第4話 帰り際の言葉

 物語は、片思いから始まった。

 主人公は大人で、転職したてで色々なものを覚えていかなければいけなくて、いつも必死だった。


 そんな中、先輩だった男性に手助けやアドバイスをもらい、自然と優しさにひかれていく。

 会社の飲み会の後、その先輩とメールをするようになって、楽しい時間を過ごすようになる主人公。

 でもまもなく、彼が社内の別な人と付き合っていることを知ってしまって……。


 そこからしばらくは、読むのが苦しかった。

 片思いがやぶれたばかりの自分と、重なって見えてしまったから。

 だけど主人公がどうするのか知りたくて、先へ先へとページをめくってしまう。

 しかも展開が予想外すぎた。


「なんで!?」


 小声だったけど、つい口に出してしまう。

 最初こそ、片思い相手の恋人の悪口をネットに書いて、気持ちを晴らしていた主人公。

 ネットの書き込みに同調してくれる人が現れたものの、どうもその人の言動から、片思い相手ではないかと疑惑を抱くことに。

 まさかと思いつつも、もしかしたら恋人に嫌気がさしていたのかなと考えた主人公。でも自分に彼が送ってくれるメールでは、彼女のことを聞けば褒め言葉ばかり。


 疑問に思った主人公は、その謎を知りたくなって……。


 ……読み終わった時には、物語のことで頭の中がいっぱいになっていた。

 まさか男が彼女に嫌気がさして、悪評をばら撒いていたとは。しかも彼が不正をしていたとは……。


 物語は、主人公が不正を暴いて終わった。

 だけど恋愛モノから急に話が変わる展開に驚きすぎて、現実に戻って来るまで時間がかかってしまう。


 私は本を戻すことにした。

 立ち上がったところで、店内にお客が自分以外に居なくなっていたことに気づく。

 窓の外もすっかり真っ暗になっていた。


「え、あれ、今何時?」


 安物の赤いバンドの腕時計を確認すると、18時だ。まずい。もうすぐご飯の時間だ。それまでには帰らないと母親にものすごく怒られる。


『外で友達と食べるのなら、三時までに連絡すること。家で食べるのな十九時には食卓につくこと』

 という取り決めを破ることになってしまうから。


 普通の親なら、帰宅時間が遅いことを気にすると思う。まだ高校生だし。

 でも母が嫌がるのは、余らせてしまうことなのだ。予定外に余るのがどうにも我慢できないらしい。ちょっと変わった母である。

 でも余らせなければ、他は特にうるさくはないので楽と言えば楽かもしれない。


 私は急いで会計を済ませようとした。

 伝票を手にレジの前に立つと、もうそこに店員が待機していた。

 紅茶の代金を財布から取り出しながら、ふっと私は思った。


 ……次は別な喫茶店に変えようかな。

 なにせ亜紀がここを通りがかることがわかったのだ。うっかり店を出入りした時に見られたら、隠れ家のつもりだったここで待ち伏せをされてしまうかもしれない。

 そんなことを考えつつ支払いを終えたところで、店員が言った。


「大丈夫。ここは、不必要な人には見向きもされない店ですよ」


「え?」


 驚いて顔を上げると、彼と目が合ってしまう。

 その時初めて、私は黒いベストのポケットに刺していた金のピンに、わかりにくいながらも文字が書かれていることに気づいた。


 花びらを模した飾りが重なり合っている部分に『記石』と彫られている。

 彼の名前だろうか。

 彼は、何事もなかったかのように微笑んで言った。


「またお越しください。よろしければ、他にもおすすめしたい本をご用意しておきますよ 」


 おすすめしたい本って、また片思いとか失恋の本だろうか。

 そんなことを考えたけれど、私の口から出た言葉は質問ではなかった。


「あ、はい、ありがとうございます……」


 無難なお礼を言って、私は喫茶店を出たのだった。

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