熔接×熔断×ロックンガール

swenbay

序章 始動! ロックンガール!

 

        1

 大鳥居ミヤコはトラックの助手席から飛び降りると、施錠された校門横の金網をよじ登って解体作業中の小学校に侵入した。

 四階建ての校舎の周囲には足場が組まれ、解体が始まった校舎の西側から半分は、緑色のシートですっぽりと覆われている。校舎に隣接する体育館は、足場を組んでいる途中らしく、壁に掛かった時計は、まだ時を刻んでいた。

 時刻は午後五時半。

作業員の姿は既に見当たらない。校庭にはミヤコ一人だ。

砂埃を防止するための水が撒かれているお陰で、少しは涼しい。とはいえ、熔断作業を開始すれば、一瞬にして涼しさは吹き飛んで、どーっと汗が噴き出るに違いない。

「上等だ。やってやろうじゃねえか」

 ミヤコは解体途中の遊具を睨み付けて、目標物を探す。狙うは直径約一〇センチの棒状の、切削や熔接が比較的容易な鉄材。簡易的なステージを組み立てるには、まずスポットライトを吊り下げるための鉄骨構造の主軸を二本、熔接して造らなければならない。

 ガス熔接なら、アルミニウム合金以外ならば適合性はある。だが、最も適しているのは、鉄と炭素の合金である軟鋼だ。といっても、鉄材を精査している時間など、一切ない。レンチで片っ端から叩いて音で確認する程度で、あとは勘で切り出すつもりだ。

「ワタセン、さっさと始めようぜ! 日が暮れたら、終わりだ!」

 ミヤコはベルトから下げた切断器具を手にして、校門前に停車しているトラックに向かって叫んだ。ワタセンこと作業着姿の若い男――ミヤコの担任の渡瀬先生は、びくびく周囲の様子を窺いながら、助手席から降りた。渡瀬先生はトラックの荷台から、黒色のボンベと褐色のボンベを各一本ずつ手押し車に載せて、校門前まで運んでくる。

「まずいよぉ……ミヤコくん。危ないよぉ」

 渡瀬先生は、ふらつきながら黒色のボンベを担ぎ上げ、金網の上からミヤコへと渡した。

 ミヤコはボンベを両手でしっかりと受け止めると、静かに地面に下ろして胸を張った。「分かってるって。作業は常に危険と隣り合わせって授業で言ってるのは、ワタセンじゃんか。任せとけ、アタシはこの通り、作業着姿に遮光メガネと熔接用安全靴で準備万端だ」

「その危険じゃなくてさぁ」

 渡瀬先生の眉間に皺が寄り、ミヤコを見る目が潤む。

「じゃあ、どの危険だよ。ああ、ゴムホースや圧力調整器なら点検済みだぜ。熔接熔断の基礎は、指差し点検からだもんな」

「そ、そうじゃなくてさぁ。こんなところを誰かに見られたら、ってことだよ。ほら、さっき通った公園の近くで、パトカーが走っていただろ?」

 渡瀬先生の眉間の皺が、さらに深くなり、反対に眉根が、ぐっと下がった。

「パトカーが歩いてるわけねえだろ」

「だからぁ、そうじゃなくて……僕は警察に捕まったら、ってことを危惧しているんだよ」

 渡瀬先生は警察への恐怖からか、声だけでなく、今度は体全体が小さく震える。眉尻がぐぐっと下がり、涙袋にいっぱいの涙を溜めて震える渡瀬先生は、臆病な小型犬のようで何とも頼りない。

 そんなに怖がらなくたっていいのに。警察官だって人間だし、人助けだってことを説明すれば、分かってくれるんじゃねえかな。分かってくれなかったら、そのときは一発ぶん殴って、全力で死ぬ気で逃げる。単に、それだけの話じゃんか。

「キグだかフグだか知らねえが、要は、捕まらなきゃいいわけだら? ブツブツ言ってないで、行くぜ。ワタセンは酸素ボンベのほう、よろしくな」

 ミヤコは黒色のボンベを地面に置き、渡瀬先生の腕から褐色のボンベを強引に引ったくると、遊具のある場所へと駆けて行く。

「よろしくなって、ねえ、ちょっと、ミヤコくん!」

 渡瀬先生は狼狽しながらも、金網をよじ登った。地面に置かれた黒色のボンベを担ぎ上げると、フラフラとした小走りで、ミヤコの後を追ってくる。ミヤコは工具箱から手頃な大きさのレンチを取り出し、片っ端から遊具を叩いて、音の確認に懸かった。

 手頃なのを見つけ、黒色と褐色のボンベに圧力調整器をレンチでしっかりと取り付けた。そうしながら、狼狽する渡瀬先生に指示を出す。渡瀬先生はミヤコに指示されるままに動き、熔断作業の準備を手伝った。

 ミヤコは切断トーチにホースを繋ぎ、作業用のライターで点火して吹き出す炎の勢いを調節した。次いで、脚を開いて踏ん張り、腕が震えないように腰をぐっと落として熔断作業を開始する。赤い火花が飛び散り、次々と遊具から鉄の棒が切り離されていく。瞬く間に、鉄材の山が築かれた。ミヤコは切断トーチの切断酸素弁、予熱酸素弁を左手で絞って遮断し、最後に燃料ガス弁をきつく絞って、炎を消した。

遮光メガネを外して汗を拭うミヤコの耳に、パトカーのサイレン音が飛び込んでくる。サイレンは、火花が飛び散らないように散水してぬかるんだ地面に沈み込むように、重く響いた。

「ミ……ミヤコくん、サイレン……サ、サイレンがぁ」

 火災防止のために校庭に水を撒いていた渡瀬先生が、ミヤコに視線を向ける。渡瀬先生の顔は冷や汗と涙で湿っており、泣いて赤くなった鼻からは、鼻水が顔を覗かせていた。

 ミヤコは耳を澄まして、現在地である小学校とサイレンとの距離を探る。パトカーの現在地は、遠からずといったところだ。とはいえ、小学校に近づいているのは、確かなようだ。面倒な事態になる前に、さっさとずらかるに限る。

「ワタセン、全力疾走だ! アタシは鉄材を持つから、ボンベを頼む!」

 ミヤコは、サイレンに怯えて頭を抱え込む渡瀬先生の背中を、ばしっと拳で強く叩いた。まだ熱いままの鉄材を水で湿らせた布で包んで担ぎ上げ、校門まで一目散に走る。金網をよじ登り、切り出した鉄材と工具箱を、トラックの助手席に放り投げた。

 ミヤコは踵を返して、再び金網に足を掛けた。二本のボンベを抱えた渡瀬先生の襟首をむんずと掴むと、後方に倒れるようにして、ボンベごと渡瀬先生を引き上げる。バランスを崩して頭から落ちる渡瀬先生をよそに、ミヤコは二本のボンベをトラックの荷台に括り付け、助手席に飛び乗った。

「もたもたすんな。行くぜ、ワタセン。目的地まで全速力、かっ飛ばせ!」

 渡瀬先生は擦り剥いた額を抑えながら、運転席に座った。トラックのエンジンを掛け、凭れ掛かるようにハンドルを握る。渡瀬先生はパトカーのサイレンに全身を震わせながら、ゆっくりとアクセルを踏んだ。目的地である静岡工業高校の在る北東の方角に進路を取る。

        2

 トラックが南幹線と呼ばれる大通りに差し掛かったところで、ミヤコはサイドウィンドウの手動レバーを回した。身を乗り出し、汗まみれの顔いっぱいに風を受けながら、状況を探る。片側二車線の道路は、車の量こそ多いが、順調に流れているようだ。だが、渡瀬先生は極めて安全運転だ。後続車にビュンビュンと追い抜かれていく。

 いくら静岡人がのんびり屋だからって、その運転はねえだろ。このトラックはカメかよ。何のためのトラックだよ。

「ワタセン、遅え。もっとガンガン行けってば」

 ミヤコは助手席のシートに寄り掛かると、工具箱からノギスを取り出した。ぐいっと、前方を指す。

「うん、わ、分かった」

 渡瀬先生は頷くものの、思い出したように小刻みにアクセルを踏むだけだ。トラックのスピードは依然として一定のまま。

 確かに、スピード超過で警察に捕まったら本末転倒だけどさ。なんだよ、時速三〇キロって。あーもう、チビチビとアクセル踏みやがって、切れの悪い小便かってんだ。

「ワタセン! 制限速度内でハイパー・ウルトラ、全速力っ! 急いでんだ、踏め踏めっ!」

「え、あ、う、う……うんっ」

 渡瀬先生はハンドルを強く握り、まだ震えが止まらない膝に力を入れてアクセルを踏む。

「よしよし、その調子だ。やれば、できるじゃねえか」

 ミヤコはトラックの速度がようやく時速五〇キロまで上がったことを確認すると、改めて、助手席のシートに寄り掛かった。切り出した鉄材を膝の上に置いて、ノギスで計測を始める。ノギスとは工業用の物差しの一種で、一般的なもので二〇分の一ミリまで計測することができる。一般の物差しと違うところは、ジョウ、クチバシと呼ばれる突起の部分を使って部品の外側や内側、深さや段差まで計測できることだ。ちなみに、ノギスは背中が痒くて手が届かないときは、孫の手代わりに使用すると抜群の威力を発揮する道具でもある。

 ミヤコは、切り出した全ての鉄材を計測してメモを取った。ノギスで背中を掻きながら、メモの内容を携帯電話に打ち込んで、メールで送信する。

ほどなくしてミヤコの携帯電話に辻村五十鈴から返信メールが届いた。辻村はミヤコと同じ静岡工業高校出身で、電子機械科専攻の一年先輩だ。辻村は、高校一年生のときに工業製図の登竜門とされている《全国製図コンクール》で最優秀特別賞を獲得し、製図の鬼と呼ばれていた。高校卒業後は、ミヤコの家の近所で《ミセス・ロビンソン》というライブハウスを経営している。

 ミヤコは辻村からのメールを読み上げる。

「えーと……なになに。了解しました。設計図は作成しておきますね。昔取った杵柄ですけどね」

 卒業してちょっとしか経っていないのに、なーにが昔取った杵柄だ。ジジくせぇなぁ。今でも小遣い稼ぎで、工場の部品設計図を書くバイトを請け負って、現役バリバリだって、煙水中から聞いてるんだからな。

 煙水中は、煙水花火商会という花火屋の花火師だ。年齢はミヤコより一つ上で、辻村とは高校の同級生。ミヤコの恋人でもある。恋人といっても、煙水とミヤコの家は極めて近所に在る。物心つく前から一緒にいるので、二人の間に恋人になる前と後の境界線は、ほとんど存在しない。

 ミヤコは携帯電話を胸ポケットに入れると、シートを少しだけ倒して、外の景色に視線を投げる。進行方向左手、北の方角に、陽が落ちて藍色に染まる空を背景にして、静岡県庁の三棟の高層ビルの輪郭が浮かび上がっているのが見える。目的地である静岡工業高校は静岡県庁の北東に在る。今まさに走っている南幹線から《きよみずさん通り》に進入し、北上すれば、すぐだ。

「到着したら、もういっちょ……やってやろうじゃねえか」

 ミヤコは両腕を前に伸ばして手を組み合わせ、ぐっと背伸びをする。手持無沙汰を紛らわすためにカーラジオに手を伸ばしたミヤコは、ボリュームを上げてツマミを左右に動かして適当なチャンネルを探す。しばらくツマミを動かしていたミヤコは「おおっ!」と歓声を上げた。渡瀬先生はミヤコの声に驚いて、ビクッと肩を震わせる。

「ミ……ミヤコくん、ど、どうしたんだい?」

「どうしたもこうしたもあるかよ。レッド・ツェッペリンだ! レッド・ツェッペリンのロックンロールが流れてらぁ!」

 ミヤコは胸を躍らせながら、カーラジオから響くロック・ミュージックに合わせて足を揺すってビートを刻む。渡瀬先生は興奮するミヤコの様子に怯えながら、前方を注視したまま、首を傾げる。

「レ、レ、レトルト・ツェ? ……なに?」

「レッド・ツェッペリン! 聞いたことぐらい、あるら?」

「え、あ、う……うん、あるある……あるよ、うん」

 渡瀬先生はミヤコの迫力に気圧されて、何度も頷く。だが、キョトンとした子犬のような表情をしている。

 ワタセンめ、絶対に分かってねえな。つうか、《レッド・ツェッペリン》も知らねえなんて、どんな環境で育ってきたんだよ。普通、小学校一年生の音楽の授業で習うだろ? そんでもって、習う順番は、かえるの歌、チューリップの歌、最後の大取りが《レッド・ツェッペリン》の歌だろうが。ったく……これだから、おぼっちゃんは困るぜ。

 ミヤコは渡瀬先生の背凭れを叩き、ラジオのボリュームを最大にした。大音量を響かせながら、南幹線から《きよみずさん通り》に進入したトラックに、道行く人々や行き交う車の注目が集まる。恥ずかしさで頬を赤く染めた渡瀬先生が、おずおずとラジオのボリュームを絞る。が、すぐさまミヤコが元に戻す。

「いいじゃねえか、景気づけには持って来いのナンバーだ。派手に行こうぜ」

 ミヤコはサイドウィンドウを全開にして、風を受けながら、英語の歌詞を口ずさむ。渡瀬先生は背中を丸くしてハンドルで顔の下半分を隠しながら運転する。

「ねえ、派手にったてさぁ……ねえ、ミヤコくん、こんなにうるさくしたら迷惑になっちゃう……ねえ、聞いてるかい? ねえ?」

「聞こえねえ! はい、ここでぇ、ギターソロッ、大鳥居ミヤコッ!」

 曲は中盤のギターソロへ。ミヤコが体を激しく揺すってギターを弾く真似をし始めた。路側帯を手を繋いで仲良く歩いている老婆と幼児が、トラックを指差してケラケラと笑い、トラックと並走するワンボックス・カーに乗った家族連れが、市街地に出没した野生の猿を見るような好奇の眼差しで、ミヤコを凝視している。ミヤコは、サイド・ウィンドウから上半身を乗り出し、腕を頭の上でブンブン振り回す。

「も、も、も……もう、いやだぁあ」

 渡瀬先生は顔を赤くしながらハンドルを握り、渾身の力でアクセル・ペダルを踏み込む。

 ミヤコの体が、ぐぐっと後ろに引っ張られる。

 何だ、何だ? 急にスピードアップとは、ワタセンのヤツ、なかなかやるじゃねえか!

        3

 トラックは《きよみずさん通り》を爆走し、薬局の前の交差点をドリフト・ターンで右折し、静岡工業高校の正門を通過する。

「よっしゃ、マッハで到着っ」

 ミヤコは勝手にトラックのサイドブレーキを引いて、脚を伸ばしてブレーキを踏む。急ブレーキに、トラックがつんのめった。後輪が左右に振れ、ギュルギュルとタイヤと地面が擦れ合う音が響く。

 カーラジオから流れる曲は、激しいドラムロールのまま終わりを迎えると、今夜のニュースに切り替わった。ミヤコはシートベルトを外し、切り出した鉄材を包んだ布を担いで助手席から飛び降りる。荷台に積んだボンベや台車に傷が付いていないことを確認すると、ミヤコは運転席のドアを開け、エンジンを切った。ハンドルに額を打ちつけて泣きべそを掻いている渡瀬先生の首根っこを、むんずと掴んで引きずり降ろす。渡瀬先生は背中を丸めて、団子虫のような体勢でミヤコに視線を送る。

「ぼ、ぼくは、ここで待ってるよぅ……」

「ここで待ってても、やぶ蚊に刺されまくって、ボッコボコになるだけだっつうの」

 ダッセエ声だして、ビービーとベソ掻きやがって。ダセエ。

 ミヤコは、地面にしがみ付く渡瀬先生の脚を右腕で抱え込んだ。ズルズル力任せに引き摺って、荷台から下ろした手押し車に、切り出した鉄材と一緒に縛り付ける。さらに渡瀬先生の上に黒色と褐色のボンベを各一本ずつ載せ、両腕にぐっと力を入れて持ち上げると、一気に駆け出した。

「しっかりボンベを抱えててくれよな。あと、喋ると、舌ぁ噛むぜ」

 手押し車が揺れてガタガタと渡瀬先生の歯がガチガチと鳴る。ミヤコは静まり返った授業棟の脇の花壇を突っ切り、自動車部のガレージの南側の道を通って、明かりが煌々と灯る工場棟を目指す。

 工場棟の玄関前では、作業着姿のアフロヘアーの男が、しゃがみながら煙草をふかしていた。ミヤコの副担任であり、静岡工業高校の実習講師長の日向先生だ。

 日向先生は沖縄出身で、肌の色が黒く、モジャモジャのアフロヘアーに、額に巻いたバンダナ、口髭という強烈な見た目を持っている。ロック界伝説のギタリストであるジミ・ヘンドリクスに似ているので、ミヤコやロックンロール好きな生徒からは「ジミヘン」と呼ばれている。ちなみに、その他の生徒からは「具志堅」「ビッグまりも」「黒たわし」など、適当に呼ばれている。

「おお、待ってたぞ、ミヤコ!」

 日向先生は、手押し車の音に気付き、煙草を灰皿代わりの水を張ったドラム缶に投げ捨て、膝に力を入れて立ち上がる。

「ジミヘン、ただいま」

 ミヤコは手押し車から右手を離すと、日向先生に拳を高く振り上げて、ハイタッチを交わした。バランスを失った手押し車は、工場棟の玄関手前で倒れた。渡瀬先生は、鉄材と二本のボンベの下敷きになって「ピギッ」と悲鳴を上げて気を失う。

 ワタセンめ、だらしねえなぁ。おまけにウサギの屁みたいな声ぇ出しやがって。まあいいや、アタシに仕事が回ってくるまで、少し時間があるから、それまでは、めんどくせえから寝かしておこう。

 日向先生とミヤコは腕をガッシリと組み合わせ、固く握手を交わす。

「よし、よくやったぞ、大鳥居。クソのポリ公に捕まらず、よく戻ってきたな! お前は、やっぱりロックだな、ロック!」

「当然だぜっ。ジミヘン、協力してくれてありがとな」

「なぁに、お安い御用だ。何より一年生の生徒のいい勉強になるしな。よし、急いで準備だ。熔接に必要な道具は、最低限だが、準備してある。あとは、好きに使え」

 日向先生はミヤコの背中を強く叩き、工場棟へと送り込む。

 最低限で充分だ。あとは熔接の腕で、なんとか対処するぜ。

 ミヤコは頷いて、工場棟へ足を踏み入れる。

 安全靴に履き替えるための細い通路から、東に熔接室、西に旋盤室を抱える工場棟一階のスペースまでやってくると、足を止めた。旋盤室の手前で、真新しい作業着姿の数十人の生徒がたむろしている。

あのキレイな作業着は、間違いなく一年生だ。きっと、まだ熔接も「よ」の字を囓った程度なんだろうなぁ。でもって、一年坊主どもが待っているのは煙水の旋盤チームか。すげえ人気……バンドの出待ちだな、こりゃ。

 ミヤコは熔接室に向かい、用具棚に並んだ道具を指差し確認する。道具や消耗品を数えるミヤコの指が、ふっと止まった。圧力調整器、火口、ガス用ライターなど、熔接実習で使用する道具の全てがピカピカに磨き上げられており、熔接棒、ガス検知器などの消耗品は、新品が用意されていた。予備も充分に有る。

「最低限じゃねえ……すげえ……全部、揃ってる」

 ミヤコの前には、熔接に必要な最高の道具が揃っていた。

 ありがとう、ジミヘン。やっぱ、伊達にアフロじゃねえな。そのアフロには、ロックの魂が詰まってらあ! 神様、仏様、ジミヘン様! 

 ミヤコは、両手をギュッと握り、目を瞑って、深呼吸をする。工場棟に漂う機械油と鉄の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、ミヤコは唄うように呟く。

「任しとけ、最小限の人数で、最大限の音を、だろ?」

 ミヤコは熔接室の窓を開けて、熔接作業に必要な換気を行う。ミヤコは少し間、湿気を含んだ夜風に吹かれていたが、工場棟の玄関口に人が集まる気配を感じると、サッシに手を掛けて身を乗り出す。

工場棟の玄関口で、ベージュ色の作業着姿の六人が、頭を突き合わせる形でしゃがんでいる。煙水の旋盤チームだ。副リーダーの中島先輩を中心に、ノギスや携帯用の硬度計でミヤコが切り出した鉄材を計測して、アスファルトの地面にチョークで書き出している。ちなみにリーダーの煙水中は、製図室で辻村の製図を見学中だ。製図の段階から完成形を頭の中でシュミレーションして、作業手順や切削条件を組み立てるらしい。

 頭の良いヤツの考えてることは、よく分かんねえ。シミュレーションだかジェネレーションだか知らねえが、アタシはライブみたく、いつもアドリブだ。頭の中でゴチャゴチャ考えるのは、あんま好きじゃないし、アドリブのほうがワクワクするら?

「先輩ども、腕は鈍ってないかよ?」

 ミヤコが声を掛けると、旋盤チームで一番のお調子者の高木先輩が、顔を上げる。

「あーん? 鈍ってねえよ。先輩を舐めるんじゃねえぞ、ミヤ公ぉ」

「別に、舐めてねえって。高木先輩、いい加減に作業ズボンの尻の穴、塞げよ」

 高木先輩の作業ズボンは尻の部分がキレイに破け、パンツが見えている。高木先輩はミヤコに背を向けて尻を突き出し、左右にプリプリと振った。

「見せてるんですぅ、おしゃれなんですぅ、イテッ!」

 調子に乗った高木の頭を中島先輩が軽く叩き、旋盤チームにドッと笑いが起きる。

 あーあ、見たくもないもん見ちまった。汚いケツだったぜ。しっかし、ピンクのヒョウ柄なんて、趣味えれえ悪いな。

「おっ、何やら動きが」とミヤコは天井に視線を向ける。工場棟の二階が急に騒がしくなった。

 バタバタと足音が響き、顔を赤くして興奮した面持ちの一年生たちが完成した図面を両手いっぱいに抱えて、次々と階段を下りてくる。

 辻村のやつ、こんな短時間で何枚……いや何十枚、書いたんだ? もしかしたら、百枚以上あるのかもしれない。とにかく尋常じゃねえ枚数で、つまり尋常じゃねえ作業量ってことは確かだな。

「げえぇ、信じらんねえ。こんなに削んのぉ? 鬼……辻村も煙水も、鬼だぜ、おい……うげぇ」

 渡された図面を広げ、一斉に悲鳴を上げる旋盤チームを見て、ミヤコは笑う。

 鬼で上等だ。やってやろうじゃねえか。

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