5-7


   ■


 ドニミクの身体が前に倒れる。切断面を晒した首の先には、目を見開いたまま絶命したドミニクの顔が転がっていた。

 たったの一太刀にも関わらず、エリオットは身体に激しい疲労を感じた。肩が重く、眩暈がする。聖剣を握っているのもやっとだ。倒れてしまいそうなので、剣先を地面に突き刺し身体を支える。

 ドミニクの身体が劣化を始め、色を落として骨のように白くなっていく。そのまま崩れていく身体は砂のような粒となった。粒は蒸発するかのように消えていき、先ほどまでドミニクが倒れていた場所には、彼の装身具だけが残った。

「結果が全てだ。まぁよくやった」

 アンナはドミニクの持っていた惑星の書を拾う。

「まぁな」とエリオットはため息。

「人を殺した感想は?」

「茶化さないでくれ」

「知らない。あんたがやった」

「楽しかったのか」

「そんなはずないだろ」

「おー。ボロに戻っていく」

 聖剣が役目を負え、黒い錆を戻していった。このまま杖代わりにして身体を支えていたら折れてしまう。エリオットは慌てて鞘に戻すと、そのまま地面に膝をつけた。

「疲れたのか?」

「力を使う。あんたみたいに元々強い訳じゃない。心の準備だって出来てなかった」

 血の代償。魔力を根から断つと、ここまで自分の力を消費するのは予想外だった。人を殺す感覚。首を跳ねた感触が手に残っていた。

「私だって、魔力を使っているから強いだけだし、多少は疲れる」

「あんたの戦いには強い以外に不思議なことなんてないじゃないか」

「お前はまだ何もわからないのか」

「何が」

「私の魔術だ。私が何を支配しているのかだよ。馬鹿」

「さっぱりだ」

「まぁいい。初仕事の祝いに教えてやろう」

 そうか。俺はこの後、アンナを殺さなくてはいけないのか――。

 微笑みながら自分を語るアンナの言葉を聞きながら、エリオットはそんなことを思い出していた。ドミニクも殺せなかったにも関わらずだ。出来るとは思えない。

「私が司るのは肉体だ。自分の肉体を支配し、自由自在に操ることが出来る」

「イマイチ、ピンとこないな」

「常に若く、傷はたちまちに癒え、病気を知らず、怪力かつ俊敏。山の向こうまで目は届き、どんな蕾の匂いも逃さない。私は自らの血液に魔力を宿させる。それが私の魔術だ」

「地味だな」

「だが強い」

「不老不死ではなくなった。俺がいる」

 エリオットはゆっくりと立ち上がる。

「お前は嫌味な奴だ」

「俺には力がある」

「因果なものだ」

 アンナはため息を吐き、「これからは謙虚に不老とだけ名乗ることにする」と言った。

「足音だ」

「聞こえてる。十六人分だな。甲冑を着ているものがそのうち十人」

「逃げなくちゃ」

「その通り」

 この件についてニュルンベルクはケルンに渡りをつけていない。エリオットとアンナは使者でも何でもない。ケルン側からしたら、墓荒らしか教会泥棒だ。

「捕まったら斬首だな」

「走れるか?」とアンナ。

「大丈夫だ。話してるうちに大分、回復した」

 だが気分は落ち着かない。殺しのせいだった。


   ■


 闇に乗じて教会を抜け、二人はならずの王の納屋に戻った。

「ここで明日の朝まで待つ」とアンナ。扉を開けて中へ。

「もう二度とこんなところ泊まりたくないね」

 エリオットも続く。

「門が開いたら市外へ出てニュルンベル――」

 そこでアンナは言葉を止めた。

「エリオット! 逃げろ!」

「え?」

 顔を上げた。

 ヴォルフが殺されていた。柱に縛り付けられていたヴォルフの目は抉られ、喉が切られて黒い血が前掛けのようにシャツに広がっていた。口には納屋にあった藁が詰め込まれている。

「もう遅い」

 エリオットが後ろに気配を感じたとき、全ての決着がついていた。振り向く必要がない。肩に腕を回された。その先には短刀。刃先がエリオットの喉に向かっている。

「どうして刃が赤いかわかるか?」

「お前がヴォルフを殺したのか?」とエリオット。声の震えが止まらない。顔も見えない男に怯えている自分が情けない。だが抑えることが出来ない。

「質問してるのは俺だ」

 グッと肩に回された腕に力が入ったのがわかる。刺される、と思い目を瞑っていた。

「死ぬかと思ったか?」

 まだ死んでない。首が痛い。たぶん少し切れた。エリオットは自分の呼吸が湿っていくのがわかる。一回一回が浅くなるが、吸う度に空気が重く感じる。

「お前、動くな。こいつを殺すぞ」と男。

 アンナはエリオットのほうを見ている。だが視線がエリオットと重なっているわけではない。エリオットには、アンナのその目が自分を後ろで捕えている男を見ているものだとわかった。強い怒り、反骨心に満ちた瞳をしている。

「なんかいえ。女」

 男は続ける。

「愛してる」

 アンナは言った。到底、愛しているとは思えないような口ぶりと態度だ。

「ふざけてんな」

「お前がなんかいえと言ったんだろ」

「ほら、その本を寄越せ」

「字が読めるのか?」

「金は数えられる。だからそいつが欲しいんだよ」

「ふっ」とそれを聞いたアンナは鼻で笑う。「雇われたのか。幾らだ? 倍出す」

「信じられねぇよ。今あったばかりのお前ら二人を信じられるか?」

「金は信じれるだろう」

「見えねぇもんは信じれねぇ。それじゃ千グルテン、耳揃えて見せて貰おうか」

「そんな金、持ち歩いているはずないだろう」

「そうだよな。お前らの荷物は俺らが頂いたんだから」

「ま、そうなるな」

 荷物を盗まれていても不思議じゃない。

「本だ。寄越しな」

 刃がエリオットの首に近づいてくる。

「アンナ」とエリオットは呼びかける。

「お前の気持ちはわかってる。自分の命を犠牲にしてでも、私に借金を返済するつもりだろう。泣けるよ、全く」

「違う。本を出せ」

「クソが」

「死んだら終わりだ」

「終わるな。だがそれがどうした?」

「俺が死ぬんだぞ」

「お前は物を頼む態度ってのがなってないな」

「わかった。わかったよ。俺の取り分から三百グルテン出す」

「お前は七百グルテンが取り分のはずだろ。三百出して私に命令か?」

「クソ。五百グルテンやるから、こいつに本を渡してくれ」

「交渉決裂だ。おい、お前。エリオットを殺していいぞ」

「六百グルテン。お願いだ。あとあんたは最悪だ」

 アンナは惑星の書を放り投げた。エリオットの足元に落ちる。

「痴話喧嘩が終わったな」

 それから男は「おい」と声をかける。背後からまた別の男が出て来た。黒い頭巾を被っている。もしや自分を捕えている男も頭巾を、とエリオットは思う。

 頭巾を被った男は惑星の書を拾い上げた。

「殺すなよ。エリオットを殺したら、私がお前らを殺す」

 アンナの脅しが効いたのかはわからない。だがその気迫には助けられたはずのエリオットですら身震いするほどだった。

「近づくなよ」

 男はエリオットの首筋に向かって刃を下ろした。

「伏せろ、エリオット!」

 その瞬間、アンナが猛追して、男に飛び込んだ。男は咄嗟にエリオットを放して、短刀を構える。エリオットは頭を抱えてしゃがみ込んだ。アンナは鉄扇で短刀を払い、そのまま男を押さえ込んだ。

 もう一人、惑星の書を拾い上げた男は走り出す。

 アンナは男に馬乗りになった。頭巾の上から顔面に拳を下ろす。

「エリオット!」とアンナ。

「わかってる」

 エリオットは走り出し、もう一人の男を追った。

「待て!」

 エリオットは走り、逃げた男を追った。小路に出る。曲がりくねった路地が多く、死角だらけだ。夜の暗さも手伝い、足音しか聞こえない。その方向に走り出すが、音だけでは姿を捉えるのは難しい。先へ。曲がり角に頭巾が捨てられていた。拾いあげ、さらに進む。大通りに出た。酔っ払いと物乞いが数人。顔を見ていない以上、そこに紛れていてもわからない。一人一人、殴っていくか。無理だ。

 エリオットは首を振った。何か手がかりは。

 ケルンの夜には霧が漂うだけだ。

「クソったれ」

 エリオットは頭巾を叩きつけた。逃げられた。

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