第37話 魔王さまと戦場を支配するファクター
≪この手を掴め!≫
必死に逃げていたコボルトの頭上から、逆さまになった仲間が手を差し伸べている。
もっと奥で待機している筈なのに、どうして?
困惑しつつも、コボルトはその手を掴んだ。
≪上げろ!≫
その掛け声で仲間は上げられ、命を狩ろうとする死神の鎌は空を切った。
同時にスライムが降り注ぎ、追い掛けてきた魔族の視界を奪い去る。
≪ど、どうしてここに居るんだ!? 僕を助けに、命令違反をしたのか!?≫
仲間が助けに来てくれたと嬉しく思う反面、仲間の為に覚悟してやった事を無視されたようで腹が立った。
≪違うんだ。これが、作戦通りなんだ≫
≪え? だ、だって、ここに君らが居るなんて、自分は聞いていないぞ?≫
≪そしたらお前は、こっちじゃなくて、もっと別の方向に逃げただろ?≫
図星を突かれ、何故か急に恥ずかしくなった。
仲間の言うとおり、きっと誰にも迷惑が掛からない場所へと行ったことだろう。
≪さぁ、行くぞ! アイツは言った! 三匹でダメなら、四匹同時で攻撃すれば良いってな!≫
逃げてきたコボルトも加わり、計四匹で上下左右の同時攻撃を喰らわす。
先程のダメージも残っていたのだろう。
レベル11という強敵が、苦しそうな雄叫びを上げた後、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
◇----------------◇
パラミドーネは振り上げた斧を――。
≪そこで止まれ!!≫
ストラの怒鳴り声に、パラミドーネは立ち竦んだ。
気配を感じたのか、それとも最初からこうなる事が分かっていたのか。
どちらにせよ、もう終わりだとパラミドーネは思った。
裏切り者に対する憎しみの深さは、自分が良く知っている。
≪どうして止めるのですか、ストラ様!!≫
パラミドーネの背後で、レアルタが悲痛な声で叫んだ。
見れば、針のように細く尖らせたイバラが首筋を狙っていた。
そこでようやく気が付く。
あの声は、レアルタをいさめる声だったのだと。
≪それが、正しい行動だからだ≫
≪ストラ様のお命を守ることよりも、正しいのですか!?≫
ただをこねる子供のような声に、ストラはしょうがないヤツだなと笑う。
≪……かつて私は、レベル20という強敵を倒す為には、槍を持ったレベル1が二十人居れば倒せると謳った。だがそれは、欠陥品だった。戦場を左右する、大きなファクターが抜け落ちていたからだ。主観では得られて、客観では決して得られない、重要なファクターが≫
あの日、アルクワートは確かに言った。
人間は、困っている人が居たら助けると。
頑張っている人が居たら協力すると。
損得関係なく、自分の地位が奪われてもなお、そうするのだと。
主観のみに存在する重要なファクターが、その行動に走らせるのだろう。
≪戦場とは、大多数と大多数がぶつかり合うことを指す。ゆえに、個人個人ではなく、全体を『一個』として見る。だからこそ、客観視する必要性が出てくる。その時、真っ先に排除されるのが――『感情』なのだ≫
≪その話と、今の作戦に何か関係はあるのかい?≫
未だに作戦の真意を話さないストラに、パラミドーネは苛立っていた。
ストラは意味ありげに笑みを浮かべ、頷く。
≪その感情によってもたらされる『もう一つのファクター』がこの作戦の要であり、時機にこの戦場を支配することになるからだ≫
◇----------------◇
反対側にある森の入り口で、グラードとプレデラを含めた側近たちが駐留していた。
モンスターたちが待ち伏せしていることは、既にグラードの耳にも届いていたが、作戦に変更はなかった。
この程度なら、高レベルの魔族たちで強引に押し切れると踏んだからだ。
ところが、逆に押し戻された魔族を見て、グラードは目を丸くする。
それは、期待していた高レベルの一人だったからだ。
「貴様ァ! 何故戻ってきた!?」
グラードはひどく苛立った様子で叫んだ。
「あれだけ自慢していた豪腕はただの飾りか!? それとも、あの程度の奇襲に怯んだか!?」
「ち、違うんです……」
「なら、何故逃げ帰ってきた!? 全体の行軍速度が大幅に落ちているのも、貴様のような臆病者が居るからだ!!」
近くにあったイスを掴み、グラードは逃げてきた魔族に投げつける。
イスそのものが粉々になるほどの勢いだった。
「ア、アイツらの所為なんです。どんどん増えていくんですよ……アイツら」
グラードは眉をひそめる。
「どういう意味だ? まさか、応援が来たというのではないだろうな?」
「違うんです。最初の奇襲は、スライムと、三匹のコボルトだけでした。それが……次になると、コボルトが四匹になっているんです。更に奥に行くと、今度は五匹同時に攻撃してくるんですよ……」
レベル差は倍以上なのに、高レベルの魔族はしゃがみ込み、ガタガタと震え出す。
「分かってしまうんですよ。次の攻撃は、六匹同時だって。想像してしまうんですよ。さっきよりも、強い攻撃が来るって。奥に進めば、もっともっと増えるって。そう思うと、足が竦んでしまって……」
怯えるその姿を見て、グラードは言葉を失う。
小賢しい奇襲で倒されるのは分かる。
だが、よもや切り捨てていったモンスターたちに脅かされるとは夢にも思わなかった。
――まさか、これが狙いなのか? こんな事を、本気で狙っていたというのか?
そして、作戦の真意にようやく気づいたグラードは、心の底から戦慄した。
◇----------------◇
ストラは振り返り、斧を振りかぶったままのパラミドーネと真正面に見つめ合う。
≪全ての種族が恐れている、最も強い感情の一つ……それが、『痛み』だ。針一本なら我慢できよう。だが、進むにつれて本数が増えていったらどうする? どこまで増えるか分からない道を、進みたいとは思うか?≫
想像して、パラミドーネは顔を歪めた。
≪だが逆に、その痛みを抑える事が出来たのなら? コボルトは強い個体が居ない代わりに、仲間意識が特に強いと聞く。そう、仲間を救うという感情で、痛むことをためらわないとしたら? 作戦を実行する上で、最も障害となるそれを取り除くことが出来たのならば……相手が三百を超える軍勢だとしても、負けはしない≫
ストラの言葉を聞き、パラミドーネは力無く首を振るう。
≪アタシが知りたいのは……この作戦なら、犠牲者を少しでも減らせるのか、って事だけなんだよ。アタシらは、いつだって生きるのに必死なだけなんだ……≫
苦々しい顔も、振り上げている斧も、生き残る為には仕方がないんだと言っているようだった。
≪犠牲者? ……あぁ、少し言葉が足りなかったようだな。別々な方向に逃げさせたのは、他の二人を確実に助ける為。そして、残る一人を安全に助ける為だ。犠牲など、出させはしない≫
犠牲は出さない。
パラミドーネは歯を鳴らす。
かつて自分たちを騙した魔族――グラードと同じ台詞を吐いたのだ。
信じるものか。
頭と口だけで動くようなヤツなど、絶対に信じるものか。
唐突にストラは、パラミドーネに背を向け、両手を広げた。
≪もしも仲間が一人でも死ぬような事があれば、その斧で私を斬れ。死ぬ者が一人増える度に、その斧で私を斬れ。この命尽きても、肉塊に成り果てても、仲間の恨みを私にぶつけ続けろ。それが……この作戦を実行した、私の責務だ≫
小さい身体に、細い手足。
だというのに、その背中は霧の掛かった山のように、果てが見えない程高く見えた。
尊敬している歴代の長たちよりも、ずっとずっと。
気が付くと、パラミドーネは斧を降ろしていた。
――あぁ……ダメだこりゃ。やられちまったよ、アタシゃ。
膝を付き、雄々しいその背中に斧を差し出す。
≪惚れた弱みだ。その時は、アタシも一緒に死んでやるよ≫
一族の長として、あるまじき発言だった。
しかし、自分が、例え一族全てが犠牲になったとしても、この背中に付いて行きたいと心の底から思ってしまったのだ。
≪ならば付いてこい。この覇道を≫
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