2-13. クラタ・アサミ



 翌日。


 ヨシハラの話によると二人の容疑者の任意同行は案外すんなり叶ったようだった。二人とも最初はしらを切るつもりだったようだが、彼らのP-SIMレベル2に何の加工の跡もなかったことを伝えると、急に落胆してあっさり身柄確保に応じたらしい。


「ユウくんの推理は当たっていたよ。今までの実行犯たちは取り調べ中もどこか誇らしげで鼻につく態度のヤツらばかりだったけど、今回の彼らはこの世の終わりみたいな顔をして、知っていることをペラペラと喋ったそうだ。『ナポレオン』に見放されたというのがよほどショックらしいね」


「ふん。そりゃ色々上手くいったようで何より。で? 俺たちをここに呼んだのは何の用だ」


 人混みが嫌いなケンスケは不機嫌そうに言う。私たちはヨシハラに呼ばれて、実行犯たちが出入りしていた渋谷のビルの前まで来ていた。


「取り調べを通じて、このビルが担っていた役割が明らかになったんです」


「それはどんな?」


「儀式ですよ」


「……は?」


 ケンスケの眉間に一層深いしわが刻まれるが、ヨシハラはそれを楽しんでいるかのように軽い口調で言った。


「〈バスティーユの象〉は犯行の直前にある儀式をするんだそうです。構成員たちの間では、それがレベル2を偽装するためのイベントなのではないかと推測されているみたいで。詳しい偽装の方法は知らないそうですが、『占い師』と呼ばれる女幹部に呼び出されて睡眠薬を飲まされる。そして目を覚ました頃には、犯行にまつわる記録がP-SIMレベル2から消えているのだと言います」


「でも確か、P-SIMの偽装はナポレオンしかできないんですよね?」


「そう。『占い師』はあくまで仲介役。実行犯を眠らせた後にナポレオンがP-SIMに何かしらの偽装術を施すのでしょう」


 つまり、『占い師』はナポレオンと面識がある可能性の高い人物ということ。


 ケンスケも気づいたのか、ハッと息を飲んだ。


「『占い師』にたどり着けばナポレオンの正体も分かるってことか!」


「はい、その通りです。実行犯二人がこのビルに入った時間帯のレベル2情報を検証してみましたが、彼らが会ったのは偽物の『占い師』だったようです。偽物を演じた女性に話を聞いてみたところ、金で雇われて指定の時間にこのビルにいるようにしたと。そして彼女が誰に雇われたのか……それを示すデータはさっぱり消えていました。つまり、『ナポレオン』は実行犯の二人のことは見放していましたが、『占い師』の正体については包み隠そうとしているわけです」


「なるほど……それで、少しでも『占い師』の手がかりを探るために私たちがここに呼ばれたってことですね」


 私の言葉にヨシハラは頷く。


「家宅捜索はすでに終わっているよ。その時点ではここはすでにもぬけの殻でね。だけど、優秀な人工知能を持つユウくんなら、現場を見て何か分かることがあるかもしれないと思って」


 ヨシハラが先導し、私たちはビルの中に入る。狭い階段を上った先の扉の前にはキープアウトのテープが貼られている。ヨシハラは器用にそのテープの下をくぐると、ポケットの中に入れていた鍵を使って扉を開けた。


 臭気センサーがハーブの香りを検知する。インド系の飲食店でよく使われている香料と一致。


 中に入ると、天井から吊るされた蛍光色の布が幾重にもカーテンのようになっていた。それをくぐっていくと、正面には応接間のようにテーブルと対面のソファが設置されている。そしてそのテーブルの奥には〈バスティーユの象〉の紋章の旗がかかっていた。


「あの旗の奥は控え室のような間取りになっているんだよ。おそらく旗の手前で実行犯を眠らせている間、ナポレオンは奥に待機していたんだろうね」


 私はヨシハラに間取り図を見せてもらった。事務所にするにはとても狭い部屋で、広さはおよそ10畳。


「もぬけの殻と言っても、什器備品はそのままになっているようですね」


「ああ。どうやら僕らがこんなに早くこの場所にたどり着くとは思っていなかったみたいだ。あまり時間がなかったんだろう。手で持ち出せる範囲のものだけ出して、あとは指紋とか証拠になるものを消すので精一杯だったみたいだね」


「なるほど……」


 私は一室をぐるりと見渡す。そして画像認識から取り残されている備品の基本情報を収集。この中で組み立て式の家具は……ヒット。


 私は応接に使われていたであろうテーブルをひっくり返した。そして脚を回して取り外す。テーブルの天板と脚の間にはまっていた金具が音を立てて外れた。私はそれを拾って表面を観察する。指紋の跡が残っている。


「それは……!」


 目を見開くヨシハラ。指紋は小さく、女性か、手の小さな男性のものだと推測できる。業者に組み立ててもらったという可能性は低そうだ。


「画像認識で指紋データを取り込みます。警視庁の前科者のデータベースと照合しても問題ないですか?」


「ああ、大丈夫だ。やってくれ」


「わかりました。指紋データを読み取り、データベースに接続します。指紋の形状を前科者の指紋データと照合……10%、35%、67%……89%……ヒット! 該当データが1件あります。検索結果を投影式ディスプレイに表示します」


 私はワイズウォッチを起動し、投影式ディスプレイに検索に引っかかった前科者の情報を映し出した。


 クラタ・アサミ、現在37歳。以前逮捕されたのは8年前の2025年で、現在は既に釈放されている。


 『擬似人格プログラム』が、彼女の顔写真を見てざわついている。


 逮捕当時の彼女のは涙袋によって強調された目の輪郭、すっと通った鼻、まっすぐな髪質……誰がどう見ても美人と形容するであろう顔だった。


 どこかで見覚えがある気がする。だが、人物認証データベースと照合してみても彼女と類似する顔を持つ人物はヒットしない。当然彼女に会ったこともない。ならばこの既視感の正体は、何だ。


 私が公開モードに設定した投影式ディスプレイを見て、ヨシハラが呟く。


「彼女も〈隣人同盟ゾウの会〉の人間だったみたいだね。逮捕理由は児童売春斡旋。組織の資金稼ぎのために自分の子どもの身体を売っていたらしい。……ひどい話だ」



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