第24話 今日もアルバイト…ですが
「失礼します」
私は今日も、喫茶店『オルクス』の裏口から入りながら、中へそう声をかけた。
大きな声は必要ない。店内はいつも静かで、普通の声でも十分に店主に届くからだ。
「こんにちは、美月さん」
喫茶店のカウンターキッチンから、裏の休憩室に顔をのぞかせたのは、店主の
茶色がかった髪の二十代という年齢なのに、彼はどこか雨に濡れた白い百合みたいな印象がある。男の人にそんな表現を使うのも、おかしいとは思うけれど。
女子高校生の私なんかより、ずっと綺麗で、色気があるのは本当だ。
そんな記石さんの喫茶店で、私は先日からアルバイトを始めた。週三回、放課後から三時間程と、土曜日に。
そうなったのは、記石さんにちょっとオカルト混じりな事件で助けてもらったことが発端だ。
「お、来たか」
ふっと私の横に現れたのは、記石さんとそっくりの姿形をした青年だ。
現れ方からして、人外魔境の存在だ。最初のころはいちいち驚いたけれど、二週間ほど経ったのでさすがに慣れてきた。
これに慣れていいのかどうか、時々戸惑うけれど。驚いていると、カップを落としそうになったりするのでいいのだと思う。
「さっそく今日の分をもらえるのか?」
にやっと毒花みたいに微笑んで、青年が近づいて来ようとする。それを声だけで制したのは記石さんだ。
「まだですよ
この鬼は、暫定的に『柾人』と呼ばれている。私が呼び名に困ったからだ。
記石さんだけがこの鬼を認識しているのなら『あれ』とか『僕の鬼』そういう呼称で良かったのだけど、私にとっては鬼としか呼びようがなく。
しかもお客さんがいる前でも出て来ることがあるので、とても『鬼さん』などとは呼べない。
結果的に、名前をつけることになった。
「でもこの間は、学校の出来事で発生した嫌な感情なら、食べて良いって言ってたぞ」
「美月さんがそう申し出たら、ですよ。今は何も言っていなかったでしょう。あなたはお座りもできない駄犬なんですか?」
鬼相手には、恐ろしいほどに
そこまで言わなくてもと怯える私に気づいて、記石さんは表情と言葉をゆるめた。
「それに基本的には、店の仕事で困ったことが起こった時に、いくらでも感情は発生するでしょう。その時に美月さんが頼むでしょうから、待ちなさい」
「はいはい、わかったよ透哉」
茶化すように言って、柾人は姿を消す。一瞬でかき消える様子に、私は改めて、人じゃないんだなと思うものだった。
ふ、と息をついた記石さんが、私に着替えを勧めた。
放課後すぐにお店へ来るので、ここで着替えさせてもらっているのだ。さすがに制服のまま、アルバイトをするのは嫌なので。
そうして喫茶店用に置いている黒か茶色の飾り気のないスカートに、制服の白いシャツの上から、黒のエプロンを身に着けた。記石さんは少し華やかな程度なら、どんな私服でも問題ないと言ってくれているけれど、目立つのも嫌なのだ。
だって記石さんも黒や茶色のズボンに白のシャツだから。お店の人間としてふるまうのなら、揃っていた方が見た目にもわかりやすいだろう。
私の着替え用に開けてくれた、元は物を置いている小部屋を出て、お店の方へ行く。
静かな店内で、記石さんは洗ったグラスを拭っていた。
今はお客さんはいないようだ。来ない時はとことんお客のいない店だ。
正直、お店の経営で食べていけるような気がしない。
とりあえず私は、床の清掃を始める。一通り掃いた後にも、まだお客は来ない。
まぁ、今の時間に来るとしたら、学校帰りの学生か夕食の材料を買いに出た人、もしくは平日が休みの人ぐらいだとは思うけれど。
でもお給金をもらっている身としては、長く経営していけるのかどうか、気になってしまう。
で、つい尋ねてしまった。
「そういえば、どうして喫茶店を経営していらっしゃるんですか?」
「ああそれですか」
と記石さんが、何でもないことのようにうなずいた。
「無理に働く必要はないんですが、鬼がいますからね……」
「鬼のためなんですか?」
「食事になる、別な鬼を探してのことじゃないんですよ。あの鬼が思い出を食べた後、無くした記憶を無意識に求める人がですね、家の周囲をふらふら徘徊することが多くて。ゾンビに囲まれた家みたいな、とんでもなくホラーな光景が出来上がるんですよ」
記石さんの言葉に、思わず想像してしまう。
自宅周辺を、ぼんやりとした表情の人があてもなく歩き回る光景……ぞっとするだろう。
「住宅街でそれは遠慮したいなと思いまして、」
確かに喫茶店なら、周囲を人がふらふらしていても、普通に思えるだろう。ついでに入って、読むなりお茶を飲んだりしてくれた方がいいに決まっている。
ものすごく納得した私は、続いてテーブルを拭いて回ろうとした。
そこでお客さんが入ってきた。
「いらっしゃい……ませ?」
疑問符がついたのは、お客さんが友達だったからだ。
「沙也、いらっしゃい」
言い直して私は席に案内する。
「珍しいね、一人でお店に入るなんて。今日は芽依は?」
沙也はとても女子らしい性質の人だから、基本的に一人で飲食店に入らない。いくら友達が勤めていても、だ。実際、アルバイトのことは教えていたけれど、沙也が一人で来たことはなかった。
尋ねると、沙也はあいまいな笑みをみせる。
「うん……ちょっと」
そう言って、沙也はもぞもぞする。
私はピンときた。こういう仕草をするときというのは、沙也が話そうか迷っている時だ。
背中を押すべきか、言い出すまで待つべきか。迷った上で、私は先に水とメニューを運ぶことにした。
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