1-4

 エリオットが追いつくとアンナはマルコに覆いかぶさった死体の群れを片付けたあとだった。

「マルコをどこか物影に。私はこいつらを片付ける」

「あぁ。わかった。だけどその――」と言いかけたところで、「いいから早く。マルコを安全なところへ」とアンナが言った。

「立てるか? いや無理そうだな」

 思わずエリオットの声が漏れる。マルコの姿だった。服は千切れ、腕は噛み抉られて、黄色い骨が露出していた。それだけじゃない。所々が噛み千切られて、血が染み出ている。マルコの呼吸は荒く、目は閉じられたままだ。

 エリオットはマルコに肩を貸し、引き摺るようにして、主祭壇の裏に隠してやる。

「司祭、話せるか?」とエリオット。

「なんだ」

 主祭壇の裏で蹲り下を向くマルコ。脇からの出血はかなり酷い。

「俺がアングストマンだ」

「そうか」とマルコはゆっくり目を開いた。充血している。「父親から話は聞いてるな。状況はわかるか?」

「家の使命はわかってる。だけど死体が動くのを見るのは初めてだ」

 戸惑いがないといったら嘘だった。目に映る光景の乏しい現実感。「本当にこれがその――、魔力によるものなのか俺にはわからない。信じられないんだ」

「紛れもない現実だ。聖剣は?」とマルコ。

「ない。手ぶらだよ。こんなの適応が難しそうだ」

「お前は強いか?」

「残念、弱いよ。死刑執行は父親までだ。俺は人の首を刎ねたことはない。豚で練習ならあるけどな」

「ドミニクだ。奴が惑星の書を奪った」

「何者だ?」

「副司祭だよ。墓地にいるはずだ」

「俺はどうすればいい? 親父はもう死んでる」

「弱いのなら、ここはアンナに任せるのだ。アングストマンの息子よ。お前の仕事は刑吏と同じだ。最後に行えばいい」

「マルコ司祭、あの女は強いのか?」

「同じだよ」

「何が?」

「お前と同じ――」と言いかけたところで、死体が二人の下へ飛び掛ってきた。

「ふざけんな」

 主祭壇の裏でもがくエリオット。覆いかぶさる死体の口からは黄色く粘着質な液体が垂れてくる。歯は数本抜け落ちているが、甘噛みで済まされるとは思えない。

「クソ、あっちいけ」

 だがエリオットは弱い。力強く彼の身体を掴み、顔を突っ込んで首元に噛み付こうとする死体の攻撃を、揉み合いながら交すだけで精一杯だった。いずれエリオットの体力は尽きる。餌食になるまで時間の問題だ。

「どうなってるんだよ」

 死体は猛烈な勢いで口を上下させ、エリオットに噛み付こうとしてくる。窪み萎んだ瞳と髪が抜け落ちた薄くなった頭皮。何より腐敗臭が酷い。もうエリオットが手で抑え込むのも限界だった。死体の口は彼の首元のすぐそこまで来ている。

「ぼけっとしてんな」

 アンナが横から現れて、死体の顔を蹴り上げた。首から上が吹っ飛ぶ。

「助かった」とエリオット。

「クソ雑魚。感謝の言葉以外は黙ってろ」

「どうも」

「ここで死ぬなよ。金返して貰うまでなんとしても生きて貰うぞ」

 アンナは身体を回転させ、さらに群がる動く死体どもを片付けていく。一撃で一体ずつ。アンナの蹴りは死体の四肢を砕き、拳は腐った肉体を貫いた。

「アンナ、後ろだ」とエリオット。

 背後に死体が飛びつこうとしていた。

「わかってる」

 怒声と共に裏拳。死体の顔が砕け、飛び散った。「黙ってろって言ったろ」

「これじゃきりがない」

 上半身と下半身を真っ二つに折られても、死体たちは動く。這い蹲り、生きている者を捕獲しようとする。「すり鉢で引いた粉みたいになるまで殴るのか?」

「そのつもりだ」

「死体を操っているのはドミニクって男だ。墓地にいる」

「早くいえ、とろいんだよ」

「そっちが喋るなって言ったんだろ」

「そんなこと一言もいってない」

 アンナが走り出した。「墓地へ行くぞ、のろま」

「アングストマンの息子よ」

 エリオットがアンナを追って移動しようとすると、スボンの裾を掴まれた。マルコだった。

「俺、エリオットって名前があるんだけどな」

「アンナをよろしく頼む」

「わかったよ。戻ってくるまで生きててくれよ。怒られるのは俺なんだ」


   ■

 

「話が――」とエリオット。

「うるさい。次、喋ったら殺すぞ」

 教会の裏に広がる墓地に出た。空には太陽が上がっている。穴だらけだ。死体がそこから出てきたのだろう。

「あいつか」とアンナ。

 並んでいる墓の中央に簡素な祭服を着た男が立っていた。背が高く、骨と皮しかないくらいに痩せている。窪んだ先にある目は小さく黒い。鼻は低く、血色の悪い紫の唇をしていた。

「気味が悪いな」

「死体を操るってのはあぁいう奴なのさ」

「お前がドミニクか」

 アンナが話しかけた。

「あんたらは?」

 甲高い声でドミニクが言った。手には大きな本を抱えていた。背表紙には千切られた鎖が連なっていた。「先に名乗れよ」

「癪に障る声だな」

「同感だ」

 エリオットがドミニクの声色を真似る。すかさずアンナの鉄扇で口を叩かれた。黙っていろ、という意味だ。

「返済の時間だ。惑星の書を寄越せ」

「無理な相談だ」

 同時にドミニクが指を鳴らした。物置から死体が生きている男を連れて出てきた。

「クソ」

「旅をしていた修道士でね。昨日の晩からうちにいる。おっと、動くなよ」

 人質だ。

「お願いだ。この人の言うことを聞いてくれ。そうでなくては私が死んでしまう」

 うろたえる修道士は頼まれてもいないのに喋り出した。

「安心しろ。ドミニクを殺してから、お前を殺す。お前のほうが悪人より少し長生きだ。神に仕えてよかったな」

 アンナが吐き捨てるようにいうと、修道士は黙った。冗談には聞こえなかったのだろう。

「それでは諸君。僕は行かねばならないところがあるんだ。僕に近づいたら、この死体に男を殺させる。いいね?」

 エリオットは直感的に、アンナは動くだろうと思った。

「アンナ、動くなよ。マルコ司祭が言ってた」

「わかってる」

 エリオットがアンナの横顔を確認すると、殺気に満ちた目でドミニクを見つめていた。血管を浮かび上がらせて奥歯を強く噛んでいる。マルコ司祭の名前を出したのは正解だったようだ。

「それじゃ誰かもわからないお二人さん。さようなら」

 ドミニクは走り出し、姿を消した

「絶対に見つけ出す」

 アンナの言葉を吐き捨てた。

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