6-3



 中央広場に戻り、さらに北へ。通りを進めば、雰囲気も変わる。二本の塔が空に伸びる聖セバルドゥス教会の背中に、その通りはあった。屋根を修理している手袋職人の家もすぐに見つかった。職人たちが屋根に上って作業をしている。

「本当にあの店を燃やすのか?」とエリオット。

 はす向いにあるパン屋の前で様子を窺うエリオットとアンナ。

「そんなはずないだろ。その代わり期限が来たら経営権が私のものになる。もう公証役場で契約書も作ってるし、あとは時間の問題だな」

「あんたが居酒屋の女将か」

「小さい頃からの夢だった」

「マジかよ」

「冗談だ。そんなものに興味はない。私もあの店で人生を終えるくらいなら、プロイセンに行くさ」

「今頃、女将を連れてった男の酔いも醒めてるだろうな」

「男のほうが先にニュルンベルクに戻ってきたりしてな。酔ってるときは何もかも見積もりが甘くなる。そこそこの女は美人に。そこそこの値段が格安に」

「ずっと酔っ払ってたいね」

「しっかり歩けよ。行くぞ」

 アンナはシュレッツの家に向かって歩き出した。

「おい、入るのか?」

「この家の主は死んでる」

「忍び込むにしても周りに人がいるぞ。まだ昼前だし」

 アンナはエリオットの言葉を無視して足早に扉の前へ。

「鍵がある。死体から取ってきた」

 鍵をエリオットの鼻先にぶら下げた。

「用意がいいね」

「お前が準備不足なだけだ」

 鍵を鍵穴に突っ込んだ。アンナが手首を捻ると、施錠が開かれる。「簡単だ」


   ■


「意外に普通の家だな」

 侵入した。エリオットはその中を見回した。

「女と一緒にいると言っていたし、世話焼きなんだろう」

「そういえば女は?」

 テーブルの上に帽子があった。派手な色使いだ。

「鍵がかかってたんだぞ。仕事にでも行ってんだろ。ほんとお前の頭はどうなってる。空っぽか?」

「かもしれない」

 言い合うのも疲れる。ビールが欲しくなった。

「私は二階へ行く。見張ってろ」

 アンナは階段を上がっていった。エリオットは気のない返事をして、椅子に腰掛けた。


   ■


 椅子に座ると、疲れが一気に押し寄せた。ここまでほとんど休みなしだ。ケルンに向かうまでだって楽な旅ではなかった。エリオットはつくづく自分の血筋を呪う。腰に差した聖剣のせいで、生活は乱れっぱなしだ。しかも事態はどんどんと意図しない方向に進んでいく。

 眠気が襲ってきた。見張りをしていろ、とアンナに言われたことを思い出す。欠伸が出た。目頭を抑えて、必死に眠りに落ちないように我慢する。

 だが誘惑は耐え難い。少しくらいなら、と瞼を閉じようとしたときだった。

「誰?」

 女の声。視線を上げると、扉に気の強そうな女が立っていた。

「こんにちは」

「人を呼ぶよ」と女。

 金髪で青い瞳だ。頬骨が高く、顔の輪郭は四角い。身なりは貴族のそれとは違う。胸を強調するように腰をきつく結んで細めている。下半身はスカートを膨らませて、足元のソックスは汚れている。娼婦に違いない。

「シュレッツの知り合いだ」

 叫ばれたら終わりだ。エリオットは知恵を絞る。

「あの人の?」

 疑うような目線。「どうして家の中へ」

「ここで待ってろ、と言われた。シュレッツは買い物だ。じきに戻ってくる」

「そう」

 警戒心が解けたわけじゃないのはわかった。だが上手くはいっている。なるべくワルっぽく喋ったのが良かったのかもしれない。

「あの人は何を買いに」と女。

 扉を閉めて、エリオットのほうへ。そのまま二階に上がって着替えをするつもりだろうか。上にはアンナがいる何とか避けたい。

「ビールだよ。二人で祝杯だ。聞いてないのか? ケルンでの仕事について」

 正午を告げる鐘の音が鳴った。

「シュレッツはワインしか飲まないのよ」

 女は言った。

「俺が飲むんだ」

 言ったもののしくじったことがわかった。女の表情が物語っている。

「誰か――」

 女が叫び、扉へ駆け出す。

 咄嗟にエリオットは飛び掛った。椅子がひっくり返る。

「やめて!」

 馬乗りになり、口を抑えた。これ以上、叫ばれては適わない。鐘の音が響いている。物音と金切り声はかき消されたようだ。

「静かにしてくれ、お願いだ」

 気の強そうな女だと思ったが、今はその目に恐怖の色が滲んでいる。瞳は潤み瞬きが多い。鼻と口を押えつけている手の平に湿った呼吸が当たる。慣れないことしているからか、どこまで力を加えていいかわからない。

「騒いだら殺すっていうべきだ」

 二階からアンナが降りてきていた。エリオットの後ろに立っている。

「俺は女性にそんな台詞言いたくない」

 エリオットは馬乗りになり必死にシュレッツの女を抑えながら言った。

「心の中では自分は善人って思ってるんだろうが、お前のやってることは強姦魔と一緒だぞ」

「鏡があったら自分の姿を見たいよ。さぞかし反吐が出るんだろうな」

「様になってるから恐ろしいな。才能あるんじゃないか」

「そんなの要らないね」

「そこは同意だ」

 アンナが女の頭のほうに回り込み、しゃがんでその目を覗いた。

「口を解放してやれ」とアンナ。

 エリオットは指示に従う。

「シュレッツがどんな男かは知ってるな?」

 女性のアンナの登場で、女の気持ちも多少は収まったのだろう。恐怖に怯えているのは相変わらずだが、叫ぶ感じではなくなっていた。アンナの問いに女は首を縦に振った。

「こういうことも覚悟の上で一緒になったのか?」

「そうよ」

「お前の男は強盗か? 追い剥ぎか?」

「どっちも同じでしょ」

「話が早い。相棒がいたはずだ。どこにいる」

 逃げた男だ。「いつも二人一組で仕事をしていたよな?」

「ラツァルスのこと?」

「私たちも名前は知らん。頭巾を被っていたな」

「ラツァルスで間違いないわ」

「そいつに大切なものを奪われた。探してる。どこにいる」

「待って。あの人はどうなってるの?」

「聞きたいか?」

「え」

「もう一度聞くぞ。聞きたいのか?」

「そんな――」

「覚悟の上だったんだろう」

「だけど――」

 誰だって最悪の日が自分に訪れるなんて思っていない。

「ラツァルスのことを喋れば、私たちはお前のことを報告はしない。シュレッツのこともだ」

「けどそんなことしてもあの人は戻ってこない」

「名誉は守られる」

「話さなければ?」と女。

「この私と取引するつもりか?」

 アンナには凄味があった。「この私と」

「話す。話すわ」

 女は迫力に負けた。エリオットもアンナが見せた表情に驚いた。

「あの人、シュミッツはラツァルスのことを相棒って言ってたけど、ラツァルスとシュミッツは同等じゃないわ。ラツァルスのほうが頭が良くて、仕事を持ってくるのはいつも彼のほうだったみたい。強盗の仕事の主導権はラツァルスにあったの」

「で、どこにいるんだ。ラツァルスは?」

 女を抑えているエリオットの腕が疲れてきた。限界が近い。

「ラツァルスがどこに住んでるかは知らない。けど娼館に毎晩のように通ってて、その中でもアレクサンドラっていうナポリの女ばかり買ってる。お気に入りみたい。シュレッツもよく一緒に行ってるの」

「なんだ。娼婦が娼婦に嫉妬か」

「女が女に嫉妬して何が悪いの」

「付き合ってられないな。それで、どこの娼館だ」

「燕小路の赤煉瓦館よ」

「なかなか有益な情報だな」

「もうこれでいい? ねぇ。お願い、命だけは助けて」

「助けてやるから、そんな声を出すな」とアンナ。

「放していいか?」

 エリオットは言った。

「好きにしろ」

「悪かったな」とエリオットは女を解放し、手を貸して立たせてやろうとする。

 だが女はその手を払い、自分で立ち上がった。気の強さが戻ったらしい。

「もう二度とここには来ない。外で会っても私たちは知り合いでも何でもない」

 アンナはそれだけ告げると、エリオットに「行くぞ。嫌われ者」と言った。

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