第15話

「無事戻ったか」

 タラールは可彦たちを目の前にして、悪びれるも無く、慌てるも無く、ゆっくりと答えた。

 今、可彦たちは屋敷の広間にいた。初めにタラールと謁見したあの部屋だ。

 そこにいたるまで誰にとめられることも無かった。

 遺跡を出ると薄い光と澄んだ空気が可彦たちを迎えた。

 街中には職人たちが既に行きかい、欠伸をする巡回の衛兵とすれ違うこともあったが特に声をかけられることも無かった。

 屋敷にはいつも通り門番が立っていたが、朝の挨拶を交わすだけですんなりと通された。

 回廊は衛兵や女官、役人などが通るがいずれも挨拶を交わすだけで可彦たちを止める様子も無い。

 ただひとり、準備の世話をしてくれた役人がすれ違うときに『広間にてお待ちです』と告げた。

 罠かもしれない。そう思いながらも可彦たちは広間へと向かう。

 広間に入るとそこは静かだった。居並ぶ役人も衛兵さえもいない。

 ただ部屋の奥に、長椅子に寝そべるタラールと、その脇に控える二人の女官の姿だけ。

 そして可彦たちを見つめながら、先の言葉を発したのである。

「裏切ったな!」

 可彦の怒号。しかしタラールはあくまで鷹揚に答える。

「裏切ってなどおらん」

「僕たちは生贄だって言ってたぞ」

「それに関しては、その通りだ」

「僕たちに退治して欲しかったじゃなかったのか!」

「それに関しても、その通りだ」

「だったらなんで!」

「民の安全を一番に考えねばならん。おまえたちが奴の生贄となり、奴が満足するならそれもよし。おまえたちが奴を倒すならそれもよし」

 そこでタラールは言葉を切る。それから可彦たちを凝視する。

「時に……奴は討ったのであろうな?」

「逃げられたわ」

 ミランダの答えにタラールは身を乗り出す。

「なんだと! キマイラは! キマイラはどうなった!」

「キマイラのことも知っていたのですか! では相手が錬金術師ということも知っていたのですね?」

「そんなことよりもキマイラだ! キマイラはどうなったのだ!」

「……キマイラは倒したよ」

「まことであろうな!……そうか……それならばまずは問題なかろう」

 可彦の言葉にタラールは乗り出していた身体を再び長椅子に預ける。

「知っていてなぜ教えてくれなかったのです?! 教えてくれれば準備のしようもあったというのに!」

「それを教えたことが奴に知られれば、肩入れしたと疑われる。それは避けねばならん」

 ネフリティスに答えるタラールの声は既に鷹揚さを取り戻していた。

「フザケルナ!」

 声を上げて突剣を抜くバルゥ。それに呼応するように短弓に矢を番えるミランダ。タラールの前に立ちふさがる女官。

「さがれ!」

 タラールの怒号が広間に響く。しかしその声は可彦たちに向けられたものではなかった。

「おまえたちで何とかなる相手ではない!」

 しかし女官たちは動こうとしない。

「おまえたちが盾になってくれたとしても、その後わしは殺される。命を無駄にするでない。その誠意だけは受け取ろう。さがれ」

 先ほどの怒号とはうって変わって諭すような声。その言葉に女官たちはしばらく立ち尽くしていたが、ゆっくりと両脇に退いた。

「わしを殺したければ殺すが良い。おまえたちにはそうするだけの理由がある。しかしわしを殺す以上、その責任は取ってもらうぞ」

「僕たちも殺すってこと?」

「おまえたちの命など、そんなものはいらぬ」

 タラールの声はあくまで鷹揚で、どこか気だるげだが、しかし広間の中に響き渡る。

「しかしわしを殺したからには、わしにかわってこの国の繁栄を、民の安寧を、守ると約束してもらわねばならぬ。わしを殺すということは、この国を背負うということだ」

 タラールが可彦たちを見渡す。バルゥの切っ先も、ミランダの矢も、微動だに動くことが出来ない。

「その覚悟があるのなら、わしを殺せ。しかしその覚悟が無いのならば、悪いことは言わぬ、わしを殺すのはやめておけ」

 ゆっくりとしたその声はまったく似ていないにもかかわらず、可彦に父親を思い出させた。

「もう、いいよ」

 可彦は小さく、しかし明瞭にそう答えた。

「ありがとうバルゥ。ミランダも」

「いいんですか?」

 ネフリティスの声に可彦は頷く。

「多くの人を救ったことにはかわりないんでしょ? きっと。もっともみんなが納得してくれるならばだけど」

「ベクヒコがよいのであれば」

「……気ク食ワナイガ、ベクヒコニハ従ウ」

「そうね」

 バルゥは突剣を納め、ミランダも矢を戻す。女官たちが安堵の表情を見せた。

「でもね!」

 ベクヒコはひときわ大きな声を上げてタラールを見据える。

「ただってわけには行かないよ!」

「それは無論」

 タラールは大きく頷く。その声は今まで見せたことの無い弾んだ口調で、陽気な笑いを含んでいた。

「国を挙げて歓待させてもらおう。この国を救った勇者としてな!」

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