第18話虐めの原因

 湖での会話からさらに二週間が経過した。


 その二週間の間、僕と河野ちゃんはなるべくだけど一緒に居るようにした。梅田先生の家に僕が行って、他愛のない話をしたり、逆に河野ちゃんが僕の家に来たりして、家にあるゲームや漫画を読んだりした。僕はあまりゲームをしないけど、河野ちゃんと一緒だと不思議と楽しかった。そしてたまに勉強も教えたりもした。やっぱり河野ちゃんは頭が良くて、教えたことを砂地の水を撒くように吸収していった。


 互いの家を行き来するだけじゃあ不健康だから、ちょくちょく高台に行って、そこでもありふれた会話をしていた。

 会話の内容はくだらないテレビ番組の話だったり、河野ちゃんが読んだ梅田先生の家にある少女漫画の話だったり、好きな音楽のことだったり、たまに外れて悟ったフリで話す哲学めいたものだったりする。


 河野ちゃんとの会話はたまらなく楽しかった。どんな話題でもつまらなく感じなかったし、それに加えて次第に僕の心の中で占める河野ちゃんの割合が肥大していくのを感じた。

 それはひとえに河野ちゃんが僕に懐いてきたからだ。僕に笑顔を見せてくれるようになったし、遠慮もしなくなった。性格が明るくなったわけじゃないけど、陰気さが徐々に無くなっていった。

 今の河野ちゃんは初めて出会ったときと変わった。秘密を打ち明けたのが大きいと思う。秘密を共有することで、人は心を開きやすいんだ。


「田中くんに出会えて良かったよ」

 そんな風なことを真正面から言われることが多々あった。僕はその度に照れてしまうのだけど。

 しかし僕のほうはどうだろうか? 河野ちゃんに会ってから僕の何が変わった?


 めんどくさがり屋。無気力な人間。情熱を持たない人種。それが僕の本質なんだけど、今の自分と比べて変わっているのだろうか?

 そして僕は河野ちゃんのことが好きなんだろうか? 多分好きだと思う。好意を持っていると言って良い。心惹かれていると言っても過言ではない。


 でも、それが愛情なのかどうかは未だに分からない。

 分からないことだらけだった。




 そんな穏やかな二週間もあっと言う間に過ぎ去って、もう夏休みは終わってしまった。

 今日から学校が始まると思うと、流石に億劫に感じられた。


 河野ちゃんの学校が始まるのは三日後らしい。勉強道具は既に用意してあるし、制服も手配済みだったので、梅田先生の家から通うのは問題なかった。

 あれから父親の話を聞かないけど、どうなっているのか分からない。願わくばこのまま生活していければ良いのだけど。


 いろいろ抱えている問題がたくさん山積みだけど、それはそうと高校には必ず登校しなければならない。

 僕は夏休み明け特有のだるさを覚えながら学校に入り、教室のドアを開けた。


「田中くん、おはよう。久しぶりだね」

 親しげに声をかけてきたのは、吉野さんだった。女の子にこんな修飾語を付けるのはどうかと思うけど、イケメンな笑顔だった。


「おはよう。吉野さん。元気だった?」

 僕は自分の机にバックを置いてから、吉野さんの近くに寄った。


「元気だよ。田中くんは少し元気なさそうだけど大丈夫?」

「夏休み明け初日なんだから元気がないのはしょうがないよ」

「ふうん。田中くんは学校嫌いなんだね」

「良い思い出がないからね」


 そんな会話をしていると、なんだか周りの生徒がこちらを注目しているのが感じられた。

 ああ、普通に話しているけど、僕は虐められていたんだっけ。それがこうして普通に会話しているのだから奇異に見えて仕方がないのだろう。

 まあいいや。そんなことどうでもいい。

 僕は吉野さんとの会話を続けようとして――


「おい、何楽しげに女子と話したりしてるんだこの野郎」

 いきなり邪魔をされてしまう。

 振り返るとそこには数人の生徒が居た。山崎の取り巻きたちだった。

 今僕に話しかけていたのは、陰険な顔つきをしている小柄な生徒、確か大友だった気がした。

 取り巻きたちは僕を睨みつけている。怒りを孕んだ目つき、憎悪の表情だった。


「ちょっと、大友くん――」

 文句を言おうとした吉野さんを僕は手で制した。

「別に誰とでも話してもいいだろう。何が悪いっていうんだ?」


「普通だったら誰も文句は言わねえよ。だけど、田中の場合は話は別だ」

 大友は僕にどんどん近づいてくる。僕はポケットの中に入れてたボールペンを取り出した。すると、大友の足が止まった。


「もうやめようよ。面倒なんだよ」

 僕は取り巻きたちにうんざりとしていた。多分山崎の復讐に僕に暴行を加えるつもりだろうけど、そんなのはごめんだった。


「互いに怪我をするだけで、何の得にもなりはしないよ。まったく、どうしようもないじゃない」

「お前のせいで、大志くんは学校を辞めるかもしれないんだぞ!」

 大友は教室中に響くように怒鳴った。それが怒りの原因なんだ。


「好きな野球を続けられなくて、お前なんかに怯えて、それで学校に来れなく――」

「自業自得だよ。僕を殴ったりするからだ」

 ぴしゃりと言葉を遮る。当たり前のことを馬鹿に説明するのは本当に面倒だった。


「山崎が僕に対して虐めを行なったのが良くないし、そもそも僕は山崎に敵対心は持っていないんだ」

 僕は敢えて取り巻きたちに近づいた。ボールペンを向けながら、ゆっくりと近づく。

「僕は何か間違ったことを言ってると思うかい?」

「だけど――」


「じゃあ訊くけど、どうして山崎は僕を虐めたんだと思うんだ?」

 この質問に取り巻きたちは顔を見合う。


「それは、知らないけど、単にお前が気に入らないからだろう!?」

「気に入らないからって言って、虐めをする人間に思えるのかい? あの山崎がそんな面倒なことをすると思うのかい?」

 大友の表情に疑念が生まれた。確かにそうだと思い込んでしまったようだ。前々から思っていただろう疑念が次第に大きくなっていく。


「おかしいと思わなかったのかい? それじゃあただ盲信的に従っていただけなんだね」

 僕はそれだけ言って、大友たちから目を外した。興味がなくなったのだ。

 もうホームルームが始まってしまう。今日は初日だから午前中に学校は終わってしまう。


 僕は自分の席に戻るときに吉野さんにささやいた。

「ごめん。学校が終わったら、船橋さんを屋上に呼んでほしいんだけど。もちろん僕が呼んでいるって伝えてもらいたい」

 吉野さんは怪訝な顔をしたけど「うん、いいよ」と頷いた。

 船橋さんをちらりと見た。この喧騒に興味がないのか、自分の席で読書していた。

 本は、夏目漱石の『こころ』だった。


 それから適当に先生の話を聞いたりして時間を潰し、そしてようやく放課後になった。

 僕が屋上に行くと、既に船橋さんは居た。


「こんなところに呼び出して、何の用? 愛の告白だったらお断りよ」

 盛大な皮肉を言う船橋さんは敵意向き出しだった。人がここまで憎むことができるのかってくらい、鋭い視線。


「告白するのは、そっちでしょ。まあ愛の告白じゃないけどね」

「私から? 何の告白をすれば良いのよ?」

「罪の告白」

 僕は短く端的に言う。


「ねえ。山崎を唆して、僕を虐めた犯人なんでしょ。船橋さんは」

 あっさりと言うと、船橋さんは口元を歪ませた。

「まあ始めから隠しているわけでもないし、むしろ気づいているのに、今更そんなことを言うのは、どういう心境かしら?」

 悪ぶれもせずに認める船橋さんに僕は「もう面倒になってきたんだ」と言う。


「虐められるのも、仕返しをするのも、飽き飽きしているんだ。だから根本から治さないとね」

「言っておくけど、大友くんは唆していないわよ。あれは勝手にやっていることだから」

 それを聞いて少しは安心した。扇動者の居ない虐めはほっとけば風化する。


「僕を虐めている理由も分かるんだ。だけど正解かどうか分からないから、敢えて訊くね。ああ、見当外れなら答えなくてもいいよ」

 前置きをしてから、僕は話し始める。


「船橋さんが僕を虐めようと考えたのは――あきらくんが原因でしょ」


 じりじりと熱せられる屋上だけど、空気が冷たいのは、船橋さんが怒っているからだ。

「知ってて、無視していたのね」

 船橋さんは僕をありったけの恨みを込めて睨みつける。

 僕はそれに構わず続けた。


「でもあきらくんは船橋さんのことが好きじゃない。多分告白して断ったんでしょ?」

「見てきたように言うわね。もしかして近藤くんから聞いているの?」

「あきらくんが告白されたことを、しかも断ったことを吹聴する人間に思える?」

 船橋さんは首を振った。


「じゃあ田中くんの推測なわけ?」

「うん。多分そうだろうなあと思って。そのとき断られた理由に僕のこと、言ってたりする?」


 船橋さんは「どうしてわかるのよ?」と聞き返した。ちょっと不気味に思われているみたいだった。


「そうじゃなければ、僕を虐める理由にならないよ。あきらくんは多分、僕のことほっとけないとか言ったんでしょ」

「…………」

「返事は沈黙でやれって教育されたのかい? まあいいや。あきらくんは――優しい人だからね」


 幼馴染とはいえ、僕みたいないい加減な人間でも優しくしてくれる稀有な人間だから、船橋さんも好きになったんだろうけど。


「あなたは全て分かった上で、虐めを受けてきたっていうの?」

 船橋さんの純粋な疑問に僕は「そうだよ」と肯定した。


「甘んじて受け止めた。あきらくんが告白を断った理由が僕にあるのなら、僕が悪いと思うしね」

「……あなたはどうして、そんな風に考えられるのよ。正直気味が悪いわ」

 生理的に受け付けられないという顔をしている船橋さんに僕は構わず続けて言う。


「だけど、まさか山崎を使って虐めるのは良くないよ。それは良くない」

 僕は決定的な一言を放つことにした。船橋さんに罪悪感を覚えさせるためだった。


「自分のことを好いている山崎を虐めの道具に使うのは、残酷すぎるよ」


 屋上の空は青かった。雲一つない綺麗な青空。

 船橋さんは「山崎くんのことは悪いと思っているわ」と髪を触りながら言う。

「でも話したら彼は協力してくれるって言ってくれたのよ。だから、甘えちゃった」


 悪びれもせず、悲しげでもなく、苦しみに耐えているわけでも、痛みに耐えているわけでもない。ただそうであるように淡々と船橋さんは言った。


「それで、山崎のことなんとも思っていないのかな?」

「ええ。友情しかないわよ」

「可哀想な山崎。好きな人に振り向いてもらえずに、再起不能の怪我を負って、それで学校を休んでいるんだから」

「三分の二はあなたが原因じゃない」

 根本の原因は船橋さんにあると思うけど、敢えて言及しなかった。


「それで、ここに呼び出した理由はなに?」

 僕は船橋さんに向かって、はっきりと言った。


「もう僕を虐めるのはやめてほしい。面倒だから。それが駄目ならシカトすればいいよ」


 目的を告げると船橋さんは「分かったと言うと思う?」と再び怒りのこもった視線を向けた。

「私は近藤くんが好きだったの。それを訳の分からない幼馴染が理由で断られて、恨まない人間がどこに居るのよ」

 恨みを持つのは当然だと思った。だけど悲しいけど恨みを持つのはお門違いなんだ。


「船橋さん、落ち着いて聞いてほしい」

 僕は努めて冷静に言うことにした。


「あきらくんが断った理由が、実は本当の理由じゃないだとしたら、どうかな?」

 それを聞いた船橋さんの目が大きく見開いた。


「はあ? 何を言ってるのよ?」

 僕ははっきりと言う。

「僕を理由に断るのは実は初めてじゃないんだ。何度もあった。だってあきらくんはモテるからね」

 僕は言おうか言うまいか悩まなかった。それはこの問題を解決したいが為だった。


 この問題を解決しないと河野ちゃんの問題に真剣に取り組めない。

 だから解決させるために僕は言った。


「あきらくんは、女性が苦手なんだ。だから付き合いたくないんだ」


 このシンプルな理由に船橋さんは血の気が抜けてしまったみたいだ。


「僕を理由にしたのはそのためさ。だから僕は元から関係ないんだよ」

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