死者と生者の論理

 それから更に一か月が経過したある日の午後。

 何気なくつけた居間の壁面スクリーンに目を向けた俺は、腰が抜けるかのような衝撃に襲われた。


 流れているのは、臨時ニュース映像。

 男性姿のアンドロイド・アナウンサーの淡々とした口調が、有り得ない事実を告げる。

 逃亡を続けていた致死攻性部隊サイトカインの生き残り二名・・が、昨夜未明に蒼天機関ガーデンの機関員らに拘束され、即刻射殺されたというのだ。


「……はぁ?」


 予期せぬ混乱の渦中に突き落とされたこちらの事情などお構いなしに、映像が切り替わった。

 サイレンの赤い光が、夜の帳を幾重にも切り裂く中で、警邏服を着込んだ機関員らが、マスコミのカメラに向かって何事かを大声で叫んでいる。

 押しつ押されつの問答の最中、カメラは激しく揺れながらも機関員の波を掻き分け、ついに決定的な場面を視聴者へ見せつけた。


 両腕を縛られ、疲弊しきっている二組の男女。身に着けている黒の戦闘服はボロボロで、拘束時に抵抗したのか、顔には幾つもの生傷が刻まれていた。

 事情を知らぬ者が見れば同情を寄せてしまいそうなほどの憐憫に満ちた佇まいからは、生気が殆ど感じらなかった。

 恐怖か、あるいは後悔からか。二人の身体がぶるぶると小刻みに震えているのが、映像越しでも伝わってきた。


「は……」


 変に乾いた笑いが、無意識のうちに漏れる。

 捕えられた二人のうち、一人は髪型から顔つきから何から何まで、そっくりそのまま俺の姿をしていたからだ。

 妙な気分だ。もう一人の自分がテレビの向こう側にいることに対し、どういう反応をすれば正解なんだ。


「替え玉ってわけね」


 ベランダに干していた洗濯物を取り込みながら画面に目を通していた涼子の言葉に、黙って頷く。

 俺とそっくりの替え玉を用意する。幻幽都市の一切を管理する立場にある蒼天機関ガーデンの手にかかれは、そんなことは造作も無い。

 死刑執行を間近に控えた死刑囚か、周囲から孤立したホームレスを巧妙に口説き伏せて、俺とそっくりの顔に整形して、役者を揃えたのだろう。


 今更になってそんな手段を講じてきたということは、向こうもそれなりに焦っていたということか。

 指名手配されてから半年も経過したのに、依然として全く何の進展もないとなれば、彼らの沽券に関わる。だがそれにしたって、随分と杜撰で乱暴な手段に出たものだ。


「多分、もう片方の女性も、同じなんじゃないかしらね」


 その通りだ。俺の姿をした別人の傍らで涙を流して叫び続けている女を見ながら、俺は強い違和感に苛まれた。

 こいつもまた、バジュラの替え玉にされたのだ。

 本物の彼女は、捕まって泣き叫ぶような醜態を晒すような奴ではない。同じ釜の飯を食った間柄の俺には、考えなくとも分かる。


 それに、いくら精鋭揃いの蒼天機関ガーデンとはいえ、彼女を打ち負かして捕えるのは至難の業だろう。

 彼女に植え付けられたジェネレーター能力は、機関の中でも最も異質を極めている。あの力があれば、機関の追手から行方を晦ませるなんて簡単だし、本人はすでに雲隠れした後だろう。


 急に、全身の力が抜けていくのを感じた。何はともあれ、こうして一連の事件は沈静化したのだ。

 あくまで表向きの話ではあるが、それは機関側も承知しているはず。

 事実を知らない一般人の目を欺くには十分だ。


 ともかく、これで良い――心を落ち着かせようと念じるが、それでもどうしたことか。

 胸のざわめきが鳴り止むことはなかった。





 △





 物心ついた時から、俺はいつも、とある夢ばかりを見てきた。

 ひどく生々しくて、現実味のある夢。

 俺が今まで殺してきた犯罪者達が奏でる、死者葬列の夢。


 夢のシチュエーションは、いつも決まっていた。

 透明な空色の床を歩く俺の背中を、物言わぬ死者らが茫洋とした地平線の果てまで横一列に並んでは、眼球を何度も瞬かせて見つめている。

 こちらが振り返っても振り返っても、彼らは俺を追いかけてはこないし、叫びもしない。石を投げるような真似もしない。涙すらも流さない。

 何かをするかと思いきや、何もしない。ただひたすら何かを堪えるかのようにして、俺を睨み付けるだけだった。視線だけで俺の心臓を止めようとしていた。


 それがいったいどうした。

 死んだのは、お前ら自身が招いた結果だ。

 お前たちが何の積もない都民を傷つけるから、裁きを与えてやったのだ。自業自得ではないか。

 そんな目で睨みつけてくるなんて、逆恨みもいいところだ――今まではそう決めつけて、彼らの声なき声を一笑に付してきた。


 でも、今回は違う。


 夢なのに、なぜか息苦しくてたまらなかった。

 激しい苛立ちと熱のような焦りが、心の奥底で渦巻いていた。


 異様な圧迫感を胸に強く意識しながら、俺は透明な床を靴底で叩き、天空模様のだだっ広い空間を震える両足で横断する。

 何か恨み言の一つでも言ってくれたほうがまだマシだった。

 黙って非難の目を向けられるのは、どうにもこの先、やりづらくなってしまうから。


 空色の床を縦断するかのように深い『溝』が刻まれているのも、夢の世界ではいつもの事だった。溝――北欧のフィヨルドに見られるような、一切の容赦なき深淵の果て。

 俺と彼らが、既に交わってはいけない関係性であることを明示する現象として、溝は正しくそこにあった。

 言うなれば死者と生者の境界線。決して乗り越えてはならない禁断の防波堤だ。


 夢の中で俺はためらいながらも後ろを振り向き、俺と彼らの間に横たわる深い溝を見て、こう思った。


 ――以前よりも、溝の深さが浅くなっている。


 なんでそんなことになっているのか。彼らが俺を死の世界へ引き摺りこもうとしているのか、それとも俺が彼らの未練を背負い込んで、現世へと呼び寄せようとしているのか。

 振り返り、死者の葬列を注視する。

 後頭部がザクロのように割れた違法改造武器売買の組合の元締め。鼻の穴から脳漿の一部を露出させ、眼球の破裂した浅黒い肌の少年殺人鬼。どてっぱらに円形の穴を穿たれ、ボロボロの内臓を剥き出しにした巨漢の用心棒――

 全員、俺がこの手で殺してきた。

 生かしておいてもしょうもない奴らばかりだったからだ。

 誰も、彼らの為に涙なんて流さないと決めつけて、俺が殺したのだ。


『もう、誰も殺さないで欲しい。たとえ、相手が許しがたい悪人であっても』


 俺のせいじゃない。

 悪いのは俺じゃない。

 命令に従ったまでだ。

 俺のせいじゃないんだ。


 心を落ち着かせようと、言い訳のまじないを脳裡で唱えていた時だった。

 視界の端に、新たな死者達がいるのに気が付いた。そこに目が移るのは必然の流れだった。

 吸い込まれるかのように、俺は彼らを見た。

 見なければいいのに、無視してしまえばいいのに、どういうわけか意識してしまった。


 俺そっくりの顔をした男と、バジュラの顔をした女が、怨嗟を込めた眼力で、俺を睨み付けていた。


 途端に、胸の奥が燃え盛るかのような熱さを覚えた。

 彼らの肉体は紫色に変色し、あちこちから夥しいほどの血を流している。

 激しい暴行を加えられた後で銃殺刑に処せられのが、一目でわかった。


「なんだよ……」


 下唇を噛む。血が滲むほどに。


「俺のせいだって言うのかよ」


 俺が捕まらなかったから、彼らは身代わりとして殺された。


「あのまま、黙って捕まれば良かったって?」


 そうすれば、彼らが身に覚えのない罪を被ったまま、死ぬことはなかった。


「でも、それじゃ……」


 ――我儘な奴め。


 しわがれた老人の声。聞き覚えのある声だった。

 声のしたほうに目線を移すと、確かにいた。

 死念を燃やす屍の大軍勢。その最前列に、血まみれの白衣を着た首なしの死者達が立ち並んでいた。

 顔はない。だが俺にはわかる。

 白衣を身に着けた集団が、実に様々な年齢層で構成された超越的頭脳を保持した科学者集団であることを。


 俺たちを生み出し、ジェネレーター能力を植え付け、限界寿命年数が二十年しかないことを秘匿し続けた覚明技官エデンメーカーのグループ。

 全工学開発局サルヴァニアの頂点に君臨する忌まわしき賢人衆。

 人を生命体としてではなく道具としてしか見ていなかった、唾棄すべき存在。

 生命の冒涜者が、あの世の淵から顔を見せてきやがった。


 ――生命の冒涜者? それは君たち・・・の方ではありませんか?


 首なしの死者が笑って、夢の中で耳鳴りがする。

 そもそも顔が無いのだから、彼らが笑えるはずがないのは理解している。

 それでも、そんな風に見えた。きっと、夢の世界だからだ。悪夢の世界だからだ。


 ――生命は等しく平等の価値を持つ。ただしそれは、社会に貢献をしている、生産性のある者にのみ語ることの許される方便です。


 ――犯罪者にも、君たち人造生命体ホムンクルスにも、それを語る資格はない。また、自分自身の命の価値を新たに見出すことも許されません。理由は簡単です。あなた達の脳みそに詰め込まれているのは、紛い物の知性なんですよ。


 ――人造生命体ホムンクルスと人間では、立っている次元が大きく異なるのです。我々は創造主。あなた方は遺伝子操作で我々が造ってあげた存在。我々より低次元に位置している貴方がたに、命の在り方について説教をする権利など、無いものと思ってください。


 頭の中に直接響いてくる。彼らの卑しい嗤いと、安全地帯から都市を見下ろせる特権からきた傲慢さが。

 あの時――研究所を襲撃した俺たちは、いきなり彼らを殺すことはせず、一つの質問を投げかけたのだった。彼らの心に、まだ人間らしい所が残っていると、信じたかったのだろう。

 お前たちにとって、俺達は一体なんなのだ。どうして限界寿命年数の件を隠していたんだ――たしか、そんなことを聞いたように思う。


 ――我々人類が太古の時代から、時に争い、時に互いを理解し合い、共通の敵を作り上げながらも生き延びてこられたのは、なぜだと思うかね。


 ――知性のおかげさ。私たちは知性を獲得し、結果として自然の法則を理解する術を手に入れた。この幻幽都市で一番力を持つのは、ジェネレーターでもベヒイモスでもない。神にも等しい科学力を実行できるだけの力を会得した、われわれ覚明技官エデンメーカーなのだ。


 ――言い換えるなら、テメェらは神に反逆しようっつー愚か者なわけだ。いい心構え……とは、言えねぇわなぁ? そーいうのをな、蛮勇って言うんだよ。


 ――嘆かわしいですね。私たちは、あなたたちをこんなくだらないことの為に作り上げたのではありませんよ。馬鹿なことはやめて、本来の業務に戻ってください。


 ――寿命が二十年しかない? それがどうしたというのだ。被造物とは得てして、どこかしらに欠陥を宿して生まれてくるものだ。それが神の摂理だ。人々の感情が、本人の強靭な意思や努力を以てしても、御しがたいのと同じだよ。欠陥を抱えているからこそ、人は己の弱さを克服しようと努力する。違うかね?  それとも何かね。君たちは、努力なんかせずとも幸せを享受できると思っているのか? そうだとしたら、一から教育しなおす必要があるな。


 ――それに、命の価値は年数で決まるものではありません。長生きが美徳とされる時代は終わりました。限られた命の中で、何を想い、何を考え、何を為して死ぬか。それが大事なのですよ。


 そうじゃない。

 俺が聞きたいのは、そんな戯言じゃない。


 ――何ですか、その反抗的な目は。


 ――まさか、この期に及んでまだ考えを改めないと言うのかね。


 ――ったくよぉ、一体今まで、誰がテメェらの躾をやってきたのか忘れたのかぁ?


 ――やはり、下手に心を植え付けるのは止した方が良かったのかもしれませんね。彼らの反逆は予想外でしたが、良い教訓となりました。次の人造生命体ホムンクルスはもう少し、自律思考を調整してやる必要が――


 そこで、不意に耳鳴りが止んだ。

 首なしの死体達が盛大に爆ぜ、汚れた臓物が周囲に飛び散った。

 手に、あるはずもない鋼の感触が、やけに生々しく残っていた。


 血に塗れた両手に、ぼんやりと目を通す。

 誰かが、俺の体を揺さぶっている気配がした。 

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