第11話隠されていた想い

 祭りが終わって、熱気も冷めて。

 人々が帰り支度を始めた頃、僕たち三人は一足早く家路へと向かっていた。

 家路といってもそれぞれの家ではなく、まずは河野ちゃんの家を目指していた。


 本人は別にいいよと断っていたけど、流石に中学生をこんな遅くまで連れ回しているのは良くないし、それにたくさんの戦利品もあって一人じゃあ持ち歩けないだろうから。

 戦利品とは屋台の射的で手に入れた景品や金魚すくいの金魚のことだった。

 これらの戦利品は僕が獲った――と言いたいところだけど、実際に獲ったのは吉野さんだった。


「私、昔から得意なんだ。妹や弟、女友達にせがまれてやってたら、自然とできるようになったんだ」


 ますます本人の意向と違ってイケメン度合いが増しているエピソードだった。

 僕も射的に挑戦したけど、結局は当たらなかった。空間把握能力に欠けているらしい。

 だけど射的のおじさんが「もう勘弁してくれ!」と泣きつくまでやるのは正直やりすぎだったと思う。


 金魚すくいも同様に吉野さんの活躍で大量に、いや大漁だったのだ。

 でもたくさん居ても育てられないので、三匹だけもらって残りは返した。たった三百円であんなにたくさんはやりすぎだと僕は思う。


 そんなわけで存分に楽しんだ僕たちだったけど、早めに帰ることにした。

 いつまでも中学生を夜遅くまで連れまわすのは良くないという僕にしては常識的な判断だった。

 都合が良いことに河野ちゃんの家は夏祭りの会場から歩いていける距離だった。まあ高台に近いところに住んでいたんだ。


 とりあえず僕たちは駅に置いてある河野ちゃんの荷物を持ち返ってから、河野ちゃんの家へと歩みを進めた。

 僕と河野ちゃんと吉野さんの三人で。


「ゆかりさんは帰りが遅くなるけど、いいのかな?」

 ある程度は二人の仲が良くなったと思われる。こうして気遣いの言葉を言えるようになったのだから。

「大丈夫だよ。田中くんに送ってもらうからね。安心して」

「……なんだか、ずるいな」

 口を尖らす河野ちゃんはなんだか愛らしく思えて、こっちが気恥ずかしく感じてしまう。


「ああ、ここでいいよ」

 駅から歩いて十五分くらいの場所に河野ちゃんの家が見えてきた。住宅街の中でもひと際大きい家で、新築みたいに綺麗だった。

「じゃあこれを渡すよ」

 僕は河野ちゃんの分の戦利品を渡した。

「ありがとう。それじゃあ、また今度。四日後に高台で会おうよ」

 そう言って手を振り家へと近づいていく河野ちゃん。僕はそれを見てから今度は駅のほうへ向かう。吉野ちゃんもそれに続いた。


「あの子、変わっているけど良い子だね」

 しばらく歩いてから、吉野さんは呟いた。

「うん。僕もそう思う。どこか浮世離れしているけど、悪い子じゃないんだ」


「田中くんは静ちゃんのこと、好き?」

 不意に訊かれて、僕は吉野さんに反射的に答えてしまう。

「好きだよ。友達としてだけど」


「……向こうは確実に田中くんのこと好きだと思うよ。もちろん恋愛感情で」

 何を根拠に言えるのか分からないけど、一応誤解を解かないといけないなと思った。


「恋愛感情とかじゃないよ。あれは独占欲の顕れなんだ」

「独占欲? つまり独り占めしたいってこと?」

「そうだよ。好きなおもちゃを独り占めしたい子どものように、僕を独り占めしたいんだよ。ただそれだけさ」

 吉野さんは首を傾げていたけど、案外当たっているんじゃないかなと思った。


「じゃあ田中くんは友達として好きって感情はどこから出ているの?」

 難しい質問だったけど、僕は簡単に答えることができた。


「多分、庇護欲だと思う。守りたいと思わせる何かがあるから。そして僕と河野ちゃんは一緒だからほっとけないと思っちゃうのかも。まあどんなに言葉を尽くしても分からないよ。人の感情なんて」

 四則演算じゃあるまいし、足したり引いたりして勘定できるほど人間の感情は単純じゃないんだ。


「ふうん。じゃあ――田中くんは好きな人はいないのかな?」

 吉野さんは結構大胆な質問をしてきた。声が震えているのはどうしてだか分からない。

 僕は吉野さんの顔を見ずに答える。


「いないよ。そんな人はいない」

 そんな人が居たらどれだけ幸せだろうか。この歳で恋愛感情を持たなくなったのは枯れてしまっていると自分でも思うけど。

「じゃ、じゃあさ――」


 吉野さんの声が上ずっている。僕は吉野さんのことを見つめた。

 顔が赤くなっている。しかもどこか緊張しているみたいだった。


「わ、私と良ければ――」


「ああ!? しまった!!」

 吉野さんの持っているものを見て、思わず大声を出してしまう。


「な、なに? なんなの?」

 言葉を遮られて困惑する吉野さんに僕は指差して言う。

「金魚、渡してなかった。どうしよう」

「あっ! そういえば――」

 吉野さんが右手に持っている金魚。これは河野ちゃんに渡すはずのものだった。


「仕方ない。今から届けに行くよ。吉野さんはここで――」

「私も行く。こんな中途半端なところで別れるのは嫌だから」

 やけにはっきりとした口調の吉野さん。そして何故か怒っている

「なんで怒っているの? 気づくのが遅かったから?」

「いや、遅いっていうか、まだ気づいてくれていないっていうか……そんなのはどうでもいいの! さあ届けに行くよ!」

 ずんすんと先を急ぎ足で進む吉野さんに僕を気後れしながらも後を追っていく。

 やっぱり女の子の機嫌は山の天気よりも変わりやすいなあ。


 急いだのでそんなに時間もかからずに河野ちゃんの家に着いた。やっぱり他の家と比べて大きくて立派だった。

 うーん、もう遅い時間だし、ドアチャイムを押してもいいのだろうか? そう思いながらも玄関の前に立った。

「どうする? とりあえず――」

 吉野さんが何か言おうとしたそのときだった。


「きゃあああああ!!」


 悲鳴が、家の中から、聞こえた。

 僕の思考が停止してしまった。

 吉野さんも固まって動けない。


「ごめんなさい! ごめんなさい! お父さん、やめて! 許して!」


 河野ちゃんの声、だった。

 それに気づいて僕の全身がかあっと熱くなった。熱帯夜だというのに外気温が冷たく感じる。

 がたんごとんと音が響く。同時に悲鳴も聞こえてくる。


「ど、どうしよう! ねえ、どうしたらいいの!?」

 吉野さんが僕を涙目で見つめてくる。


 ハッと気がついて、僕は見過ごせないと思った。見捨てられないと思った。捨てておけないと思った。

 様々な想いが巡って、そして僕は――ドアチャイムを押してしまった。

 しかし押しても誰も出ない。悲鳴が絶えず聞こえてくる。


 何度も押した。

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も――

 何度も押しても出てくる気配がない。


 僕は気がついたらドアを叩いていた。

「河野ちゃん! 河野ちゃん!」

 必死だった。もしかして河野ちゃんが死んでしまうんじゃないかと思うとどうしようもなかった。


「田中くん! 警察に電話したほうがいい!? それとも――」

 吉野さんがスマホを取り出した。そのときだった。


「なんですか。人の家のドアをそんなに叩くなんて。非常識でしょう」


 急にドアが開いた。

 そこにはスーツ姿の中年の男性が居た。

 髪をきっちりと整っていて、銀縁眼鏡をしていて、顔つきはどこにでもいるようなサラリーマンって感じだった。

 でもどこか精神的に不安定な感じもしていた。

 一目見て、この人が河野ちゃんの父親だって分かった。どことなく河野ちゃんに似ていたから。


「君たちは一体誰なんですか?」


 問われて僕はおどおどしながら答える。

「あ、あの、河野ちゃん――河野静さんの友達です」

 すると父親は冷たく笑った。

「友達? あれに友達なんていないでしょう。くだらない。さっさと帰ってください」


 その言葉に――僕は怒りを覚えた。

「なんでそんなこと言えるんですか!? 友達ぐらい居て当然の年頃でしょう!」

 思わず声を荒げると父親は面倒くさそうに言う。


「あれは普通の子どもじゃありません。友達だったら分かるでしょう」

「な、何を――何を言ってるんですか!」

「それで、用件はなんですか?」

 僕は言いたいことがたくさんあった。その中で一番言いたかったことを口に出す。


「河野ちゃん、いや河野静に暴力を振るったでしょう。そんなことやめてください」

 そう言うと父親は何の感情も込めずに言い放った。

「あれは躾ですよ。暴力なんかじゃあありませんよ」


「ふざけないで! あんなにやめてって言ってるじゃない!!」

 吉野さんが今までで一番聞いたことのない大きな声で言う。


 すると父親はまた冷たく笑った。


「あれは出来損ないです。私の失敗作ですよ。それをどうしようが私の勝手でしょう」

 出来損ない? 失敗作? 

 何を言っているんだ、この人は。


「ふざけんなよ……親だからって何でもして良いわけがないだろう……」

 僕は怒りを込めて父親を睨みつけた。


「親だからって、何でもして良いわけじゃないだろうが! あんな悲鳴をあげて! あんなに懇願してやめてって言っているのに!」

 思わず父親に詰め寄りそうになった僕。


「……なんで、ここに、居るの……」


 ハッとして家の中を見る。

 そこに立っていたのは河野ちゃんだった。

 まるで大切な宝物を壊された子どものような表情だった。


「河野、ちゃん。なんで――」

「おい! 玄関に来るなと言っておいただろう!」

 僕と吉野さんを無視して、河野ちゃんに近づいた父親はその勢いのまま、河野ちゃんに平手打ちをした。


「きゃあああ!!」

 悲鳴をあげたのは吉野さんと河野ちゃんだった。重なり合って一緒になって、どちらの声か判別できなかった。


「お前は! どうして! 言いつけを守れないんだ! この役立たず! 不良品が!」

 倒れた河野ちゃんに足蹴する父親に僕は我慢できなくなって、家に上がった。

「おい! やめろよ! 何してるんだ!!」


 僕は河野ちゃんと父親の間に身体を入れて庇った。

「ふざけんなよ! これ以上やったら死んじゃうだろ!」

「…………」


 僕は河野ちゃんを抱きしめた。

 抱きしめるととても痩せていて、軽くて、頼りないのが分かる。強く抱きしめると折れてしまいそうだった。


 僕は吐き気を止めることができなかった。こんなに可哀想な女の子だったなんて、知らなかった。実の父親に虐待されて、愛情の欠片もないなんて、信じられなかった。


「河野ちゃん、この家から出よう」

 僕は河野ちゃんの顔を見た。

 不思議そうな顔をしていた。


「まあいいでしょう。どことなりと連れてってくださいよ」

 父親はどうでも良さそうに言う。

「これと一緒に居たら苛々しますからね。もうどこかに連れてってくださいよ」


 この人は、本当に、愛情がないんだ。

 だから河野ちゃんがどこに行こうがどうでもいい。たとえ死んでしまっても関係ないんだ。


「田中くん、もうこの人と話しても無駄だよ。静ちゃん、それでいいね?」

 吉野さんが僕を手伝って、静ちゃんを起こそうとする。

「でも、お父さんが……」

「良いんだ。ここに居てはいけないんだ」


 僕たちは怒りと悲しみを抑えつつ、河野家を出ることにした。

 だけど父親は何も言わなかった。

 僕たちは靴を履いているときも、河野ちゃんが何度も父親のほうを見ても、玄関のドアを閉めて出で行くときも――何も言わなかった。


「どうする? どこへ行く?」

 吉野さんは河野ちゃんの肩を抱いている。河野ちゃんは呆然としていた。

「僕の家に行こう。部屋がたくさんあるし」


 こうして僕たちは僕の家に向かった。

 今までの楽しかった思い出が嘘になってしまった感覚。

 そして許せない気持ちが心を縛っていた。

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