第2話 お正月国へ

 まぶしい!


 かっちゃんは目を細めました。

 目の前を大きな月が明るく照らしていました。その月の背後はいごの空はびっくりするほど真っ赤っ赤です。

 なんて派手な空でしょう。

 この空をどこかで見たような気もします。


「あれ、花札の『月』やん」


 隣のたけちゃんの声にかっちゃんは、ああ、とやっと気が付きました。

 そのとおり。花札の月の空と同じなのです。


「ここ、どこなの」


 突然、変わった風景にかっちゃんとたけちゃんは訳が分かりません。家の中にいたはずなのに、一体、どうしてしまったのでしょう。夢の中にでもいるのでしょうか。


 見渡すかぎりのすすき野原が広がっています。変わったことに、そのすすきは薄墨うすずみのような色をしています。

 あ、その間を鮮やかなオレンジ色をしたものが二つ、走っていくのが見えました。

 一つはいのししで、もう一つは鹿しかです。あれは花札の猪と鹿ではありませんか。


 キエエエエエエ!


 頭の上で鳴き声がしました。

 見上げると、花札のきり札、鳳凰ほうおうがかっちゃんとたけちゃんの上でえがいていました。


 キエエエエエエエエ!


 ついてこい、と二人に言っているようです。かっちゃんとたけちゃんは顔を見合わせました。


 キエエエエエエエエ!


 飛んでいく鳳凰ほうおうの後を二人は追って走りました。

 さわさわとそよぐ薄墨うすずみのすすきを突っ切ってしばらく走ると、大きな赤と黒の扉が草原に現れました。あれは、花札の鬼の札です。

 そして、その扉の前にいろいろなものが集まっているのが見えました。

 先ほどの猪、鹿。蝶々にうぐいすつるかり、ホトトギスもいます。

 花札のメンバー以外にも着物を着た人が沢山いました。

 烏帽子えぼしをかぶった男の人、あたまのつるりと丸い、袈裟けさ姿のお坊さん、重そうな十二単じゅうにひとえを着た女の人。

 あれは、百人一首のメンバーではありませんか。

 その他にも、写楽しゃらく大首絵おおくびえたこが宙を舞い、舞妓さんの羽子板は大小の独楽こまとともにかたまっています。


『あな、おそろしや』『地獄じごくの門』


 いろんな声が聞こえます。


「ここ、花札の中や。あれ、ちがうか、百人一首の中なんかな」


 立ち止まった、たけちゃんが息をととのえながら小声で言いました。

 みんなはかっちゃんとたけちゃんに気が付いたようです。奥から、十二単の女の人が一人出てきて、勢いよくかっちゃんとたけちゃんに言いました。


「あんたたちね! とんでもないことをしてくれた子供は!」


 絵のとおりのふんわりとふくれた頬っぺたと優し気な細い糸目とは逆に、とても怖い声でした。

 清少納言せいしょうなごんです。

 よく言われているように、清少納言は気の強いはきはきとしたお姉さんのようです。


「このバカ者! どうしてくれるのよ!」


 ざわざわ、と多くの歌人たちにかっちゃんとたけちゃんは取り囲まれてしまいました。


『地獄の門が開くぞ』『生贄いけにえを出さねば』『地獄の門を開いた者にさせればよい』


 意味が分かりませんが嫌な予感を起こさせる言葉が続きます。


「これこれ、子供を怖がらせるな。大の大人がよってたかって」


 伸びやかな、男の人の明るい声がしました。


「お父様」

むすめよ。まだ、小童こわっぱではないか。怖がらせても何も変わらぬだろうに」


 その男の人は清少納言に向かってそう言い、かっちゃんとたけちゃんの前に来ました。


「あ、すえのまっちゃん、や」


 たけちゃんはつぶやきました。

 たけちゃんの好きな清原元輔きよはらのもとすけ

 清少納言のお父さんでもある清原元輔は頭の回転が早い、とても面白い男の人だったといいます。今も、細い目をもっと細くしてにっこりと笑いながら、二人に話しかけました。


「いたずらが好きそうな顔をしているな、子供たちよ。だが、今回ばかりは悪かった。まだ何もわかってはおらぬだろうから、私が説明してあげよう」


 清原元輔きよはらのもとすけこと「すえのまっちゃん」は持っていた扇子で、あたり一面を指すようにしました。


「おぬしらが来たここは、お正月国だ。百人一首、花札、羽子板はごいた独楽こまたこなどのお正月遊びの者たちが住む国よ。平和だった国が、お主らのせいでたった今、困ったことになった」


 トントン、と扇子で自らの肩を叩いてから、すえのまっちゃんは、たけちゃんを指しました。


「お主が地獄の門を開く禁断の儀式を行ってしまったのだ。もうすぐ、あの扉は開かれ、ここは牛頭馬頭ごずめず餓鬼がき魑魅魍魎ちみもうりょうの化け物どもで埋め尽くされる。やれ、困ったな。どうしてくれよう」

「禁断の儀式?」


 かっちゃんとたけちゃんは顔を見合わせました。


「花札の鬼の札に、南蛮渡来なんばんとらい秘薬ひやくをかけたであろうが。女の怨嗟えんさなげきと共にな」


 南蛮渡来の秘薬とは、こぼしてしまったコーヒーのことでしょうか。そして、女の嘆きとはマミの泣き声のことでしょうか。


「ともあれ、儀式は成立しつつあり、あの空の月が沈むまでにどうにかせぬとこの国は終わりというわけじゃ、ちゃんちゃん」


 切羽せっぱ詰まった状況でも茶目ちゃめっ気があるのは、よほど大物おおものだということでしょうか。

 他人事のように話す、すえのまっちゃんの横から、つい、と出てきた女の人がしっかりとした声で言いました。


「まだ手はあります。地獄の門のり人を探し出すのです。協力してくれますね。あなたたちのせいでこんなことになったのですから」


 待賢門院堀河たいけんもんいんのほりかわ


 ながからむ こころも知らず 黒髪くろかみ

 みだれて今朝けさは ものをこそおも


 の女性歌人です。

 その歌のとおり、髪が乱れ、衣もはだけて、もうすぐでおっぱいが見えそうなほどです。

 すえのまっちゃんを始め、周りの男性歌人たちの糸目の目尻めじりが下がったように見えました。


「本来ならば、守り人がいれば地獄の門は再び閉じたのです。しかし、あなたたちは守り人も何処どこかへやってしまった」


 どういうことでしょう。


「探して連れてきてください。小野おのさまと、つばめを。彼らがそろえばまだなんとかなるでしょう」

「さあ、急げ! 少年どもよ。地獄の門が開けば、鬼が出る。鬼は美女が好きでおじゃる。生憎、小野小町おののこまちが姿を消していてな。鬼の機嫌をとるほどの美女が見当たらん、どうしようか、などと思っていたがここに居た」


 すえのまっちゃんが、扇子で奥の方を指しました。


「ちょうど、お主の妹君とな」


 扇子で指された方向に、百人一首の歌人たちがよけた道が出来ました。

 一番奥に、ピンクの衣を着たお姫さまのような女の子がちょこんと座っているのが見えました。


「にいにい」


 その女の子は嬉しそうな声をあげてこちらを見て笑いました。

 なんと、マミではありませんか!

 いつの間にか、おかっぱの刈り上げだった髪は伸びて、地面にまで届いています。

 扇子を持ち、まるで、百人一首の絵札のようなポーズをしています。

 お姫さまになれて喜んでいるのかもしれません。


「妹君を鬼の女房にょうぼうにするわけにはいかんだろう。さあ、急ぎなさい」


 楽天的な声の調子でありながらも、すえのまっちゃんの言葉は脅迫きょうはくでした。

 マミは人質ひとじちというわけです。


「今すぐに、先程言いました守り人をここにお連れください。はやく。月が沈むまでに。お手伝いとしてこの者たちをつかわします」


 待賢門院堀河たいけんもんいんのほりかわの横から、オレンジの猪と鹿が現れました。間を置いて、今度は空からバサッと鳳凰ほうおうが降りたちます。


「この者たちの背に乗りなさい。お正月の国とあなたたちの国をつなぐ穴はいつも同じところにはない。鳳凰がその穴を探し、猪と鹿があなたたちを連れていきます。さあ!」


 堀河の言われるままに、かっちゃんは鹿に、たけちゃんは猪の背中にまたがりました。


「それっ」


 すえのまっちゃんがかけ声を出して、扇子で猪と鹿のしりを叩きました。


 キエエエエエエエエエエ!


 鳳凰が鳴き、かっちゃんとたけちゃんたちは出発しました。


 鹿の背はゴワゴワ。

 最初、かっちゃんは角につかまりましたが、鹿が嫌がったので首につかまりました。

 隣のたけちゃんはと見ると、必死で猪にしがみついています。


「痛いわ、ブラシの上に乗ってるみたいや」


 猪の毛はとても良いヘアブラシの材料となります。まさにその通りなのでしょう。


「札を探せばいいってことだよね?」


 かっちゃんは振り落とされまいと鹿に抱きついて叫びました。


「そういうことやろ。小野小町おののこまちさんとやなぎつばめの二枚をな!」


 キエエエエエエエエエエ!


 鳳凰が前方の空でくるくると回り始めました。猪と鹿は鳳凰の下に向かって突進します。

 薄墨うすずみ色のすすき野原に、ぽっかりと真っ黒な穴が口を開けているのが見えました。

 あれが、かっちゃんたちの世界とこのお正月王国をつなぐ穴なのでしょう。さきほども、この穴からかっちゃんたちはやってきたのです。


 穴に近づいても猪と鹿は速度を落とそうとしません。

 かっちゃんとたけちゃんは猪と鹿も自分たちを背に乗せた状態で穴に飛び込むのだと思いました。

 ……そう思い込んでいたものですからたまりません。

 穴の直前で、なんと猪と鹿は急ブレーキをかけたのです。

 その勢いで、かっちゃんとたけちゃんは飛ばされてしまいました。


「うわああああああ!」


 二人で叫び声を上げながら、穴に吸い込まれていきました。








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