第31話 殺人事件殺人事件

『「犯人は貴方ですね、奥さん」


 探偵の言葉と同時に、窓の外に雷鳴が轟いた。明かりを失った部屋の中で、一瞬閃光が集まった人達の影を白く浮かび上がらせた。目をひん剥いて驚く者、口に手を当てて悲鳴をあげる者……誰もが皆、先ほど探偵に名指しされた年配の女性を見つめていた。彼女はじっと押し黙ったまま、しばらく虚空を見つめていた。長い沈黙が広間を包む。もう二、三度窓の外に雷鳴が鳴り響いた時、ようやく彼女は……』


□□□


「……如何ですか? 真田一行目先生」

「嗚呼。私は小説のことは分からんが、良くできてると思うよ」

「まあ嬉しい。お褒めいただき光栄ですわ。では早速、これを本稿として執筆作業にかかりますわ」


 ゴシックドレスを身にまとった女性が、PC画面とにらめっこしている探偵の横でにっこりと微笑んだ。


「もちろん今ご覧になっている原稿も、先生が解決した事件が元になってますの。私も、先生に取材した甲斐があったというものですわ。きっとこの推理小説は、傑作になることでしょう」

「こちらこそ、お役に立てて光栄だよ一条先生」


 真田と呼ばれた探偵は、目を瞬かせながら女流ミステリ作家を見上げた。彼女の名前は一条千鶴。先日発表された超本格ミステリ長編『ABCDEFG件』で一世を風靡した彼女。実はその事件の元になったのが、何を隠そう探偵・真田一行目が解決した事件だったのだ。


 取材を通して彼女と知り合った真田は、休日を利用して今を時めく若き小説家の書斎を訪れていた。彼女が新しく手がけるミステリ作品を、是非一度読んで欲しいと向こうからお願いされたのだった。綺麗に片付けられた書斎で、真田は一条が淹れてくれた紅茶を啜りながら、本棚にずらりと並べられた彼女の著書を見て驚いた。


「それにしてもすごいね。よくもまあこんなにミステリを作れるもんだな」

「あら。ウフフ……実際の事件を取材して、それを上手く小説に落とし込んでいるだけですわ。そりゃあ、こうしてちゃんと製本にまで辿り着いた子達は幸せですけど……」


 真田の視線を追って、彼女はまるで溺愛した我が子に接するかのように、本棚に並んだ自著を細い手で愛おしそうに撫でた。


「……中には表舞台に出ることなく、死体のように眠り続ける子もいるんですよ? ほら……」


 そういうと、彼女は真田の背中から手を伸ばすと、彼の右手の上からそっとPCのマウスを握った。亜麻色の髪が探偵の顔をくすぐり、柔らかな甘い香りが真田を包み込んだ。彼女は『没』と書かれたフォルダを選ぶと、クリックして画面上に広げた。


「……見て? こんなに……」

「何? まさかこれ全部、没原稿なのか?」


 驚く真田に、一条は微笑んだ。


「ええ。原因は色々ですけど。でも削除するのは何だか可哀想だから、供養の意味も込めて私はこうして全部取っておいてありますの。例えばこれなんか……」


 そういうと彼女は『教育上よろしくない殺人事件』のファイルをクリックした。


「……生前、『彼』はとっても素晴らしい出来栄えでしたわ。あのまま完成していれば、きっと今の文壇、そして教育界に衝撃を与えるミステリ小説に育っていたことでしょう」

「でも……これ、完成してないな」


 真田が青く光るPC画面の端を指差しながら言った。一条は頷いた。


「ええ。残念ながら、『彼』は最後まで書き切られることなく、亡くなってしまったの。死因は、『トリックが思いつかなかったこと』。あと、ライバル作家が『教育上よろしい殺人事件』というのを先に発表してしまって、編集部と相談してあえなくお蔵入りになったんですわ……」

「教育上よろしい殺人事件……」


 一条は悔しそうに声を滲ませた。真田はマウスを操作し、また別のファイルを開いた。


「嗚呼! やめて、それは!」

「!?」


 途端に一条が甲高い声をあげた。顔を真っ赤にした彼女が、慌てて真田の開いたピンクのファイルを閉じた。想像以上に力強く、マウスを持つ右手を上から握り潰され、真田は顔をしかめた。


「だめ、これはだめなの。『ハクバノオウジサマ殺人事件』は、私がプライベートで書いた”子”だから……」

「わ……悪かったよ、すまない」


 取り乱す彼女に謝りながら、真田はずらりと並んだ殺人事件達を眺めた。『二百万人殺人事件』、『犯人は田中殺人事件』、『四千年前殺人事件』……見たことも聞いたこともないような殺人事件は、どれも没になり日の目を見ることなくここで供養されているのだという。


「『二百万人殺人事件』は、所謂【双子のすり替えトリック】を応用したもので、『二百万つ子』の犯人達が無双する画期的な推理小説だったんですが……『読者からの指摘』によりあっけなく没になりましたわ。『二百万つ子なんてありえない』とか、全く、意味の分からない誹謗中傷……」


 未だに根に持っているのか、一条は若干声を怒らせながらブツブツ呟いた。


「この子なんて、本当に連載当初は好評だったのに。『犯人は田中殺人事件』。完璧なロジックとトリックを作りこんで。でも結局、何故か解決編に行く前に編集部に『犯人が分かった』という手紙が殺到したのですわ」

「ははあ。推理作家というのも、大変なんだな……」


 画面に光る小さな文字を睨みながら、真田は唸った。未完成のまま没を食らった作品達は、どれも最後まで書き切られることなく中途半端なところで終わっている。このどれもが、何らかの理由でここに眠ることを余儀なくされた、『殺された殺人事件達』なのだ。何となく、真田が画面の前で目を瞑り両手を合わせると、一条がちょっと驚いたように目を丸くした。


「……真田先生、今日は本当にありがとうございました」

「一条先生。完成したら、是非貴方の作品を読ませてください。何なら、私の事務所に遊びに来てもらって構いませんから。どうか、この子達の分まで……」


 真田の労わりの言葉に、一条は嬉しそうに微笑んだ。


「ええ。ありがとうございます。大丈夫です先生、私の創作意欲はまだ死んでいませんから。途中で終わってしまったこの子達の為にも、次こそは最後まで小説を書ききってみせます」

「その意気ですよ! それこそが、彼らにとっても一番の供養にな

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