第3話 冷たいお茶がうまい・・・

 神山さんの面接が終わってから数日後。神山さんは無事に合格し、アルバイトとして働くことになった。その研修として、俺は一緒に大塚の物件を掃除することになっていた。神山さんとは十時に大塚駅で待ち合わせをしていた。俺はちょうど十時に着く頃になってから、待ち合わせ場所である改札前に行った。

 すると、改札前で一際、目立つ人物がいた。それは神山さんである。実にラフな格好で来ていたが、その格好は彼女の元々の美しさがあってこそ、マッチするものだった。俺は彼女の元へ向かうと、神山さんはスマホをいじっていたが、顔を上げて言った。


「細部さんでしょうか?」


「はい、お久しぶりです。神山さん。今日は宜しくお願いしますね」


「はい、本日はよろしくおねがいいたします」


「じゃあ、行きましょうか」


 俺と神山さんは大塚駅を歩きながら、目的地である物件まで歩いていた。俺はその道中で俺は自販機を見つけ、お茶を二人分買い、一つを神山さんに渡した。


「どうぞ。今日は暑いから」


「ありがとう」


 神山さんはその場でお茶を開けて飲み出した。俺はそれから続けて話を持ちかけた。


「神山さん、掃除って言っても、ホテルの清掃と似ている部分があるのですぐに慣れると思いますよ」


「はい。ありがとうございます」


「あ、あと以前も思ったんですが……」


「はい?」


「年齢、自分も22歳なんですよ。同い年なので、敬語は別に使わなくていいですよ。その方が楽ですし、掃除もしやすいと思います」


「ふふ」


 神山さんは急に笑い出した。俺は不思議に思い、


「どうしたんですか?」


「いや、もう細部さんが敬語を使ってるじゃないですか」


 神山さんは笑って言った。俺は「確かに」と思い、釈明するように言った。


「いやぁ、でもこれで敬語はおしまいにしましょう!」


「わかった」


 神山さんは自然と敬語をやめた。それは不快感を与えないやり方であり、俺は彼女のことを尊敬した。

 俺達はこんな面映い会話をしていると、物件の前に辿り着いていた。物件に着いたはいいものの、神山さんはその物件を見て驚いていた。無理もない……。

 何故ならば、物件があるこのマンションの入り口にあるパイプスペース一帯にキーボックスが百個程かけてあったからだ。俺も最初にこれを見たときは狂気の沙汰だと感じて、つい「バカだろ!」と大声で叫んでしまったものだ。

 キーボックスは中に部屋の鍵が入っていて、その鍵を使って、中に入るのだ。番号はあらかじめ教えられているのだが、この大塚の物件は似たようなキーボックスが異常に多く、どれが自分の清掃を担当する物件のキーボックスであるのか見つけるのに一苦労かかるのだ。

 俺は苦笑いをしながら、神山さんに言った。


「ごめん、ここの物件はキーボックスが異常に多くて。俺も慣れるのに一ヶ月はかかったよ。ちなみに」


 俺は百あるキーボックスの中から一つ掴み取り、その物件のキーボックスの番号であるものにダイヤルを合わせた。それは開き、鍵は姿を表した。


「えー。すごい」


「あはは。もう何回もやってるからね」


 俺は再び苦笑いをした。神山さんは驚いた様子であったが、エレベーターに乗って、その横顔を見ると、さっきまでの驚いた表情は消えていた。むしろ、少し初めての清掃で緊張したような表情だった。俺は物件のドアまで行って、ドアを開けた。中に入ると、その物件はすごく汚かった。


「絶対、前のゲスト〇○人だろ……」


 物件の綺麗さはそれぞれであり、前のゲストの使い方次第である。例えば、綺麗なときは、ほとんど掃除するところもないくらい綺麗であり、汚い場合は、コップが散乱していたり、鏡に歯磨き粉が付いていたり、観光で買った袋があちこちに散乱していたりと、汚さのレベルはそれぞれである。

 その日、大塚の物件は汚さレベルがMAX10だとするならば、7くらいだった。そのレベルは、十一時に入ってから、本気でやってちょうど十五時に終わるか終わらないかというくらいであった。しかも、その日は、神山さんの研修もあったため、時間は大いにかかるものと思われた。

 とりあえず俺は溜息をついてから、全てのリネン類を剥いでから洗濯機へぶち込んだ。神山さんに清掃のコツを洗濯機にリネンを入れながら言った。


「まずは、リネン類を洗濯機で回すといい。洗濯が一番時間がかかるので。洗濯している間に他の場所を掃除すると効率よくできる。例えば、風呂であったり、トイレであったりとか。洗濯が終われば、それをコインランドリーまで持って行ってから乾燥させる。そのあとに、ベットメイクをして、仕上げにコロコロをして、床拭きして、終わりって感じ」


「なるほど」


「何かわからないことがあれば、いつでも聞いて」


「うん」


「じゃあ、シンクをお願いしてもいい?パイプユニッシュが下の棚にあると思うからそれをかけてから洗うとすぐに落ちて楽だよ。ちなみに、風呂の排水溝もパイプユニッシュかけてから掃除すると早いよ」


「へぇ〜。やっぱり、動きがテキパキしてるね」


 そう言いながら、神山さんはシンクへ向かい、清掃を始めていた。


「まぁ馬鹿みたいに掃除やってるからね」


 俺達は瞬く間に、汚かったトイレ、風呂、シンク水周りの清掃を終わらせていた。そうしているうちに、洗濯機の終了の音が聞こえ、俺は洗濯機へ向かい、大きなカバンに洗濯物を詰めた。


「俺、コインランドリー行ってくる」


「うん」


 神山さんは了承していたが、何やら少し、険しい表情をしていた。俺はそれに気がついたが、尋ねる事もなく外へ出た。エレベーターまで辿り着き、俺は重要なことを思い出した。コインランドリーに行くのに、財布を持って行き忘れていたのだった。「このミスも日常回」と思いながら、物件のドアを開け、中へ入った。その瞬間、トイレの方から声が聞こえた。


「ちょっと待って……!」


「え……?」


 俺は何かあったのかと思い、急いでトイレへ向かった。トイレに向かうとドアは開いており、中を覗いた。そこにはズボンを下ろし、中でトイレをしている神山さんがいた。互いに目合ってから、神山さんは恥ずかしそうに顔を赤くして、激しく両手を振って言った。


「早く出てって!」


「あ、ああ、ごめん!」


 俺は急いでその場から立ち去り、


「コインランドリー行ってくる!」


 と、大声で言ってすぐにその物件から出た。急いでエレバーターヘ駆け込み、息を整えた。


「はぁはぁ。なんだ今の。ラノベみたいな展開だったな……」


 一階についてから、俺は落ち着きを取り戻してからゆっくりとコインランドリーへ向かった。

 部屋が汚かったとはいうものの、なんだかんだで時間に余裕があった。それは神山さんが優秀という事もあった。時刻は十二時。コインランドリーで洗濯物を乾燥させる時間を考えても、物件に戻る時間はおおよそ十二時半。余裕で終わるな。

 俺はコインランドリーに着いて、すぐに洗濯物を入れてから三十分間、回した。おおそよ三十分間、乾燥にかければ、大体のものは乾く。しかし、例外がある。それはタオルだ。タオルは生地が厚いこともあり乾くのに時間がかかる。三十分だと乾かない時があるのであるが、これがもうなんていうか、憎たらしい。

 大抵の場合は、時間ロスになってしまうので、持ち帰ってから今度来る時に洗濯して持って行く形になることが多いのだ。

 俺は雑誌を取り、ただボケーっとしながらそのページをめくっていた。漫画は頭には入って来ずに、神山さんのことを考えていた。


 ——さっき、俺はとんでもないミスをしてしまった。この乾燥が終わって物件に戻る時、俺はどんな顔をして部屋に戻ればいいのだろうか。平然と「戻ったよー」と言うのか?それとも、「さっきはごめん」と言うのか?はたまた「ごちそうさま」と、いやいや、何言ってんだ俺は。まぁ、最後のはないにしても、第一声が大事となる。神山さんはこれからうちの会社で戦力にもなってもらいたいし、うちの会社の唯一の真人間だ。何より、次のステージへのお金が必要って言ってたし、応援してあげたい。そうだ。神山さんみたいな人がいつまでも清掃をしていて言い訳がない。うちの会社には変な人しかいないし、早くお金を貯めてから、次の人生の階段を駆け上がった方が彼女のためになるに決まってる。


 すると、乾燥機の終わる音が聞こえた。気が付けば、もう三十分経っていた。俺はすぐに乾燥機から洗濯物を取り出してカバンに詰め込んだ。パンパンなカバンを持って、物件へ戻った。

 物件のドアの前で俺は深呼吸をして、ゆっくりとドアを開けた。中へ入って寝室へ向かうと、神山さんは床をクイックルワイパーで拭いていた。目があってから、しばらくお互いに黙り込み、それぞれ、床拭き、リネン交換を始めていたが、その沈黙を神山さんが破った。


「細部君、もう床終わったからリネン手伝うよ」


「え?」


 急な会話に俺は一瞬、声が裏替えってしまった。それを聞いて、神山さんは笑って言った。


「さっきのは気にしないで。私もドアを閉めてなかったし。ちゃんとトイレは掃除したから安心してね!」


「あ……」


 俺は自然と会話を進める彼女になすがままだった。俺は正直に彼女に言った。


「いや、こっちこそごめん。焦りすぎてた」


「いいよ。それ貸して」


 神山さんは俺が持っていたリネンを一つとり、ベッドメイクを手伝った。

 俺達はあっという間にベッドメイクを終わらせてから、最後にコロコロでゴミや髪の毛を取り払い、写真を撮って清掃は終了した。時刻は十四時半。時間的には予定よりも大幅に早く終了した。部屋を出て、神山さんは民泊清掃というものがどのようにすればいいのか一通り理解したらしい顔をしていた。

 俺達は大塚駅へ向かって、歩いて行っていた。俺は神山さんに尋ねた。


「どうだった?できそう?」


「うん。これなら私でもできそう」


「私でも?神山さんだったら、なんでもできそうだけど」


「そんなことないって!」


 彼女は焦ったように否定していた。俺は謙遜しているんだなと思った。俺はふと、気になることを尋ねた。


「IT企業で勤めてたのに、なんで辞めたの?」


 神山さんはその質問をした瞬間に、少し困った顔をして、何かを隠すように言っていた。


「そ、それは……なんていうのかな。私に合わなかったのかな」


 俺は動揺した神山さんを見て、不思議に思ったが、それ以上は聞かなかった。

 気がつくと、俺達は既に大塚駅に辿り着いており、お決まりである会話を始めた。


「山手線?どっち方向?」


「私は家が板橋だから池袋で乗り換える。細部君は?」


「じゃあ、逆だね。俺は巣鴨で乗り換えて三田線で春日まで」


「そっか。じゃあ、またよろしくね。お疲れ様」


「うん。じゃあまた清掃の連絡するね。あと清掃グループがあるから、そこのチャットに招待しておくね……って」


「あ、じゃあ、連絡先交換しなきゃね」


 そう言って神山さんはポケットからスマホを取り出した。それにつられて俺もスマホを取り出して、連絡先を交換した。

 交換を終えると、神山さんは電車が来ると言って、走って池袋方面のホームまで行ってしまった。対して俺はゆっくりと、逆側のホームへ向かった。

 エスカレーターに乗っている時に、スマホをいじって、神山さんを清掃グループのチャットに招待しようとした。神山さんのアイコンをふと見ると、神山さんの写真が写っていた。招待し、スマホをポケットにしまってから、俺は電車を待っていた。すると、すぐにスマホは震えだした。


「ん?」


 見てみると、すぐに神山さんは清掃グループのチャットに参加していた。その清掃グループのメンバーは、代表、近林さん、今泉さん、乙音、そして俺の五人だった。それに新たに神山さんが加わって六人になっていた。

 神山さんはそのグループに入るやいなや、「神山花恋です。宜しくお願い致します」と丁寧な挨拶をし、その後に「細部さん、本日はお世話になりました」との付け足しまでしていた。その後、続々とそのチャットで「よろしくお願いします」の返事が吹き荒れた。

 俺はやってきた電車に乗り込み、そのチャットを見ていた。挨拶が終わった後、乙音からチャットグループの招待が来た。そこに参加し、メンバーを見てみると、メンバーは俺と乙音と神山さんのみだった。不思議に思っていると、またすぐに神山さんも、そのチャットグループに参加した。

 すると、乙音が会話を始めてから、それから三人は会話することになった。


「神山さん、おいくつですか?」


「22です」


「え、同い年だ。ちなみに総司もだよ」


「総司?」


「あ、俺のことです」


「なるほど!下の名前!」


「そう」


「これからよろしくね、花恋ちゃん」


「こちらこそよろしくお願いします!」


「敬語じゃなくていいよ!」


「じゃあ、うん!よろしく」


「うん!てかさ花恋ちゃん、超絶美人さん?」


「え?」


「アイコンから溢れ出る存在感」


「嬉しい。ありがとう」


「てかさー総司」


「なんだよ」


「今度、三人で会おうよ。私、花恋ちゃんに会ってみたい」


「おいおい、いきなりすぎだろ。神山さん困るだろ」


「どう?花恋ちゃん」


「いいよ!」


「マジか」


「じゃあ、決まりー。今度暇な日連絡するねー」


「はーい!」


 会話はそこで終了した。しかし、乙音も大胆な奴だ。神山さん困ってなければいいけど。うちの会社の変人達に囲まれて、変な影響受けなきゃいいけど。

 俺は巣鴨に着いてから、ホームへ降りて三田線に乗り換えていた。日吉行きの電車に乗ろうと、ホームのベンチで座って、昼前に買ったぬるいお茶を飲んでいた。すると、またスマホが震え始めた。


「また乙音か?あいつ暇かよ」


 呟きながら、取り出してみると、連絡は近林さんからだった。見てみると、清掃のヘルプが欲しいとのことだった。俺はスマホをしまい、見なかったことにした。しかし、今度は電話がかかって来た。俺は仕方なく、電話に出た。


「はい、もしもし」


「あ、細部君?あのさー」


「無理です」


「まだ何にも言ってないじゃん!掃除手伝ってくれない?俺、今日営業してたんだけど、疲れちゃってさー。まだ担当の物件清掃やってないんだよね」


「はぁ、しょうがないですね。どこの物件ですか?」


「駒込なんだけど」


 俺はちょうど三田線のホームにいただけにそれが腹が立った。何故ならば、駒込は山手線。一度入った三田線を出て、山手線へ行かないといけなかったからだ。俺は軽く舌打ちをした。


「ちっ!」


「え!?今、舌打ちしたよね?ねぇ?」


「してないですよ。じゃあ今から行きますんで」


「はーい。じゃあ駅で待ち合わせでねー」


 俺は電話を切って、溜息をついてからベンチに座っていた体を立たせ、お茶を一気に飲み干してから三田線の改札を出た。その後に、山手線まで向かい駒込まで行った。

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