第7話 巨大生物が棲まう島

「嫌い、大嫌い。イオリ・ユークライアのことが、初めから好きじゃない」


 シャルは表情の消えた鉄面皮で、そんな言葉を口にした。


「幼い頃から叶えようと頑張ってたはずの夢を大事にしない――イオリなんか大嫌い。だから私に付きまとわないで。島からも出てって」


 だから俺はこう返すんだ。


「ごめん、そんなことを言わせて。俺のせいだ」


 シャルは赤くなって、必死に否定してくる。


「やっぱり優しいんだね。その心遣いが凄く嬉しかった。ありがとう」

「な、何を言ってるの!? 嫌いだって言ってるじゃん!」

「だけど、それはシャルの本心じゃない」

「勝手に決めないで!! そういう所が嫌いだって言ってるの!」


「嘘だよ。だってそう言えば――これ以上この島の事情に関わらずに、俺は安全に島から出られるようになるもんな」


「……っ」

「だから、ありがとうって言った。だけどごめん、やっぱり俺は、そんな優しいシャルの力になりたい」


 シャルは唇を震わせて、泣きそうな表情を、浮かべてしまう。


「……どうしても、諦められないの?」

「どうしてもだ。これはもう、俺が自分で決めたことだから、シャルの言葉じゃ止まらない」

「…………」

「シャルの、俺の命を助けてくれた女の子の側に居たいんだ――俺の力で、笑って欲しいんだよ」


 じわじわと、涙が溜まっていった。

 そして決壊するように、言葉が飛び出す。


「――ごめん、なさい」

「シャルが謝る必要はないよ」

「ごめんなさい。酷いこと言ってごめんなさい!!」

「いいんだ。嬉しかったから」

「本当はそんなこと思ってない!! イオリのこと嫌いなんかじゃない!」

「大丈夫、気にしてない。いやあ、俺ってば昔からへこむの慣れてるんだよね」


 困っている人を見れば体が勝手に動く。

 そんな心優しい女の子が、どれほどの覚悟を込めて拒絶の言葉を口にしたのか。想像するだけでも心が痛む。


 今日初めて会った人を拒絶し、はっきりと「嫌いだ」と面と向かって声に出す。


 どれだけ勇気を振り絞ったのか。どれだけ心を奮い立たせたのか。

 その反動で、シャルの顔はぐしゃぐしゃに泣きそうになっていた。


「ほ、本当は、力になりたいって言われて、涙が出るくらい嬉しかった……っ」

「――その言葉だけで、報われる想いだよ」


 シャルは、今までどのくらい我慢をして過ごしてきたのか。

 自分の容姿が、自分の性格が原因で――どれほどの人を巻き込んでしまったのか。


 上位存在である神様のことを恐れて、一体どれだけの人がシャルロットから離れてしまったのか。


 俺には想像するしかできない。


 使うほどに人間じゃなくなっていく精霊術なんて、きっと恐くて堪らないはずなのだ。

 それでもシャルは、他人の為に力を使うことを躊躇わない。


 なんて格好いい、女の子なんだろう。

 泣き顔も可愛いけれど、俺が見たい表情はそれじゃない。


「いきなり言われて、重いかもしれないけどさ。もしかしたら引いちゃってるかもだけど、どうか聞いて欲しい」


 精霊術が使えないと分かったとき、一度心が折れそうになった。

 その時から俺は、もう二度と立ち止まらないと決めているのだ。


 自分で決めたことは、最後までやり切ると。


 ……まあ、強がりも入ってるんだけどね、本当は凄く胸が痛い。

 だって嘘でも嫌いとか女の子に言われたら、普通に傷つくじゃんよ!


 しかも何かめっちゃ指摘が細かかったし、一割くらい本音が混ざっててもおかしくない。

 いや、一割どころじゃないかも。少し泣きそう。


 でも、それを顔にも態度にも出さないのが男ってもんだろう。

 それが俺が夢見てきた、世界最強の精神ってやつだ。


「俺が君の騎士になる。もう悲しむことなんてないよう守る。世界最強の剣士として――」


 それに、最初の夢を諦める必要なんかないしな。

 要はシャルを困らせる脅威を排除すればいいんだ。そうすれば守る必要もなくなるし、この島に留まっている理由もなくなる。


「――認めるとでも思うのか? そんなことを、この僕が」


 そう、コイツだ。

 諸悪の根源、シャルを縛り付ける悪魔のような樹精霊――


 さっきはよくも笑ってくれたな、この野郎。……あ、女の子か。


「お前が認める必要はない。これは俺とシャルの問題だ。引っ込んでろよ、部外者」

「……調子に乗るなよ。はっ、シャルロットを守る騎士になるだぁ? 精霊術も使えないお前に出来ることなんてない」

「いいや、何でも出来るね。少なくともお前の妨害なんか軽く跳ね飛ばしてやる――惚れた女の子に意地悪する奴なんかに、こっちは負けるような修行してないんだよ」


 ピキピキと、ペンギンのこめがみに力が入る。


「いいだろう。そこまで言うのなら試してやろうじゃないか。自分がどれだけ身の程を理解していないのか、思い知れ!!」


 ペンギンがそう叫んだあと、暗闇に光がともった。


 しかしそれは精霊術の光ではなく、何者かの体から発せられる生命の光だった。

 ――眼、そう眼だ。二つの眼が鈍く、赤く光っていて、こちらをじっと見つめている。


 そして、ガサガサと音を立てて素早く歩いてきた。

 姿を現したそれは、遠目で見ないと全貌が把握できないほどの――


「アリ、か……?」


 ――とても巨大な、昆虫だった。


 ……え? こんなの世界に存在してるの?

 おいおい全長どれくらいだ? 少なく見積もって頭の位置だけでも3メートルはあるぞ!


「ここは世界樹の恩恵を受ける場所、その全てが大陸とは違うサイズで構成されているんだ」

「いやいや、だからって大きくなり過ぎだろ! なに食ったらこうなるんだよ!?」

「驚いてるなぁ、グエケケケッ。こいつはこの島に巣くう虫だ。体は岩みたいに頑丈で、普通の武器じゃ傷も付けられない。村の人間でも複数人でかからないと太刀打ち出来ないんだ。まぁ、シャルロットなら精霊術で一発だけどな。ちなみにこの虫は、島のそこら中にいる」


 ニヤニヤとした笑みが目に入る。


 なるほど、そうやって追い込んでいるのか……。

 願いを求めてきた人間を島に囲い、他者の命を重しにしてシャルに精霊術を使わせる。


 島の全てが、そういう意図をもって用意されているんだな。


「なに呆けてるんだよ。騎士になるんだろう? これくらい捌けなくてどうするんだ」

「い、イオリ、やっぱり逃げて! ここは私がなんとかするからっ」

「……いや、そういう訳にもいかないよ。シャルは絶対に精霊術を使っちゃダメだ」


「どこまでも格好つけやがって……怯えて逃げるんだったら許してやったのに。さあ、その顎で噛み砕いてやれ!!」


 樹精霊ドライアドの指示を受けて、巨大アリが動き出す。


「来い、ぶった切ってやる……はああああああぁぁ――!!」


 迫り来る巨大生物に向かって――頂いたばかりの最強の剣(木刀)を、真っ直ぐ振り下ろした。

 爆発するような大きな音が響き渡り、浜辺の砂が空に舞い散ってしまう。


 砂で視界が閉ざされたからか、シャルの悲痛な叫びが聞こえてきた。


「あぁ、なんてことを……! ごめんなさい、イオリ……やっぱり私が、巻き込んじゃったから」

「あ、終わったよシャル。もう大丈夫。それに自分から首を突っ込んだんだから、君が気に病むことはないよ。君に責任なんて、一切ない」

「…………え?」


 ようやく視界が晴れてきた。

 うん、伝わってきた感触通り一刀両断だ。でかいアリが真っ二つになっているのを確認して、安心して息を吐く。


 木刀だから上手く切れるか不安だったけど、なんとかなったな。

 さすがは世界最強の剣だ。見た目と材質はアレでも、ちゃんと剣として機能してるじゃないか。


 刃こぼれ――木刀だけど――ひとつもない。頑丈な剣だな。


「…………」


 うぅ、心臓が破裂しそうだ。

 ……うおお、今頃鳥肌が立ってきたぞ! まったくもう、こんなの初めて見たなぁ……。世界って広いな、環境によって生物ってこんな進化をとげるのか。


 スケールでか過ぎだ。さすが世界樹。


 闇精霊の国の住人も、こんな感じであんな異形になっていったのかな……。


「え、あれ……? イオリ、大丈夫なの?」

「うん、いや、問題ないよ。ちょっと驚いちゃったけどね」

「でもその虫は、体が岩みたいに固いって……」


「はは、岩ぐらいなら切れるよ。そういう修行してきたからさ」


 ていうか、これが出来ないとそもそも闇精霊の国とは渡り合えない。肉体を持たない敵とか出てくるんだぜ、意味不明だよホント。

 それに故郷の奴らはもっと滅茶苦茶なんだぞ。奴らは精霊術を剣に乗せて切ってくるからな……。


 打ち合っただけで、込められた熱によって剣自体がダメになる。そんな理不尽さがあるんだ。


「シャル、これで証明できたかな。俺が君の騎士に相応しいって」

「……うん。すごいん、だね……」


 シャルは口をぽかーんと開けて、呆けたように言葉を出した。

 そして、すぐに表情が柔らかくなる。目の端に涙を浮かべながらも、にっこりと笑ってくれた。


 そう、俺が見たかったのは、君のそういう表情なんだ。


「えへへ、ごめん、私も驚いちゃった。だってイオリが、死んじゃったのかと思ったから……」

「シャルに助けてもらった命だ。粗末になんかしないよ」


 無事、認められることが出来たようだ。

 頑張ってきて良かった。進みたい道を、ちゃんと進むことが出来た。


 アホみたいに剣を振って、強くなることを目指してよかった。


 しかしどうにも格好がつかないのは、俺がいま葉っぱ一枚で大事な場所を隠している状況だからだろうか。


 うーむ。しかしマジか、ちょっと予想していたよりキツい環境なのかもしれない。

 ここの人間は、いつもこんなのと戦ってるのかな……こりゃちょっと、気合を入れないといけないなぁ。


 くっ、マズい、もう限界だ……。


 ふっと視界が暗くなり、思わず膝をついてしまう。

 体を支えきれず、そのまま浜辺に口付けした。ふふ、ロマンチックな表現でしょう。


「イオリ!? いきなり倒れて、今ので怪我をしちゃったの!?」

「いや、そこは無傷。怪我ひとつ負ってないよ……」

「じゃ、じゃあどうして……」

「……腹が、減ったんだ……、やばい、もう意識を保ってられない」


 ぐうう、と音が鳴る。


 ……恥ずかしい!!


「ふ、あははっ、何それ。イオリ、お腹減ってたの?」

「だって、いきなり海に投げ出されて、ずっと食べてなかったんだよ……」


 薄れ行く意識の中で、苦い表情を浮かべるペンギンの顔が目に入る。


「……そりゃ今まで溺れてたんだしな、泳ぎは体力も使うし当然か。ていうかコイツ、そんな状態で戦おうとしてたのかよ、呆れた奴だ」


 うるせー……。ペンギン。男には意地を張るべき時があるんだよ。

 てめぇには絶対、負けないから、な……。


「剣で『虫』と渡り合える奴がいるとは、思わなかった」

「うん、そうだね……あれ、でも最強の剣をあげたのはドラちゃんじゃなかったっけ」

「シャルロット、僕の剣を持っただけで突然強さが上がる訳じゃないぞ。それを使うに足る実力がなければ、あれは無用の長物に過ぎないんだ」

「…………」

「シャルロットだって分かってるだろう――“木刀で岩が切れるわけないんだよ”。頭おかしいよ、コイツ。アホだ」


 アホ言うな。努力の結果だ、人間は頑張れば……何でも、出来るんだよ。


「ちっ、コイツがアホみたいに世界最強を目指しているというのは、案外嘘じゃないのかもな」


 ああ、ペンギンの口って舌打ちとか出来るんだな……。


「うん、イオリはきっと、他の人に負けないようにずっと頑張ってきたんだろうね。精霊術が使えない状況で、それでも諦めないで……」

「…………くそ、イフリータの奴め。ちゃんと管理しておけよな……」


 けけ、ざまーみろ。

 そんな自分勝手な満足感を覚えながら、俺の意識はゆっくりと暗闇に落ちていった。

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