第3話

 三階建ての簡素な建物に入ると、そこは熱気にあふれていた。

 さほど大きくない広間の中に、所狭しとテーブルや椅子が置かれ、沢山の人が座っている。

 無論おとなしく座っているわけではない。

 テーブルに並べられた料理に手を伸ばすもの。

 手に持った大きな柄のついたコップを掲げるもの。

 大声で言い合うもの。

 逆に顔を寄せて密やかに話し合うもの。

 その間を料理や飲み物を持って行きかう給仕。

「ここは一階が食堂なんです」

 中に入ると給仕の一人がネフリティスに気がつき、手に持った料理を配り終えるとこちらに近づいてくる。赤毛を三つ編みにしたそばかす顔の女の子だ。

「いらっしゃい。ネフリティス」

「相変わらずの繁盛ですね。席あります?」

「あっちの隅にまだ空きがあったはずですよ」

 すぐに指差す女の子。

「あと部屋もお願いします」

「はぁい」

 ネフリティスはふたりをつれて女の子が指差したほうへと歩き出す。女の子は既に給仕に戻っていた。

 食堂の隅、確かに空いたテーブルがあった。そこにおかれた椅子にそれぞれが腰を下ろす。こうやって腰を下ろすと、可彦はなんとはなくため息をついた。別に落胆したわけではない。一息ついた、というところだ。

 みればネフリティスも頬杖を突き、いつもよりもどこか力が抜けている感じがした。

 可彦の視線を感じたのか、ネフリティスが顔を向ける。

「一息つけましたか?」

「うん。なんかほっとした」

 可彦は頷く。それと同時に胃袋が小さく鳴いた。聞きつけたネフリティスが笑う。

「それで何食べるの? メニューどこだろ?」

「メニュー?」

「注文するものを選ばないと」

「ああ、その必要はありません。選ぶ余地なんかありませんから」

「え? 選べないの?」

 ネフリティスは頷く。

「席に座ればその日その時にある材料で適当な料理が人数分運ばれてくるだけです。飲み物は基本水に少し果実の汁を入れたもの。酒が欲しければそれは別注文ですが」

「そうなんだ」

「料理を選ぶとか、相当高級な店です……あっちではそれが普通なんですか?」

 ネフリティスの言う『あっち』とは可彦の元々住んでいた『世界』のことだろう。

「そうだね」

 ファミレスでも小さな食堂でも普通にメニューはあった。メニューがない店のほうが高級店のような気がした。

「豊かなんですね」

 ほどなくしてさっきの女の子が料理を運んでくる。大きな木製の皿に盛られていたのは大量の肉。そして敷き詰められた大量の野菜。

 肉は何の肉かはわからないが、大き目のぶつ切りに切られており、まわりは香ばしそうに焼き固められ、切り口からのぞく中身は薄いピンク色をしている。

 敷き詰められた野菜は可彦が知る野菜と比べるならレタスに似ている。ただ少し萎びているようにも見えた。

 料理としては王国の晩餐で食べたあの肉料理に近い。ただあれに比べるとかなり粗野な印象だ。しかし可彦にはこちらのほうが何倍も美味しそうに見えた。

「旨イ」

 バルゥは早速手を伸ばすと敷かれた葉で肉を包み頬張っている。

「ねぇバルゥ。前から思ってたんだけどさ」

「ナンダ?」

「兜は脱がないの?」

「脱ガナイ」

 バルゥは食べる手を少し止めると、きっぱりと言った。

 現にバルゥは兜を脱ぐことなく、その口の部分を保護する金属製の覆いを下にずらして、そこに出来た隙間から器用に食べている。そして出会ってからこっち、バルゥが兜を脱ぐところを可彦は一度も見たことがなかった。

「なんで?」

「イイダロ。別ニ」

 バルゥは手にしていた肉を食べ終えるとコップを手に取り果汁入りの水を飲む。そして二つ目に手を伸ばす。

 可彦もそれ以上は詮索せず、肉に手を伸ばす。食べてみると思ったよりさっぱりしている。鶏肉に近い味だ。ただ少し硬い。

「これ何の肉?」

「おそらくオオトカゲですね」

「トカゲ!」

 驚く可彦をよそにネフリティスも肉を手に取り頬張る。

「初めてですか?」

「……あっちでは食べたことないよ」

 そう答えたのは晩餐で食べたあの肉がトカゲではないという保証がどこにもないからだ。手に取った肉を凝視する可彦。

「お口に合いませんか?」

 ネフリティスの言葉に可彦は手に残っていた肉を頬張って見せる。

「……いや、ちょっと驚いただけだよ」

 そういって可彦は肉を再び手に取る。確かに美味しい。トカゲだということを意識しなければ、だが。

「まぁいろいろ慣れていってもらうしかないですね」

「そうだよね」

「本当ニ世間知ラズノオ坊チャンミタイナ奴ダナ」

「まぁ……ある意味そうかもね」

 バルゥの呟きに可彦は少し歪んだ笑みを漏らす。それから手にした肉を一口で頬張り、コップの水で流し込む。

「それよりこれからどうするの」

「今日はここに泊まって、明日日が昇る前に大砂漠に出ます」

「大砂漠に出てからは?」

「まずはソタニロに立ち寄るつもりです」

「ソタニロ?」

「以前お話した領主夫妻しか居ない国です」

「ああ」

 可彦は思い出す。大砂漠に乱立するという国のひとつ。話を聞いたときにすごく興味があったので立ち寄るのは嬉しくもあった。なので『楽しみだな』と、口にしようとしたのだが、別の声がそれを遮る。

「ソタニロ?」

 野太いその声は隣のテーブルからだった。

「姐さん、あんた傭兵か?」

 声をかけてきた人物。剥き出しの筋肉を、金属で補強された革の帯を組み合わせた鎧で包み、見えるところは傷だらけで、傷だらけの肌は緑色。口元から除く牙。ネフリティスを『姐さん』と呼んだが、歳はネフリティスよりずっと上だろう。そしておそらくはネフリティスと同種族、オークだった。

 話しかけてきたオークの印象は、可彦のもつオークの印象に近い。ただ醜悪ということはなく、野蛮ということもなく、歴戦の戦士という印象だった。

「なぜです?」

「傭兵じゃないならソタニロは止めておいたほうがいい」

 ネフリティスの問いにオークの戦士は顔を寄せる。

「ジョサウーンがソタニロを攻めるってもっぱらの噂だ」

「そんな……ソタニロとジョサウーンは同盟関係にあったはずです」

「ジョサウーンの領主が急死してな、弟があとを継いだらしい。で弟のほうは同盟を守る気はないらしく、逆に傭兵を集めてるって話だ。まぁ小国同士の小競り合いなんざ、珍しいことでもあるまい。姐さんが傭兵で、一稼ぎしようって言うならソタニロにつくのは止めておけ。どう見積もっても勝ち目はない。とはいえジョサウーンのほうに志願しようにも、今からじゃちょっと入り込めないかもな」

「……情報感謝します」

 ネフリティスはそういうと給仕を呼ぶ。

「そちらのテーブルに酒を」

 給仕に硬貨を渡すとそう告げる。戦士は悪いな、と笑いながら自分のテーブルに向き直った。ネフリティスもテーブルに向き直る。その顔からはいつもの柔和な表情は消え、強張っていた。

「参りました」

 うつむくネフリティス。

「大事な人たちなの?」

 可彦の問いかけにネフリティスは小さく頷く。

「小さいころから知っていて、よく世話になったんです」

 うつむくネフリティスに可彦は明瞭な声を上げる。

「じゃあ今すぐ助けに行こうよ」

「そんな……」

 ネフリティスは顔を上げて、そして横に振った。

「ジョサウーンはここに比べればはるかに小さい国ですが、ソタニロに比べれば大きい。小規模ながら独自の兵力も持つ国です。そもそもソタニロは同盟とはいえ、事実上ジョサウーンの庇護下にあったのです。そのジョサウーンに攻め込まれればなすすべもありません」

「でも僕がいなければきっと行ってるよね?」

「それは……」

「行っても後悔することになるかもしれないけど、行かなかったらきっとずっと後悔し続けることになるよ」

「それは……」

 再び顔を伏せるネフリティス。喧騒の中にあってテーブルが沈黙に沈む。

「そうですね」

 顔を上げ沈黙から浮かび上がるネフリティス。その顔は相変わらず強張っていたが、悲嘆の色は薄れ、決意に彩られていた。

「ひとりで行くっていうのはなしだよ?」

 釘を刺す可彦。ネフリティスは少し目を見開いてから、口元をゆがめて小さく頷く。

「話ハマトマッタカ?」

 ひとり料理を食べ続けていたバルゥが手を止める。

「あなたはどうします?」

「ドウスルモ何モ」

 バルゥはコップを手に取り果汁入りの水を飲んでから、言葉をつなげる。

「ウラハ雇ワレテイルンダカラ、行クッテ言ウナラ行ク」

 それから最後に残っていた肉で皿にこびりついていた肉汁をふき取ると口の中に放り込んだ

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