍らせ、回転。足から部屋に飛び込んだ。

 覆面の男が二人。いや三人。

 扉ごと吹き飛ばした部屋を荒らしていた。飛び込んできたマイルズに虚を突かれて身が強張る。

 マイルズは電光石火の拳で一人を殴り倒し、もう一人の足を払う。最後、廊下で見張っていた男を捕まえて袖釣り込み腰。床に叩きつけた。顎を殴りつけて意識を刈り取る。

 転がされて慌てる男にも、マイルズは立ち上がりざまにアッパーカットを叩きつけた。顎を激しく噛み合わせて失神する。

 最後の男を窓枠に押し付ける。


「引っ張り上げろ」

「まじすか」


 ニンジャの驚き交じりな返事。

 にゅっと屋根から生えた手が男の襟首をふん捕まえる。恐怖に顔をゆがませる男が列車の外に連れ去られた。マイルズも後を追う。

 屋根ではニンジャが覆面男から機関銃と腰のピストル、ナイフを奪って線路の外に投げ捨てている。山間を走る列車だ、断崖絶壁を落ちて樹海に音もなく飲み込まれていく。男は怯えた目で末路を見送っていた。

 武器を失ったとたん大人しくなった男を自慢の巨体で押さえ込んで、ニンジャは困惑顔でマイルズを振り返る。


「どうするつもりですか?」

「場所を変える。二等客室に行くぞ」

「まじすか」


 ニンジャは自身のダークスーツを見下ろした。本部に問い合わせれば顔も名前も出てくる正規の職業軍人だ。


「そいつのマスクを借りろ」

「……そりゃ名案ですな」


 ニンジャは投げやりに男から覆面をむしり取る。仕立てのいいスーツに目出し帽を深々と被って顔を隠した。


「連れてこい。前の警戒は俺がする」

「くそう。帰ったら長めの休暇を取ってやる」


 暴風のなか這いずって客車の連結を乗り越えたマイルズは、おもむろに屋根の縁をつかむ。大きく勢いをつけると、部屋の窓を蹴り破って飛び込んだ。


「ひゃあああっ!?」


 シーツを体に巻き付ける若い女と、パンツ一丁でベッドに座る初老の男。驚愕に目を剥いて闖入者のマイルズを見る。

 高等客室はホテルの一室のような設えで、固定された飾り棚や大きなベッドが存在感を主張している。部屋を一瞥して敵の気配がないと見たマイルズは、客に片手をあげた。


「失礼、少々部屋をお借りします。おい、いいぞ!」

「どこがいいんですかね……」


 目出し帽の大男がにゅっと窓から侵入して、女は驚愕に喉をひきつらせる。目を回して倒れてしまった。

 好都合だ、とマイルズは懐の銃を隠す。騒ぐようなら脅さなければならなかった。

 男のほうは服を着る素振りもなく顔を青ざめて固まっている。社会的地位のある男の不倫というところだろう。ちょうどいい。後ろ暗い相手は助けを呼ばない。

 ニンジャが引きずり込んだ襲撃犯を、マイルズは予告なくぶん殴る。

 まぶたの腫れた襲撃犯は怯えた目でマイルズを見上げた。凄絶な笑顔で返す。


「人を殺そうとしておいて、許してもらえるとは思ってないよな」

「ゆ……」襲撃犯は震え上がった。「許して! 俺は頼まれてやっただけだ!」

「おい、こいつを殺せ」

「はいはい……恨むなよ、俺は頼まれただけなんだ」


 ニンジャは嫌々といった声を出しながら、抵抗を許さない力強さで男の頭を窓の外に押し出した。あられもない悲鳴が風に巻かれて騒音に紛れる。


「待って! ごめんなさい! もうしない! 金なら返す! なんでもします、ごめんなさい!」


 押し出した頭を引き戻した。風圧でぼさぼさになった頭が涙で濡れている。

 ニンジャは男の肩をしっかりとつかんで支え、同情的におもねった。


「話してくれ、事情があるんだろう?」

「ああ、ああ! そうなんだ、俺は親父が飲んだくれで、軍に売り飛ばされて」

「お前の身の上話に興味はない」


 マイルズは遮って拳を振り上げる。身をすくませる襲撃犯をかばい、ニンジャがすかさず取りなした。


「頼んできた相手の情報を話すんだ。それなら聞く価値がある。そうでしょう?」

「ああ! 話す! なんでも話す! 殺さないで……」


 ニンジャは男の肩を叩き、まるで相手を思いやるかのような優しい声で諭す。


「知っている限りの事実を順番に話すんだ。ゆっくりでいい、確実に」

「嘘をついたら殺す。いい加減なことや憶測を言っても殺す。言え」


 違うのは語調だけ。二人そろって吐かせる方に誘導し、襲撃犯は怯えたようすで口を開く。

 その喉が言葉を発する前に、

 マイルズの耳は気配を汲み取った。


「隠れろ!」

「うぇ!?」


 マイルズと、一拍遅れてニンジャも動く。反応できたのは二人だけだ。

 マイルズがベッドの裏に倒れた直後。

 扉を砕いて弾丸の暴虐が部屋中を吹き荒れた。

 滝のなかにいるような銃声の乱打が部屋を満たす。銃弾が体に当たっているのか分からなくなるほどの勢いで、舞った木くずが体に当たる。ベッドが散り、調度品が跳ね、砕けた壁が風に巻かれる。

 銃撃が収まったことにマイルズはしばらく気づかなかった。耳がわんわんと反響している。

 マイルズは拳銃を抜き、身を起こして振り返る。

 部屋の入口。上等なスーツを雑に気崩した男。彼が腕の機関銃をマイルズに向けるより早く、拳銃を向ける。

 マズルフラッシュ。男は眉間に穴をあけてばったりと倒れた。

 男の後ろに並んでいた黒スーツたちが、瞠目してそれぞれ銃を構え……力を失って崩れ落ちていく。銃声がふたつ、部屋のなかから響いていた。


「私もそこそこやるでしょう?」


 硝煙をあげるピストルを見せびらかし、目出し帽の大男は得意げに口の端を吊り上げる。

 マイルズは肩をすくめた。


「無理はするなよ。お前には大事な証拠を預けているんだ」

「あ。そ、そっすね」


 ニンジャは肩を縮める。

 立ち上がったマイルズは荒れ果てた客室を見渡して、眉根を寄せた。

 現場は酸鼻を極めている。

 不倫の男女は体中から血を流して死んでおり、捕虜に至ってはまるでオーロラソースをかけたマッシュポテトだった。

 マイルズたちの始末というより、捕虜の口封じが目的だったらしい。

 と、そこでふとマイルズが顔をあげる。


「妙だな」


 ニンジャは目出し帽の口元を露骨にゆがめた。

 嫌な予感しかしない。

 聞き出すべきか聞かなかったことにするか、逡巡した末に、苦渋の表情でマイルズに言う。


「……なにがです?」

「これだけの銃声が響いているのに、騒ぎ一つ起こらない」


 思わず先頭車両のほうを振り返ったニンジャは、カーブに突っ込む大きな揺れによろめいて、


「あぁ……ちくしょうマジだ……」


 大きな手で顔を覆った。

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