8-3

 裁判座敷までの廊下を早足で歩いた。左側には窓が並び、右側の壁には絵が飾られている。マクシミリアン一世の庇護を受けた芸術家デューラーの絵だった。

 裁判座敷の扉を二人の警備兵が守っている。

「遅れてきた。中に入りたいのだが」とアンナ。

「もう今晩は誰も中に入れるな、と申し付けられております」

 警備兵は仁王立ちのまま動かない。

 丁寧な男だった。顔からも実直さが滲み出ている。細い剣。フランス仕込みかもしれない。とても誰かを斬れるとは思えなかった。

「そっちも同じ意見か?」

 もう一人の男にアンナは尋ねた。

「同じであります」

「皇帝の命が危ないんだ」とエリオットは言った。

「お通しすることは出来ません」

 警備兵は続けた。

 アンナが一歩前に出る。拳を握っていた。

「止せ」とエリオットは制す。「皇帝の側近にイエルクという男がいる。きっと中にいるはずだ。話をしてきて欲しい。アングストマンの息子が来た、と伝えろ。こいつを持っていけ。そうすれば全てがわかる。今回の無礼は見逃してやろう」

 エリオットは聖剣を警備兵に渡した。「大事な剣だ。落とすなよ」

 警備兵二人は顔を見合わせた。それからすぐ、エリオットの前に立っていた男が扉を開け、裁判座敷へと入っていった。

「意外なコネクションだ」

「親父が皇帝に特赦を貰ったって言ったろ。その時に便宜を図ってくれた男だ。俺が直接知り合いってわけじゃない。だが聖剣を持った魔女殺しの男が現れたらきっと話くらいは聞いてくれる」

「なるほどな」アンナは言った。「それにしても素晴らしい絵だな」

 壁に掛けられている絵だった。作者のデューラーはニュルンベルクの出身だった。今でも住んでいる。

「街の有名人だ」

「会ったことは?」

「あるわけない。そっちは?」

「ない。私の住む世界とは違う」

 アンナは自嘲する。

「それが今じゃ帝国議会の祝宴会場にまで来てるぞ」

 エリオットは言った。

「私はクズ相手の仕事をしている割に品があるからな」

「同意するよ。あんたは立派だ」

 扉が開いた。

「イエルク卿がお呼びです」

 戻ってきた警備兵が言った。

「気を引き締めろ。本番だ」とアンナ。


   ■


 裁判を行うための設備の一切は片付けられていた。長テーブルと椅子が並べられ、その上には豪華の一言では言い尽くせないほどの料理が置いてある。壁際にはワイン樽が並んでおり、その周りで給仕たちが働いている。

 皇帝、選帝候、貴族。それらの有力者たちは着飾り、宝石が縫い合わさった衣装を着て、席につき食事を楽しんでいた。

「エリオット・アングストマン様ですか?」

 下僕がやって来た。「イエルク様がお待ちです」

 長テーブルの間を早足で進む。

「ヴァレンシュタインは?」とエリオット。

「卿をつけろ」

「あんたが言うか」

「姿は見えないな」

「ここにはいないのか。じゃどこに」

「当てが外れた。だがまだ誰も死んでいないぞ」

「とにかく計画を伝えなくちゃ」

 二人は下僕の背中についていく。

「こちらです」

 下僕に促されて、祝宴会場の横の部屋へ。窓のない部屋だった。蝋燭の灯りが一つだけだ。

「イエルク様。アングストマン氏をお連れしました」

 奥の椅子には白髪の老人が腰掛けてきた。

「よく来てくれた」と聖剣をエリオットに戻す。

「どうも」

 エリオットは受け取る。「エリオットです。エリオット・アングストマン」

「父親によく似ているね。良い青年に育った。それでそちらのご婦人は?」

「アンナ・ファン・デ・ブルグです。私の用心棒」

「女傭兵とは恐れ入った。用件は?」

「ヴァレンシュタイン卿が皇帝暗殺を企てています」

「ニュルンベルクの男か。どうやって?」

 イエルクは言った。

「イエルク卿。発言をよろしいでしょうか?」とアンナ。

「ここは自由だよ。堅苦しいだけの祝宴は隣の部屋に置いてきた」

「どうも。ではお話しさせて頂きます。ヴァレンシュタイン卿は惑星の書を奪い、私たちを殺害しようとしました。毒も買い込んでいます。皇帝やその周りにいる人々の命が危ないのです」

 アンナにもこんな喋り方が出来たのかとエリオットは驚く。

「彼はとても危険人物には思えない」

「いえ、とても危険です。きっとワインか何かに毒を仕込んでいるはずです」

「もう何杯も飲んでいる」

「樽は幾つありますか?」

「把握はしとらん」

「全て調べましょう」

「わかった。そうするとしよう」

 そのとき、隣の祝宴会場から悲鳴が上がった。

「不味いな」

 アンナは扉を開き、祝宴会場を確認する。

「何事だ」

 イエルクは老人らしいゆっくりとした動きで立ち上がった。

「死者の軍隊だ」

 エリオットは呟いた。

 祝宴会場に武装した亡者たちが踏み込んできたのだ。貴族たちは悲鳴をあげ、逃げ惑っている。

「ヴァレンシュタイン卿は? 皇帝は無事か?」

 エリオットは首を振って姿を探す。

 会場は荒れている。テーブルは引っ繰り返され、料理は散乱。シャンデリアは落ち、そこに差されていた蝋燭は倒れ、絨毯に火をつけた。煙が蔓延し、視界は狭い。主を失った馬が走り回っていた。悲鳴と逃げ場を探して行き交う貴族たちでごった返している。

「一度に二つを聞くな」

「皇帝を守らなくては」とエリオット。

「私に指図したな?」

「お願いだ。皇帝を守ってくれ」

 後ろからイエルクの声がした。懇願し手を合わせている。

「最後の願いを聞いてやろう、爺さん。ありがたく思え」

 先ほどの殊勝な態度は消えていた。アンナは身体能力を最大限に高め、皇帝を包囲しつつある亡者の軍団に割って入った。

「あの女は何者だね」

 甲冑を着込んだ亡者たちを素手で圧倒していくアンナを見てイエルクが言った。

「イエルク卿は立場上、お聞きにならないほうがよろしいかと」

 エリオットも剣を抜き、親指の腹を噛んで血を捧げる。聖剣が息吹を上げた。

 亡者たちを操るヴァレンシュタインは近くにいるはずだ。

「君も戦うのかね?」

「えぇ。まぁ一応、格好だけ」

 エリオットは踏み出す。「イエルク卿はどこか安全な場所へ。自分はアンナに加勢します」

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