第9話 本音

 台所の掃除が終わらないので、昼食に出前を取った。

 戸惑い顔のおばさんがスクーターを転がして玄関を覗き込み、あんれまあと声を高くする。


「この空き家に人が入るなんてねえ! しかも外人さん! 人のいない場所に出前って言うから、イタズラじゃないかとビクビクしたわよ」

「はは……恐縮です。あれ? ルーシー! すまない、財布を持ってきてくれないか!」

「まったく。受け取りに出ておいて忘れないでください」


 頭の三角巾を脱ぎながら、ルーシーが財布を手に現れた。おばさんが頬を強張らせる。


「ご苦労様です。いくらですか」

「あ、ええ、一六〇〇円です」

「ちょうどあります。これで」

「はい確かに……ど、どうも~」


 マイルズに天丼を渡したおばさんは、そそくさと背を向ける。その背中にルーシーは手を伸ばした。


「待ってください」

「はいっ!?」


 びくりと振り返ったおばさんに、ルーシーはマイルズの手の天丼を指差した。


「食器はどうすればいいですか?」

「あ、ああ、ごめんなさいね。表の通りに置いてくれれば、夕方取りに来ます~。そ、それではー」


 立ち去ったおばさんを見送って、ルーシーはマイルズを見上げる。相変わらず冷ややかな視線だ。


「なんだか、急によそよそしくなりませんでしたか?」

「そうだな……」


 マイルズは改めてルーシーの細面を見る。

 すっかり慣れたマイルズは気にならなくなったが、この端麗な美貌は表情が薄く、眼差しは冷たい。目障りそうに見ていると感じられたことだろう。

 目つきの悪い彼女の苦労がしのばれる。

 同時に、これから馴染むまでの道のりが思いやられた。


「どうしました?」

「いや、なんでもない。腹ごしらえをしたら一気に仕上げと行こうか」


 それから一昼夜かけ、屋敷は体裁を取り戻した。


 同時に手配を進めていた真新しい機材がトラックで納屋に届けられ、設営を終えた。大型のコンピュータと魔力の計量装置群。本格的な工具の一式などだ。

 あっという間に近未来的な様相を呈する納屋を見渡して、マイルズは感慨深くうなずいた。


「これで臨時研究室は始動するな」

「そうですね。なにからなにまで、ハッサ教授には感謝してもしきれません」


 オーダーツーを含む、機材の輸送を紹介してくれたのはハッサだ。特に研究所の資産であるオーダーツーに関して二人には手出しができなかった。結局、手続きはほぼすべてハッサに頼ってしまった形だ。

 おなじみのボードを手に資料をめくるルーシーの姿に、マイルズは目を細める。

 それでも彼女は白衣ではなく、涼しげな水色の花柄ワンピースだ。髪も大きな黒いリボンでポニーテールに束ねていた。

 知的な面差しと服装の愛らしさのギャップが、ルーシーをぐっと魅力的に見せた。


「マイルズ? どこか出かけるんですか?」

「なに、ちょっとジョギングにね。ついでに麓まで買い出しに行ってくるよ」


 マイルズは山道を抜ける道路に走る。

 最近のルーシーには困ったものだ。新しい環境に心が浮ついているのか、また共同作業に取り組んだマイルズに心を許したのか。ずいぶんと気が抜け始めていた。


「無条件に信頼されると困るんだ……」


 山道に敷かれた道路を走りながらマイルズはうめく。

 マイルズも成熟した男だ。ハッサを肩書も年齢も確認せず口説いた程度には女好きでもある。となれば体を動かして発散するしかない。


「まさか、こんな形でホームシックになるなんてな……」


 ルーシーはたまに、若さを超えて幼くすら見えるときがある。妹や娘のような愛おしさを感じる。しかし、なによりも彼女は"魅力的な女性"なのだ。

 それなのに、男女の垣根を超えた友情を抱かれてしまうとは。

 無防備な信頼は、男にはつらい。


「情けないエースパイロット様だな、くそっ!」


 不甲斐ない己に怨嗟を吐き捨てて、地面を蹴りつけるように走った。

 少しばかり長生きした程度では、悩みから解放されることはないらしい。


 §


 マイルズは高給取りだ。

 趣味はスキーやキャンプ、マリンスポーツなどシーズンレジャーに繰り出す程度で、日ごろからの出費はあまりない。

 目につく出費と言えば女性への食事やプレゼントだったが、あいにく誰彼構わず引っかけられるほどの美丈夫ではなく、デリカシーゼロドライブの愛称をハッサから贈られる程度には女心が分からない。

 要するに、小金持ちだった。

 マイルズはごうごうと手押し耕運機を回して、鼻歌交じりに庭の畑を練り歩く。納屋の前には真新しいソウルレッドのSUVが鎮座していた。

 ボードを胸に抱えて母屋から出てきたルーシーは、呆れた目で畑仕事を眺める。


「マイルズ、浪費癖があるんですね」

「必要なものに金を使うのは普通のことだろ?」


 にっと笑うマイルズに、ルーシーは曖昧にうなずいた。

 貧しい孤児院の出身で未だ目ぼしい実績を残していない駆け出し研究者と、経済観念が交わるはずもない。

 タオルで泥混じりの汗を拭うマイルズは、耕運機を切って納屋を見る。


「それより、オーダーツーのほうはどうなんだ。再開できそうか?」

「ええ。形になってきました。テスト用の機体も搬入できましたし、なんとかなりそうです」


 車が数台停められそうだった納屋は、今やいっぱいに埋まっていた。

 設置した機材や工具の棚などもある。だが、なによりも場所を占めているのは、ずんぐりした型落ちの魔導外殻だ。

 背中を開けられた機体は、無数にケーブルをのたくらせて魔力炉を収めている。オーダーツーだ。


「試験起動は問題ありませんでした。魔力還流のロスをどこまで削れるか……更なる出力向上を期すならば、もうひとつなにかが欲しいところですが、差し当たっては現状の伸びしろを埋めていきたいと思います」


 ルーシーの目は納屋に向いていて、納屋を見ていなかった。

 頭の中に無数の数式を躍らせて遠くを見つめている。

 その横顔を見て、マイルズは笑った。やはり彼女もまた、骨の髄まで研究者なのだ。


「ま、出番が来たらいつでも言ってくれ。たいていの無茶はこなしてみせよう」

「頼りにしています。では早速なのですが」

「いきなりか? いいとも、なんでも言ってくれ」


 気取った礼を取るマイルズを無視して、ルーシーは機体を示す。


「機体の状態を万全にしておいてください」

「……お任せあれ」


 マイルズは恭しく応じた。

 専任の整備士はもういないのだった。



 マイルズは頬の油をぬぐった。

 あいにく、投げ出せない程度には整備の技術も嗜んでいる。つくづく雑用係だな、とマイルズは自分に苦笑した。


「マイルズ、調子はどうですか?」

「ありがとう。ちょうど終わったところだよ。テストしてみよう」


 差し入れに持ってきてくれた麦茶を一気飲みして、空のコップをルーシーに返す。そしてコックピットに身を乗り出して、起動シーケンスを踏んだ。

 初期起動のための魔力を吸い上げ、オーダーツーがかすかにうなる。その鼓動はあっという間に回転数を上げて、力が全身へと行き渡っていく。

 賦活された魔力が機体の隅々まで充溢じゅういつしたことを確認して、ルーシーは息を吐いた。


「さすがですね。完璧な仕上がりです」

「ま、これが仕事なんでね」


 軽く答えたマイルズはコックピットに乗り込む。居並ぶスイッチを入れて各部ロックを外していき、操縦桿をつかんだ。

 魔導外殻は、深く腰掛けてうつむく姿勢から立ち上がった。準備体操をするように腕を振り、膝を曲げる。

 操縦への追従も滑らかで、摩耗しやすい駆動部に違和感もない。払い下げのわりには状態がいいものを譲ってもらえたようだ。


「走ってみるか」

「好きですね。私には信じられません」


 誰のせいだ、と言いかけて呑み込む。マイルズの抱える男性性の都合など、ルーシーの知ったことではない。


「きみももっと運動するといい。体を使って血流をよくすると、頭のめぐりもよくなるぞ」

「ストレッチならいつもしています」

「運動もいいぞ。バドミントンでもバレーでも、なんでも付き合おう」


 全身をしっかりと使い込むことによる「回復への専念」は、心身ともにリフレッシュする効果が見込める。精神論ではなく生理学の話だ。

 ルーシーはボードに目を落としたまま告げる。


「どうせ走るなら、裏山の様子を見てきてください。試験場にする予定なので」


 素っ気ないルーシーの態度に、マイルズは操縦桿を動かす。魔導外殻は肩をすくめるように両腕を動かした。


「遊んでないで行ってください」

「はいはい」


 笑って、マイルズは表に出る。

 通りに出るとすぐに速度を上げ、道を外れて森に分け入っていった。

 速度を上げる。腐葉土に機械の足が食い込み、土を散らして蹴り足が伸びる。走る。

 幹を避けて、枝をかいくぐり、根を飛び越えて、また滑るように駆けていく。鼻歌交じりだが、マイルズの双眸は目まぐるしくスクリーンをめぐる。

 瞬きひとつで幹に衝突しかねない全力疾走。操縦桿にわずかな傾きを入れて、張り出した枝をすり抜けた。間断なく紙一重の操縦を続けていく。

 悪路走破は、空戦とはまったく違ったノウハウが必要になる。

 一つひとつ確かめながら丁寧に、しかし自身の神経を追い込んで、マイルズは木々を縫うように機体を森に走らせる。

 眼前が開けた。

 せせらぎが光る。


「せいッ!」


 崖だ。踏み切った。

 滞空もわずか。機体は対岸に足をつけて重力に絡めとられる。

 つんのめるような着地の衝撃を、マイルズは丁寧に逃がして機体を前回り受け身に転がした。弾む機体を蹴り足で飛ばして、数歩走ったところで足を緩める。

 ふうと息を吐いて、マイルズはシートに頭を預けた。計器を眺める。


「損傷なし。装甲も緩衝器も機能している。良好だな」


 コックピットやステイタスモニタを見回して、マイルズは機嫌よく笑った。

 騎士団の勲章だの技術開発に寄与だの、なんだかんだ言ってみても。

 マイルズは結局のところ、骨の髄まで操縦士だ。

 操縦装置を使って思い通りに機体を動かし、課せられた条件をクリアしてみせる。手足の延長のように動く機体に快さを覚える。

 そのために、マイルズは数ある道のなかから軍を辞めてのテストパイロットを選択したのだ。

 そして、だからこそ。


「いちいち枷を気にしなきゃいけないオーダーシックスなんざ、乗ってられるかっつーの」


 どうしようもない本音が、そこにあった。

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