6-5 瞳乱の決着

 冥獄を彷彿とさせる夜風が吹きすさぶ中、廃墟同然と化した光が丘公園付近の雑居ビル街に、ルビィは立ち尽くしていた。

 遠目から見たら、本当に彫像と間違われてしまいかねないくらい、彼女の佇まいは静謐そのものだ。

 それでいて、燃えるような赤髪の隙間から覗く虹彩だけが、爛々と強い輝きに満ちていた。


 ――こちらに向かってくる。


 直感で反応する。

 チャミアたちが撤退から一転し、鋭く牙を研いで襲いかかる様が、具体的にイメージできる。

 ドクターの訓練を受けて培ってきたルビィの戦闘感覚センスが、ここにきて第六感的知覚力センス・オブ・ワンダーとなって目覚めかけている。


 そんな精神的覚醒に到達しかけたからこそ、ルビィは自身の左後ろ辺りで大気が妙な流れを起こすことさえ、ほとんど正確に感知することができた。


 目に見えぬ斬撃が迫る感覚――背面から襲いかかってきた一閃を、ルビィはしなやかな右サイドステップで躱すと同時、振り返って魔眼を炸裂させた。


 七分咲きの眼光――空間のある一点を怒濤の熱量が覆い尽くす。

 そのまま、視線を右方向へ。

 追いすがる様にありったけの爆炎が生じて、視界をことごく埋め尽くしていく。


「そいつが噂に聞く環境迷彩機能カメリアって奴ね」


 爆音の最中に、ルビィが残虐な笑みを浮かべつつ指摘した。

 メタマテリアル素材で製造された強化衣鎧スケルトンだからこそできる、光の屈折と透過を応用した透明化技術も、万能ではない。

 気配までは消しきれないという一点だけを衝いて、襲いかかるは灼熱の嵐。


「ほらほら、早く逃げないと焼き殺されるわよ!」


 渦巻く爆炎が帯を描いて、熱風が奔る。その一端が、ついに標的を掠めた。

 死の炎から逃れようと懸命に転がりもがいた結果、襲撃者が地に伏した。

 からんと、グラフェン・ブレードが地に落ちる音がむなしく響いた。


 鎧の表面に浮かぶ電磁的火花=迷彩機能を司る回路のショート。

 次いで、徐々に露わとなる村雨の姿。戦闘鎧に覆われた腰部が黒く変色している。


 村雨の額に脂汗が滲んだ。

 幸いなことに深手には至っていない。

 それでも、左腰の辺りがずたずたに焼き炙られているのが、体内診断プログラムを起動させなくとも分かった。


「潔く死になさい」


 手負いの獲物を甚振るのに快感を見出したように、ルビィが、にぃと口角を上げた。


 その瞬間、瓦礫の中から、崩れたビルの隙間から、屋上から、あるいは道路を挟んで向かい側にある高架橋の影から――翼の生えた野猿の如き飛翔と跳躍を見せて出現する、五十体は下らぬ生きた人骨。


 苦悶の表情を浮かべつつ、バックステップでその場から退く村雨。

 そんな彼と入れ替わる様に、ルビィに向けて手を伸ばしながら各方面より進撃するのは、紫の瘴気を着飾った骸骨の集団。

 何処かに隠れてまだ姿を見せていない、チャミアのジェネレーター能力が発現したのだ。


 毒々しい雰囲気を放つ異形の軍隊に取り囲まれながらも、ルビィは逃げる素振りを見せない。

 むしろその逆で、真っ向から屍の群を迎え討たんと、彼女は滑らかにステップを踏み続けた。

 一分の隙もない、洗練された舞踏。

 その都度に、彼女の瞳の奥が燦々と輝いて、紅蓮の死光が放たれた。


 魔眼から放たれる火炎の獄が、地の底を彷彿とさせる叫び声を上げて迫る骸骨たちを、片っ端から焼き尽くしていく。

 それでも屈さぬとばかりに、あらゆる物陰から死者の群れがその姿を曝け出し、現代の魔女めがけて津波のように襲い掛かる。

 だがそこまでの物量作戦を実行しても、ルビィが曇り顔を浮かべることはなかった。


 事の次第をチャミアの力ばかりに任せる村雨ではなかった。

 滲む血と痛みを気力で耐えつつ、電磁制御式重機関砲ソレノイドランチャーを傲然と構え、骸骨たちを援護するように荷電粒子弾を轟音と共に浴びせ続ける。 


 しかしながら、秒間三百発の勢いで弾ける銃弾の全てが、虚無だけを残し、すべからく火炎の最中に包まれていった。


 恐るべき事態だった。

 ルビィが『ただ見つめる先にある全て』が、一切の例外なく彼女の力に貪られていった。


 轟音が地を揺らし、衝撃が大気を削る。

 夜天を赤々と照らし、海のように燃え広がる爆炎と、もうもうと吐き出される黒煙が、廃墟同然と化したビル街に満ちていく。

 その文字通り身を焦がすほどの豪熱の中心点にいながら、ルビィは涼し気な表情を浮かべるばかりだった。


「私相手に力任せのやり方じゃ、どうしようもないわよ!」


 勝ち誇るルビィの言葉を戯言だと断ち切るように、村雨はひたすらに電磁制御式重機関砲ソレノイドランチャーの引き金に指を掛け続けた。

 青白い軌跡が長大な火柱に巻かれ、視界のあちこちで陽光のように激しく煌めく。

 どれだけマズルフラッシュを焚いても、銃撃の牙がルビィの胸元を抉る兆候は、依然として見えてこない。


 だが、それで良かった・・・・・・・

 むしろ、狙い通りと言っても過言ではなかった。


 小刻みに足を動かしていたルビィの、その妖しき力に濡れた肢体が完全に村雨の方を向いた刹那、作戦実行の火蓋が切られた。


《やれ! 七鞍!》


 電脳回線上で下された村雨の号令を合図に、五百メートルほど先にある十階建てのビルの屋上に陣取る七鞍が、腹這いの姿勢で決定的な一弾を放った。

 ナノマシン仕込みの右腕は機関銃から形態を変化させ、今や長大な銃身バレルを備えた遠距離狙撃銃へと移行している。

 肘の辺りから生えたスコープが捉えているのは、ルビィの無防備にも過ぎる後頭部だ。




 ――ルビィ姉さんの人造魔眼は、視界に映る全てを燃やす。逆に言えば、視界に入り込まない範囲からの攻撃には、打つ手立てがないはずです。そこを狙うしか、勝ち目はありません。




 バリケードに隠れながらやり取りした密談の断片を思い出しながら、七鞍は発射された弾丸に――先端部が鋭く尖った徹甲弾に、祈りの全てを込めた。

 闘争の終結を願う純粋無垢な祈りを。


 細長い銃身バレルから勢いよく飛び出し、宙を一直線に突き破り、音速で迫る凶弾。

 その行く末をスコープ越しに見届けていた七鞍が、不意に、呆気に取られた表情を浮かべた。


 膨大な熱の塊を無理やり食わされたように、その偉大なる鋼鉄の塊が、一瞬のうちに溶解した。

 徹甲弾が火花の軌跡だけを残して、跡形もなく消失したのだ。


 七鞍が、明らかに怯えた表情を見せた。

 衝撃に揺れる彼女の瞳に、『それ』は映り込んでいた。


 怒髪天を衝くように、ひとりでに揺らめいたルビィの長髪。

 その奥に位置する――つまりは、彼女の後頭部に鎮座する一つの眼の存在を、確かに見た。


 七鞍の電脳に仕込まれた視界共有機能が働いているおかげで、ルビィの正面に位置する村雨も、視覚野上で確かに『それ』を目撃した。


 異質にも過ぎる人造生命体ホムンクルスの怪奇的生態を前に、育ちの異なる三人が、この時初めて同じ衝撃を抱いた。


《そんな……後ろに目があるなんて!》


 絶望に暮れるように、チャミアが呻いた。

 彼女でさえ知らなかったのだ。

 隣り合わせの培養槽から生まれ、姉として慕っていたルビィに、まさかこんな秘密が隠されていようとは。


「この秘密を知ったのは、ドクターを除けばあんたたちが初めてよ」


 村雨は炎越しに見た。

 奇襲を退けたルビィの目に、はっきりと憎しみの感情がこもっているのを。

 その白い頬に熱が照り返しているせいで、頬がこけたように陰影を刻んでいるのが、耐え難いほどに不気味に映った。


「できれば、誰にも知られたくはなかった。後ろに目があるなんて事実は。設計したのがドクターだから文句は言えなかったけど、それでも辛かった。美しくないもの」


 後方に七階建ての雑居ビルを背負いながら、ルビィが村雨との距離をじわじわと詰める。

 カツカツと地面を叩くヒールの音が、冥府の檻に新たな死者を放り込むまでの時を刻んでいるかのようだった。


 もはや引き金を引く気にもなれなかった。

 ルビィの放つ威圧感が、めくるめく炎の壁越しに膨張しきっていた。

 村雨は銃を構えながらも退行を余儀なくされ、ルビィと同様、今にも崩れ落ちそうな雑居ビルの一つを背負う恰好となってしまう。


 右を見ても左を見ても、逃げ場は何処にもなかった。

 骸骨の群れが、援護に現れる気配すらない。

 ここにきて、チャミアの能力行使に限界が来てしまったのだろうか。

 あり得る話だと、村雨は思った。


 チャミアのジェネレーター能力には、数的な弱点がある。

 一日につき三百二十六体。

 それ以上の数を召喚するには、日を跨ぐしかない。


 決定打を欠いた状況と言わざるを得なかった。


「チャミア、あんたの入れ知恵ね? 狙撃なんてやり方を教えたのは……許されない行為よ。償いはしてもらうわ」


 苦渋を噛みしめる村雨へ、ルビィが死神じみた気配を纏いながら更に迫る。

 行く手を阻む炎の壁を、魔眼を開放することで生じた爆風が散らし、道を空ける。

 死をもたらす大鎌を村雨へ向けながら、ルビィは姿を見せぬチャミアに向けて言葉を紡いだ。


「そこにいるんでしょう? チャミア。隠れていないで出てきなさい。それとも、ケツに火を点けて無理矢理叩き出されるのがご所望かしら?」


 村雨の頭上で、何かが動く音がした。

 背にしている、四階建ての雑居ビル。

 その最上階に位置する、立体駐車スペースの方を彼は見上げて、驚きに声を失った。


 怪獣の噛み痕を彷彿とさせるヒビが入った柱の一つに体を預けるようにして、とうとうチャミアが姿を表したのだ。

 彼女の右手には、相変わらず金色の指揮棒タクトが握られている。


「そこに隠れていたのね」


 ルビィの泥濘とした暴力と悪意の塊が、眼光の奥で唸りを上げる。


 ルビィの視線は、いまや完全にチャミアへと注がれている。

 懐はがら空きで、その気になれば命を獲るのも容易く思えた。


 だからこそ、村雨は今が好機だと悟り、銃の引き金を押し込もうとしたが、そこで拭いきれないほどの警鐘が脳裡で鳴り響いた。


 結局のところ、村雨はその場から一歩たりとも動けなかった。

 引き金を絞るような素振りを見せた途端、己の全身が灼かれる強烈なイメージを幻視したせいだった。


 ルビィの立ち振る舞いには泰然自若とした雰囲気があった。

 よくよく見れば、隙らしい隙がどこにも見当たらないのが窺い知れた。

 さながら、強力な砲撃部隊を要する堅牢な砦のようだった。


 何か、ルビィでさえも予測できない突発的な乱入があれば話は別なのだろうが、そんな奇蹟的出来事が起こる筈もないと、心のどこかで村雨は諦めている。


 作戦は失敗した。その事実を冷厳として村雨は受け止めた。

 このままではチャミアも死ぬだろう。自分の力ではどうしようもない。


 しかし、全滅は避けなければならない。

 この場にいない七鞍だけは、何としても逃がさなければならない。

 上官として、なにより機関に身を置く者として、その責任だけは果たさなくてはならない。


《七鞍――》


 孤独な撤退命令を下そうとした時だった。

 ルビィの瞳の奥で、ついに十分咲きの赤い閃光が生み出されはじめた。


「チャミア。まずは貴方から始末してあげる。姉としてのせめてもの情けよ。一瞬で焼き滅してあげるから、覚悟を決めなさい」


「覚悟だったら、もうとっくに出来てる」


 その一方で、目前に迫る死の恐怖を前にしながら、ゴシックロリータの少女はどこまでも冷静だった。

 まるで、一世一代の賭けに打って出る挑戦者プレイヤーのように、心があるべき形に整っていた。


「生き抜く覚悟なら」


 チャミアの手に握られた指揮棒タクトが――死者を冥府の鎖から解き放つための剣が、勢い良く空気を薙いだ。

 と同時に、ルビィの背後で凄まじい爆圧が吹き荒れた。いまにも魔眼を最大出力で解き放とうとしていた魔女の意識が、そこではっきりと逸れた。


 振り返り、思わずルビィは瞠目した。その魔を宿した瞳の奥に、巨大にも巨大な影が映り込んでいた。

 七階建ての雑居ビル。その一階部分が爆発により完璧に破壊され、支えを失った超重量のコンクリ―トが、ルビィの頭上に目がけて、重力に引っ張られながら倒れ込んできた。


 チャミアの能力――《蘇生乱造ネクロ・コンダクター

 その能力的特性=死者を召喚し、任意に爆破させ、猛毒の煙を辺りにまき散らす。

 ルビィを襲撃する際、十体あまりの骸骨を雑居ビルに潜ませていたのだろう。万が一、狙撃が失敗した時の保険として。


 そんな推測をした村雨が次に超速の勢いで下した判断こそ、正しく逆転への一手に他ならなかった。

 腹に負った傷の痛みも忘れて、舞い降りてきた奇蹟的出来事に俊敏として乗っかった。

 躊躇なく銃撃をかました。がら空きとなったルビィの滑らかな背中を、青白い銃弾が撃ち抜いていく。


 右肩に一発。腰に二発。左足に一発。

 深紅のドレスが、今度は人造生命体ホムンクルスに特有の銀色に染まった血で汚れていく。


 そこまで肉体が損壊した時、ルビィの長髪が思い出したかのようにひとりでに蠢いた。

 後頭部に埋め込まれた第三の魔眼が、村雨に向けて紅の閃光を放つ。

 軌道上にあった荷電粒子弾が溶けて散り消えた。


 魔炎に巻き込まれる寸前、村雨は動物的本能に身を任せた。

 鎧のパワー・アシスト機能によって高められた脚力により、右横へすっ飛ぶ。

 直後、背後の空間が熱に呑み込まれた。間一髪の回避だった。


 村雨は精一杯の力で引き金を引き続け、弾帯を次々と消費させていった。


 硝煙を吐き出す。銃火が轟く。

 そうしてありったけの銃弾が、時に宙を舞うビル壁の破片を粉砕し、時にルビィの芳醇な肉体を引き裂いていった。


 崩落音に混じる絶叫――体内の至る箇所を電磁の炎に焼かれ、壮絶な痛みに侵されたルビィに、魔眼を起動する暇などなかった。


 重力加速度を味方につけた大質量のコンクリート塊が、彼女を怒濤の勢いで埋め尽くし、莫大な粉塵が地面を舐めるように駆け巡った。


 衝撃の余波を受け、辺りの雑居ビルの窓ガラスが一斉に割れて飛散した。


 なんとも言えぬ静寂が訪れる。


 五体満足で戦いを終えたのが、不思議でしょうがなかった。

 腕の一本や二本失っても、おかしくはなかった。

 それだけ、死を身近に感じた戦闘だった。


 村雨は半ば呆然として、横倒しになった巨大な灰褐色の塊を見た。

 ついさっきまでビルだったそれが、今ではほとんど墓標のようだった。


 勝利感はなかった。勝ちを拾ったという意識も。

 偶然、転がり込んできた相手の隙をこじ開け、決定打を叩き込むのに必死だった。


 その結果だけが、現実に反映されていた。

 生き延びたのだという感覚が、今になって胸の内に流れ込んできた。 


 安堵――村雨がクローズド・ヘルメットに手をかけた。


「外しちゃダメですよ」


 ビルの駐車スペースから、七鞍が骸骨の一体に抱えられながら地上に降りて、村雨の下へ駆け寄ってきた。どうやら、《蘇生乱造ネクロ・コンダクター》の力はまだ温存しているらしかった。


 召喚が限界に差し掛かったとルビィに思い込ませる為に、あえてチャミアは村雨が追い詰められた時に何の援護もしなかったのだ。


 その結果、ルビィの思考は骸骨たちの襲撃を警戒することを放棄し、チャミアの仕掛けたトラップへの対処に隙が生じた。そうして、彼女はビルの下敷きになった。


「爆発させた時に生じた毒霧が、まだ空気中に残っていますから。吸い込むと全身の神経が麻痺する危険な代物です」


「君は平気なのか?」


「毒をばら撒いている張本人ですからね。こういったタイプのジェネレーターにはよくあるそうなんですよ。役得という奴です」


 心なしか、チャミアの口調から重みが消えていた。

 だからと言って、達成感に満ちた表情をしているわけではなかった。

 希望と後悔が混濁し合い、複雑極まりない感情を小さな顔に宿していた。


 本当にこれで良かったのだろうか。

 手を汚した決意をしたはずなのに、本当に自分の手で姉を殺してしまったという事実に、圧し潰されまいと踏ん張っているようだった。


 チャミアが視線を村雨から外し、墓標と化したコンクリートの塊へ目をやった。

 白い腕きれが投げ出されたかのように、地面にだらりと横たわっていた。


「行こう。七鞍と合流しなければ」


 村雨が、自分の腰のあたりにある七鞍の右肩に手を置いた。

 だが、チャミアはその場をすぐには動かなかった。

 二、三回叩かれたところでようやく我に返り、


「……そうですね」


 村雨の後に従う形で、やや俯き加減で歩き出した。


 あたりはすっかり瓦礫の野という有様で、ところどころで火炎が燻りを上げていた。

 黒煙が風に揺られながらたなびき、賑やかであった頃の街の面影は何処にもない。

 他の地域もこれと同じ状況に陥っているのかと思うと、村雨はヘルメットの奥で無意識のうちに下唇を強く噛んだ。


 これだけの破壊を実行できるだけの戦力を有するテロ組織。

 それを率いているドクター・サンセットとは如何なる人物なのか。


 村雨が、そう問いかけようと後ろを振り向いたのと、あり得ない筈の巨大な熱源の存在を感じ取ったのは、ほとんど同時だった。


 瞬間、衝撃が意識を吹き飛ばし、あらゆる光景がスローに映った。


「チャミィャャャアアアアアアアアアッッッ!!!」


 横倒しになったビルの奥から、千切れた上半身だけで這い上がる何者か。

 凄まじい凶相。命懸けの叫喚を上げる、半死半生のルビィだった。


 右腕は肘の付け根の先からが吹き飛ばされ、左目は完全に潰れて血と眼漿のスープを零していた。

 毒霧を吸い込んだせいで、口と耳からは粘っこい血が垂れていた。


 だがここまで追い詰められても、なお辛うじて残った右目に、人命を容易く奪うだけの禍々しい力が宿っていた。


 弾ける紅い眼光――十分咲きフルパワー――魔眼は寸分の狂いなく、異変に気付いて振り返ったチャミアの顔面へ、注がれた。

 どう動いても、間に合わない。


「~~~~!」


 何を叫んだか、村雨は自身でも分からなかった。

 ただ、喉奥から感情の叫びを迸らせ、電磁制御式重機関砲ソレノイドランチャーを構える他なかった。

 手元に引き寄せたはずの安堵感が、急速に崩れていくのを覚えながら。


 魔眼が呼び起した熱と爆炎が、チャミアの頭部を蹂躙するかのように炸裂した。

 柘榴のように割れたチャミアの顔面を、炎の舌が舐め尽くす。

 自由を求めた少女に、断末魔を上げる時間は一切与えられなかった。


 少女の血と脳漿を胸部に浴びながら、村雨はルビィ目がけて叫びながら撃った。

 ひたすら撃ちまくった。

 薬莢が跳ねに跳ねた。

 恐るべき魔女を、今度こそ奈落の底へ突き落す為に。電磁の炎で火炙りにするために。


 矢時雨のように降り注ぐ青白い弾丸。

 ボロと化したドレスを焼かれ、銀の血潮が飛沫を上げる。

 肉という肉を手酷く千切られ、だがルビィは倒れない。

 赤黒い噴霧を撒き散らし、喉をしゃくりあげ、凄まじい量の血を吐いても、まだ倒れない。


 その麗しかった相貌に、幽鬼の如き形相が張り付いていた。

 内臓をいっぺんに焼き焦がされながらも、飢えた野犬のような咆哮をルビィは飛ばした。

 右眼の奥で、またもや死の花が咲き乱れかけた。


 そこを、飛来する荷電粒子の弾丸が襲った。

 眼窟で青い火花が散り、涙があっという間に蒸発した。

 自慢の魔眼を破壊されたショックから、たまらずルビィが絶叫を上げたが、そこでついに決定的な一撃がきた。


 一発の銃弾が、呆気なくルビィの額を貫いた。

 ぷつりと、壊れた操り人形のように、ルビィの上半身がうつ伏せに倒れ込んだ。


 そこにも、村雨は徹底的な追い打ちをかけた。

 すでに魂の離れたただの肉の塊に。

 意味などないと理性で分かっていても、衝動を緩める事はできなかった。

 弾帯が空になるまで、撃つ手を止めなかった。


 そして今度こそ、本当の静寂が練馬区に訪れた。


 村雨はヘルメットを外した。

 電気分解されて生じたオゾン特有の刺激臭が、遠慮なく鼻腔に流れ込んできて、むせ返りそうになる。


《パイセン、大丈夫ですか?》


 視界共有機能で状況を見ていた七鞍が、衝動を押し殺した声で問いかけた。


《なんとかなったぞ。なんとか、なった。だけど――ちくしょう!》


 答えながら、村雨は静かに傍らへ目をやった。

 首から上が吹き飛んだチャミアの小さな体が、ますます小さく見えた。


 彼女は死んだ。

 脈を図るまでもなかった。


 テロ組織の内情を暴く為の手掛かりを喪った事実より、一つの命が散った事に対して、悲哀と後悔とやるせなさを抱くことのほうが、村雨にとっては先だった。


《パイセン、これ、見てください》


 黙祷を捧げるようにして黙った村雨に、七鞍が電脳回線にどこか後ろめたそうな声を乗せた。

 直後、回線を通じて村雨の視覚野上に一つのデータファイルが送られてきた。


《これは……?》


《あの子の電脳内にあった記憶データの一部です。テロ組織に関する情報も、多分この中に》


 村雨は言葉を失った。一体いつ、チャミアの電脳からそれをダウンロードしたのか。


《さっき、電脳回線をインストールした時に、こっそり抜いておいたんです》


《……こうなることを予想していたのか?》


 ばつの悪い調子で言った七鞍に、村雨は純粋な疑問を投げかけた。


《まさか》


 明らかに落ち込んだ声だった。

 被りを振っている彼女の姿が、村雨の脳裡に浮かんだ。


《私だって、こんな結末、望んでなかったですよ》


 チャミアの遺骸をそっと撫でるように、夜の風が西から吹き下りてきた。

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