第2話 NOT MAGIC


さ 最初から


し シンデレラなんて


す 好きじゃない


せ 精一杯


そ そのままの私で





Ⅰ. 魔法が解ける十二時



 彼らの魔法は十二時……よりもっと早く解ける。


 私にとっての魔法、日々亭ひびてい朝餉あさげ

 日々亭は通勤経路の途中にある定食屋さんで、朝七時から九時まで“朝餉”を、十一時から十四時まで“昼餉ひるげ”を出している。メニューは日替わり定食ひとつだけ。売り切れたら閉店。

 私の会社からは少し遠いので昼餉は諦め、私は毎朝朝餉を食べに通っているのだ。

 ご飯に汁物、主菜、副菜、小鉢、食後のコーヒーで700円。お弁当が300円程度で売っている世の中だけど、高いなんて思わない。毎日外食すると普通なら胃が疲れるのに、日々亭のご飯は家庭料理のように私の心と身体のバランスをとってくれるから。

 当然家庭料理より、3ランクくらい味も盛り付けも栄養バランスも上で、私は毎朝ほどよい満腹感と「一日を一生懸命生きよう!」というエネルギーを得て職場に向かう。

 そんな朝餉の魔法も永遠に続くものではなく、十二時の鐘を待たずしてくたびれた私に戻ってしまう。

 そして、今日はいつもよりずっと魔法の効きが悪い……。いや、これは呪いかもしれない。お腹なんて全然すかないのだから。


 今朝、日々亭の料理人である陽成ようせいさんに告白した。

「やっぱり迷惑だったかな?」と不安になり、「それでも言わずにはいられなかった」と諦め、「これも私の糧になる!」と開き直る、の繰り返し。だけど、不思議と後悔だけはしていない。

 返事はもらえなかった。意図的ではなくて、タイミングが合わなかっただけだと思うけど。

 明日行ったら返事をもらえるかな? それとも何もなかったように、お客さんとして扱われるのかな?

 いずれにせよ、私は自分で選ばなければならない。返事をもらうつもりでまた日々亭に行くのか、このまま逃げるのか。


 いつから? どうして?

 わからないのは、きっとはじめから惹かれていたから。

 最初は純粋にご飯のおいしさに感動した。メニューは私でも作れるごく普通の家庭料理なのに、何がどう違うのか、何もかも違う。

 どうやって作ってるのかなあ? って手元をのぞき込むようになって。その手際のよさと丁寧さに感動して。その気持ちがいつの間にか陽成さん自身に向かって。気取らない笑顔と誠実な人柄に触れて。もっと近づきたくなって。その手に触れられたいと思うようになってしまった。

 観察しても一向に私の料理の腕は上がらないのに、気持ちばかりが膨らんでいく。

 料理に対する感動を恋と錯覚したのだとしても、自覚してしまった気持ちをなかったことにはできない。

 世の中で店員さんに好意を持つことは別に珍しくないと思う。だけど前に進むことは難しい。そんな当たり前過ぎるくせに答えの出ない往復を、何度も何度も繰り返した。





Ⅱ. 魔法にかかる七時半



 あの日━━━━━。

 出勤には少し早い朝七時。私はいつもどおり開店と同時に店の引き戸を開けた。


「いらっしゃいませー」


 見事に一致した声はこの店を切り盛りする陽成さんと、お母さんの奈津芽なつめさんのもの。

 まだ誰もいない店内で、私は六つしかないカウンターの一番端に座る。カウンターもテーブル席もすべて空いているけれど、ここが私の指定席。ここが一番、陽成さんに近いから。


絵麻えまちゃん、いつもありがとう」


 奈津芽さんが出してくれたお冷やグラスに、明かり取りの窓から朝日が差し込んで反射する。


「ようやくお日さまも出てきたねえ」

「起きるときはまだ暗いですもんね」

「最近は寒くってお布団出たくない」

「わかります、わかります」


 話好きの奈津芽さんとは、世間話をする程度に親しくなり、「絵麻ちゃん」と名前で呼ばれるようになったけど、陽成さんとは思うように近づけない。

 息が白いくらい寒い朝でも、よく冷えたお水はおいしい。口が広く薄いグラスは割れやすそうで、こういう飲食店で扱うには不向きだと思う。でも、グラスひとつでお水の味が変わるってことを、私はここで教わった。


「はい絵麻ちゃん、お待たせしました」


 メニューは白ご飯に豚汁、タラの漬け焼き、じゃがいもとキャベツと卵の炒め物、ひじきの煮物にお漬け物が二切れ。

 お盆に並べられた派手さはなくても隅々まで行き届いた朝餉。ご飯の白さが、卵の黄色が、人参の橙色が、ひじきに見え隠れする豆の緑色が、ここでは不思議なほど鮮やかに見える。焦げ目の付き方まで計算されているような見事さ。完璧なプロの仕事。


「いただきます」


 汁一口飲んだだけで、白ご飯をそのまま食べただけで、身体の中にじんわり沁みるのがよくわかる。

 ああ、私たちって食べ物から栄養をもらってるんだなって。それは幸せなことなんだなって。

 七時半頃になると店内はいっぱいになってしまって、食べ終えた私は早めの出勤をすることになる。


「ごちそうさまでした。今日もおいしかったです」

「いつもありがとうございます」


 お会計をしようとレジに向かうと、包丁を洗っていた手を止めて、陽成さんがついて来た。


「わっ!」


 突然右足が引っ張られ靴が脱げる。つんのめった私はストッキングの足で身体を支えた。すぐ後ろを歩いていた陽成さんが、私の踵あたりを踏んだらしい。


「すみません! 大丈夫ですか?」

「大丈夫です。私は何ともありません」

「………あーーー」


 脱げてしまった靴を拾った陽成さんが、絶望的な声を発する。


「あの、どうしましたか?」


 片方靴がないからバランスを欠いた体勢のまま尋ねると、陽成さんは私の靴をじっと見たまま眉を下げる。


「すみません、ここが……」


 陽成さんが示した靴のヒールは、少し削れて塗装が剥げていた。黒い靴だから白く削れたところがよく目立つ。


「ああ、大丈夫です。安物だからこんなことはよくあって」


 私は左足の靴を脱いでヒール部分を見せた。


「ここも剥げてしまったけど、マジックを塗って誤魔化してるんです」


 驚いている陽成さんの手から靴を受け取り、両方履き直してヒールを見せた。


「ほら、遠目だと全然わからないでしょう? こっちも後で塗っておきますから」


 笑って言うと「本当にすみません」と頭を下げつつ、陽成さんも少しホッとした表情になった。

 靴のことは災難といえば災難だけど、本当に気にならない。それよりも、少しだけ陽成さんに近づけたような気がして嬉しかった。だからわざと一万円を出して時間稼ぎし、思い切って伝えた。


「明日からしばらく来られません」


 二回お札を確認した陽成さんが遠慮がちに聞いてきた。


「理由を聞いてもいいですか?」

「実は結婚式が重なってしまって、金銭的に……。お給料日が過ぎたらまた来ますから!」


 急に来なくなっても、ここのご飯が嫌になったわけでも浮気をしたわけでもない。陽成さんにとってみたらどうでもいいことかもしれないけど、それだけは伝えたくて。

 お札を握ったまま、少し躊躇って、陽成さんは私に顔を近づけて小声で言った。


「灰川さんならご馳走しても構いませんけど。靴のこともあるから、ぜひそうさせてください」


 このご飯が明日からも食べられる! しかもタダで!

 それはまったく悪魔の囁きそのものだった。だけど、


「ありがとうございます。お気持ちだけいただいておきます」


 好意を無下にしたせいか、少し困ったようながっかりした顔をする陽成さんに、精一杯の気持ちを笑顔で伝えた。


「ちゃんとお金を払って食べたいんです。お金を払うことが愛だと思うから」


 好きだからこそ、その対価を支払いたい。私の支払うお金なんて大した額じゃないけれど、それでもこの店を長く続けて欲しいから。そのために私ができることは、通い続けることと、「おいしかった」と伝えることと、ちゃんとお金を払うこと。


「あのー」


 陽成さんがいつまでもぼんやりお札を握ったままだったのでさすがに催促した。


「あ、すみません」


 お釣りと一緒に陽成さんは、


「ありがとう」


とはにかんだ笑顔をくれた。

「ありがとうございます」じゃなくて「ありがとう」と。それは店員さんがお客さんに向けるものではなくて、陽成さんが私に向けてくれたもの。

 ━━━━━まさに魔法。

 ふわりふわりと曖昧に浮かんでいた恋心に、確かな実体を与えられた瞬間だった。

 色の剥げた靴で職場に向かう道すがら、陽成さんの笑顔ばかり思い出していた。コートのポケットに入れておいた手袋をつけ忘れていて、会社に着いてパソコンの電源を入れる時、手がかじかんで一度押し損ねる。

 このままお店に通い続けても、もうこれまでのように、おいしく食べられる気がしない。





Ⅲ. 呪いにかかる七時



 給料日である今日の朝。まだお金を下ろしてもいないくせに、私は足早に日々亭に向かった。

 日々亭に行けなかったこの三週間、陽成さんに会いたくて会いたくて。職場の帰り道、真っ暗な日々亭の前で、何度も声に出さずに陽成さんを呼んだ。

 気持ちがはやり過ぎて、着いたのは開店の十分も前。時計を見ながら摺りガラスの引き戸の前に立っていると、大きな影がガラガラとそれを開けた。


「おはようございます、灰川さん」

「あ、おはようございます」

「ちょっとバタバタしてるけど、どうぞ」

「え? いいんですか?」


 陽成さんはわざと少し困ったような顔をする。


「よくないけど、いいですよ」


 その言い方が店員さんらしくなくて、特別扱いしてくれてるのかな? って勘違いさせられる。

 図々しく入り込んだ私を、奈津芽さんも笑顔で迎えてくれた。


「おはよう、絵麻ちゃん。久しぶりねえ」

「おはようございます」


 店内は出汁のいい匂いが充満していて、冷えた身体がほぐれていく。いつもの私なら深呼吸をするところだけど、今日だけはそんな余裕なかった。

 当然誰もいない店内で、私はまたカウンターの一番端に座る。その位置だと、ほぼ確実に陽成さんがお水を出してくれるから。


「いらっしゃいませ」


 改めて言いながらコトッと薄いグラスを置いた、その大きな手を、素早くぎゅっと握った。水仕事をしていた手は、冷たくて少し湿っていた。


「好きです」


 余計なことを差し挟む時間は一瞬もない。他のお客さんが来る前に、奈津芽さんが振り向く前に、しっかりと目を見て伝えた。

 次の瞬間奈津芽さんが近付いて来て、私は慌てて手を離す。驚いた表情のまま、陽成さんもすぐに仕事に戻り、私の手には湿り気だけが残された。


「お待たせしましたー」


 笑顔で朝餉を運んできてくれたのは奈津芽さんだった。陽成さんは入って来たお客さんにお水を出している。

 この店に来てこんなことは初めて。お味噌汁の具が何だったのか、たった今食べたはずなのにわからない。薬味の乗ったお豆腐に、お醤油を差すことも忘れて口に運ぶ。そうして私はぼんやりしたまま貴重な朝餉を食べ終えた。

 日々亭は人気店。朝一番に時間が取れなければ、陽成さんと話す機会はもうない。今日はお会計も奈津芽さんで、それは別に陽成さんが私を避けたわけでもなかった。それでも気持ちは更に落ち込む。


「ありがとうございました。あ、そうそう! 絵麻ちゃん、これ忘れ物」


 そう言って、奈津芽さんが紙袋を差し出した。一度受け取って覗いてみると、中には箱が入っている。だけど私には全く覚えがない。


「いえ、これ私の物じゃありません」

「あれ? そうなの? 陽成が『灰川さんの忘れ物だ』って言ってたから。ごめんなさい。こっちの勘違いだったみたいね」


 正直なところ、それどころではなくて。なんとか作った笑顔で「ごちそうさまでした」と言い捨てるようにして、急いで店を出た。


 会社を出ていく人の流れを、食べる気持ちが湧かないおにぎりを弄びながら見守る。

 なんでランチに向かうOLって華やかに見えるんだろう? 出勤時や退勤時にはないきらめきが見える。

 隣の課の国松くにまつさんが、今日もまた違う女の子と連れ立ってランチに出ていく。女の子のパンプスは真新しく、あしらわれたリボンまで踊っているようで可愛らしい。心の中からズタズタの私には、エナメルの光沢さえ眩しかった。

 舞踏会に憧れるシンデレラって、こんな気持ちだったのかな?

 俯いた先にはガラスではなくマジックを塗った靴が見える。王子様だって拾ってくれないようなボロボロの靴。


「灰川さん、例の“魔法”切れ?」


 パソコンの電源を落とした平雪ひらゆきさんが、隣の席からからかい混じりに聞いてきた。


「そもそも、魔法なんて不確かなものに踊らされた私が悪いんです」


 突拍子もない私の発言に、平雪さんはなぜか強く頷いた。


「魔法って、どこか与えてもらうものっていうイメージだよね。なんか弱そう。私なら代償払った呪いでいいから強い力がいいな」


 ランチに向かう流れを見つめながらの言葉には殺気すら感じる。


「平雪さんって、国松さんが好きなんでしたっけ?」


 「国松さん格好いいー!」「付き合いたーい!」そう公言している彼女にしてみれば、あのリボンパンプスはさぞ面白くないだろう。

 ところが色白の顔の上で、艶やかな赤い唇がくっきりと不敵な弧を描いた。


「とりあえず、そういうことにしておいて」


 私も強い力が欲しい。いや、強い気持ちが欲しい。すべてを受け止める強さが欲しい。私にとってそれは魔法のようにふわふわと掴みどころのないものではなくて、積み重ねた確かな私自身。自分の脚で歩いた足跡。


「代償か……」


 どういう結果になろうとも、明日返事をもらいに行こう。




Ⅳ. 魔法より確かな十九時半



 日々亭の前を通る帰り道。マジックを塗られたヒールがカツカツと私を勇気づける。

 この靴に魔法は宿らない。魔法なんていらない。欲しいのはもっとずっと確かなもの。

 十九時を回った日々亭はいつも真っ暗で、それでもどこかに陽成さんの気配を探しながら通り過ぎる。

 そのはずなのに、今日は店の奥にぼんやりと灯りが見えた。不思議に思ってその灯りを見つめていると、


「灰川さん!」


 すぐ近く、入り口前の暗闇の中からのそりと人影が立ち上がった。


「え? 陽成さん?」

「よかった。ここを通ってくれないかなって、賭けてたんです」


 一段だけある石段に座っていたらしく、パタパタとお尻をはたく。いつもの白いコックコートじゃなくて、初めて見るデニム姿。魔法使いじゃなくて、普通の男の人。


「寒いのに! こんなことしなくても、用事があるなら明日の朝でよかったでしょう?」


 距離を詰めた陽成さんは、強く私の手首を握った。


「もう来てくれないかもしれないと思って」


 厨房だけ灯りのついた日々亭は薄暗く、全然知らない店のように見える。


「ご飯食べました?」


 呼吸するペースで厨房に入り、私の指定席にお水を置く。外は暗く、オレンジがかった電球の灯りが、グラスの中に溶けていた。


「いえ、まだです」

「よかった」


 陽成さんが手早く準備すると、当たり前のように私の前に魔法が広がる。初めてみる陽成さんの夕餉ゆうげ


「いいんですか?」

「店で出せないような簡単なものだから遠慮なく」


 唐揚げを卵でとじた丼とゴチャゴチャ色んな野菜の入ったお味噌汁。確かに“まかない”感の強いメニューだ。結局お昼を食べていない私は、急激に空腹を自覚する。


「あと、これも」


 ガラスの容器に入っているのは、くすんだオレンジ色の固まり。


「昼餉には簡単なデザートも付くんですけど、いらないっていう人もいるから毎回余るんです。だからよかったらどうぞ」

「これは……カボチャ?」

「はい。カボチャのプリンです。苦手ですか?」

「大好きです」


 本当は好きでも嫌いでもないのに、自然と口からは「大好き」と出ていた。

 私に出したものと同じ丼を抱えて陽成さんは隣に座って食べ始めた。毎日のように朝餉を食べに来ても、当たり前だけど一緒に食事をするのは初めて。無造作にさっさと胃に収めていく姿を見ると、やっぱりこの人が自分で作ったんだな、と思う。


「いただきます」


 まだできたてだから熱い唐揚げはカリカリ感が残っていて、トロトロの卵とすごく合っている。カボチャのプリンは甘くなく、カボチャだけを詰め込んだような自然な味だった。それでもカボチャそのままよりずっとなめらかで食べやすくて、多いと思ったのに苦もなく食べられて。たった今、カボチャは本当に「大好き」になった。

 自分の分を素早く食べ終えた陽成さんは、頬杖をつきながら、私が食べるのをじっと見ていた。


「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです」


 視線には気づかないふりをして、緊張を隠しながら全部食べ終えると、陽成さんは食器を片づけてから、私の目の前に紙袋を置いた。


「あ、これ、私のじゃないです」


 今朝奈津芽さんが私の忘れ物だと間違えた、例の紙袋だったのだ。


「いえ、灰川さんのです。俺が、今日渡すつもりだったから」


 受け取るようにずいっと押しつけられるので、戸惑いながら箱を取り出して開けると、中身は黒のパンプスだった。しっかりとした革の。


「いただけません! あんな安物の靴は気にしないでください!」


 箱に戻して陽成さんの方に押しやる。


「気にしてません。むしろ好都合だったって喜んでるくらいだから」


 箱から靴を取り出した陽成さんは、


「俺に幸せを運んで来てくれるように、魔法をかけておいたのに」


 と、蓋をひっくり返した。そこに貼ってある付箋には携帯電話の番号が書いてある。陽成さんは靴を持って私の足下にしゃがみ込んだ。


「これを履いて、毎日俺に会いに来て」


 私の足からマジックが塗られた靴が脱がされ、しっかりしているのにしなやかな革の感触が足に当たる……当たる……当たったまま……。


「あれ?」

「これ、サイズ小さいですよね?」

「え? でも22.5cmってこの前確認したのに」

「ああ、この靴、表記されてるサイズより少し大きめなんです。普通は23.0cmを履いてます」

「…………」

「魔法、効かないかもしれませんね」


 うずくまって頭を抱える陽成さんの上に、遠慮のない笑い声を落とす。


「あははははははは!」

「あああああ、恥ずかしいーー! サプライズなんてするもんじゃない!」

「これ、サイズ交換してもらえませんか? レシート持ってます?」

「レシート……ある! 明日、23.0cmを用意するからもう一回やり直して!」


 私は靴なしのままイスから降り、立ち上がろうとする陽成さんを押し留めるように首に腕を回した。


「魔法なんてなくても、毎日素足でだって会いに来ます」


 初めて味わう陽成さんの唇は、たぶん卵や唐揚げの味なんだろうけど、もうよくわからない。さっきの卵よりも、もっとふわふわでトロトロ。日々亭のどんな朝餉よりも、さっきの夕餉よりも、これが好きって言ったら、陽成さんは喜ぶのかな? 悲しむのかな?

 そういえばシンデレラのガラスの靴は、魔法じゃなくて、魔法使いからのプレゼントだ、という説があるらしい。だから消えなかったんだって。

 毎日だって会いに来る。魔法じゃなくて、会いたいから会いに来る。その方がずっと幸せ。

 少しだけ離れた陽成さんが、唇を触れさせたまま笑う。


「━━━━━カボチャの味」

「カボチャは嫌いですか?」

「今、好きになった」


 きっとこれは、十二時を過ぎても、朝が来ても、ずっとずっと解けない確かなもの。






 fin.






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