第二章 潜降 帰蛙(きあ)2




「ねえねえ、何やってるの? フロア」


「うるさいなあ、子供は大人のすることに口挟むなよ」


 黙々とある作業を進めていたフロアに話し掛けてきたのは幼馴染のビリーダだった。


「何よ、子供、子供って! 前足生えたのが私よりちょっと早かったくらいで偉そうに!」


「そんなにケロケロ吠えるなよ。全くガキなんだから」


「ガキはそっちでしょ? 何よ、ずっと泥遊びなんかしちゃってさ」


 フロアはその日朝からずっと泥を捏ねて何かを作っていた。ビリーダはそれを不思議に思い、遠巻きにずっと見ていたのだ。


「遊んでいるわけじゃねえよ。これは画期的な発明なんだ」


「発明って枯れた草と泥を混ぜて固めているだけじゃないの?」


「これで強度を強く出来るんだよ。泥だけだと乾いた時に崩れちまうんだ」


「ふーん。でもそんなもの作って何に使うの?」


「これを積み重ねて『塔』を造るんだ」


「とう? とう、って何?」


「人間たちが石なんかを高く積み上げて造る建造物さ。長老に昔聞いたことがある」


「そんなもの造ってどうするのよ? 私たちには必要ないものでしょ?」


「いや、必要なんだ、俺の計画には。遠くに『飛ぶ』ための塔が」


「飛ぶ? はあ? なに言ってるの? 蛙なのよ、私たち。鳥じゃないのよ?」


「人間だって乗り物作って空を飛んでいるんだぜ? 俺たちだってやれないことはないさ。草を編んで大きな翼を作って塔の上から跳んで風に乗るんだ。長距離は無理でも『ケンドウ』を渡るくらいなら何とかいけるはずだよ」


 得意げにフロアはそう言った。それを聞いたビリーダの顔色が変わった。


「まっ、まだ向こうに行くとか夢みたいなこと言っているの? ばっかじゃないの!」


「夢なんかじゃねえ! あそこに帰ることは先祖たちから託された俺たちの大事な使命なんだ!」


「だって誰も成功してないじゃない! あなたのお父さんもお兄さんも……」


「わかっているさ。だから誰もやらなかった新たな方法を考えたんだ。俺はうまくいく」


「人間がそんな塔を見逃してくれると思っているの? 積んでいるうちに気付かれてあっという間に壊されてお終いよ」


「そのためにはみんなの力が必要なんだ。この泥と草で作った塊を前もってたくさん用意しておいて風の強そうな日に一気にみんなで積み上げるんだよ。飛ぶのは俺がやるからさ」


「誰がそんな危険なことに手を貸すのよ? 積んでいるところを見つかったらあんただけじゃなくてみんな危ないことになるじゃない!」


「みんなにとってもこれは悲願なんだからわかってくれるさ。俺が説得してみせる」


「む、無理よ、そんなの。もしみんなが協力してくれたとしても……」


「協力してくれたとしても?」


「な、なんでもない。とにかくそんな馬鹿なこと言ってないで真面目に働きなさいよ」


「ふん、見回りとかオタマジャクシたちの世話とかなら他の奴でも十分出来る仕事じゃねえか。俺は俺にしか出来ないことをやるんだから良いんだよ」


「フロアはいつも口だけじゃないの! いいわ、もう勝手にしなさい」


「ああ、勝手にするさ。ほら、ガキは帰った、帰った」


「ふん、そんなんだからいつも変わり者扱いされるのよ、ばーか!」


 ビリーダはぷいっとそっぽを向くとスイスイ泳ぎ出した。数メートル泳いだところでちらっと振り返ってみたが相変わらずフロアは泥を捏ね続けていた。


(ケンドウの向こうに行くなんてそんなこと出来るわけ無いじゃない)


 本当なら「やめて」と言いたかった。ケンドウの向こうが本当に安全な場所なのかもわからないし、ケンドウを渡るための方法も乱暴過ぎる。先祖代々の夢か何か知らないが今の生活を捨ててまで挑戦しなければならないことなのだろうか?


(私のために、一緒に、ここに残って!)


 その言葉を素直に言えたらどんなにいいだろう。しかしオタマジャクシの頃からずっと一緒に成長してきた幼馴染のフロアに対してはどうしても素直になれなかった。


 ビリーダは一人我が道を進もうとしている彼を遠くから見つめることしか出来なかった。


 それからフロアにとって苦難の連続だった。協力者は現れず、むしろ仲間たちからは白い目を向けられてしまい、淡々と泥のブロックを一人で造る、そんな日々が続いた。造り置きしておいたそのブロックが何者かに壊されるという嫌がらせ事件まで起き、フロアは大きなショックを受けた。


 そんな時、突然ブロック造りを手伝い出したのは意外なことにビリーダだった。妨害を受けても諦めずに毎日泥を捏ね続ける二人。それを見ていた仲間たちは次第に心を動かされていった。一人また一人と手伝う者が現れ始め、泥のブロックは数を増やしていった。


 しかしそんな折に蛙たちを揺るがす出来事が起きた。長老インダが死んだのである。偉大な指導者の死は蛙たちに暗い影を落とした。しかし彼が遺言として「フロアの計画を皆で助け、伝説の地に帰るように」と言い残していたことがわかり蛙たちは再び団結した。


 そして計画実行の日が訪れた。




 満月の夜だった。雲が月を掠めるように流れていく。田んぼの土手を登り切った所に蛙たちが泥ブロックを積み上げた塔が造られていた。人間が見れば子供がいたずらして盛った泥の塊にしか見えないだろうが蛙たちにとってそれは初めて力を合わせ創り上げた歴史的な建造物だった。


 今、その上に一匹の蛙が堂々と座っていた。その背中には草を編んで作られた大きな翼。そう、彼は風を待っているのだ。見つめるその視線の先にはケンドウ、そしてさらにその先には先祖たちが住んでいたという伝説の地があった。


 塔の下からはフロアを勇気づけようとする仲間たちの声がケロケロと聞こえてきていた。そんな中、一人だけ押し黙ったまま涙を浮かべている者がいた。ビリーダだ。フロアは知っていた、彼女がそんな状態で見守ってくれていることを。今日だけじゃない。ずっと彼女は黙って見守ってくれていたのだ。それでも彼は行かなくてはならなかった。


 ふっと風向きが変わった。ついにその時が来たのをフロアは感じた。彼は暗闇の中で目を凝らした。宿敵「ジドウシャ」の姿は見えなかった。チャンスだ、今しかない。彼は思いっ切り塔の頂上を蹴り空中に跳び出した。翼が風を受ける。ふわっと浮き上がったまま彼は滑空し始めた。よし、いける! あんなに長く見えたケンドウを彼はあっという間に横切っていった。


 フロアが勝利を確信した、その瞬間だった。


 突然それまでと違う風が吹いた。為すすべ無く彼の体は回転し落下を始め、痛みと共に地面に叩き付けられた。仲間たちの悲鳴。朦朧とする意識の中フロアは何とか立ち上がった。


 くっ……、まだだ! まだ終わりじゃない。向こうまで這ってでも行ってや……。


 そう思った時、遠くからあの忌まわしいエンジン音が聞こえてきた。思わずフロアは動きを止め振り返った。先程までは気配すらなかった「ジドウシャ」がこちらに向かってきていた。仲間たちの悲鳴が大きくなる。彼は必死に痛む体を動かした。


 ところが進むことは容易ではなかった。空を飛ぶ為に付けていたあの翼が皮肉なことに今度は彼の動きの邪魔をしていたのだ。翼を体に固定するための紐が空中で回転した時に絡んでしまい外せなくなっていた。焦るフロアを強烈な光が照らし出した。ハッと固まってしまった彼の脳裏にある思いが浮かんだ。


 ……違う、こんなはずじゃない。そうだ、俺は知っている!


 逆風など吹くはずがない。俺は見事にケンドウを渡り切り伝説の地である向こう側の田んぼに辿り着くはずだ。そこには遠い昔に俺たちと同じ先祖から別れた蛙の一族が住んでいて彼らは今、ある敵と戦っていた。


 その敵とは奥の田んぼの泥の中に潜む自分たちの数千倍はあろうかという巨大蛙でそいつのせいで普通の蛙たちは絶滅寸前に追い込まれていたのだ。死の道であるケンドウを渡ってやってきた俺は勇者と讃えられ彼らと共にその化物と戦うことになった。


 拾った釘を加工して新たな武器を作るなど様々な発明した俺は仲間を率い、そいつを少しずつ追い詰めていった。


 そしてその中で明らかになった驚くべき真実があった。愚かな戦争を引き起こしてしまった人類はその大半がすでに絶滅してしまっていたのである。普段自分たちがよく見かけていた人の姿をしていたものは全て人型ロボットであり、あのケンドウに現れるジドウシャも動くものを襲うように設定された無人のロボットカーだった。


 巨大蛙の正体は生き残った僅かな人間が汚染された環境の影響で変貌したミュータントであり、俺たち蛙の知能が道具を使えるほど良くなったのも突然変異の一種だったのだ。


 戦いの末、巨大蛙を倒した俺たちはケンドウを横切る巨大な橋を完成させ離れ離れになっていた一族を一つに統一して、滅び去った人類に変わる新たな知性体として文明を創る一歩を踏み出した……。


 そう、これだ! これが俺の知っている未来のはずだ!


 フロアは死ぬことへの恐怖は感じなかった。覚悟の上での冒険だったからだ。しかし死を前にして強烈な疑問を覚えた。なぜ自分は未だ訪れない未来の出来事を知っているのか? しかもその未来は訪れようとせず今自分は死という別の未来へ向かってしまっている。こんなはずじゃない、その思いだけが心を支配していった。目の前にはすでに巨大なタイヤが迫っていた。


 諦め。ビリーダの悲鳴。そう、彼女にだけは悲しい思いをさせたくなかった。それだけが心残りだ。ビリーダ、ああ、ビリーダ、愛しい彼女、ビリ……、えっ、ビリーダだって?


 ……違う! 俺の女はそんな名前じゃない!


 彼はその時やっと何かに気付いた。しかし遅すぎた。スローモーションのように巨大なゴムの塊が自分の体を押し潰していく。骨の砕ける音。感じたことのない激痛が襲い掛かってきた。遠のく意識を必死に引き戻そうと彼は目一杯足掻いた。


 違う、そう、違うのだ。あれは未来なんかじゃない。そう、あれは……。


 容赦ない痛みに意識がかき消された。為す術無く力が抜け、やっと掴んだはずのものがどこかに飛んでいった。もうどうでも良かった。


 意識が……、消えていく……。


 彼が最後に思ったこと、それは「これが罰か……」だった。





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