第六幕 都市のいちばん長い夜/戦闘者たち

6-1 全面戦争勃発!

 区画整理された皇居跡地に拠点を置く、幻幽都市の治安管理組織・蒼天機関ガーデン

 その本部庁舎の地下三階に置かれた統合指令本部が保有するあらゆる精密機材は、一つの例外もなく稼働状態に追い込まれていた。


 有事用オペレーターとして開発された第二世代セカンドアンドロイド達が、拡張改良された両指を広げ、爆発するかの勢いでマンマシンインターフェイスに接続されているキーボードを叩き続ける。

 その度に、部屋じゅうを覆い尽くすほどのディスプレイに表示される情報が次々と更新されていった。


 移動体通信基地局の回復状況。 

 各市町区の避難状況。

 各交通機関の機能状況。

 テロ組織構成員の身元割り出し。

 各区に散らばっている機関支部より召集・編成した武力制圧部隊の戦況――


 分刻みで更新されていくこれらの情報は体系的に纏められ、統合指令本部の中央に設置された立体映像投射器ホログラフィッカーを通じ、三次元的戦略地図として、機関長・大嶽左龍の目に映っている。


 大嶽は、本部の入口に最も近く、且つ一段高い場所にある総合指令席に腕を組みながら腰を下ろし、戦略地図に目を配りながら、管理作業に従事するオペーレーターらに指示を与え続けた。


 冷静さを表に出しながらも、その眼には決死の炎が宿り、都市の守護者としての矜持に燃えているのが、一目で分かるほどだった。


「機関長」


 静かな熱気でむせ返る統合指令本部。そこに駆け込んできた大嶽の右腕・夜城真理緒が、緊迫した様相で大嶽の傍に近づき、軽く耳打ちをした。


「さきほど、電脳部隊の第一、第二中隊がヴェーダ・システムへの没入ダイヴを決行しました。全四層から成るシステム稼働領域のうち、汚染レベルの深刻な第一、第二層へ突入。侵入者が特級電脳技能士エルダー・ウィザード級の錠前破りクラッカーである可能性が高く、量子機動戦闘体ペイルライダーの運用許可と全兵装解除を要求しています」


「既に許可済みだよ。ヴェーダ・システムは仮想世界だけでなく、現実世界における都市管理機能の心臓部としての役割も兼ねているからね。あれのアクセス権限を完全復旧させないことには、色々とままならない。それと――」


 大嶽は静かな面持ちで顎をしゃくり、戦略地図の一端を差した。

 餓鬼に酷似した異形生命体の画像データが、そこに映し出されていた。

 一時間ほど前から幻幽都市のあちこちに突如として出現し、都民を血祭りに上げている元凶の姿を。


「テロの発端となっている、この薄気味悪い怪物の正体について、全工学開発局サルヴァニアの連中はどんな推理をご披露中なのかな?」


「開発局長からの報告によりますと、回収したサンプルの細胞片を解析した結果、どうやらベヒイモスとの関連性は薄いようです」


「本当かい? 額に、あの紅い宝玉が刻印されているのに?」


「似て非なるものだとのことです。未知の粘菌類から構成される、集合知を獲得した生物兵器ではないかという仮説が唱えられています」


「現場からは、あの怪物が驚異的な再生能力を宿しているとの報告も上がっているようだけど?」


「そちらについては調査中です。急ぎ対応策を講じてはいますが……」


 歯切れの悪い夜城に構わず、大嶽は手元に視線を落とした。手には、汗で濡れた紙切れが握り締められていた。大規模神託演算機アンティキティラが弾きだした、あの不吉な四行詩の書かれた紙だ。


「バジュラの居場所については? あの生物兵器が解き放たれた時に、あちこちで次元破壊現象が観測されているとの報告がある。異空間を通じて、あの怪物たちは同時多発的に出現したんだ。異空間……間違いなくバジュラの力が関与している。彼女の居場所さえ分かれば、一気に事態は解決の方向に進むんだけれど」


 夜城が、静かに頭を振った。


「解析班が全力を以て割り出していますが、位置の特定にはまだ時間がかかるとのことです」


「……分かった、ご苦労。君は部下を連れて、手が薄くなっている地区の応援に向かってくれ。表に軍用ヘリを用意してある」


「ここを離れて宜しいのですか?」


 副機関長という立場にあることを自覚しながら、夜城は訝し気に問いかけた。

 だが口にしてすぐに、それが愚問であることを悟った。


 デッド・フロンティアという死地から、奇跡的な蘇りを果たした大嶽左龍。

 類まれなる機根と思考の回転力を身につけた彼の傍で、人形のように控えたところで、どんな助言が出来るというのか。


 大嶽は、自分の頭で難問を精査し、自分の頭で事態突破の結論を出せる。素早く、ほとんど的確に。

 それが彼の適性であり、混乱の渦中に置かれながらも、最も自分らしくいられる時だ。 


 夜城は、ならば自分が機関長と同じように、己の性質を一番に発揮できる場所は何処かと考えた。

 答えは直ぐに出た。やはり戦場しかないとの思いに至った。それを分かっていて、大嶽はここを離れろと言ったのだと理解した。


「君には君のやるべきことがあるんじゃないかい?」


「承知しました。御厚意、感謝いたします」


 敬礼の後、夜城が全身に気力を漲らせながら指令室を飛び出していった、その直後だった。


「機関長。所属不明の回線より入電がありますが……」と、オペレーターの一人が振り仰いで、大嶽を見た。


「通してくれ。恐らく、この馬鹿げた騒乱ストームを起こしている張本人からだ」


「は、はい」


 眼光鋭くなった大嶽の指示に戦々恐々としながら、オペレーターが間を繋いだ。

 大嶽から見て真正面に位置する大型ディスプレイの画面が切り替わり、白い布のようなものを映した。

 少し遅れて、それが白衣の一部であることを悟った。


『えーっと、焦点距離はこのくらいで……あぁ、なんやもう、ちゃんと高画質モードにせなあかんやないか。マヤの奴、ちゃんとやっておけ言うたのにもう……』


 緊迫に満ちる指令室には、似つかわくしないおどけた調子の声。

 それは、画面の向こう側にいる人物から届けられていた。

 思わず何名かのオペーレーターが手を止めて、ディスプレイの方を見やった。


『あーあー、おうおうおう、聞こえるかな? 我が物顔で幻幽都市の支配者ぶっている地底人の諸君。いま現在都市を破壊せんとしているテロリストのボスが、わざわざ顔を見せにきてやったで~』


 画面の向こうで、白衣に身を包んだ一人の男が姿を見せた。上半身だけが映り込んでいた。

 男の頭髪は余すところなく遺灰と同じ色に染まり、その目は狡猾な妖狐を彷彿とさせるぐらいには細かった。

 着用している白衣の布地には、小型の実験工具が大量に縫い付けられている。

 世の中にどんな不満を抱けば、そんな不可思議な恰好ができるのか、大嶽は心底呆れた。


 しかしながら、考えなくとも勝手に大嶽の脳は思い出していた。

 こういった者たちの相手なら、日頃からやっている。

 奇抜さを絵に描いたような、奇天烈な科学者たち。彼らと目の前の男には、共通性がある。


「君は、覚明技官エデンメーカーか」


 声に少しばかりの驚愕を乗せながら、大嶽が目を細めた。

 画面の向こうで、ドクター・サンセットが大袈裟に両手を叩き合わせた。

 懐かしい旧友に会ったような調子で。


『これはこれは。偉大なる蒼天機関二代目機関長ガーデン・ザ・セカンド・ヘッド殿。お初にお目にかかれて光栄や。ワシは茜屋罪九郎。通称はドクター・サンセットで通っておる。冥土に旅立っても、ワシの名を忘れんよう、しっかり覚えておいてくれや』


「人の家に土足で上がり込んできて、いきなりご挨拶とは恐れ入る。頭の良さはともかく、マナーの悪さは家畜並と言ったところのようだね」


『いまだにワシの居場所も掴めんというに、大口の叩き方だけは立派やな。流石は、人の上に立つ御仁なだけのことはある』


 舐めた素振りのドクターを無視して、大嶽はちらりと視線を左斜め下に向けた。

 一人のオペレーターと目が合うも、オペレーターは即座に首を横に振った。

 回線元の割り出しが不可能な事のサインだった。

 ドクターが、指令室に設置されているスピーカーが割れんばかりの勢いで哄笑した。


『ウチの超優秀な電脳戦士を舐めたらあかん。回線は捻じれに捻じっとる。そんなチンケな機械で解析に当たったら、解除さすのに何時間かかるか分からへんで』


「君こそ、機関が誇る電脳部隊の容赦の無さと、全工学開発局サルヴァニアの力を舐めているんじゃないかい? 既に、あの餓鬼めいた生物兵器の解析は進んでいる。あと三十分もすればケリがつくよ」


『それでも、ワシは枕を高くして寝る』


 得意げな笑みが画面に張り付いた。まだ隠し玉があることを暗に仄めかしていた。

 大嶽の、サイボーグ化されて黒色に染まっている顔の左半分に幾ばくかの緊張がはしった。


『いま街を荒らしとる生物兵器――軍鬼兵テスカトルっちゅうんやけれども、あれは前座や。大したもんやない。本番はこれからやで、機関長殿』


 言った直後だった。ドクターを含め、全てのディスプレイが一斉に、それまでとは違う映像を投影させた。


「各地に配備させている映像記録飛翔体レギオンの回線が乗っ取られました。こちら側からのアクセスを受け付けません!」と、オペーレーターの一人が叫んだ。


 映し出されているのは、破壊されていく都市の街並み。

 その焦点は常に、映像の中で猛威を奮う正体不明の者達に当てられていた。


 筋骨隆々とした浅黒い肌の男。


 真っ赤な戦闘用ドレスに身を包んだ女。


 巨大な渦巻き殻を本体とする、人外の男。


 ゴシック服に身を包み、指揮棒を振るう少女。


 顔に龍の刺青を入れた、魔術師めいた戦い方に没頭する優男。


 合計五体におよぶ乱入者たちの映像が、一時に大嶽の目に飛び込んできた。

 映像越しでも、只者ではないことがはっきりと見て取れるくらい、彼らの発する気力は禍々しさに満ちていた。


『さぁさぁさぁ! 御覧じろや愚衆ども! 特別出血大サービスで紹介したるで! 偉大なるワシの手足となって殺戮の限りを尽くす、最恐最悪の闇の眷属たち! 彼らこそ、都市に血と臓物の雨を降らす人造生命体ホムンクルス――殺戮遊戯グロテスクに名を連ねし、勇敢なる戦士たちや!』









 画面の向こうで、その筋肉達磨じみた巨漢は、本能的衝動のままに暴れ耽っていた。

 迷彩柄の軍用パンツに、上半身は丸裸というあんまりにもな恰好。

 それでいて、胸の中心部には白いペンキで塗ったような、逆十字型アンチ・クロスの掘り模様がこしらえてある。


 一見して、防御力をかなぐり捨てたような出で立ち。

 だが肉体の内側には、衝撃吸収材を応用した人工筋肉が蓄えられている。

 ゆえに、打撃を受けても十分な対応が可能であるという点が、男の強みの一つだった。


 事実、各支部から集められた機関員らが猛烈な銃撃を浴びせようとも、男は意に介せず猪突猛進を敢行した。

 ピンを弾くボーリング玉のように、突進、突進――またもや突進を繰り返す。

 衝撃に吹き飛ばされ、砲丸のように宙を舞う機関員らに向けて、男は左腕に眠る力を解放した。


 その黒めいた腕が――サイボーグ化された左腕が、にわかに変形。

 左肘から先が大口径のメイサー砲となり、青白い軌跡を描いて熱線を炸裂させながら、機関員らを横薙ぎに焼き払っていく。


 そうかと思えば今度は、同じくサイボーグ化された右腕の牙を覚醒させる。

 右肘から先が、高周波震動発生装置ハーモニックス搭載のチェーン・ソ―へ展開。

 サメの歯じみた特殊合金仕様の微小刃を高速回転させながら、手当たり次第に神速の乱撃を繰り出す。

 奇音を奏でながら超高速回転する円形刃歯が、機関員の防御装束――強化衣鎧スケルトンを打ち砕き、肉を裂き、骨を断ち、臓物を挽き潰す。


 辺り一帯が血の海と化すまで、それほど長い時間は要しなかった。

 まさに悪鬼。

 まさに悪行。


『殺してやるぜ! 俺がどいつもこいつも殺してやるぜ!』


 興奮のあまりに、白目を剥く。

 歓喜と共に、唇から粘ついた垂涎を零す。

 両腕の武装を圧倒して愛でながら、滾る限りに男は吼えた。



『まず一人目。キリキック・キリング・ブラスター。名前の通り、殺し合いキリングに生き甲斐を見つけ、血を浴びるほどに歓喜の咆哮ブラスターをまき散らす異常戦闘嗜好者バトルジャンキーや。コイツが身に宿したサイボーグ武装の前では、強いも弱いも関係ない。すべてが等しく獲物に過ぎんのや。注意せいよ。この男は見たまんま通りの、一騎当千のアイアン・マンや』









 その女の双眸は、さながら万華鏡のようだった。

 瞳の奥で、多数の煌めきが幾何学的紋様を描くのだ。

 それはさながら、力持つ花蕾の開花を彷彿とさせた。


 事実、女に備わった能力の攻撃規模は、その幾何学文様のかたち――つまりは、瞳の中に浮かぶ花蕾の開き具合によって、精度よく制御される仕組みになっている。


 能力――視界に入ったものを問答無用で発火させ、一瞬のうちに焼き殺す『発火』の人造魔眼。


 距離も空間も関係なく放たれるその魔力を受け、機関が誇る重量無人兵器たる多脚式戦車の群れが、まず餌食となった。


 視線を向けるだけで対象を死線の彼方へと葬り去る。

 その圧倒的な一撃を放つ女は、燃え盛る火炎のようなドレス姿を身に纏っていた。

 さながら、炎を司りし妖花の化身。


『ほら、貴方たちもすぐにとろかせてあげる』


 蠱惑的な笑み。あるいは、獲物を見つけた肉食獣の双眸にも見える。

 屑鉄と化した多脚式戦車の陰に潜んでいた機関員らは、その背筋に悪寒を立てる暇もなく、あっと声を上げる間もなく、炎の渦に全身を捩じ切られていった。


 量産されゆく黒い肉塊の中心点で、女はただ一人、その豊満な肢体を愉悦で震わせ続けた。



『二人目。パック・ルービック・ホットアイ。通称・ルビィ。彼女に備わった人造魔眼は発火能力の極みや。その空間支配力ルービックの凄まじさは言うに及ばず、死をもたらす熱視線ホット・アイの前では近距離も遠距離も関係あらへん。彼女に見つめられた時点で、待ち受けるのはデッド・エンド。魔女の炎からは、誰も逃れられへん』









 支部小隊を率いる一人の男性機関員は、強化衣鎧スケルトンに包まれた全身を恐慌に震わせていた。

 男が人の機能美を外れた獣を相手にするのは、何もこれが初めてではない。

 人畜を喰らう害悪獣ダスタニアを駆除してきた経験は十分にある。

 若かりし頃は、ベヒイモスの都市侵攻を食い止める防衛役を担った事もあった。


 だが、この目の前に現れた『奇妙な生物』の前では、そんな経験はクソの役にも立ちはしないことを、部下全員の死亡という多大な犠牲を支払った末に、男はようやく学んだ。


 分子間力を発揮し、ビルの壁面にぴたりと両手の平をつける怪物。

 怪物の正体は『巨大な殻』だった。

 アンモナイトを彷彿とさせる、平たい巻き貝の殻。

 その殻の口から伸びるのは、丸太のように太い二本の腕。

 力を込める度に太い血管が浮かんで腕は収縮を繰り返し、そこに移植されていた無数の眼が、カッと目を覚ます。


『さぁ、仕上げといこうか。俺が俺であるための、存在意義を見つけ出す為に』


 剛腕がわななきを上げた。

 百はある腕の目玉から放たれる、液状銃弾――落涙銃撃ティア・ライザーの一掃射撃。


 爆発するかのように跳弾を繰り返し、針に糸を通すかのような精密な射撃が、ネオチタン・ローカーボン製の強化衣鎧スケルトンを突き破り、男を蜂の巣に甚振り尽くした。



『三人目。スメルト・シェル・ハンドレット。人外の獣でありながら、言語理解の知性を備えた、いわゆる異形者フリークスや。馬鹿でかいシェルの頑強さはピカイチで、化学的汚染も受け付けへん。殻を砕くことに固執していれば、腕に備えられた百の銃眼ハンドレッドから発射される特殊液状弾丸の餌食になる。頭を使えよ。こいつを倒すには工夫が必要や』









 少女は沈痛な表情をなるべく顔に出さないように努めていた。

 今もこうしている間に、どこからドクターが視ているか分からない。

 心の機微を、あの外道科学者に悟られてはならない。


 余計なことは何も考えないように、少女は自らに言い聞かせた。

 敬愛する兄が、何らかの手段を講じてドクターに一泡吹かせるまでは、今は演じていようと決めた。


 ドクターの意のままに動く人形として――自らもまた、一人の操られし者として、この血生臭い戦場を駆けるしかなかった。

 本物の海の美しさも知らないうちに、死ぬわけにはいかなかった。


 少女は深呼吸を何度か繰り返した。

 壮絶な『爆発攻撃』を受けて、ほとんど廃墟と化した都市の一角に佇んで。


 そうして気持ちを切り替えると、瞳に力を込めて、光を灯した。

 右手に握る金色の指揮棒タクトを、さながら翼でも広げるかのように振るう。


『いきましょう。私の可愛い屍たち』


 謡うように言った途端、少女を護衛するかのように、地面のそこかしこから骸骨の群れが現出した。

 紫色の瘴気を鎧のように身に纏い、死者の葬列は進撃を開始する。

 あるじたる少女の願いを叶えんとするために。



『四人目。チャミア・ネクロ・コンダクター。性格に少々難ありやが、その身に宿したジェネレーター能力は本物や。能力名は《蘇生乱造ネクロ・コンダクター》。ここがまだ東京都と呼ばれていた時代に、この地で亡くなっていった死者ネクロたちを黄泉の国より引き戻す。死のコンサートを奏でる指揮者コンダクターや。死者たちには迂闊に近づくなよ。チャミアの意志一つで爆破炎上するだけでなく、猛毒の粉をまき散らす。直撃を受ければ、生存確率はゼロや』









 動乱の中心点にいながら、鮮やかな淡紅色の長髪をなびかせるその優男の出で立ちは、静けさに満ちていた。

 しかしながら、その全身から発散される雰囲気は壮絶。

 並々ならぬ殺気を滾らせながらも、その手の動きは、どこまでも紳士的だ。


 手――そこに、男に備わる力の全てが凝縮されていた。


 ビルの壁面に触れる手。

 地面に触れる手。

 機関員の亡骸に触れる手。


 その瞬間、触れられた物体は無機有機を問わず、性質と形を変化させる。


 手が接触した箇所から、それは怒濤の勢いで生え茂る。

 先端の鋭利な鋼色の硬質な鞭の束。

 それが、男の周囲をあらゆる攻撃から身を守る様にして茨のように展開し、一方では、武器を向けてくる機関員ら目掛けて槍のように形状を変え、徹底的に串刺しにしていく。


 鋼色の鞭の嵐。

 攻防一体の妙技。

 それを放つ男の顔は、一滴の血にすら穢れてはおらず、さながら機械のような面立ちでいた。



『…………五人目。マヤ・デイブレイク・ブラッドフォレスト。殺戮遊戯グロテスクのリーダー的存在の彼もまた、チャミアと同じく、ワシが造り上げた人工のジェネレーターや。手で触れた物体の性質を《鋼に良く似た未知の物質》へと変化させ、自在に形状を操作する《血漿鋳造密林ブラッドフォレスト》の力を前にしては、さしものお前らでもどうにもならん。この男と出会ったが最後、夜明けデイブレイクなどやってこないと思い知るべきや。誰も勝てへん。お前らでは、絶対にな』









『そうして、残るは最後の一人や』


 ドクター・サンセットが、高らかに宣言した。


『この場に姿を見せることの叶わぬ、六人目。アハル・サイバー・ランナー。培養槽の中にいたころから量子の囁きを感じ取るそのセンス、お前らにもとっくり味わってもらうで。貴様らご自慢のヴェーダ・システムを破壊したのも、映像記録飛翔体レギオンの回線をジャックしたのも、すべて彼の仕業や。仮想サイバーの世界を縦横無尽に駆け巡る走破者ランナーから、果たして逃げ切れるかな?』


「丁寧な解説、痛み入るよドクター・サンセット。それで、残りの一人はどこにいるんだい?」


 残りの一人。バジュラのことを言っていた。

 予言に記されていた内容がこの一連の事件を指しているのなら、そこには必ずあの女の存在があると見て間違いなかった。

 核心を突く大嶽の台詞を耳にして、しかし画面いっぱいに映るドクターは面白がるように肩を揺らすだけだった。


『なんや、ワシの他にもう一人いるのが、分かっとったんか』


「……いるはずだ。出せ」


 大嶽が、岩を呑む込むような大蛇を思わせる迫力で訊いた。

 周りでやり取りを耳にしていたオペレーターたちの中には、その剣呑さに満ちた声色に当てられて、身を震わせてしまった者もいた。

 それでもドクターは、一体何が面白いというのか、まったく理解不能な微笑を漏らすばかりだった。


『残念ながらお出かけ中や。嘘やないで。ホンマの話や。どこに行ったかはワシも分からん。大方、あんさんらの下に直接行ったんちゃうんかな? あの女、あんさんらに相当な怨みを抱えとるようやしな』


「君も、我々を憎いと思うからこそ、こんなテロ行為に走ったのか?」


『憎い? アホ抜かしなさんな。あんさんらに対する恨みなんぞ、ワシはこれっぽっちも抱いておらん』


「だったら何故――」


『お忘れか? ワシは科学者や。それもただの科学者やない。闇に葬り去られた人体生成技術を復活させ、人造生命体ホムンクルスを造り出してしまう覚明技官エデンメーカーや』


「……まさか、単なる実験だとでも言うつもりかい?」


 大嶽のこめかみに、怒りから太い青筋が浮かび上がった。

 組んでいた両手に、思わず力が入った。


「自分の研究成果を披露したいために、つまらない自己承認欲求だけを満たす為に、君はこの事件を起こしたと、そうほざくつもりかい?」


『つまらない自己承認欲求とは、けったいな言い方やな』


 それまで余裕を保っていたドクターの口調が、唐突に変わった。

 その痩せこけて不健康な相貌に疑いようのない敵意がにじみ、異様な熱量が眼光に宿った。


『言うなれば、これは価値への挑戦なんや。この世にある全てのものに、最初から意味など存在せぇへん。それらに意味や価値を付与していくのが、人間の特権であり義務や。ワシは、ワシ自らの存在に価値を与えたい。そのために幻幽都市を破壊する。ワシの偉大なる研究成果を通じて一つの都市が、それも呪われた都市が消え去ることで、世界はワシという存在に敬意を払うようになるやろう。幻幽都市は《外界》の連中からしてみれば、目の上のたんこぶみたいな存在なんや。消えてしまったほうが、大多数の人間たちにしてみれば、ハッピーなことこの上ない』


「君のご高説は人種差別主義者のそれと何ら変わらない。マジョリティの意見だけを優先し、マイノリティを蔑ろにし続けていれば、いずれ社会は破たんを迎える。なにより幻幽都市を崩壊させるなど、この我々が許さない」


 大嶽は毅然と言い放った。

 ドクターもまた、苦虫を嚙み潰したような表情ながらも、決して目を逸らそうとしなかった。


 ディスプレイ越しに、しばし睨み合う両者。

 見えない火花が散り、決定的な対立構造を浮き彫りにする。


 やがて、先に口を開いたのはドクターの方だった。


『そうやって、いまは命ある限り粋がっておれ。ワシにはまだ〈切り札〉がある。それを起動させた時が、正真正銘、貴様らの最期や。それまでせいぜい、部屋の隅っこで奥歯をガタガタ鳴らしておくことやな』


 一方的に吐き捨てて、ドクターが手元のスイッチを押した。

 回線が回復し、ディスプレイが元の状態に戻る。


 しかし、オペレーター達の表情に安堵の色はない。

 それどころか、多くの者が青ざめてしまっている。


 類いまれな姿と能力を振りかざして都市を蹂躙する五体の怪物を目にして、萎縮してしまっているのだ。

 だが、彼らに臆病でいられる時間などない。


「全オペレーターへ通達。先ほど映し出された五体の人造生命体ホムンクルスの現在位置を特定し、データを共有。可能か?」


 問いかけに、一人のオペーレーターが悩ましそうに応えた。


「予備回線は何とか使える状況にあります。ですが転送速度は依然として低下中なため、共有にはそれなりの時間がかかるかと思われますが……」


「十分で実行するように。映像データだけ抽出して全支部の機関員に共有させるんだ。共有先には呪装鎮圧部隊イシュヴァランケェにも忘れずに含めておくように」


 オペレーターの何人かが、ごくりと息を呑んだ。

 呪装鎮圧部隊イシュヴァランケェ――機関が誇る、十に分かたれし最高戦力部隊。

 釈迦十大弟子を守護神として、物理的及び精神的な攻撃術を保有するに至った精鋭たち。

 

「今夜は総力戦だ。呪装鎮圧部隊イシュヴァランケェの全部隊を現場へ各個投入し、人造生命体ホムンクルスの掃討に当たらせる。言うまでもないが、決して気を緩めちゃならない。都市の安寧を取り戻すためにも、全力を投じてテロ組織の悪行を叩き潰すぞ」


 大嶽の、落ち着き払いながらも痛烈な檄が飛んだ。

 全面戦争の火蓋が、切って落とされた。

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