2-1

 フラウエン教会を出て、中央広場へ。野次馬でごった返す広場を抜けて、ペグニッツ川を東へ歩くと、すぐにヴァレンシュタインの屋敷はあった。

 エリオットは、ハンスについて屋敷へと入り、二階と案内された。ハンスはエリオットを部屋に入れると、どこかへ消えた。

 部屋にはサイコロ、カード、チェス盤が置いてあった。エリオットはサイコロを手に取り、手の中で転がした。

 待っていろ、と言われたがいつまで待てばいいのか。シャツの裾についた血を見て、着替えてくればよかったと思う。窓から階下の街を見た。道を行く市民の視線が、フラウエン教会に向けられているのがわかる。この騒ぎが終わるまで、どれくらいかかるだろうか。ここは都市だ。話題には事欠かないが、それでも今回の事件は大きい。秋口の収穫祭まで、今日のことは主役であり続けるだろう。

 扉が開いた。ノックがない。

 振り返ると、アンナがいた。新しい上下共に、新しい物に着替えている。シャツと男物のようなズボンに先のとがった靴だった。鉄扇は相変わらず。

「来たのか」

「私がアンナ・ファン・デ・ブルグ以外だったら何者に見える?」

「いや、あんたは正真正銘アンナ・ファン・デ・ブルグさ」

「それで、お前はアングストマンというのが本名か?」

 アンナは言った。「お前はエリオット・ラウファーではないのか?」

「ノックは? マナーがないな」

「質問に答えろ。さっきだって何かを言いかけてたろ。一体何を隠してる?」

「来ないと思ってた」

「二度目だ。私の質問に答えろ。握手してやろうか?」

 拳が砕けるほど握られるに決まってる。手を出す代わりに、エリオットは口を開いた。

「俺はラウファーだよ。エリオット・ラウファー。市庁舎に行って貰えればわかるし、公証役場にもその名前の契約書が何枚もある」

「だがエリオット・アングストマンでもある。違うか?」

「過去の名前だ。昔はその姓を名乗っていた。それが気になってきたのか?」

「口を慎め。お前は全く魅力的じゃない」

「あぁ悪かったよ」

「アングストマンは刑吏の者が持つ名だ。知らないと思ったか?」

 刑吏。死刑執行人。この言葉がアンナの口から出たとき、エリオットは胸が大きく脈を打つのがわかった。

「動揺してる」

 アンナにもわかったらしい。「やはりお前、刑吏だったな」

「俺じゃない」

「じゃその一族の出か」

「親父が刑吏だった」

「お前は後を継がなかったのか? 刑吏と言えば儲かる仕事だ。娼館の権利、自殺者の遺産相続、それに市参事会からの給料も馬鹿にならない」

「親父は死刑執行人。首切り役人の親方だ。わかるだろ? 親の気持ちが。親父は皇帝に恩赦を貰って、仕事を止めた。それに稼いだ金のほとんどを皇帝に貸し出すことで、新しい名前も貰った。刑吏とバレちゃ生きていけない。まともな仕事にもつけないからな」

「皇帝に金を貸すとは愚の骨頂だな」

 アンナは笑った。

「新しい姓が必要だった。返ってこないとわかっていたさ。ラウファーって姓は買ったんだ」

「ふふ、なるほどな。謎が解けた」

「何がおかしい」

「別に何も。ただ一つ。私の知り合いの話をしてやろう。そいつは居酒屋で気前のいい旅人に出会った。知的でユーモアに長けて気風もいい。もちろん友人はその旅人と話しているうちにすっかり仲良くなり、何度も杯を交わした。酔っ払った勢いでお互いを生涯の友と認め、称えあった。そして翌日、その旅人が刑吏だとわかった。私の友人がどうなったかわかるか?」

「英雄になったんだろ」

 エリオットには答えがわかっていた。虫の居所が悪くなる。弱い者苛めが好きな女め。

「村から追い出された。家族も同じだ。住んでいた家も焼かれた。仕事もなくした。一ヵ月後、山の中で全裸のまま死んだ友人が見つかった。もちろん死体も焼かれた」

「わかってる。俺たちは嫌われ者だ。刑吏は伝染病なんだ。だから俺はエリオット・ラウファーになった」

「卑屈になるな。お前は刑吏の家系でなくても嫌われ者だ」

「で、そんな話を披露しにここに来たのか?」

「お前の気が安らぐかと思ってな」

「激しく揺さぶられたよ。俺はてっきりあんたは来ないもんだと思ってたがね」

「着替えだ。薄汚い格好で他人の屋敷にあがるマナーのない男とは違う。私は上品だ」

「金は返すよ」

 そう言えばアンナは黙ると思った。

「二言目にはそれだ。魔法の言葉だと信じているようだが、それは死体を動かすよりずっと質が悪いってことを知ってるか?」

 鉄扇を広げた。

「魔法。魔女。魔術。それに惑星の書――。あんたはどこまで知ってるんだよ」

「お互い手の内を明かしたくないのが本音だろう。マルコはお前を呼べ、と言っていた。私のほうが聞きたいね。どうして私じゃなくてお前なんだ? 一体どういうことだ?」

 手ごわい相手だ。

 エリオットはマルコにもう少し詳しく話を聞くべきだったと後悔した。

「あんたは俺と同じってマルコが言ってた」

「私が? そうは思わない。いや、それどころか正反対の気がする」

 扉が開いた。男が二人、入ってくる。一人はハンス。

 もう一人はこの屋敷の主、ヴァレンシュタイン・アリアス・ノラノだった。

 黒い髪に鷲の嘴のような鼻。灰色の瞳に、少し扱けた頬と鋭い輪郭。元々は傭兵だっただけあって歳を重ねた今でも恰幅はよく、何より右手の義手が嫌でも目に付く男だった。

「よく来てくれた」

 ニュルンベルクの都市兵を束ねる最高司令官であり、さらに軍事顧問、兵器廠長を兼任する街の大物だった。「今日は災難だったな」

 ヴァレンシュタインは義手を左手で撫でる。

「私に何の用だ」とアンナ。ヴァレンシュタインを知らないはずがない。偉そうな態度はわざとだろう。誰に対してもその姿勢を変えない。エリオットとしては大物の登場に肝を冷やしているところだった。

「エリオット。君も楽にしてくれ」

「あぁ、はい」

 なんとも情けない返事だがしょうがない。エリオットはそのまま席に座ろうとするが、丁度のその椅子の前にハンスが立っていた。どいてくれとも言い辛い。

「私の質問に答えるつもりはなしか」

「少し待ってくれたまえ。薬の時間なんだ」

 ヴァレンシュタインは皮袋から、紙に包まった丸薬を取り出した。

 テーブルの水差しからコップに水を注ぐ。

「万能薬だ。フライブルグにいい薬屋がいて特別に作らせた。塩の結晶に七種類の樹のエキス、ヨモギ、阿片、生姜、胡椒、蜜を混ぜたものだ」

 丸薬を口に入れ、水で飲み込む。

「こいつはよく効く」

 ヴァレンシュタインは丸薬を飲み込んでから言った。

 身体に良いとは思えないが、自慢げに語るヴァレンシュタインを否定する勇気をエリオットは持っていない。

「それで――、話はまだか?」とアンナ。

 右足で床を叩いている。苛立っている証拠だ。

「わかってる、話す。私だってこれでも傭兵だった。まどろっこしいのは嫌いだ」

「それがまどろっこしい」

 アンナの暴言に、ハンスが睨みを利かす。その間に立つエリオットとしては楽しくない。ヴァレンシュタインは楽にしろと言ったが、状況は悪化するばかりだった。

「そう怒るな。これから単刀直入に言うとしよう。ドミニクから惑星の書を奪い返して欲しい。これでいいか? 奴は教会地下にあった惑星の書を奪い、魔力を手に入れてしまった」

「ちょっと待って下さい。あの話が急すぎませんか?」と思わずエリオットは言ってしまった。ハンスが鋭い眼光で彼を見る。ちょっと出すぎた真似だったかもしれない、と後悔した。完全に椅子に座ってゆっくり話を、という雰囲気は消えた。

「どうしてドミニクのことを知っている?」

 アンナが言った。

「実は私もあの場にいた。そして私はマルコを置いて逃げた」

「貴様、よくもそんな事が」

 アンナが立ち上がると同時に、ハンスがヴァレンシュタインの前に出た。睨み合いが、殺気の飛ばしあいになった。

「結果論だよ。私とマルコは同時に逃げ出した。マルコは身廊へ。私は外に出た。それだけだ」

「お前は傭兵だ。最高司令官だろ。マルコを助けようとは思わなかったのか?」

「現役はとうの昔に退いた。それに私とマルコには使命があった。同じ使命だ。この街にある惑星の書を守り続けるという使命がな。わかるか? アンナ」

「マルコもこうなることはわかっていた、とでも言いたいのか?」

「司祭と最高司令官。どっちが生き残ったほうが魔術師に対抗する戦力と成り得るだろうか。答えは簡単だ。私だ。絶対的に私だ。司祭は祈るばかりでこの街は守れない。戦う人である私が生き残るべきだったんだよ。つまり惑星の書が奪われた時点で、既に我々の運命は決まっていた。もう覆せないほどに」

「だが結果、ドミニクは逃げられたぞ。あんたの都市兵たちは何をしていた。その木偶の坊と同じで突っ立てただけか?」

「なんだと。てめぇ女の分際で。ぶっ飛ばしてやろうか?」

 挑発されたハンスが唾を飛ばしながら喋る。一歩出て、剣に手をかけた。

「やめろ、ハンス。お客様だ」

 すぐにヴァレンシュタインが嗜める。ハンスは舌打ちをして直立に戻った。

「まるで犬だな」とアンナはその姿を見て笑う。

「話を戻そう。先ほどの質問だが、私の都市兵はドミニクを安全に逃がした。あれ以上、街の真ん中で魔術を使われては適わない。被害を最低限に留めるために都市兵を使って人通りの少ない道へ誘導し、城壁の外に向かわせた。君が一番、惑星の書の力を知っているだろう? あれを開き、悪魔と契約した者がどうなるか」

 アンナは黙った。ヴァレンシュタインは一歩兵から身を立て、連隊長となり功績を挙げた豪傑だ。街を守るという彼の判断は間違っていない。あの教会での惨劇を体験したエリオットでさえ、ヴァレンシュタインの言葉には説得力を感じた。

「それで私たちにドミニクを追えと?」

「エリオット・アングストマン、アンナ・ファン・デ・ブルグ。君たちは適任だ」

「私と、このクソ男が?」

「そうだ。彼もだ。君と同じだ」

「マルコ司祭も同じことを仰ってました。それは一体、どういう意味なのですか?」

 エリオットが口を開いた。

 それを聞いてヴァレンシュタインは豪快に笑った。

「どうやら君たちはお互いのことを何も知らないのか。てっきり知っているから一緒にいるのかとばっかり」

「私は由緒正しき高利貸しで、こいつは客」とアンナ。「しかも最低な部類の客」

「アンナ、エリオットはな、死刑執行人の家系なんだ」

「へぇ知らなかった。怖い怖い」

 わざとらしい反応。

「しかも名家だ。皇帝もその名を知っているほどに優秀な血統を持つ死刑執行人の一族なんだよ」

「もったいぶるな続きを言え」

「彼らの一族は特別ということだ」

 ヴァレンシュタインがエリオットを見た。

 エリオットと目が合う。何もかもを見透かしているような瞳に対してエリオットは咄嗟に視線を外した。

「なんだ? 自分で言う気はないか」とヴァレンシュタイン。「まぁいい。こういうことは自ら話したほうがいいからな。アンナ、彼の口から聞け」

「ヴァレンシュタイン、その前にあんたは私についてどこまで知ってる?」

「君は魔女だ」

 その言葉を聞いたエリオットはアンナを見る。アンナは顔色一つ変えていなかった。この時代に魔女と呼ばれたら、どんな女だって必死に反論をするというのに。「お前はかつて惑星の書を読んだ不届き者だ」

「不公平だと思わないか? このヴァレンシュタインとかいう男。私のことはベラベラ喋る。マルコから聞いたのか?」

「魔女の存在を把握できなければ街は守れない」

「優秀な最高司令官様だ。その通り、私は魔女だ。それは事実だ。かつて惑星の書を読んだ」

 アンナはわざとらしく喋りエリオットを見る。「それでエリオット。お前はいつまで黙ってるつもりなんだ。次はお前の番だ」

 エリオットは右手で目を伏せた。

「困るな、ほんとに」

「気取ってないで、さっさと言え」

 腹を殴られる。

「俺はあんたと同じなんかじゃない。正反対だよ」

 気乗りしなかった。アンナが魔女だと知ったら尚更だった。

「マルコは嘘吐いたというのか?」

「俺は魔女殺しだ」

 そしてエリオットはそんな自分が嫌いだった。

「お前が?」

「俺は魔女を殺せる唯一の死刑執行人なんだよ。まぁ――、ドミニクは男だけど」

「それは面白い冗談だな。お前が不老不死の存在である魔女を殺せるって」

「あんたが魔女ってことには驚かないよ、俺は。そんな気がしてた。残忍で悪魔のように冷酷だもんな」

 魔女は悪魔で、不老不死の存在だ。自然の摂理を越え、神の領域を侵す許しがたい罪人。問答無用で退けるべき者だ。

「酔っ払いにも勝てないお前が私を殺せるっていうのか?」

「俺は自慢じゃないけど喧嘩で勝ったことは一度もない」

「その通り。だから二人が必要なんだ」

 ヴァレンシュタインが口を挟む。「私もエリオットに武術の心得が全くないことは知っている。だがエリオットは魔術を持った者を殺すことの出来る。そしてそれを十二分に発揮するためには、魔術師共の動きを止め、エリオットによる最後の一撃をお膳立てする最強の人間が必要だ。ドミニクは魔術師になった。今や奴は私たちでは殺せない。目には目を。歯には歯を。魔術師には魔女殺しと魔女を、だ」

「それで私にやれと? こいつの為に働けと」

「やっと冴えてきたな。さすが高利貸し。計算が早い」

「俺は嫌です」とエリオット。

 アンナと組むなんてあり得ない。こいつは横暴で自己中心的な奴。それに魔女だ。信用できない。

「こっちの台詞だ、クソ野郎」

 アンナも負けていない。「どうして金も返さない甲斐性なしの男の面倒を私が見なくちゃい?」

「市民としての義務だ。街の防衛。君らも夜警に出ただろ?」

「私は女だ。夜警の義務はないんでね」

 都合の良い時だけ女を持ち出す。最悪だ。

「アンナよりも適任がもっといるはずです」

「その通りだ。そういう仕事はやりたい奴にやらせればいい。それにそもそも、その魔女殺しの力だって見たこともないのに、どうして私がこいつを信用し手助けをしなくてはいけない。ドミニクなんてどこへでも行けばいいだろ。私の財産には関係のない話だ」

 アンナは部屋を出て行こうとする。

「金を出す。一人につき、千グルテンだ」

 アンナの足が止まった。すぐに振り返る。

「こいつは二百でいい。私に八百グルテンの借金がある。だから私には合わせて千八百だ。あいつは最後の一撃しか担当しないなら当然の分配だ」

「ふざけんな。借金は六百六十五グルテンのはずだろ」

 エリオットが声を出した。

「今後一切の利子を放棄してやる代わりに八百にまけてやる」

「まけてやるって今より増えてるじゃないか」

「未来について考えろ。私の優しさが身に染みるぞ、親不孝者」

「金に釣られただけだろ」

「金を返してから金について私に説教するんだな、貧乏人」

「クソ」とエリオット。

 だが手元に二百グルテンしか残らないとなると、カテリーナの持参金、五百グルテンを取り戻せない。もう少し必要だ。

「もう少し頂けますか。自分には金が必要です」

 エリオットも勝負に出た。

「幾らだ」

「自分はあと五百。合計七百グルテン欲しい」

「だったら私は二千になる」とアンナが言葉を被せてくる。

「おい、黙ってろ」

 エリオットはアンナに言った。ここで吹っかけてヴァレンシュタインの機嫌を損ねたくない。

「うるさい。目の前に金のなる木があるんだ。アダムとイブでも実を齧り倒す」

「本人がいるのに言うか?」

「私はここにいる誰よりも偉いんだよ」

 蹴られた。それからアンナは「正当な主張だと思う」と続けた。

「わかった。要求を呑もう。七百グルテンと二千グルテンだ」

「その他に馬とか宿代とかの追跡の諸費用はどっち持ちだ」

 この女、とことんだ。金を仕事にしてるだけある。

「お手柔らかにいこうか」

「経費で足がついちゃ困る。私は平民だが、エリオットは特別な一族なんだろ。野宿はさせられない」

「五十グルテンあれば足りるだろう。あとは自分で出せ」

 五十もあれば、普通の市民なら三ヶ月くらいは余裕で暮らせるのだが、動いた金の多さに慣れて、少なく感じる。

「金は? 先払い」

「ドミニクを倒したら渡す」

「ふん。後払いか。それまでは私たちの持ち出しってわけだ」

「五十グルテンは今出す」

「二人で百グルテンってことか」

「二人で五十だ」

「さっき一人頭五十って言ってたが、それはどうなった」

「負けた。二人で八十出す」

「エリオット、どうだ?」とアンナ。

「俺は別に」

 金はアンナへの返済とカテリーナの持参金に消えて、二百グルテンだ。大金に違いないが、人生をやり直せるほどじゃない。

「しゃきっと返事しろ、男だろ」

 鉄扇で顔を叩かれる。

「好きにしろ」

「エリオット様の決済が出たな」

 アンナがヴァレンシュタインに右手を差し出した。ヴァレンシュタインは嫌な顔せず、義手の右手を出し、握手をしようとする。

「よろしく頼むよ」とヴァレンシュタイン。

「違う。金だよ。八十グルテン、今すぐの約束だろ?」

 アンナは言った。

 それを聞いたエリオットは頭を抱える。

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